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 誠一はようやくスニーカーに足を半ば強制的に突っ込むと、爪先で地面をノックしながら言った。


「待ってました。次からが大本命なんや。これもヤブさんから聞いたんやけどな、夜になると、技術室から一階の廊下にかけて、姿が見えないピエロの悲鳴と走る音が聞こえてくるんやって」

「なんやそれ、めっちゃ怖いやないか」

「せやろ、せやろ。ヤブさんの話によると、その声を聞いてノイローゼで警備員を辞めてった人が何人もおるらしい」

「そう考えたら、それを平気で話せるヤブさんってすごい人よな」

「見た目によらずな。そして、最後は演劇部の藍ちゃんから聞いたんやけど、夜になると、異様にテンションが高い校内放送が流れるんやって」

「そ、それはもはや怖いを通り越して不気味やな」


 ん? と、誠一は体育館の前を通過しながら疑問符を頭に浮かべた。穣は七不思議って言ってたのに、ここまで六つしか言ってない。しかも放送室の噂を最後だって言ってた。


「なあ、穰。あと一つ足らんくないか?」

「そうなんや、にいちゃん。この学校の『七不思議』の面白いところはな、最後の一つが誰も分からんってことなのよ」

「はあ、なんやそれ。絶対お前が聞けてないだけとちゃうか?」

「そんなことあらへん。いろんな人に聞いてみても、最後の噂だけは分からんって、みんな口を揃えて言うんや。な、ワクワクしてくるやろ」


「別にワクワクはせえへんけどな。……もしかしたら、聞いたけど忘れてるだけなんかとちゃう? ほら、例えば王道で言ったらトイレの花子さんとか」

「そんな王道中の王道、今さら草しか生えんよ」

「どう言う意味やそれ」


 二人はそんな会話をしながら、校門の前まで来た。校門の前には珍しく大学生くらいのカップルが一組いて、懐かしそうに津江中学校を眺めている。

 女性の方は通りがかる男子全員が目を惹いてしまうほど美しく、スラッとした体型にサラサラした長い黒髪、そして耳には貝殻のイヤリングをつけて大人な女性を醸し出していた。


「なんや、あの女の人。えらいべっぴんさんやないか」


 普段は女の子に興味がない穰でもこの食い付きぶりである。人一倍、女の子が好きな誠一が気付かないわけがなかった。しかし、いつもであれば胸のときめきを抑えるためにわざと大袈裟に動き回るのだが、今日はそんなことはしない。

 まさか、一発KOされて、脳震盪でも起こしたんやないやろうな、と穣は心配になって兄に声をかけた。


「にいちゃん、大丈夫か?」

「あ、ああ。大丈夫やで」

「どないしたん。まさか中学生の身で運命の人を見つけちまったんか?」

「いや、そうじゃないねん。あの人、どっかで見たことあるなと思ってな」


 誠一はそう呟きながらカップルの横を通り過ぎっていった。すれ違いざまにカップルの会話が耳に入る。


「どう? 懐かしの母校を見て、インスピレーションは沸いたかしら?」

「うん。いい作品が出来そうだよ。でも同時に不安でもあるんだ」

「あら、どうして?」

「おそらく、この話を書くことで僕は多くの人を殺してしまう。この星にいる何十億では済まない人をきっと僕は殺してしまうだろう。そんな事をして良いのかなって。

 たとえフィクションだからって、その世界の人にとっては大切な命だ。それをどこにでもいる平凡な僕が勝手に奪って良いのだろうか? そんな不安が僕の中にちらついているんだ」

「ふふっ、おかしな事を言うのね。確かに現実ではない世界を作る人たちは『死』を蔑ろにしがちね。受け手も作り手も感覚が麻痺して、近年は過激な内容が増えている。

 でもね、私は思うの。そういうところに気づけるのが、あなたらしいんじゃないかしら。命の大切さを分かっているのであれば、それに見合ったテーマを付与すればいい。あなたならきっとできるわよ」

「……うん、そうかな、……そうかも。やってみるよ」

「良かった」


 そんな仲睦まじい会話を聞きながら、誠一は彼女のことをハッと思い出すと、穰の小さな肩を勢いよく叩いた。


「お、思い出した。七年前、女子テニス部を県二位まで押し進めた伝説の世代の副部長や。玄関前に飾られてる写真に写ってたんよ」

「よく、そんな細かいところまで覚えとるなあ、にいちゃんは」

「美女を見抜くセンスであれば、誰にも負けへん自信はあるからな。名前はなんやったっけな……。し、し、柴崎、やなくて……、進藤でもなくて……せや、澁谷や。澁谷綾子や」

「いや、そう言われても、ワシはピンとこんで。面識ないからな」

「そりゃワシもないわ」


 誠一は振り向いて、もう一度綾子のことを見た。その美しいスタイル、髪、身嗜み。どれをとっても一流芸能人に引けを取らない素晴らしさだった。ワシも将来あんな美人と結婚できたらなあ、といつになるか分からない将来を誠一は想像する。


 ふと、彼女の持ってるハンドバッグに目が行く。そのバッグの口は開かれていて、中の物が多少見えてしまっているのだが、口紅やアイライナーなどの化粧品に紛れて、鋭利な包丁が見え隠れしていた。

 それを見て誠一は思わず目を丸くしてしまう。脳裏をよぎったのは、昨晩見た実在する女性殺人鬼の再現映像だった。あれのせいで誠一は珍しく夜遅くまで眠れなかったのだ。


 まさか、彼女は殺人鬼やないやろうな、と誠一はもう一度目を凝らして見てみた。しかし、そこには包丁がなく、代わりに手帳らしきものが見えた。誠一はほっと安堵の息を漏らし、こう呟く。


「そんなの、全然笑えへんで」


 兄はフッと達観した笑みを漏らすと、後ろでにいちゃん、にいちゃんと不格好に呼び続ける弟の元へ走っていった。




 それはトイレの噂が流れる二ヶ月前のこと。






<第☀︎☻⚤☯︎✂︎部 了>




最後までお読みいただき、ありがとうございます。

このあと、あとがきを投稿する予定ですので、そちらも合わせてお楽しみください。

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