第一章 全身義体 Ⅲ

 ブリーフィングを終え、車が着いた先は郊外こうがいの倉庫だった。

 都市部から離れているのもあって、周囲に人気はない。麻薬の栽培、精製を隠れて行うには向いた場所だろう。


「それじゃ、行ってきます」


 愁思郎しゅうしろうはワンボックスを出ると、周囲の物陰に麻薬取締官たちが待機しているのを確認する。


 麻薬取締官まやくとりしまりかんたちの表情は厳しく、空気が静かに張り詰めているのを感じた。


 愁思郎は近くの麻薬取締官に軽く頭を下げ、件の組織が根城にしている倉庫へ向かう。

 

 その足取りは普段と変わることがなく、表情にも変化がない。

 張り詰めた空気とは裏腹に、愁思郎には緊張や気負いというものがなかった。


(この空気にも慣れちゃったなぁ……)


 と、愁思郎は自嘲気味じちょうぎみに笑う。


 倉庫の扉は金属製で、見るからに重そうだ。当たり前だが中から鍵がかけられている。


(仕方ない)


 愁思郎は無造作に扉を蹴った。

 その瞬間、


 バコォンッ‼


 爆発音にも似た轟音が響いて、扉がはじけ飛んだ。


 中にいる男たちが、慌てふためいている。何が起きているのか理解が追い付かない──そんな顔をしていた。


 愁思郎はゆっくりと倉庫に踏み入ると、努めて平淡な口調で言った。


「あの、すみません。公安局です」


 売人の男たちは呆気あっけにとられている。


「ここは包囲されています。大人しくしてください。抵抗する場合は実力行使で制圧することになります」


 お決まりのセリフだ。

 相手が警告通りに大人しくするとは、正直愁思郎も思っていない。


 案の定、一人の男が銃を抜いた。

 即座に発砲。

 愁思郎の胸元に、軽い衝撃。


(着替えておくんだった)


 胸に穴の空いた制服を見ながら、愁思郎は男に歩み寄る。

 男は半狂乱に陥って何度も銃を撃つが問題はない。拳銃弾程度で傷つくほど、愁思郎はヤワではないのだ。


 男の前に立つと無造作に拳銃を払った。

 右から左へ腕を振るう──ただそれだけ。


 たったそれだけで、拳銃は変形して鉄くずへと変わる。

 その余勢で男の腕も折れていた。


 男は悲鳴を上げてへたり込むが、あまり罪悪感は覚えない。

 人に向けて平気で銃を撃つような奴だ。腕の一本二本、折っても問題ないだろう。

 

 周りで見ていた男の一人が必死の形相で叫んでいる。


「きっ、気を付けろ! こいつはサイボーグだ!」 

「…………」


 愁思郎は冷ややかな目で男たちをにらむ──制圧開始せいあつかいしだ。

場の緊張が臨界点りんかいてんを突破し、それまで静まり返っていた倉庫内が一気にあふれ出した殺気で充満じゅうまんする。


「ぅオラァああアァ‼」

「死ねや!」

「がアァッ‼」


 怒号と絶叫がこだまして耳鳴りがしそうだった。

 男たちは次々に銃を抜き、愁思郎に向けて撃ちまくる。


 四方八方から銃弾が飛び交い、普通ならとっくに蜂の巣どころか、ズタボロの肉片になっていただろう。

 しかし愁思郎は止まらなかった。集中砲火受けてもビクともしていない。


「何ぃ⁉」


 一番近くにいた男へ距離を詰めると、また無造作に腕を振るった。それだけで男は吹っ飛んでいく。


 少年の腕一つで大の大人がボールのように宙を舞うさまは、冗談にしても笑えない。


 ましてそれをやっている愁思郎が華奢きゃしゃで弱そうな外見をしているものだから、悪い夢でも見ているようだ。


 そんな悪夢を振り払うかのように、男たちはなおも愁思郎に襲い掛かるが、それは戦闘になっていなかった。


 銃をいくら撃っても止まらず、近づかれて吹き飛ばされる。

 ナイフで切りつける者もいたが、刃は一ミリも通らず、ナイフごと腕を折られる。


 男たちの攻撃手段が、まったく通用していないのだ。

 戦うという構図になっていない。愁思郎が一方的に、男たちを痛めつけているだけになっている。


 ──それはまさしく蹂躙だった。


 十数人いた男たちが、瞬く間に最後の二人まで減った。それ以外は全員、床で伸びている。

 そしてまた一人。


「クソがぁ!」


 鼻ピアスを付けた男が転がっていた鉄パイプを構え、やけくそ気味に振り下ろす。

 鉄パイプを愁思郎はガードさえしなかった。


 脳天に鉄パイプが直撃するが、愁思郎は無傷。むしろ殴りつけ反動で男の腕がはじかれる。

 男の体勢が崩れたところで、愁思郎は右の掌底しょうていを叩き込んだ。


「ガハッ⁉」


 男はピンボールのように吹っ飛び、三メートル後方の壁に叩きつけられてからバウンドして床に転がった。

 白目をいて、完全に気を失っている。


「クソッ! ちくしょう!」


 最後の一人──リーダー格の男がわめらす。男には愁思郎が人型の化け物に見えていた。


「てめぇは未来から来た、殺人ロボットかよ……!」

(失敬なヤツだ)


 誰も殺してはいない。

 そして愁思郎はロボットではない、人間だ――そう言おうとして言えなかった。


「クソッ! クソ‼ 早く出やがれ!」


 リーダー格の男は携帯端末を操作しながら、倉庫の奥の扉を開けた。

 一体何をするつもりなのか――愁思郎は警戒を強める。


「出ろ! スティール‼」


 男の呼び声に応えるように、扉の奥から黒人の大男が出てきた。


 モップのようなドレッドヘアーをした、百九十センチ以上あるだろう長身の巨漢だ。

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうたる体躯たいくに、茶褐色ちゃかっしょくいろの肌以上に黒くメタリックな両腕が異彩いさいを放つ。


 一目で分かる――サイボーグだ。

 ブリーフィングで涼子が言っていた用心棒だろう。


 スティールと呼ばれた黒人の巨漢は、少し様子がおかしい。ドレッドヘアーの間から見え隠れする瞳に光がなく、うつろな目をしていて鼻息が荒い。


 一見して尋常な様子ではなかった。

 スティールが壊れた人形のように、パカッと口を広げる。


「■■■■■■――ッ!」


 それは人語ではなく、獣の咆哮ほうこうに近かった。

 スティールは吼えるが早いか、愁思郎に突進する。


「ッ⁉」


 五メートルは離れていた距離が、零コンマ数秒のうちにゼロになっている。

 その速さに愁思郎も驚き、不意を突かれた。


 油断している訳ではなかったが、反応が間に合わない──その巨体に反して、すさまじいスピードの踏み込みだ。


 鋼鉄の拳が空を裂く。

 愁思郎のボディにクリーンヒット。


 トラックに跳ね飛ばされたように、愁思郎はノーバウンドで背後の壁に打ち付けられる。


「……ッ……‼」


 悲鳴は出ない。人工肺の中から、声にならない呼気こきだけがれる。  

 しかしスティールの攻撃は、ボディへの一発では終わらなかった。


「■■■■ッ! ■■■■■ッ‼」


 壁に打ち付けられた愁思郎を、スティールは執拗しつように殴り続ける。

 コンクリートの壁がひび割れ、砕け、愁思郎は少しずつ壁にまっていった。


「■■■■■■■■■■■■ッッ‼」


 一際大きい咆哮──そして繰り出される止めの一撃。


 倉庫全体が揺れた。

 地震と間違えるような強烈な衝撃が走り、愁思郎は人形のクレーターのように壁にめり込んだまま動かない。


「──はっ、ひゃはは! すげぇ! こいつはスゲェ‼」


 スティールと愁思郎を見ていた男は、狂ったように笑う。


「こんな事もあるかと思って、こいつを飼っておいて良かったぜ!」

「…………」


 男の発言にスティールは無反応。

 それもそのはず――黒人サイボーグのスティールは、とっくに人間として生きていない。


 麻薬と洗脳教育を用いて、男の言うとおりに動くただのコマでしかないのだ。

 それなりに手間と費用はかかったが、こんな風に役に立つなら安いものだ──男は興奮気味に頷く。


(後は周りを囲んでる麻取の連中も、こいつに皆殺しにさせよう。その隙きに俺は逃げるとするか)


 他の連中を助けようなどとは、微塵みじんも思わない。

 下手をこいた奴が悪い──それが裏社会の常識だ。


 男にはノウハウが有る。ほとぼりが冷めるまでしばらく大人しくしておいて、頃合いを見てからまた商売を始めればいい。


 幸いにも売上を分け合う仲間は、みんな転がっている。

 売上金を一人で持ち逃げできれば、当座の金には困らない――と、そこまで男が考えていたところだった。


「飼っておいたって……何だ?」

「なっ⁉」

「■■■?」


 男は驚愕きょうがくに目を見張みはり、スティールは奇妙なものを見るように首をかしげる。

 愁思郎は何事もなかったように喋っていた。


 パラパラとコンクリートの破片を散らしながら、ゆっくりと壁にめり込んだ身体を引き剥がす。

 

 愁思郎の身体はコンクリートと砂埃で薄汚れているものの、ダメージがある様子は全く見られなかった。


「嘘だろ……!」


 男はうめきながら、信じられない物を見るように目を見開みひらく。


「スティールのパンチは四トントラック並だぞ! いくらサイボーグでも、そんなパンチをあれだけ喰らっても無傷だと⁉」


 常軌じょうきいっしている──でたらめな耐久力だ。この頑強さタフネスは最早サイボーグという枠を通り越している。


 普通のサイボーグでは有り得ない。


(いや待てよ……!)


 男の絶望にも似た叫びが響く。


「まさか……噂に聞く全身義体ぜんしんぎたい⁉」

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