4-3
郁奈は再び思考に戻る。ではなぜ、ここにピアノ線があるのか。よもや自分で仕掛けて(彼なら万が一にでもトラップとして張りそうだが)ハマるなんて愚行をしでかすはずがない。おそらく「あの子」だろう。
しかし、事前にトラップを張っていたのであれば自分も巻き込まれる恐れがある。そうでなくても、彼の(もしくは複数人来ているのであれば他の人も含めて)目を盗んでトラップを張るなど不可能だ。
まさか、と郁奈は自分の推理に苦笑した。しかし、ピアノ線が若干斜めに張られているのを見て確信に変わる。「あの子」なら、名前を知らない「あの子」ならできるだろうな、と彼女は思った。
『本庄悠里ご臨終。本庄悠里ご臨終。トイレの個室で毒ガスに陵辱されて、息が詰まってご臨終。アンアンアンッ、って。ゲヘヘヘヘ、アヒャヒャヒャヒャ!』
ふと、校内放送が校舎全体に響き渡る。どうやら「あの子」は次なる殺人を決行したようだ。あと何人殺せば「あの子」の気は済むのだろうか。いや、そうなる前に一刻も早く見つけ出して止めなければ。
放送はしばらく続いたが、やがて停止ボタンが押されたみたいに止まってしまった。辺りは再び静寂に包まれる。郁奈はハンドバッグに入ってるペンケースから小型のハサミを取り出してピアノ線の端っこを切った。ピアノ線はツンッと高い音を出して切れた。
3
三月一日水曜 午前〇時二十五分
二階から声が聞こえる。それは周りに聞こえないよう小声なのだが、辺りが静かだから余計目立ってしまっていた。やはり、誰かいる。
きっと、「あの子」と他の子たちだ。「あの子」の殺人劇はまだ終わっていない。違う、いま始まったばかりなのだ。郁奈はゆっくりと階段を上って行った。カツンカツンとハイヒールの音が暗闇の中に響き渡る。
それは悠里が死に、稗島の遺体を確認しに行こうとした元紀たちが聞いたハイヒールの音だった。
何か物騒がしい音が二階からする。やはり「あの子」たちは二階にいるのね。私の役割は「あの子」を止めることなんだから、行かなきゃ。
二階へ上がると、奥の方で扉が閉まる音が聞こえた。そこには図書室とコンピュータ室、そしてホームルーム教室が二つある。
一つ一つしらみつぶしに見ていくしかないわね。郁奈はカツンカツンとハイヒールの音を廊下に響かせながら向かった。「友情」という化学反応の理論を構築している理科室を通り過ぎて、悠里の遺体があるトイレの前を通り過ぎた。
若干、鼻につく異臭を彼女は感じたが、そんな些細な異変に構う余裕はなかった。
ホームルーム教室はどれも真っ暗で、人が入った痕跡がない。となれば、残るは図書室とコンピューター室だけ。郁奈は振り返って図書室の扉の小窓を見るとハッと息を呑んだ。
そこには鎧を来た図体のでかい男が一人、鎧兜の間からギョロッとした目をギラつかせて、扉の前で仁王立ちしていたのだ。彼女は悲鳴を上げそうになったが、すぐに彼のことを思い出して、喉を締める。
彼は二宮金次郎。普段は校門前にあるはずの金次郎像が動き出して、夜中になると図書室に行って本を読んでいる。彼女は人から伝え聞いた噂を思い返した。しかし、彼のことはもっと前から知っている。そう、彼女は金次郎と一度会ったことがある。
『これはこれは、懐かしい客人だ』
金次郎は優しいバリトンボイスで語りかけた。その声を聞いて郁奈は完全に彼のことを思い出す。束の間の笑みを浮かべると、そのまま図書室の扉を開けて中に入った。
『再び会えることができて嬉しいですよ』
金次郎は彼女を中に誘導しながら、身に付けた鎧をガシャンガシャンと自分の体の中に収納した。彼の体はSFに出て来るロボットみたいに自在に変形でき、光線や銃弾を放つことができる。世の男児からしてみれば目を輝かせる対象だろう。
『いやあ、何か物騒な予感がしたんでアーマーフォームで彼らを迎えに行ったら、怖がられてしまいましてね、いやはや、怪異というのは難儀なものですよ』
金次郎は笑いながら郁奈を図書室の一席に案内した。彼女の席の前には本が山積みに置かれていて、そこでは先ほどまで金次郎が読書していたことが伺えた。郁奈は自分の職場にも関わらず、まるで豪邸に招かれたように、ぎこちなく会釈して席についた。
『あなたに出会ったのが昨日のことのようですな。いつ頃でしたか、あなた方が私を訪ねて来たのは』
「……十五年前です」
ポツリと彼女の口からまた無意識に言葉が落ちる。まただ。私には自覚がないのに言葉が漏れてしまう。『そうですか、もうそんなに経ちますか』と懐古する金次郎に郁奈は尋ねた。
「あの、やはり私は以前に『津江中学校の七不思議探し』をしていたのでしょうか」
金次郎は郁奈の目を見ると、『はい、していましたよ。その時に私にも出会っています』と優しく声をかけた。
「けれども私はさっきまで全然憶えていませんでした。まるで同じ時に二つ存在していたような矛盾に駆られているんです」と彼女は訴えた。すると、金次郎は優しく
『それはあなたの記憶が彼女の手によって操作されてるからでしょうね』と答えた。
「彼女って誰ですか?」
『それは、私の口からは言えません。けど、まだ二階のトイレにいるはずで。もしよかったらこの後、行ってご覧なさい』
「どうして、彼女は私の記憶を操作したのでしょう?」
『それは、私にも分かりません。おそらく彼女とあなたには私の知らない失われし過去があるのでしょう』
「それは、やはり前回の「七不思議探し」の時に——」
『恐らくそうでしょうね。それ以外に私たちとあなた方の接点が見つからない』
それから金次郎はゆっくり語り出した。
『少し前、正確な数字は忘れてしまいましたが、彼女が私の元を訪ねてきました。どうやらこの校舎を舞台に殺人劇が横行すると。それで私に協力を求めて来たのです。
もちろん私は断りました。私は永世中立国のような存在です。何者にも力を貸さず、いかなる権力にも屈しない。私がすることは、この頭脳にたまった知識を用いて世の中を観察し、答えを導き出すこと。ですから、私は協力を拒みました。
なので、いざとなれば彼女は私のことを排除するでしょうね。目的を遂行するために私は邪魔でしかありませんから』
どうやら、この一連の騒動の裏にはトイレにいる彼女がいるらしい。しかし、郁奈はまだ彼女の名前を思い出せなかった。思い出そうとしても泥沼に腕を突っ込んでいる感じで、全く手応えがない。きっと直接彼女を見ないと思い出せないようになっているのだろう。なってるって、これはゲームか!
『郁奈さん、これはあくまで私の予想なんですがね、この「七不思議探し」は普通の「七不思議探し」とは違う気がするのですよ。どうも外が静かすぎる。小さな島ですから、静かなのは当たり前かもしれませんが、それでも静かすぎる。
これだけ騒いでいれば警備員の方が見回りに来るでしょうし、向かいのコンビニは二十四時間営業のはずなのに営業を終了している。
私は、この「七不思議探し」は全て彼女によって仕組まれているんじゃないかと思ってしまうのです。だから、恐らく彼女は「あの子」に全員を殺させる。あなたの出番はその後になるかと思います。まあ、全て確証のない私の憶測ですがね』
金次郎は笑みを浮かべた。顔についた錆がペロリと剥がれて机の上に落ちる。郁奈は自分の心臓が大きく脈打つのを感じた。確かに向かいにある家族マートは午後十時には閉まる。郁奈がこの校舎に来た時には閉まっていた。しかし、数ヶ月前の深夜にこのコンビニで買い物した記憶がある。ああ、コンビニがあって便利だわ、と思ったことがある。
もしかしたら、と彼女は推察した。もしかしたら、この「七不思議探し」のためだけにこの島の概念そのものが塗り替えられてるかもしれない。となると、自分は今そうとうマズい状況に自ら足を突っ込もうとしているのではないか?
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