3-17

 昔、この学校にSという男の子がいたの。性格は明るく、小学校の頃はクラスのムードメーカーとして一定の地位を保っていたわ。

 けれども、中学生活が始まってから二週間をインフルエンザにかかって休んでしまったため、彼はクラスから完全に浮いてしまったの。

 復帰した彼はいつものようにクラスの雰囲気を作って行こうとするんだけど、他の学校の人と既に新しいグループができてしまっていた彼以外の人にとって、それはとても煩わしいものだった。そして、次第に学年全体で彼のことを無視するようになったの。


 一年が経ち、二年が経ち、三年生になる頃、Sは学校の人たちから「ピエロ」と呼ばれるようになっていた。みんなを、そして自分自身を明るくするためにやって来た奇行がピエロに似ていると誰かが言い出したためね。

 彼はジャグリングをし、赤い鼻をつけ、風船を膨らますようになったわ。まるで本物のピエロみたいに。けれども、クラスや先生は彼の奇行に目配せするだけで、それ以上構うことはなかった。


 とうとうSはある時自分の命をベットにしたショーを開催することを決めたの。それは、自分の姿を文字通り消すこと。イリュージョンのように消えてから再登場なんてことはなく、消えたらそのまま消えてしまうことにしたの。

 やり方は至極簡単。技術室にある木材を粉々にする破砕機、あそこに体を突っ込むだけ。それは技術の時間にみんなが作業してる前で平然と行われたわ。先生もまさか、自分の命を見誤っていないだろうと思ってたのね。気づいた時には彼は腰まで機械の中に入っていた。

 もちろん、反対側から彼の体は出てこない。彼の体は粉々になって消えてしまったわ。まさにイリュージョン!


 けれども、彼が消えてしまったことに誰も声をあげなかった。もちろん彼が死んでしまったという事実には気づいていたけど、それがあまりにも悲惨なものだったため、心が追いつかなかったみたいね。

 それをSは自分が消えたことに気付いていないと勘違いしてしまった。彼は魂になってもひどく落ち込み、次第に狂っていった。笑い叫ぶようになり、ジタバタと音を立てるようになった。それがあの「ピエロ」の正体よ』


 彼女は直接ピエロが人を殺せない理由を説明しなかった。しかし、元紀らはその理由が分かった気がした。死体のない幽霊がどういうものか聞いたことはないが、おそらく彼のようになってしまうのだろう。綾子が隣でブルっと身震いした。


「じゃあ、誰が稗島を殺したんだろう」


 元紀がポツリと呟く。


『それは私には何とも言えない。けれど、少なくとも「ピエロ」にあの中二病を殺せない。君たちの誰かか、第三者か、もしくは彼自身か。可能性は考えれば考えるほど浮かんでくるわ』

「それなら、お前さんが殺したって、可能性もあるんちゃうか?」


 ラムジーが唐突にそんな事を切り出した。その目は今まで見たどんな彼の目よりも鋭かった。運動会の代表者リレーの時よりも、期末テストの時よりも。


「お前さん、さっきからワシらの行動を全部知ってるような言い方するやん。そんな喋り方されちゃあ、お前さんがこの一連の事件を裏で糸引いてるって誰だって思うで」


 確かに、出会った時から彼女の様子は何かおかしかった。まるで、種明かしを楽しみにする子供みたいに所々で俯瞰したような物言いをする。彼女が黒幕の可能性は十分にあるわけだ。


 そう思った時、元紀の背筋がぞくっとした。クミ子さんが笑みを浮かべたからだ。それは今まで浮かべて来たどの笑みとも違う。全てを見透かした笑み、彼ら生者を下等な存在と見下す笑みだった。


『確かに私はあなたたちがこの校舎に入ってからの行動を全て見て来たわ。あなたたちの仲間が死ぬところも、あなたたちが笑うところも、傷つくところも、困惑するところも。けど、私は見ていただけ。私自身は何も手を下していないし、指示も出していない。

 第一どうやって指示を出すの? 無線なんて便利な代物はここにはないし、この校舎の怪異は私の指示を素直に聞く子なんてほとんどいないわ』

「で、でも、悠里があなたの事を見たって言ってたわ。その後にあの子は殺されたのよ」


 綾子が必死で言葉を絞り出した。それを嘲るかの様に彼女は再び不敵な笑みを浮かべる。


『ハハッ、彼女が見たのは白い着物を着ていた女性。けれども私は昔の津江中学校ここの制服を着ているわ。これは私に与えられたコスチュームみたいなもので、おいそれと着替えることはできない。

 つまり、彼女が見た女性は私ではなくて、私以外の誰かか彼女自身が嘘をついてるか、そのどちらかよ。ちなみに、私自身も彼女を直接殺すことはできないわ。私は無機物にしか触れられないもの』


 そう言って彼女はすーっと手を元紀に近づけた。彼の鼓動は大きく高鳴るが動くことはできない。金縛りにあったわけでも、見えない力で押さえつけられてるわけでもない。クミ子さんの言葉に嘘はないという本能的な安心感があったからだ。

 やがて、彼女の手は元紀の胸に触れると、そのまま何もないかのように素通りした。何かが自分の体を通っていく感覚もない。本当にさわれないようだった。


『ね』とクミ子さんは手を引っ込めて無邪気な笑みを浮かべると続けた。


『確かに無機物に触れて、外的に殺すことは出来るけれども、それはとてもナンセンスだし、そうするとしたら掃除用のブラシで殴るくらいだもの。けれどもあの子は毒ガスで死んだのよ。明らかに私以外の仕業よ』


 確かにそうだ。悠里はあの毒ガスによって死んだのだから、その毒ガスの正体がわからない限り何も推理することができない。元紀が悩みあぐねてる所にクミ子さんが『ただし』と付け加える。


『本来閉まっていた彼女の個室の扉を開けたのは私よ。彼女は今際の際に私を呼び出したの。だから、少しでも弔ってあげようと思って扉を開けたのよ。ほら、私は無機質な物なら触れるから』


 その言葉に真っ先に反応したのは綾子だった。


「悠里は……、悠里は何か言っていませんでしたか?」


 彼女の語気には鬼気迫るものがあり、元紀は驚いてしまった。しかしすぐに思い直す。そうだよな。彼女の大切な親友が亡くなったんだもの。その今際に放った最期の言葉は親友であれば知っておきたいのは当たり前だ。


 クミ子さんは彼女の質問に優しく笑みを浮かべると、


『あなたにって言ってたわ、綾子』と言った。


 綾子は胸からこみ上げてくる感情を抑えるためか、その場にしゃがみこんで顔を覆った。泣き声も鼻水を啜る音も聞こえなかったが、その姿に少年は胸が痛んだ。


『さあ、私からの話は以上よ。あなた達から何かある? ないわよね。なら、早く最後の一つの怪異を見に行きなさい。そして死んでしまった二人を復活させて、この物語はハッピーエンドよ。規定枚数内に収まるわ』


 ここまでのクミ子さんの話を聞いて三人の次の行動は決まっていた。体育館の怪異を見ること。そして、七つ目の噂を使って二人を生き返らせること。でも、最初行った時にフェスはやっていなかった。元紀がそう思うだけで、クミ子さんは彼の思考を読み取り、話し出した。


『さっきやっていなかったのは、開催する時間じゃなかったのよ。音楽フェスは午前〇時から日が昇るまで行われているの。だから、あなた達が来た時には丁度フェスが始まる少し前だったのよ』

「えっ、じゃああのまま待ってればフェスを目撃することができて、今頃ハッピーエンドだったかもしれへんのに」


 ラムジーは頬を膨らませて元紀のことを見た。元紀は口を真一文字に結んでそっと視線を外す。そんな二人のやりとりを見て、二人の女の子はクスッと笑った。綾子はすっくと立ち上がって目に浮かんだ涙を手で拭った。

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