4-10

『やっと来てくれたわね、綾子。改めまして、私が七つ目の噂よ』


 目の前から声が聞こえる。見てみると、そこにはクミ子さんが一昔前の津江中の制服を身にまとい、宙に浮いていた。しかし、今はその制服は濡れていない。


『ふふ、驚いてくれたかしら。そう、私はトイレのクミ子さんであり、七つ目の噂でもある特別な怪異なの。ちょっと雰囲気が違うかもしれないけど、許してね』


 怪訝そうな表情を見せる綾子にクミ子さんは柔らかい笑みを浮かべて言った。そして指をパチンと鳴らすとモヤの奥から四人の体が浮かび上がってきた。森島元紀、関根ラムジー、本庄悠里、稗島五月。全員彼女が無残に殺したはずなのに傷一つなく、眠っているかのような顔をしている。


『体の用意はできてるわ。あとはあなたが願うだけで生き返る。さあ、あなたは何を願うの?』



 ***



 綾子の口から四人を生き返らせる、という言葉が出れば終わる。これで、この夜に起きた惨劇は全てなかったことにできる。郁奈は心の中で一人勝手に安堵していた。首筋に痛みを感じるまで。


 綾子は自分の前にいた郁奈の首元に先の尖ったハサミを突き刺したのだ。ハサミの刃は細胞の間を縫うようにスムーズに首の中に溶け込んでいき、奥まで刺さった。


(その時の郁奈の顔を綾子は見ていない。きっと目を血走らせて生にもがいているのだろう、と自分の頭の中で勝手に想像した)


 勢いよくハサミが抜かれる。途端に郁奈の傷口から血がほとばしり、彼女は傷口を手で抑えながらその場に倒れ込んだ。


(ああ、これが人を実際に殺すこと。道具や毒ガスを使うのとは全く違う、自分の手で人を殺めたという実感が沸沸と湧き上がる。これが殺しなのね、これが殺しなのね!)


 止めどなく溢れてくる血と痛みに歯向かいながら、郁奈は「何故」と対峙した。


 何故彼女は刃物を持ってるの? あの時回収したのに。何故彼女は私に刃を向けたの? もう人殺しはしない、と約束したじゃない。何故彼女は私をここで殺したの? 殺すだけなら私と対峙した時に殺すべきなのに。

 何故、何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故!


 物事を俯瞰で見ることができ、かつ数少ない証拠から綾子が犯人と断定できるほどの推察力を持った町田郁奈の唯一の失敗は、人を、綾子を信用しすぎたことだろう。しかし、それを失くすには、教師という職業は些か不似合いだったに相違ない。

 もしかして、それも見越してたって言うの? 彼女は「何故」が反復する世界で思考した。しかし、その言葉を最後に命の灯火は弱くなり、瞳孔は大きくなっていった。目の前で口元を緩める少女を見つめたまま。



 ***



「今、私は人を殺したわ!」


 綾子はクミ子さんに向かって大声で発した。別に大声でなくてもいいのに、大声を出したい気分だった。ようやく本当の自分を世界に認めさせる時が来たのよ!


「私はきっと罪に問われるわ。けれども、それを無くして欲しいの。そして、私がいくら人を殺しても許されるようにして! それが私の願いよ」


 その願いを聞いたクミ子さんは緩めてた口角をさらに上げて笑みを作ると、大きな声で笑い出した。その笑いが意味するものは何か。滑稽、愛想、軽蔑、嫉妬、恐怖、その他もろもろ、全ての感情から出される笑いを少女は内包していた。


 アハハハハハハハアハハハHAHAHAHAハハハハ


『奇遇ね。奇遇すぎるわ! 私が郁奈の願いを実現させるための手段とあなたの願いが一緒なんて。いいでしょう。その願い叶えさせてあげるわ。いくら殺しても罪に問われない世界。けれども条件があるわ、「世界」を「この学校の校舎」とすること、そして人口はあなたと、そのお仲間五人であること』


 クミ子さんは再び指を鳴らすと、桃色のモヤの奥からさらに二つの体が現れた。目の前で死んでいる町田郁奈の体と、澁谷綾子自身の体。二つとも他と同じように傷一つなく、その顔は眠っているかのように安らかだった。クミ子さんはパンと手を叩くと、後ろにいた体のうち、綾子以外の体の目がパチリと見開かれた。


『さあ、殺して殺して殺し続けなさい。あなたの持ってるそのハサミも含めて、この校舎の中にある凶器になりうる全てのものは使ようにしておいたわ。

 もちろん、殺しがメインの世界だもの。食欲、睡眠欲は感じないようにしてあげる。


 そして、あなたが殺しても彼らは何度でも現れるように設定したわ。当然、あなたが殺しても罪に問われないよう、彼らの頭に二つ暗示をかけてある。一つは「何事にも抵抗を持たないこと」、そして二つ目は「あなたに殺されることを本望としていること」。それ以外は一切いじっていないわ。

 さあ、まず手始めに、あなたに思いを寄せていた彼を殺してみたらどう?』


 クミ子さんは元紀のことを見ると前へいくよう指示を出した。元紀は地面を足につけると、まっすぐ綾子の元に歩いていく。その顔は自分が生きてることに少し困惑しながらも、目の前にいる綾子に嬉しさを覚えているようだった。モヤの奥からクスクスと小さな笑い声が聞こえてくる。


「澁谷さん」


 元紀が少し表情を緩めたところを綾子は躊躇なく彼の胸に刃物を突き立てた。刃物は驚くほど滑らかに彼の体を突き抜け、心臓に到達する。彼女の顔に元紀の吐血の一部が飛び散った。

 そう、これよ! こういうのが好きなのよ、私は! 実際に殺人を行なっている感触がひしひしと、全身で感じることのできる血のほとばしり。


 元紀は最初は信じられなさそうに、悲しみの入り混じった呻き声を上げていたが、次第に口角を引きつらせて、アハハハ、アハハハハハ、と笑い声を上げ始めた。

 クミ子さんも、そして彼女の後ろにいる四人の体も笑っている。周囲からも笑い声が溢れ出してくる。甲高いものから邪悪なものまで、爆笑から嘲笑まで、彼らは笑って、わらって、ワラッた!


 やがて、元紀の瞳が閉じると、すぐさまクミ子さんの後ろから元紀の体が現れた。綾子は本当に永久に人を殺せるのだ、と理解すると同時に、自分はとんでもない世界に足を踏み入れてしまったのではないか、と微量ながら不安も感じていた。



 甲高い声でクミ子さんは言う。




『さあ、始めましょう! 読者あなたが今まで感じたことのない「〈狂〉宴」を!』

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