3-21

 スピーカーからバイオリンの旋律が聞こえてくる。細くて鋭い、第一バイオリンの音だ。そして、厚みをますように他の弦楽器が和音を奏でる。まるで最初は一人で計画を始めたラムジーが元紀に提案し、稗島、綾子、悠里とパーティが大きくなって行くみたいに。

 シンセサイザーが中音域を三音叩く。それはエコーとディレイによって余韻を残しながら再び三音、また三音。音はどんどん重ねられていく。まるで、音一つ一つが足跡となって、ここまで来た三人の少年少女の軌跡を辿るかのように。


 やがて連なった音を覆うように高音のシンセが鳴り、下から突き上げるようにベースが響いた。それがコードを変えながら四回。トニック、サブドミナント、ドミナント、トニック。カデンツの第二型のコード進行。救いを与えるようなコード進行。再び四回。

 その四回の間に三人の頭の中で、これまでの事が走馬灯のように駆け巡る。まるでこの旅の終わりを歌っているかのようだった。なんだろう、本当は一刻も早く終わらせたかったはずなのに、いざその時になると名残惜しくなってしまう。それほど、この「七不思議探し」にはたくさんの思い出があった。

 二人の友人の死があったけれども、それもすぐ元通りになる。稗島と悠里は三人の軌跡を知っているのだろうか。もし、知らないのなら三人だけの秘密になる。僕と元紀と澁谷さんの——。元紀は隣にいる綾子を見てみた。彼女の頬には涙の跡が一筋残っていた。それを見て元紀も泣き出しそうになる。けれども、一生懸命堪えて泣かなかった。


 スネアがサビに向けてリズムを刻む。それに合わせてシンセやベースもピッチを上げていく。ケンタはそれに合わせて手拍子し、三人に自分の後ろに行くよう誘導する。

 三人は笑顔でステージの後ろの方に行った。ラムジーはすでにノリノリで笑顔で飛び跳ねている。元紀と綾子も笑顔だ。スネアはどんどん早くなり、ノイズも増して行く。やがて、それが最高潮になった時……。


 エレクトリックな旋律とそれを覆うシンセサイザーの音が辺りを一遍に満たした。それを支えるようにベースが唸り、ドラムがリズムを奏でる。

 ケンタを含めた会場の全員がそれに合わせてジャンプし、声を上げた。三人も声を上げながら跳躍する。ああ、なんて楽しいんだろう。リズムに合わせながら体を動かし、声を上げるってなんて気持ちがいいんだろう。


 サビは二周目に入った。今度はハイハットもついてさらに興奮を助長する。そしてスネアが再び連打される。その先にある収束に向かって。


 ズダダダダああああぁぁぁぁぁぁぁ




 




 全身に痛みが走ってすぐ消えたことに元紀は違和感を覚えた。本来なら痛みというのは継続的に続くのに、それが一瞬で消えたのだ。ただ一箇所だけ、首元がとても痛い。いや、痛いどころではない。すごく痛い。違う、激痛!


 頭がだんだんぼんやりしてくる。小学校のマラソン大会で貧血になった時みたいに。次第にまぶたが重くなって視界が閉じていく。人体の構造上、眼球が上を向く刹那、元紀は自分の体を見つける。首がなく、大きな照明や鉄骨の下敷きになった自分の身体を。


 そして、その隣には彼より少し大柄な少年の姿が、同じく鉄骨の下敷きになっていた。残念ながら彼の頭は照明によってぐしゃぐしゃに潰れてしまっているため、誰だか分からない。


 いや、そもそも考える力が元紀にはもう残っていなかった。



 *



 パタリと音が止み、あたりは静寂に静まりかえった。後ろで今まで聞いたことない音を聞いたケンタは振り返り、その惨状を見て目を見開いた。そんなバカな。さっきまであんなにも楽しそうにしていた二人が見るに耐えない姿に成り代わってしまっている。そうだ、あの時の僕と同じみたいに。


 ケンタは辺りを見回した。もう一人の生者の安否を確かめるために。果たして、薄暗い中、ステージの端っこに彼女はいた。両手を胸の前で握りかけ、足をワナワナと震わせて、その顔を伺い知ることはできない。


「ああ、よかった。無事だったんだね」とケンタが前へ歩み寄ろうとした時、


「来ないで」と綾子は拒絶の言葉を繰り出した。暗くて見えないその顔からはえずく声と鼻水をすする音が聞こえる。ケンタは彼女に何て言葉をかけてあげればいいか分からなかった。彼は人を楽しませる術は心得ていても、人を慰める術は持っていない。


「やめて……、来ないで……」


 彼女の言葉一つ一つがケンタの魂に深く突き刺さった。そして、最後の彼女の一言が彼の魂の奥深くをえぐった。


「あなた達のせいよ」


 その言葉の重さに、ケンタは膝をついた。綾子は走り出す。ステージから飛び降りて、何も言わず立ちすくんだままのオーディエンスをかき分けて体育館を出ていく。


 違うんだ。ケンタは心の中で自分を慰めるように呟いた。脳裏に彼女の言葉がよぎる。違うんだ。僕らは決して恐ろしい存在じゃないんだ。決して君たちを殺そうと思ってステージに上げた訳ではない。ただ単純にこの空間を共有しようと思っただけなんだ。だから、だから、


 行かないでくれよ。



 ***



 しかし、綾子は走った。走って走って走った。体育館連絡通路がとても長く感じる。けれども少しずつ近づいて行ってる。出口に、ゴールラインに。

 コンピューター室でつけられた傷はもうほとんど痛みを感じなかった。じんわりと生の証を留めておくことに過ぎない。きっと近いうちにこの傷も消えるだろう。しかし、それでも今晩のことを彼女は決して忘れない。なるほど、怪異というものが実在し、自分以外の仲間が全員死んだのだから、忘れないのも無理はない。


 否。それが原因ではない。彼女は走った。なぜか心に溢れてくる爽快な気持ちを散りばめながら。彼女は走った。自分の長年の悲願が叶ったから?


 否、それでもない。



 では、何故?



 綾子は音楽室を抜け、校舎に入ると、右に曲がった。逃げるだけなら体育館連絡通路にある扉から、彼女らが最初に校舎に侵入したあの扉から逃げればよかっただろう。

 しかし、彼女にはやる事があった。それは「七不思議」の七つ目の噂の遂行。六つの噂、全てを見た者に与えられる、大願成就の権利。それを行使するために。


 しかし、一階の廊下に出た彼女の前には一人の女性がいた。それは玄関の前に立っており、玄関の窓から入ってくる微量の明かりが彼女の存在感を高めていた。綾子は彼女がハイヒールマンであると悟ると同時に、その名前を思い出す。



 町田郁奈かな。津江中学校の図書室の司書をしている先生だ。



 ***



 なぜ彼女がここにいるのか。それは彼女もまた「七不思議」に願いを託した一人だから。その願いを自ら実行に移すため、彼女の前に立ち塞がったのだ。


 この時を境に澁谷綾子はこの夜を二度と忘れる事はなくなる。無残、凄惨、酸鼻、醜悪、この世に存在する数多の言葉を用いても表すことのできない戦い。

 数千億年にも及ぶ、人の尊厳と誇りをかけた戦いを、彼女は決して忘れることはないだろう。たとえ記憶が消されようとも、それは彼女の身体に永久に刻み込まれるはずだ。




 郁奈はそっと目を閉じ、思い出す。十五年前この学校で起きた出来事を、そして今夜ここで起きた出来事を。

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