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「軽く話を聞いただけやけれども、あの子はこれを相当楽しみにしとるで。それが直前に、しかも自分を慕ってくれる子たちによって、半ば強制的に止められたと知ったらどう思うかいな」

「……!」

「ワシは男やから、女の子の気持ちは分からんけど、少なくとも悲しむっちゅうことぐらいは想像できるで」


 そう、悠里たちはあくまで綾子を助けるために教師に告げ口をするのだ。しかし、それは綾子本人が望んでいることではない。すると結果、彼女らは綾子を助けるために彼女を苦しませる選択肢を選ぶことになる。

 それを実行するのは難しいことではない。しかし、綾子が悲しむと分かった今では、模試で満点を取ることよりも難しかった。二人の後輩はすでに思考が麻痺しており、先輩、先輩と後ろの方で雛のように儚げに鳴いている。いけない。これでは女性としての矜持が傷ついてしまう。


 だが、悠里自身も悩んでいた。綾子から嫌われるのは嫌だ。けど、綾子が深夜に陰気臭い男どもの中に入っていくのは認められない。その二つの否定の間で悠里は揺れ動いた。オールを漕ぐようにあっちに行ったり、こっちに行ったり。えっちらおっちら。

 やがて、彼女はある選択肢を思いつく。しかし、それは悠里が本来思っていたものとはまるで違う、屈辱の選択に他ならなかった。だが綾子を、大切な親友を、それ以上の存在を守るためにはこうするしかない。そう思うと、その屈辱もむしろ安らぎとなって彼女の心に広がった。


 悠里は眉を潜めたまま俯くと、ややあって前を向いた。


「な、なら、私たちもそれに同行するわ」


 澁谷綾子ファンクラブでの暗黙の掟、それは「彼女を悲しませないこと」。それを守りつつ、かつ彼女の純白を守るためには悠里たちが元紀たちの探検に同行するほか道はなかった。

 もしかしたら別の案も思いついたかもしれない。しかし、男女が互いの心に糸を張り、今にも切れそうなくらい冷め切った空気では「同伴」を思いつくので精一杯であった。


 それに、この同行にメリットがないわけではなかった。まず、男女比が悠里と後輩二人を含めて四対三になる。これは探検の主導権を自分たちが握りやすいことを示唆していた。加えて、加えて……、悠里にとってもかけがえのない思い出になり得るはずだからだ。

 綾子と悠里が夜という甘美に溢れた幻想の世界を一緒に過ごすことができたのはこれまで数度だけ。修学旅行、合宿、お泊まり会。どれも悠里にとっては一つ一つ鮮明に思い出せるほど素晴らしい体験だった。

 意味のない話題で花開いた時も、ご飯を食べる時も、そして一緒にお風呂に入った時も……。全て彼女にとってはかけがえのない思い出だった。だから、彼女は二人の共同アルバムに新たな一ページが追加されることに若干の喜びも感じていた。


「べ、別にかまへんけど、大丈夫か? 家を出る口実とか……」


 金髪ハーフは困惑しながら尋ねると、悠里の後ろにいた後輩二人が狼狽し始めた。綾子を守るために加勢を快く引き受けてくれた二人だったが、悠里の発言はあまりにもイレギュラーだったらしい。


「えっ、あたし、夜の学校はちょっと……」と桑原。

「わたくしも門限がありますから……」と宮野小路。


 二人の少女はそれぞれ曖昧な拒否を宣言した。


 この拒絶は悠里にとって想定外のことだった。綾子のことを思って加勢したのだから、てっきり地獄の果てだろうとお供してくれると思っていたのだ。

 全く、これだから女子は何を考えているか分からない。彼女たちは本音を何枚も葉っぱを重ね合わせた奥底に隠している。それは普段は固く閉ざされているが、時々、気づいて欲しいかのようにチラッと中を見せて来るのだ。

 はた迷惑この上ない行為だが、男子や悠里にとっては少し複雑な気持ちになる時がある。故に一概に否定することはできない。


 悠里は後輩たちから視線を外すと、再び二つの選択肢の間で揺れ動いた。行ったら綾子と二人しか女子はおらず、少し心細い。かといって行かなかったら、綾子の事を見捨てる事になってしまう。

 彼女は悩みに悩んだ。思春期の男女であれば誰もが通るであろう、選択の問題である。


 さあどうする、ユリ? 君の今後を決める選択だ! 


 頭の中でそう声が聞こえる。うるさい、話しかけないで。いま、私史上、最も難解な問題を解いてる最中なの! 


 悠里は声を振り払うと、真っ直ぐ二人の男子を見た。すでに日は完全に沈んでしまい、夕焼けの名残もすっかりなくなってしまっている。辺りを照らすのは半月と街灯のみ。その街灯は異世界へ続くゲートのように二人の少年を照らしていた。


「私は行くわ。やっぱり、あやちゃんを一人にはできないもの」


 そっかと元紀たちはそっけない返事をした。後輩たちはいつの間にか後ろにおり、心配そうに悠里の名前を呼んでいる。


「大丈夫よ。私もあやちゃんも普段から鍛えてるから、いざという時はこの拳で悪漢どもに一発お見舞いしてあげるわ」


 そう言ってガッツポーズをして見せると、そのあとは連絡先を聞こうとしてきた男子を淡々と冷たくあしらった。あやちゃんとパイプができているのなら、わざわざ彼らと連絡を取り合う必要なんてない。それなのに連絡先を交換しようだなんて、一体どれだけ出会いに飢えているのかしら。

 悠里はそう思いながら校門を出ると元紀たちとは反対方向に歩き出した。本当は同じ方向なのだが、顔を合わせるのが嫌だから敢えて取った選択肢であった。津江島は小さな島だから、どこを歩いてもいずれは目的地にたどり着く。そんな割り切りもあった。


「あの、本庄先輩……」


 宮野小路が申し訳なさそうに悠里の三歩後ろから声をかけてきた。きっと先程のことを気にしているのだろう。彼女たちだって各々自らの選択肢と向かい合って決断したことだ。それを今さら咎めたり、非難するのは人として、先輩としていい鏡ではない。


「大丈夫よ。もしあなたたちが来てくれなかったらもっと悪い方向に働いていたかもしれない。私についてきてくれてありがとう」


 悠里は振り向くと、宮野小路の頭に手を置いた。そのまま彼女のポニーテールをなぞるように頭の後ろへ回し、うなじを軽くさする。宮野小路は少し照れ臭そうに俯いていた。きっとその頬は赤らんでいたかもしれない。彼女たちと別れて一人、夜道を歩く少女はその顔を想像した。その姿に鼓動が一瞬高鳴る。


 じわりと下が濡れる感触がした。






 二月二十九日火曜 日没後




「なんか、最初に思うてたんとずいぶん変わってしもうたな」


 終始冷たい態度の彼女と別れてから金髪のハーフは言った。街灯に照らされたその顔には柔らかい笑みが浮かんでいる。


「まあ、いいんじゃない? 少しは楽しくなりそうじゃん」


 少年も心なしか頬骨を上げて言った。彼はどこか誇らしかったのだ。普段は発言力もなく、教室の隅でこそこそ何かやっていそうな自分らの企みに、二人もの日の目を見る少女が入ってきてくれた。

 そのうちの一人は明らかに少年たちのことを敵視しているだろう。しかし、それでいいではないか。自分たちのことを良い風に思わない人がいたって。そっちの方が物語らしいし、見せ場がたくさん作れるものだ。


 ふと、少年は心に誓う。よし、この体験を次回作の題材にしよう。密かに、けれどもこれが大作になる予感を秘めながら契った。まだ見ぬ体験が果たしてどのような結末になるのかも知らずに。


 少年は半月が照らす夜空の下、帰路につく。この時、彼が考えていた物語のジャンルは青春小説だった。ちょっとごたごたがあって、笑いがあって。けれどもどこかで一致団結して巨大な何かに立ち向かって。最後には涙腺崩壊かお涙頂戴か、そんな感動できるところがある青春小説になるだろう、と思っていた。



そう、この時までは——

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