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 三月一日水曜 午前三時〇分



 郁奈は眼を開いて目の前にいる連続殺人犯を見た。澁谷綾子は郁奈の正体に気づいたのか、裏返った声で言う。


「町田……先生……ですか」


 それは自分を誘拐したのが父親であるかのような弱々しい声だった。


「町田、先生が、ハイヒールマン? もしかして、稗島くんや、ユリを殺したのも……」


 ああ、まだ被害者ぶるつもりなのね。郁奈は暗闇の中を手探りで進むように言葉を発した。


「あなたが犯人なんでしょ。


 その一言で幼い殺人鬼を黙らせるには十分なはずだった。それでも綾子は「何を言ってるんですか、先生。何を——」としらを切ろうとする。これは一度、全ての殺人事件の種明かしをしないといけないみたいね。郁奈は息を大きく吸って吐くと、口を開いた。


「まずは稗島くんの殺害方法から」


 郁奈は自分の後ろに転がっている稗島の遺体を見た。感覚が麻痺していて臭いも残虐さも今ではさして気にならない彼の遺体を一瞥して彼女は口を開いた。


「稗島くんはその体型から足がとても遅い。だから、五人全員が全速力で走ると、彼が一番最後に来ることは明白だった。そこで、あなたは彼の胴体を真っ二つにすることを思いついたのね。ピエロから逃げながらよく思い付いたわ。

 どこかで使えるかもしれないと思い、音楽室からくすねたピアノ線を技術室の紙やすりで鋭利に仕上げたオリジナルの凶器を、彼の前を走りながら左右の壁につけた。ピアノ線が真っ直ぐではなく、ことがその証拠よ。そして、彼は見えない凶器に気づかず胴体から真っ二つに切断されてしまった」


 郁奈は綾子の様子を見てみた。彼女は押し黙ったまま、郁奈のことを見つめている。


「この芸当ができるのは、運動部に所属しているあなたと本庄さんの二人だけ。けれども、決定的な証拠は本庄さんの浴びた血。あれは稗島くんが吐血したものをもろに浴びた結果で、これは彼女が稗島くんの前を走っていたという証拠。だから、必然的にあなたしかいなくなるの。


 そして、二人目の本庄さんの殺害方法。本庄さんは硫化水素の吸いすぎで亡くなった。それを発生させたのが塩酸と硫化鉄。その証拠に彼女の座っていた便器にそれら二つの瓶が捨てられていたわ。

 おそらく、あなたは本庄さんを殺すために理科室にいる時にくすねたのね。そして、彼女よりも先にトイレの個室に入り、水が溜まっている所に塩酸を、便器中央の水がないところに硫化鉄を置いて出た。

 それを知らない本庄さんは排泄し、硫化鉄を流して塩酸の元へ届けた。後は彼女が気付かないうちに吸引するのを待つだけ。もしかしたら別の個室に入るかもしれないし、便器に座る前に気づくかもというリスクはあったけど、あなたにとってはそれが最高のスリルだったんじゃないかしら」


 郁奈の挑発にも綾子は黙ったままだった。心なしか、彼女の口角が上がっている気がする。


「そして最後。現場は見てないけど、おそらく森島くんと関根くんを殺したんでしょ。きっとケンタのことよ。彼らをもてなすためにステージに上げたに違いないわ。

 そして、会場が盛り上がっている隙に体育館の端にある照明を吊り上げるワイヤーを切って照明と鉄骨を落下させた。これくらいの推理は音だけで判断できるわ。


 どう? 人を殺した気分は。爽快だったかしら。開放的だったかしら。自分の欠けていた部分が補われた気がしたかしら」


 そこまで煽ったところで「先生」と綾子が口を開いた。そのまま、少女はゆっくりと余裕のある口調で語り出す。


「確かに先生のおっしゃる通りだとすれば、私が殺したかもしれません。推理小説を書く予定でしたら、そのトリックはおすすめです。しかし事実、私はこの通り誰かに足首を切られたんです。それはどう説明するつもりですか?」


 彼女の足首はTシャツの切れ端で巻かれている。郁奈にはその理由が分かっていた。あとはどこでその傷ができたか。彼女はクミ子さんから与えられた最後のヒントを元に推理すると、余裕の表情を浮かべる少女を見つめ返した。


「その傷ができたのはコンピューター室でしょ。クミ子さんから聞いたわ。先ほど稗島くんを殺す時に使ったピアノ線。あなたはそれを二つ盗んでいた。そして、本庄さんの死亡で自分に嫌疑が向いた時、二人を撹乱させるために足首を切った。

 コンピューター室の怪異は主電源のコードを抜けば真っ暗になる。そのすきに自分の足首を切ってコンピューター室のケーブルが絡まっている中へ捨てれば、あたかも自分が被害者であるかのように装うことができるわ。


 どう、これで満足したかしら。もし、満足できなければ一緒に確かめてみましょう。音楽室のピアノからはピアノ線が二つなくなり、コンピューター室にはあなたの血がついたピアノ線が転がっているはずだから。ね、アドラ?」


 アイリン・アドラ。ホムズを出し抜いた唯一の女性として有名な彼女を郁奈は皮肉で使った。綾子もアドラーのことを知っているのか、明らかに笑みを浮かべると手を後ろに組んで試すように郁奈の事を見た。


「さすがです、先生。もしかして、近々デビューでもなさるつもりですか。しかし……、これをどう警察に説明します? まさか、怪異がヒントをくれたから、なんて戯言が通じると思ってるんですか。それこそ、犯行の手口を全て知ってる先生に疑いの目が向くはずですよ」


「警察はそんなバカじゃないわ。あなた、手袋してないでしょ。ピアノ線と壁の接着面や薬品の瓶からあなたの指紋が出て来るはずよ。

 森島くんと関根くんを殺す時だって、滑車の足元からあなたの足跡が取れるでしょうし、今も持ってるんでしょ? ピアノ線とワイヤーを切ったハサミがあなたのジャージの中に」



 ***



 教師の言葉に綾子の心臓はドクンと大きく脈打った。第三者が郁奈であることが分かり、いくらか慢心していた。普段の学生生活でも彼女は地味で目立たず、天然パーマのため男子生徒からよくいじらるような先生だった。綾子も郁奈の事をただの本好きの先生としか認識していない。この人には私の本性など分かりもしないだろう、と侮っていた。

 しかし、彼女は綾子のしてきた全ての行いをその場にいなかったにもかかわらず、推理して言い当てたのだ。これが「人は見かけによらない」か。しっかり覚えておかなくっちゃ。今後のために。


 そろそろ、出してもいいかな。


 綾子はプッ、と吹き出すと、そのままアハハハハと笑った。笑い続けた。ピエロが困惑して出て行けなくなるほど、その笑みには狂気が含まれていた。


 アハハハ、アハハハ、アハハハハハハハハハハハ……


「だから何?」


 綾子は今までにないくらい口角を上げて目の前の大人に尋ねた。ああ、これが笑いか。ああ、これが悦か。普段の世界なら絶対に感じることはできないだろう。


「そうよ、私が殺したわ。だから何だって言うの? 大人はみんな人を殺しちゃダメだって言うわ。けれどもテレビやネットには連日殺人のニュースが飛び交う。


 何でダメだって教えられた事を人間はやるのかしら? 


 私は思ったわ。きっと本当にダメなら、その人が殺そうとした時に物理的な制約がかかるはず。そう、人が飛べないのと同じように。けれども制約がかからないってことは、人は殺す事を否定されていないのよ。

 ならば、私が人を殺したところで本来なら何の罪にも問えないはず。だけど、残念ながらここでは罪に問われてしまう。そう、大人はね。けど、私はまだ殺すことができる。どれほど凄惨残酷に殺しても、誰も私を裁くことはできない」



 ***

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