4-5

 北階段を使って三階に上がると、トイレの方から話し声が聞こえて来る。三階に上がるまで郁奈はクミ子さんを詰問してでも聞き出してやる、という心持でいた。

 しかし、三階に上がり、放送室の前を通った時、懐かしい思いが彼女にこみ上げてきた。気づけば放送室の扉を開け、さらに奥のスタジオに入っていく。


 郁奈は中学時代、演劇部に所属していた。自分じゃない誰かを演じるのは、自分がなくなるようですごく心地よかったからだ。その際にこのスタジオに小道具や衣装を置いていたため、彼女にとっては居心地のいい場所だった。


 電気がつかなかったのでスマホのライトで辺りを照らしてみると、懐かしいものが目に入った。郁奈の友人が脚本した「杵島祭」と呼ばれる演目で使った宇宙人の着ぐるみだ。

 あれを着て奇妙なダンスを踊ってた仁科にしなくんは確か「七不思議」によって舞台俳優として今は活動してるんだっけ。この前見に行ったら、満員の劇場でボスの下っ端の下っ端役で出てたなあ。


 その隣には後輩の海老名さんが付けていたショパンニのカツラがあった。彼女も「七不思議」で好きな人と付き合うって願いを叶えたけれど、半年も経たずに別れちゃってた。

 七つ目の噂は願い事は叶えてくれるけど、その後のことについては無責任よね。まあ、無理難題を叶えてもらってる時点で、それ以上のことはないんだけど。


 あれ? 郁奈は首を傾げた。私って何をお願いしたんだっけ。もしかして、それも七つ目の噂に会わないと思い出せないの? けれども、彼女は七つ目の噂にどうやってたどり着いたのかさえ憶えていない。ではどうやって七つ目の噂と邂逅すれば良いのだろう。


 さらに隣に光を当てると、軍服が置いてあった。ああ、これは■■くんのね。



 ???



 疑問符が郁奈の頭に思い浮かんだ。あれ、私はこの人のことを知っている。演劇部の書記でお調子者だった気がする。けれども名前は愚か、顔も姿形も思い出せない。確か、一緒に「七不思議探し」に行って……。ダメ。これ以上は憶えていない。


 その時、ギイッと放送室の扉が開く音がした。扉の軋む音に郁奈の鼓動は大きく鳴る。郁奈は急いで棚の影に身を隠し、気配を潜めた。足音からして複数人いるのがわかる。彼らは放送室内を物色しているようだった。おそらく何かを探しているのだろう。


「どうやらハズレみたいやな」

「そうみたいね。せっかく灸を据えてやろうろと思ったのに」


 彼らの声が聞こえる。「あの子」の声も。まだ名前を思い出せない「あの子」の声。けれども面識はある。とても明るく、優しくて、クラスのみんなを引っ張っていくような存在だった。そんな「あの子」が殺人を? まさか!


 そんなわけない、と大きく息を吸った弾みで体が膨らみ、隠れていた棚を少し揺らす。すると、その棚の一番手前に置かれていた血糊の瓶が傾き、やがて落下した。


 それは本当に一瞬だった。まるで、かくれんぼで鬼に見つかった時みたいに、瓶は床の上にと音を立てて割れた。途端に、放送室にいる彼らが、その音を聞きつけてやって来る。

 なんとか隠れなければ、と動こうとするが、血糊が手に付いて滑って転んでしまう。髪の毛まで血糊がついて、ただでさえ巻き気味の髪の毛が余計ボサボサになった。


 そこに光が当てられた。まずい、と思って郁奈は急いで顔を上げると、そこには三人の男女がいた。森島元紀と関根ラムジー、そして「あの子」、澁谷綾子が。



 澁谷綾子。



 突如、彼女の頭に激痛が走る。「澁谷綾子」。このピースが失われたパーツを次々と吸い寄せていく。そのため、脳が一度に処理できなくなり、痛みを発した。


 一方、三人の少年少女は叫び声を上げて走り出した。待って、行かないで。郁奈はズキズキする頭痛を我慢しながらカツカツと歩き出した。カツカツ、カツカツカツ。しかし、彼女が放送室から出た頃には三階の廊下に彼らの姿はなかった。




   5                     



 三月一日水曜 午前二時三十分



『うふふ、どうやら、悪い方に傾いてしまったみたいね』


 男子トイレからの声が聞こえる。急いで行ってみると、そこにはクミ子さんが手を振って立っていた。男子の小便器の前に女の子がいるというのは、どうも不似合いだ。


『また会えたわね、郁奈。さて、「あの子」と出会って全て思い出したあなたから私に聞きたいことはあるかしら?』


 その余裕ある口ぶりに郁奈は一瞬たじろいだが、もうなりふり構っていられなかった。大きく息を吸って吐いて頭痛を和らげると、覚悟を決めて口を開く。


「どうして、私の記憶を改竄したの?」

『もちろん、理由なんてないわよ』


 彼女は可愛く一回転して答えた。そのあっさりした答えに郁奈は目を見開いた。そんなどうでもいい理由で私は今、一人の殺人鬼を止めなきゃいけないの? しかし、クミ子さんはすぐに『冗談、冗談』とカラカラ笑い、続きを語り始めた。


『そうよね、お笑いのシーンは前の節で終わったのだから、ここは真面目なパートよね。彼らの時は気楽な雰囲気だからつい興がのっちゃった。いいわ、しっかり話してあげる。


 あなたも気付いてるように、十五年前の夏、あなたとその友人七人は「七不思議探し」を実行した。数人の仲間を失いながらも、あなたたちはついに六つの噂を目撃し、七つ目の噂と対面する権利を得た。

 そこであなた以外の人々は利己的な願いをに託した。好きな子と付き合えるように、とか、俳優になりたい、とか、そんな有体ありていな願い事を彼らが口にする中で、あなただけは利他的な願いを口にしたの』


 クミ子さんはその願いを郁奈自身に言わせようとして彼女の顔を黙って見つめた。それに郁奈は黙って頷く。脳裏をよぎるのは父と母の喧嘩が一段と激しかったあの日。

 健太の死にこれ以上耐えられなくなった母は私を連れて家を出ると言い出した。しかし、父はそれを許さなかった。いや、正確には父が借金していた闇金業者が許さなかった。その理由は今なら何となく理解できる。母はが嫌だったのかもしれない。彼女は無理にでも家を出ようとして父と揉み合いになった。


 あとはご想像通り。父が脅しのつもりで持った包丁が母の腹部を貫き、彼女はそのまま絶命した。だが、これによって私たちの家の実態が表沙汰になり、闇金業者もお縄について、私は体を売らずに済んだ。

 そして、両親を失った私は、同じ津江島に住んでいる親戚の家に引き取られてそのまま津江中に進学した。そこで行われた演劇部での「七不思議探し」。私が七つ目の噂に託したものは……。


「誰も人を殺さない世界を作りたい」


 郁奈の呟きにクミ子さんは微笑んだ。


『そう、それがあなたの望んだ願い。しかし、それを実現させるためには、強力な力が必要だった。一人の願望を叶えるだけではなく、人類全ての思考に干渉しなければならないから、実現するには数百年、数千年はかかる、とは合理的に答えた。けれども、あなたはそれを良しとしなかった』


 郁奈は頷く。


「私は今すぐにでもこの世界から殺人をなくして欲しいとお願いした。もう、これ以上私のような人を作りたくなかった。自分を生んで育ててくれた人同士が殺し合う様を誰にも見せたくなかった。私が最後の一人でありたい、そう叫んだわ。

 そしたら、ある条件下であればすぐに叶えられる、と七つ目の噂に言われた。……そう、

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