2-5

 吉満は関根家のリビングに通され、そこで待った。しばらくして入り口から金髪の男の子が顔を出す。写真で見た通り、関根ラムジー本人だ。ラムジーはおずおずとリビングに入ると、吉満の前にある椅子へ座った。


「関根ラムジーくんだね」


 吉満は手帳を新しいページにして尋ねた。


「そうや、です」とラムジーは緊張した面持ちで頷く。


「まず、生年月日と年齢、あと学年・クラス・出席番号を教えてくれるかな」


 これは本人であることを確認するためである。もし誰かが擬態していたとしても(その可能性を考えている時点でずいぶん参っている)、この質問には答えられるだろうが、しないよりはマシだった。


「二〇■◆年八月五日生まれ、三年二組で出席番号は十五番やった気がする」


 ラムジーは淡々と答えた。彼の言ったことに嘘偽りはない。


「じゃあ昨晩から今朝にかけて、君がどこにいたのか教えてくれるかな」


 ここで吉満は核心をついた。自分の中で一番の疑問は昨夜、彼が家を出てから帰ってくるまでどこで何をしていたかだ。こことEC教室にできたシミは必ず繋がっているはず。いや、繋がっていないとおかしい!


 しかし、彼の期待はも呆気ない幕引きとなった。


「昨日はもっちゃん、やなくて、元紀くんちに泊まりに行ったで」


 彼の証言は海咲の証言とも一致する。間違っていない。しかし、元紀は昨晩ラムジーの家に泊まったと言っている。これでは矛盾が生じてしまうではないか。


「それは一人で行ったのかな?」

「そうや」

「元紀くんは一緒じゃなかったの?」

「うん。一緒やなかったで」


「今まで、元紀くんがいない時でも泊まりに行くことはあった?」

「いんや、今回が初めてやった」

「でも、それだったら元紀くんがいるときに来ようとか思わなかったのかい?」


「うーん、昨日はもっちゃんちに泊まるって決めてたから、思わんかったなぁ。いちいち帰るのも面倒やったし、もっちゃんの母ちゃんも、もてなしてくれよったから」

「……でも、元紀くんは君のうちに泊まりに行ったと言ってるんだ。入れ違いになってたら普通はどちらかの家に行くと思うんだけど、違うかな?」

「うーん、普通かどうかはよう分からんけど、それでいいんとちゃう? 普通って何や?」


 十五歳の少年の問いかけに二十五歳の見習い警察官はたじろいでしまった。その茶色い瞳を納得させるだけの答えを吉満は持っていない。


 それならば、と吉満は矛先をラムジーの隣にいる海咲に向けた。もうやけっぱちだった。二人の証言がおかしいことは明白なのだ。お互いがお互いの家に泊まりに行ってそのままなんてことがありえようか。こうなったら、無理やりにでも自分の仮説を押し通してやる。


「元紀くんは昨晩あなたのうちに泊まったと言いましたが、それは本当ですか?」


 どう考えてもノーとしか答えないはずだと吉満は確信していた。午前中に海咲と会話したことが彼に一定の自信を与えていた野田。しかし、彼女の答えはイエスだった。

 息子がいない日に他人の息子を泊めるのはいいのか、と尋ねると、「それは個人の自由やから勝手やないの」とムッとした表情で言い返されてしまった。ごもっともである。しかし、しかし——。


「じゃあ、なぜ先ほど訪れた時はそれを言ってくれなかったんですか?」

「だって、あなたが聞いてきたのはラムのことだけで、元紀くんのことは一切聞いて来なかったやないですか」


 海咲は語気を荒げてそう言った。


 もう何がなんだか分からなくなってきていた。まるで狐に化かされているような感覚に陥っている。二人の間に矛盾はない。しかし、常識的に考えたらそれは矛盾なのだ。


 しかし、矛盾ではない。

 だが、矛盾である。

 でも、矛盾でない。


 矛盾である、

 矛盾でない、

 矛盾である、

 矛盾でない、

 矛盾である、

 矛盾でない、

 矛盾である、

 矛盾でない、

 矛盾である、

 矛盾でない、

 矛盾である

 ……



 今にも爆発しそうな頭を少年の鼻歌が現実に引き戻した。魂をたかぶらせてくれそうなそのメロディーを吉満は聞いたことがあったが、名前を思い出せない。しかし、そんなことなど今は関係ない。問題なのは、そのメロディーをことである!


「君、今の歌!」


 吉満は瞬発的にそう叫んだ。


「ん? 今のやつか? 適当に頭の中で思いついたのを流しただけやで」


 ! 五人揃ってたまたま思いついたメロディーが同じなんてことがありえるのか? 否、ありえるはずがない。

 しかし、四人(正確にはその偶然に気づいた二人目の本庄悠里から聞き始めたのだが)と同じようにラムジーにも今のメロディーをもう一回復唱するように頼むと、


「すまん、今思いついただけやから、もう忘れてしもうたわ」と言って悲しそうな微笑を浮かべた。それは、まるでここまで獅子奮迅している吉満をねぎらうかのような笑みだった。


 関根家を後にしたところで孔から電話がかかってきた。DNAの分析結果と防犯カメラのテープの修復がもうじき終るので見てほしいと言う。吉満はそれを了承して津江島を一旦あとにした。その足取りは一度目、何も知らされずに来た時よりは明らかに重くなっていた。


 ナナオ署の鑑識課に来ると、濱島と孔が渋い表情をしていた。吉満の存在に気がつくと、濱島は開口一番にこう言った。


「悪いニュースと悪いニュース、二つあるけどどっちがいい?」

「それ、どっちも悪いニュースじゃないですか」


 吉満は気怠そうに突っ込んだ。自分は今それどころではないのだ。捜査が難航していることを察したのか、濱島は彼の言葉に何も返さず、端的に切り出した。


「一つ目の悪いニュースは五人のDNAと教室の床に残されたシミのうち、中央を除く五つから採取したDNAが一致したということだ。残念ながら、あの遺体は森島元紀含む行方不明になっていた五人で間違いないだろうな」


 もう思考が完全にショートしていた。だって、五人は全員無傷で帰宅している。昨夜の証言で不可解な部分はあるものの、この目で本人たちを確認しているのだ。それが死んでいた? ゾンビじゃあるまいし、そんなことありえるはずがない。


 彼の様子に孔と濱島は唖然としていた。この二時間の間で何かが彼の心をここまで疲弊させている。しかし、それを二人が知ることはなかった。結局、濱島はもう一つの悪いニュースを教えてくれなかった。もしかしたら事件と直接関係のないことだったのかもしれない。


 ポンと濱島のパソコンから電子音が鳴った。EC教室に設置された防犯カメラの映像の修復が終わった合図である。三人はすぐに修復された映像を見てみた。映像は午後十時から三十倍速で回され、問題の午前四時に近づいて行った。それと共に吉満の鼓動も早くなっていく。


 これだけしか今は残されていない。手がかりはこれだけしか残されていないんだ!


 そんな心の吐露を無視するかのように、映像はいよいよ午前四時に切り替わろうとしていた。その時、鑑識課長が孔と濱島のことを呼び出した。どうやら課員に孔の紹介をするようだった。二人はパソコンの画面から離れて、鑑識課長の元へ向かった。


 一方、午前四時を回った映像をみていた吉満は驚きと恐怖のあまり声が出なくなっていた。何もない教室に突如六つの腐食していない体があの模様のように並べられたのだ。

 六つのうち五つは間違いなく森島元紀ら行方不明者だった。彼らは眠っているかのように眼を閉じて横たわっている。そして、中央にいるまだ分からないもう一人の顔のところに少女が立っていた。

 のせいでもう一人の顔の判別はできない。しかし、かろうじて見える黒パンツやハイヒールを身につけていることから、性別は女性であることが分かった。


 少女は津江中学の制服よりも少し濃い紺色の制服を着用していた。長い黒のおさげを顔元に垂らしているため、顔は判然としない。しかしがこちら、防犯カメラの方を向いていることは明らかだった。


 微かに見える少女の口が動いた。


 それを見て吉満は今まで感じたことのない恐怖に囚われた。今すぐにでも叫んで暴れて、この事実を周囲に知らせたかった。だが、少女がそれを封じた。それは音のない映像越しでもはっきりとこう言っているのがわかった。



 



 まるで、その映像を誰かが、いや吉満が見ていることを分かっているような言葉に未熟な警察官は素直に従うしかなかった。やがて、少女は六つの遺体とともに瞬きする間に消え去り、後にはあのシミだけが残っていた。


 時刻は午前五時を指していた。どうやら、あまりの衝撃に再生速度を遅くするのを忘れていたらしい。しかし三十倍速の中、相手にわかるようにあの言葉を伝える少女を吉満は心底追いかけたくないと思った。

 おそらくがこの一連の出来事の中心にいるのは間違いない。しかし、この少女がどこにいるのか、仮にに会えたからといって自分は生きて帰れるのか、自信がなかった。


 映像が終わってからややあって、所用を終えた濱島と孔が戻ってきた。しかし、そこには顔面蒼白になった吉満の姿が。

「どうした」と濱島が尋ねると、吉満は黙ってパソコンの画面を指差した。二人は急いで映像をリプレイする。しかし、映像は修復されておらず、先ほどと同じ箇所でノイズを発していた。


 二人の鑑識は首を捻るが、唯一、吉満だけがその現象に驚きはしなかった。

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