3-18

「じゃあ、行こうか」


 三人はトイレを後にした。一見、種明かし編に見えた「トイレのクミ子さん」との邂逅。けど、彼女は肝心なことは一つも言わなかった。


 誰が稗島を、悠里を殺したのか。


 彼女は彼らが校舎に入った時から見ていた、と言っていた。であれば、犯人も知っているのではないだろうか。稗島五月の体を真っ二つにし、本庄悠里を毒ガスで窒息し、澁谷綾子の足首に一筋の切り傷を負った真実を彼女は知っていたのではないだろうか。


 クミ子さんは、それを悟られないように敢えて必要ではないプリマヴェーラやピエロの成り立ちを喋ることで、会話の主導権を握ったのだ。だが、元紀はそのことに気づかなかった。彼の心には、その事実が泥濘のようにへばりついているだけで、その正体を見極め、口にすることはできなかった。


 三人はトイレから出る。クミ子さんは彼らが見えなくなるまで手を振り続けていた。




   7         



 三月一日水曜日午前二時〇分



「ほんなら、体育館に行こっか。この時間であれば、丁度ライブも大盛り上がりやろ」


 ラムジーはポケットからスマホを取り出して時刻を見た。午前二時。世間ではうしみつ時なんて言われている時間帯だ。このまま体育館に行くのもいいだろう。けれども、元紀は一つだけどうしても確かめたいことがあった。


「なあ、体育館に行く前に放送室によって行かないか?」


 放送室は三階の北側、トイレの隣にある生徒会室のさらに隣のスペースにある。そこには保健室と放送室があり、放送室の奥には演劇部や映画研究会が小道具をしまっているスタジオもあった。


「どうして、そげんところに行くんや」


 ラムジーの質問に元紀は自分の考えを纏めながら話した。辺りは静かなはずなのにどうも騒がしい。下の方から振動らしきものが周期的に聞こえていた。


「ほら、稗島が死んだ時も、本庄さんが死んだ時も、あの放送が鳴り響いていたんだ。さっきまでの話を総合すると、放送室の怪異は『七不思議』ではないのに『七不思議』に匹敵する力を持っている。その正体が一体何なのか、どうしてあんな気狂いな声を出しているのか、確かめておきたいんだ」

「事態が収束する前に、不安材料は全て取り除いておきたいってことね。わかったわ。私は森島くんの意見に賛成する」


 綾子がやや前のめりに賛同の意を示した。元紀は彼女が同意してくれたことがちょっとばかし嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて、心がギュッと締め付けられる。


 過半数が賛成した議会は法案を通さなくてはならない。最後まで渋る様子を見せていたラムジーも、最終的には折れることとなった。


 生徒会室を横切り、保健室と放送室の前にくる。ここはそれぞれの部屋の扉まで二つの柱がゲートのように置かれているため、部屋自体は異なるのだが一緒のスペースだとよく勘違されている。

 ゲートを潜って右手が保健室、そして左手が放送室なのだが、時たまこれを間違えて覚えてしまっている生徒もいる。特に入学したての新入生に聞いたら、答えは半々に割れるだろう。


 放送室に入る直前、元紀は保健室の扉の小窓をのぞいてみた。そこにはナース服を着た少女数人がうっすらと輪郭を保って部屋の中をうろうろしていた。

 きっとこっちに入ればまた何か起こるのだろう。しかし、もう怪異は見飽きた。今はそんな超常現象探索よりもやらなければいけないことができた。彼らに構っている暇はない。


 ラムジーは放送室の扉を開けた。開き戸は、ギイッと鈍い音を立ててゆっくりと開いた。中には窓もなく光を取り入れる構造が一切取られていないので、室内は校舎よりも真っ暗だった。真っ暗で、ほぼ何も見えない。


 ラムジーはスマホの明かりをつけて辺りを照らしてみたが、いつも通りの放送室だった。アンプとマイク、ヘッドホンなど校内放送に必要な機器が一つの机の上と下で完結し、その周辺にはパソコンや一世代前の機材が置かれていた。何の変哲もなく、誰かがいる気配も全くない。スマホの電池が二十パーセントを切ったと通知が入った。


 もしかしたら視聴覚室の怪異のように、この機械が自らの意思で喋っているのだろうか。元紀はそっとアンプに触れてみた。触れたからといって誰かが叫ぶこともなかったが、機械が熱を持ってることが感じられた。

 その温もりに元紀はああやはり、と思った。思ったものの、それを二人に知らせることはしなかった。何故か、と問われると答えようがない。けど、その温みで彼はこの怪異が悪い怪異ではないと思えたのだ。

 現に、彼女は元紀とラムジーが怒った時に口を閉ざしている。もしかしたら、この怪異の元となったのは、怒られることが怖くて引っ込み思案だけど、放送室では伸び伸びと喋っていた女の子なのかもしれない。


「どうやらハズレみたいやな」


 ラムジーが大きく息を吐きながら呟いた。


「そうみたいね。せっかく灸を据えてやろうろ思ったのに」


 綾子が苦笑いを浮かべながら言った。きっと悠里があんな風に言われたことにある程度怒りが湧いていたのだろう。元紀はアンプのフェーダーを一番下に戻した。少なくともあの校内放送の怪異の正体は大体掴めたんだ。

「七不思議」も残るは一つとなった。トイレのクミ子さんの話では、「七不思議」以外に人を殺せる怪異は存在しない。体育館の音楽ライブも魂の集合体だと言っていた。であれば、この校舎にもう怖いものは何もない。大手を振って校舎を闊歩できる。なんなら、やってくる怪異にパレードの演者よろしく手でも振ってあげようか。


 そんな余裕が彼の脳を支配し始め、ぼちぼち引き上げようとした、その時だった。



 ガシャン!



 何かが割れる音が放送室の奥にあるスタジオから聞こえて来た。スタジオに怪異がいるとしたら小道具が動くくらいだが、今の感じは明らかに違った。誰かが瓶のようなものを落とした音だった。


 そう思ったからか、急に目の前のスタジオから人の気配がした。先ほどまで一切の気配がなかったから、気のせいだと信じたい。だって、この校舎には今元紀達しかいないはずだから。不穏にもラムジーのスマホの明かりが電池の消耗によって一回瞬いた。


 元紀はラムジーにそっと目配せした。ラムジーも額に汗を垂らしながら頷く。二人は抜き足差し足でスタジオの扉に向かっていった。扉の前に立った時、ガサガサと音がする。この向こうに誰かがいることはもう明らかだった。


 扉のノブを静かに回し、ゆっくりと音がしないことを祈りながら開ける。綾子は二人の後ろからそっと顔を出して様子を伺った。


 その時、ラムジーの指が滑って、スマホのライトが消えてしまった。辺りは真っ暗、真っ暗蔵之介。ラムジーは慌ててつけ直そうとするも、何度も操作ミスを繰り返した。別のアプリを開いたり、ホーム画面に戻ったり、ややあって彼はようやく明かりをつけ直した。


 そして照らし出された先にがいた。なんで今の今まで忘れていたのだろう。視聴覚室での束の間の休息、美術室での愛と性欲に踊らされた時間、そしてトイレでの会話、それら全てがの存在を忘れさせていたのだ。


 ボサボサの黒髪にクマができた虚とした目、髪と顔と手にべったりとくっついた真っ赤な血、そして肌色のストッキングには血のように真紅なハイヒール。瞬時に三人の頭に一つの言葉が見出された。


 ハイヒールマンだ。

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