第二章「日が昇る頃」

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 沈んでは、昇り、

 昇っては、沈む。


 太陽は幾千幾億もその営みを繰り返して来た。


 それはこれからも、未来永劫途絶えることはないだろう。


 そして今日も太陽は沈み、




 第二章「日が昇るころ」


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 三月一日水曜 午前八時十五分



 昇ったころ、吉満よしみつ・クリスチャン・雅範まさのりは津江中学校の玄関前にいた。

 登校時間とかぶっているからか、あたりは制服姿の中学生が校舎に向かって歩いている。彼らは自分たちよりも頭ひとつ高い吉満のことを不審がる表情で一瞥した。しかし誰も彼に声をかけない。生徒たちはこちらを一度振り向くだけで通り過ぎていく。


 吉満は若干の気まずさを感じながらも、内ポケットから周囲に見えないように一枚の紙切れを取り出した。そこには「荷物を置いたら津江中学校に来い」とだけ鉛筆で殴り書きされていた。


 なんたってこんな所に。思わず心の中で悪態をつく。


 しかし、それを口に出したところで何も変わらない。彼は紙切れを元の場所にしまうと歩き出した。来客用入り口から校舎に入り、事務員に言われるがままついていくと、やがて一階の廊下の突き当たりに案内された。そこには「EC教室」と呼ばれる教室があり、部屋の前には体育教師らしいジャージを着た男が立っていた。


 短髪で頭頂部が若干薄れた中年男性は生徒たちが視線をEC教室へ移そうものならピシャリと注意している。その中に現れた長身の異邦人を彼が見逃すはずもなかった。

 男はすぐに吉満へ注意を向けると、おそるおそる会釈してきた。吉満はてっきり威嚇してくるかと思ったので、拍子抜けの会釈を返す。そのまま彼に近づいた。


「もしかして、警察の方ですか?」


 教師は声のトーンを少し落として話しかけた。


「はい、そうですが」


 吉満も自ずと音量を落として返す。

「ああ、来ていただき、ありがとうございます。私、ここの体育教師をしてる、浜田と言います。では、こちらの教室です」


 そう言ってEC教室の扉を開けようとする浜田を吉満は慌てて止めた。


「あの、どうして警察に通報を?」


 その問いに浜田は苦笑いを浮かべると、


「実際に見ればわかると思います」と言って、扉を開けた。


 EC教室とは名ばかりに、中は至って普通の教室だった。黒板や教卓、ロッカーなんかもあり、以前はホームルーム教室だった事がうかがえる。しかし、EC教室と銘打ってるからか、英会話クラスを模した大きな円形の机が三つ置かれていた。また、壁際に設置された本棚には英語関連の書物が多く収められている。


 教室を一望してから教壇の方へ目を向けると、そこにはヨレヨレのスーツを着た男が座っていた。


「やっと来たか。遅えぞ」


 男はぶっきらぼうに言い放つと、白髪交じりの薄毛をかきむしりながら立ち上がって、吉満の方を向いた。その出で立ちから、吉満はすぐに彼の正体を察知して敬礼する。


日樫慶太郎ひがしけいたろう刑事課長とお見受けします。本日付で警察大学校から実地研修で赴任しました、吉満・クリスチャン・雅範巡査です。これから一ヶ月間、よろしくお願いいたいます」


 日樫と呼ばれた男は、吉満のターコイズブルーの瞳を凝視すると、へっと吐き捨てて背中を向けた。


「とうとう警察も外人の手を借りなきゃやっていけなくなっちまったのかよ」

「……お言葉ですが、課長。私は確かにジャーマン系の父母の元に生まれましたが、生まれも育ちもヤマト市で、海外には留学で一年半ほどしか行った事がありません。ですので、『外人』と呼ぶのはいささか失礼かと」


 嫌味の混じった彼の言葉に吉満はムッとなって言い返した。


「はっ、昔はそれだけで何も言われなかったってのに、今じゃ無礼だ差別だなんて御託を並べやがる。とんだ狭苦しい時代になったもんだな」


 日樫はぐいと顎を出して吉満の顔を睨みつけた。吉満も彼に負けじと目力を強くする。そのまましばらく二人は睨み合うと、日樫はけっと言って視線を逸らした。吉満も眼力を緩めてなぜここに呼び出したのか尋ねる。すると初老の刑事は苦虫を噛み潰したような顔をした。それは、長年刑事をやってきた者からは想像できないほど歪んだ顔だった。


 彼は「これを見てみろよ」と言って、教室前方の机が置かれていないスペースに広がった光景を見せた。それは吉満も教室に入った時点で気づいていたが、あえて注視しないようにしていた。下手に見入ってしまえば二度と戻って来れなくなるかもしれない。そんな危うさがそこには広がっていた。


 やはりこれが原因か。吉満は決心して教室の床にあるそれに目を向けた。そこには人の形をした黒いシミが六つあり、大の字になった一人を中心に彼(いや、腰から臀部にかけてふくらみができているから女性か?)の両脚、両手、頭のそれぞれから同じように大の字になった人が頭を彼女に向けていた。


 どうしてこのような模様を。いや、模様にしてはリアルすぎる。そう見えるように錯覚させているのか? 


 吉満はもう少し詳しく見ようとかがみ込んでみた。すると突如、彼の鼻を腐臭が刺激する。それは豚肉を冷蔵庫に入れずに何日も放置したような臭いだった。

 途端に彼は目の前の黒いシミが塗料で塗られたものではないと気づいた。なぜなら、木の床への染み込み方が明らかにペンキのそれとは違うのだ!


「こ、これって……」


 吉満は最後まで言えずに嗚咽を漏らした。すぐにハンカチを取り出し、口元を覆う。実地研修だからある程度覚悟していたが、まさか初日で巡り会うことになるなんて。


「ああ。まだ鑑識は来てねえが、おそらく人の体だ。しかも死後数週間は経った死体をどかしてできたシミだろう。こんな趣味の悪ぃこと、今時の刑事ドラマだってやりゃしねえよ。しかも、おかしな事が起きてるんだ」


 なあ、そうだろ、と日樫は浜田の方を向いた。浜田はえっ、と一瞬驚いたものの、やがて決まりが悪そうにゆっくりと口を開いた。


「あの……、信じていただけるかどうか分かりませんが、それを確認したのは今朝が初めてなんです。昨日もこの教室を使っていた職員に尋ねてみましたが、そんなシミは一切なかったと言っていまして……」

「つ、つまり、今朝になって突然このシミが現れたってことですか?」


 浜田の頷きに、質問した吉満は困惑を隠せなかった。なぜなら、このシミは最低数週間は遺体を放置しないとできないのだ。それが一晩にしてできたというのだから可笑しすぎる。いや、そもそも死体を教室に数週間も置いていたら誰かが気付くはずだ。臭いだって相当するはず。けど、それがなかったと浜田は言った。


 なるほど、どうりでみんな曖昧な表情をするわけだ。吉満は一人勝手に得心した。そのまま俯いて考え込む。

 警察大学校で事件を解く時には、まず前例から踏襲することと教えられた。だがもし、前例に無いような事件が起きた場合、最初に考えることはなぜそのような状況になったかである。


 ざっと床を見る限り、床板が張り替えられた可能性はない。遺体が腐食して出てきた液を床に塗ったなんて趣味の悪い考えもできるが、描いたのであれば筆跡ふであとが残っているはずだ。


 となれば、最も簡潔に推測できることは、昨晩のうちに六つの遺体を教室に運び込んで、一晩のうちに腐らせたということになる。

 しかし一体どうやって? その疑問が大半を占めるなか、吉満の頭にはもう一つの疑問も浮かんでいた。警察大学校を出ているエリートはそれを絶対に見逃さない。


「このは一体誰なんだ?」

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