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 吉満が呟いたのとほぼ同時に日樫はにっと笑ってみせた。それは彼が吉満の前で初めて見せた笑みで、同時に怪しいものでもあった。

 彼は笑顔で吉満の肩をポンと叩く。吉満は嫌な予感がした。なぜなら、いつだって肩を叩かれる時は嫌なことを言われると相場が決まっているからだ。


「そこまで思考が回るとは、優秀な証だな。やっぱ、研修者受入の紙にサインしといてよかったよ。——この事件、お前に任せるわ」


 吉満は意地悪い笑みを浮かべる老獪な刑事を凝視した。警察大学校に加え、高校では剣道もやっていたので、メンタルはかなりタフなつもりだったが、今の言葉は生身で面を受けたときくらいの衝撃があった。


「ま、待ってください。私は今日赴任したばかりの、しかも研修生です。いくらなんでも、初日に捜査を一人でやれだなんて無茶にも程がありますよ」

「いいか、エリート教育を受けてきたお前ならわかると思うが、警察おれたちは深刻な人手不足だ。しかもナナオ署はそれが一段と重篤だ。刑事課だってお前を含めてようやく四人なんだぜ。だからお前が研修生だからって先輩から仕事を教わろうとか、そんな生温いことはさせねえぞ。その身をもって今の所轄の現状を知って、せいぜい今後の官僚生活に励むことだな」


 そう言って日樫は教室から出て行ってしまった。そこに吉満が反論できる時間は一切なかった。彼は上司が出て行った教室の扉をしばらく眺めていたが、やがて待ち兼ねた浜田が声をかけたことで、ようやく我に返った。

 しかし、まだ自分が何をすればいいか定まっていない。それもそのはずである。何も知らされずにやって来て、謎の模様を目の前にこれを一人で解決しろと言われたのだ。まるで二日酔いのまま知らない街に来てしまったかのような、自身の無力さだけが心を埋めていた。


 とりあえず、この六人の正体を突き止めるか。


 もはやマニュアル通りの捜査は通用しない。行き当たりばったりで物事に対処しなくてはならなくなる。となれば、まず手を付けるべきは、日樫が吉満に捜査を任せるきっかけとなった例の着眼点が妥当だろう。


 まずはこの六人の共通点を探さなければならない。無差別に用意されたと考えることもできるが、片田舎の中学校にこれを作ったということは何かしらの意味を持つはずだ。となると簡単な推理でたどり着く共通点は、この六人はこの中学校の人間、もしくはゆかりのある人物ということになる。


「浜田さん、ここ数ヶ月にこの中学校の関係者が行方不明になったりしましたか?」


 吉満は浜田の方を見て尋ねた。浜田は少し首をひねると、


「いや、それはありませんね。行方不明になっていたら必ず職員会議で話題に上るはずですから」と言った。


 そうですか、と吉満は相槌をうった。そう上手くはいかないのが世の中である。すぐに次の手を考えなければならない。そう思った吉満の頭にある推理が浮かび上がった。


 いや、待てよ。このシミは昨晩のうちにできたのだ。どのような方法で一夜にして死体を数週間も腐らせたかは分からないが、この遺体の主は昨夜から行方の分からない人の可能性もある。


「じゃあ、昨日はいたのに、今日は来ていない人とかいらっしゃいますか?」


 吉満の問いに浜田は眉を潜めた。


「いや、それはまだ出欠をとっていないので分からないですね。昨日が最後の授業日でしたので、教師の中にも有給をとって旅行に行ってる人もいますから」

「それを至急確認することはできますか? もしかしたら、この六つの遺体は昨日から行方不明になった人かも知れないんです」


 浜田は彼の言葉を理解したのか「わかりました」と短く言うと教室を後にした。


 一人残された吉満はもう一度あの不気味なシミを見返す。奇怪な紋様は、まるで全力で真相解明に動き出した吉満を嘲るかのように存在し、心なしか、中央にいる人物の口が三日月状に裂けているように見えた。





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 三月一日水曜 午前八時四十分



 六つある遺体のうち、五つについては早い段階でわかった。今日学校に来ていなかった生徒で、親から欠席連絡がない子がちょうど五人いたのだ。全員中学三年生で明日の朝、卒業証書をもらうはずの子だった。

名前は澁谷綾子、関根ラムジー、稗島五月ひえじまさつき、本庄悠里、そして森島元紀である。さらにこの五人は同じクラスであることもわかった。


 これで手がかりが掴めたな。


 吉満は明らかな手応えを感じていた。同じクラスであれば動機も見えて来る。いじめや、金銭のやりとりなど些細なトラブルから重大事件に発展する事例は少なくない。

 そこで、彼は五人のクラスメイトに話を聞いてみる事にした。浜田経由で担任の平川健介に許可をとり、三階にある会議室に平川同席のもと、事情聴取を行った。


 しかし、数名のクラスメイトの話を聞いて吉満は空を切る思いを抱いた。誰もこの五人に対して悪いイメージを持っておらず、それどころか何か事件に巻き込まれたのではないか、と心配するくらいだったのだ。平川も事情聴取が始まる前、


「うちのクラスは他のクラスよりも仲がいい事で有名なんです。だから、いじめなんてことは絶対にないと思いますけどね」


 と、いじめなどないような面持ちで言っていた。四十代で経験をある程度積んでいそうなこの教師であれば、いじめなどの変化があればすぐに気づくだろうし、隠蔽することもないだろう。


 それにクラスメイトの五人に対する評価もなかなか高かった。図書委員やテニス部など課外活動にも積極的に参加していたようだし、唯一帰宅部の稗島五月も性格に難はあったようだが、クラスから浮いてるなんてことはなかったようだ。


 一つ、気になることがあるとすれば森島元紀だった。彼は卓球部の幽霊部員で、中には彼のことをよく思っていない人もいたようである。しかし、卓球部のクラスメイトや平川によると、そんなことでいじめに繋がるとは思えない、と一蹴されてしまった。


 八人目の生徒が出て行ったところで、浜田が会議室に入ってきた。ナナオ署の鑑識が来たという。吉満はそれを了承して、事情聴取を打ち切るとEC教室に向かった。教室に入ると、青い鑑識制服を着た男が二人立っていた。その中の一人を見た瞬間、吉満はようやく安堵の表情を浮かべる。


「孔!」

「マサ!」


 孔と呼ばれた男は振り向いて吉満を認めると、こちらも安堵した笑みを浮かべた。こうれいと吉満は警察大学校の同期で、二人とも研修で同じナナオ署に派遣されていたのだ。


「お前、なんで一人でいるんだヨ。上司の人ハ?」


 中華訛りで話しかけて来る孔に吉満は事情を説明した。それを聞いた孔は同情の意を込めて眉を潜める。孔と一緒に来ていた鑑識は日樫のことを知っているのか「あいつらしいな」と鼻で笑った。


「紹介が遅れたな。孔の指導をしてる鑑識課の濱島浩二はまじまこうじだ」


 濱島の握手に吉満は応じると、二人に事件の概要と自分の推理を述べた。話を聞き終えた濱島は、何日も剃っていないであろう無精髭をジョリジョリ触りながら口を開いた。


「確かに、彼らが遺体の主である可能性も高いが、それを示す物証が何もないな。同時期に行方不明になったってだけで彼らと仏さんを結びつけるのは良くない。もしかしたら五人は他の事件に巻き込まれて行方不明になっているかも知れないからな」


 なるほど、と吉満は納得する。


「俺たち鑑識がやることは証拠を集めることだ。それを元にお前ら刑事課が推理する。だから、まずはお前の推理を証明するために、この遺体のうちどれかが彼ら五人なのか、という証拠を手に入れなければならない。そのためには、このシミからDNAを採取して、本人のものと照合する必要がある。」

「なるほど」

「吉満、お前は彼らのDNAサンプルを集めて来い。髪の毛、ツバ、皮膚の一片でもなんでもいい。クラスメイトや親御さんなど片っ端から当たってくるんだ」


 吉満はわかりました、と返事した。やはり新人のうちはこうして指示をくれた方が動きやすい。濱島は彼の返事を聞くと「よし、やるか、孔」と掛け声を出し、帰化した中華人もそれに応じた。

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