4-8
ついに開き直ったわね、ここからが正念場よ。郁奈は深呼吸すると刹那の思考に入った。
もちろん、綾子が裁かれないわけではない。彼女が逮捕された場合、少年法が適用されて保護観察処分になるだろう。観察期間が終了しても、実名報道はされないから、社会的に彼女を非難することはできない。
郁奈は過去に未成年で凶悪事件を起こした人が後年に書いたとされる著書を思い出した。それは法律の傘に隠れてもなお、自分の起こした犯罪を美化しようとする胸糞悪い代物だった。
違う、違う、違う! 私たちがやりたいことは、警察に突き出すことじゃない。彼女には自らの犯罪を褒賞する大人になって欲しくない。そのために四人の少年少女が自らの命を差し出して戦ったのだ。
だから、ここからは私の出番。郁奈は再び息を大きく吸って吐いた。緊張した時や、不安になった時に自分を落ち着かせる彼女のルーティーンを。
「確かにあなたはまだ幼くて、社会や司法は裁くことができないでしょう。けど、そうやって開き直ってるのは、あなたが命の価値を知らないから。
森島くんは作家になることが夢で、いつも私にオリジナルの小説を持ってきて感想をお願いしていたわ。ゆくゆくは日本の活字文化を背負って立つ子だったかもしれないのに、あなたはそれを潰した。本庄さんもテニス部の部長として部員をまとめ、リーダーシップを発揮していた。きっと高校・大学に行ってもその力は存分に振るわれたことでしょう。関根くんや稗島くんはどうなるか分からない。でも、ゆくゆくはこの社会を支える大切な人材になるはずだったの。それをあなたは奪った!
あなたに彼らの代わりが務まるかしら? あなたはただ有機物の生体活動を止めたんじゃない。その先にある無限大の可能性を根こそぎ奪ったのよ。それをあなたは理解せずに殺した。
けれども彼らはあなたの事を知っていた。あなたに殺人衝動がある事を知っていた。だから、あなたを救おうと立ち上がったの。自らの命を差し出して、あなたに命の尊さを教えようとした。
ねえ、稗島くんの遺体を見た時、どう思った? 上半身と下半身が別れた遺体を見た気分はどう。本庄さん、あんなにもあなたの事を慕っていた彼女を殺した時はどうだったかしら? 大切な人を失う痛みはどれほど辛かったかしら。
けれども、あなたは森島くんと関根くんを殺した。ここまであなたの事を庇って一緒に冒険してきた仲間を殺した気分はどう?
彼らはみんなあなたに殺される事を分かって、ここまで来たのよ。全て、あなたに命の尊さを教えるために!」
綾子は胸が次第に苦しくなったかのように俯いた。彼らが自分の本性に気づきながら殺されたという事実が彼女の良心に訴えかけているのだろう。
郁奈の言葉だと、元紀たちが記憶を改竄されていないかのように聞こえてしまう。確かにその通りだが、事実、元紀らは綾子に殺される事を覚悟で記憶を改竄され、「七不思議探し」を始めたのだから、決して本筋からずれているわけではない。
むしろ、記憶の改竄という回りくどい説明をするよりは、省いた方が綾子の心に直接響くだろう、と郁奈は考えた。
少女は苦しむようにその場にしゃがみ込んだ。それは、まるで彼女の良心が必死に叫んでいるようだった。今ならまだ戻れる。今改心すれば、まだみんなと同じ生活に戻れる。あなたは知ったでしょ。人を殺すことがどれほど辛いことか。人が死ぬことがどれほど悲しいことか。だから、お願い。戻ってきて。そう叫んでいるように見えた。
***
綾子はうずくまり、胸を押さえながら強く思った。ああ、ああ、彼らは私のことを思ってここまでの事をしてくれたのね。なんて、なんて……
なんて愚かなの!
「もう、人を殺さないと誓ってくれるわね」
郁奈の言葉に綾子は黙って頷いた。もちろん嘘だ。殺すことが辛い? そんなことはなかった。悠里が死んだときには幾分か苦しい思いをしたけれど、それ以外の人は何の思い入れもないから全然辛くなかった。
むしろ爽快! きれい真っ二つに胴体を切断された遺体や、鉄骨や照明が二人の少年を押しつぶす音は今思い出しても胸が高鳴る。
「じゃあ、今持ってるハサミを私に渡してくれるかしら」
彼女の言葉に綾子は一瞬ドキリとした。彼女が持ってる唯一の凶器。これを差し出せば殺すには素手を使わなくてはならなくなってしまう。そうなれば、彼女に勝ち目は低い。
けれども、なんてことはなかった。確かにハサミは彼女の持ってる唯一の凶器。唯だ一種類だけの凶器。本当は二つある。そのうちの一つを渡せば、まだ私の方がアドバンテージがある。まだ、この女を
綾子は黙ってジャージのズボンからハサミを一つ取り出して郁奈に渡した。渡したのは家庭科で使う布切バサミだった。郁奈は優しくありがとう、と言ってハサミを受け取った。綾子のポケットに先が尖った工作用のハサミがまだ隠されていることも知らずに。
「さあ、みんなを生き返らせに行きましょう。あなたは、まだ元の世界に戻れるチャンスがあるわ」
郁奈はそう言ってハサミをハンドバッグに入れると南階段の方へ歩き出した。綾子も黙ってついていく。いつ刺そうか機会を伺いながら。
7
三月一日水曜 午前三時二十分
いつからだろう、この欲望に目覚めたのは。綾子はこれまでの人生を思い返した。物心ついた時から何でもそつなくこなせた。テストはいつも満点で、かけっこも一番以外の順位を取ったことがない。
小学生になり、もらったラブレターは何通やら。己の立場もわきまえずに私と付き合おうなんて頭の中お花畑ですか。そんな頃からかもしれない。私が周りとは違うと思い始めたのは。
完璧な人間なんていない。誰にだって失敗はあっても許される。だから、ちょっと失敗してみるようになった。もちろん、みんな私に優しい笑みを浮かべて許してくれた。
まるで完全無欠と思っていた彼女も自分達と同類なのだと安心しているかのように。給食をこぼしても、プリントを破いても、悪気はないと言えば、みんな許してくれる。
唯一、小学五年生の時にクラスで飼っていた金魚の水槽を落とした時には、いきもの係の男の子に殴られかけた。けれども先生が間に入ってくれて、私に悪気がなく事故だと信じると、すぐに許してくれた。もちろん、嘘だけど。
水槽に入っていた金魚はそれから一気に衰弱し、一週間もしないうちに死んでしまった。その頃からかもしれない。私のこの欲望が覚醒したのは。
中学に入ってすぐの頃、近所の山で見つけたネズミを殺してみた。殺した理由は特にない。しいて動機を言うのなら、金魚を間接的に殺した時の「自分の立場が上であるという感覚」を実感したかったから、だろうか。
殺したのはなんてことないドブネズミの一種で、一匹いなくなった所で迷惑はかからないだろうと思った。だが、綾子の母親がそのネズミの死骸を見つけてしまった。彼女は娘が殺したものとは思いもせず、家に住み着いたネズミだろうと勘違いしただけで終わった。
母親が自分の殺したネズミについてその日の夜に話していたことを、彼女は背筋が凍る思いで聞いていた。そこで、綾子は殺すにはバレないようにやらくてはダメだ、と気付き、トリックを学ぶために推理小説を読むようになる。
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