第7話 山師

 

 兜町の、とある鰻屋。

 平日ながらも昼食時とあって、狭い店内は混み合っている。


「なんだ、おまえか」

「……?」


 ぞんざいな口調に、ゆっくりと顔を上げる売り方。

 テーブルの上には、日本酒の小瓶とぐい飲み、海苔すら手付かずのざる蕎麦が一枚。


「この時間にマス席が空いてるから、誰かと思えば」

「せん、ぱい……?」


 場所柄から証券マンが多く集まり、話はした事がなくとも顔見知りな間柄が多かった。

 その為この店では、混んでいる時は相席が常識だった。


「よいしょっと。昼間っから酒とは優雅な御身分だなオイ」

「ああ、その……ご無沙汰してます」


 手酌を止め、向かいに座った人物に会釈する売り方。

 騒々しい店内で、対照的に生気が無い。


「その上、素のざる蕎麦かよ。大金持ちなんだろ? なんでそんな萎びたモンを」


 この店では、証券マンが、大取引の時に縁起を担いで蕎麦を頼む事が多かった。

 元々は厨房の中の賄い食だったのだが、注文の多さから、いつしか裏メニューとなっていた。


「おおーい大将、コイツと同じものをひとつ!」


 カウンターの奥に注文を出す、先輩と呼ばれた人物。

 年齢の頃は、売り方より3歳程度上か。

 周囲と同じく、地味なスーツに嫌味のない髪型、滲み出る山っ気。典型的な証券マンの雰囲気を纏う男性。

 売り方が某大手証券に勤めていた頃、相場の神の存在を示唆した、その人だった。


「で、どうした、そんな辛気臭い面(つら)しやがって」

「い、いえ別に……」

「なんだよ、伝説のビッグセラーと呼ばれたオマエが。ああ、そうだ」


 胸ポケットから名刺入れを出し、一枚を売り方に向かって突き出す。


「会社を興したんだ。これでも一国一城の主なんだぜ」


 両手で受け取った名詞を、濁った目で見つめる売り方。

 名刺には、聞いた事の無い証券会社名と、代表取締役として彼の名前が書かれていた。


「へえ、凄いですね。流石は先輩ですね」

「何言ってやがる、大金持ちが。こっちは貧乏ヒマ無しの、只の山師だよ」


 そして山師は、ここ最近の相場について語った。

 日銀の政策が空振り続きな事や、K氏銘柄が再び動き出しそうだ、など。

 しかし、そのどれも、売り方の興味を引きはしなかった。


「で、そっちはどうよ? 先日も大相場を張ったそうじゃないか」

「いえ、それが……」


 そこへ、山師が注文したものがテーブルに置かれる。


「おお、来た来た。そーばを喰っちゃうぞ、ってな」


 山師は豪快にズルズルと音を立てて蕎麦を食べ、一気に完食した。


「なんだおまえ、食わないのか?」

「え、ええまあ」


 山師は、煽る様に売り方の蕎麦に箸を伸ばしたが、止めた。


「ホントどうした? 何が有ったんだ?」

「別に何も、有りません……」


 売り方の頭の中は、少女の寂しそうな横顔が独占していた。


 ふう、と溜息を一つついて、山師は言った。


「それにその敬語、止めてくれ。証券に居た頃は呼び捨ててやがったクセによ」


 そんな頃も有ったかな、と思い出す売り方。

 元気を出さない売り方に、山師は箸頭をテーブルにコツコツと打ちつけ始めた。


「これは、まるっきり私事なんだがな」


 と前置きして話題を変える山師。


「俺の息子な、誰に似たのか頭が悪くってな。高校受験の時に家庭教師を付ける事にしたのさ」

「はあ」

「だが余分なカネが無い。それで当時大学生だった甥っ子を呼んだんだ、住み込みでな」

「はあ」

「まあ、奴もアパート代が浮くってんで、喜んで来たんだがな」

「はあ」

「甥っ子は賢くてな、息子を一気に有名校に合格させちまった」

「はあ」

「それだけ優秀な甥っ子だ、通ってた医学部も好成績で卒業し、今では気鋭の青年医師として」

「……」

「そんな甥っ子が、こないだ久しぶりに家に来て言うのさ、難病の少女を救う事になった、ってな。珍しく興奮しながらさ」

「そ、それは」


 患者のプライバシー保護もヘッタクレも無い話だった。

 売り方は、そう突っ込もうとした。しかし。


「その少女には謎の足長おじさんとやらが付いて居て、今現在考えられる最高の……」

「参った参った、そこから先は勘弁してくれ」


 売り方は、両手を挙げて降参のポーズをとった。


「世間は狭いねえ」


 山師がしみじみと。


「今ちょうど、同じ事を痛感してるところだ」


 そう言った売り方の顔に少しだけ血の気が戻ったのを、山師は見逃さなかった。


「じゃあ、その蕎麦食わせてくれよ」


 売り方の蕎麦の上に伸ばされる、固太りの男の腕と箸。

 売り方は何故か、山師に良い様にされるのが急に悔しくなった。


「ダメダメ、自分で食うよ」


 減ってない腹に、蕎麦を箸で一つまみ流し込む。

 すると、ツユの山葵が効いたのか、急速に食欲が甦り、ツルツルと完食出来た。


「ごちそうさま」


 売り方は、久しぶりにまともな食事をした様な心地になった。


「良い食べっぷりだな。じゃ行こうか」


 椅子から立ち上がり、売り方にも続く様に言う山師。


「え、何処へ?」

「店の中じゃ話し辛いんだろ?」


 周囲は、新興の証券会社の社長とビッグセラーの会談とあって、覆い尽くさんばかりの聞き耳だった。


 売り方は、財布から一万円札を出して、テーブルの上に置こうとした。


「釣りは要らな……」


 しかし山師が、売り方の財布へ押し戻してしまう。


「今日は俺の奢りだ」

「いや、別にその必要は」

「たまには先輩面させろって」


 そう言って、山師は小銭を自分の財布から出して、テーブルに置いた。


「釣りは要らねえぜ、大将」


 カウンターの奥に向かって言う山師。

 要るワケは無い、ピッタリの金額だったのだから。

 売り方は、さすがに苦笑した。



 店を出て、歩きながら語り始める山師。

 売り方と共に勤めていた証券会社を辞めた経緯から、一時実家に戻って家業を手伝っていた事、その後バブル景気に乗って証券会社を立ち上げた事、顧客は以前の伝を辿ってそこそこ獲得出来た事、等々。


 売り方も、山師に今までの経緯をかいつまんで話した。

 少女の病気が難病だと判明した事。

 例の大相場を仕掛けて、手術に必要な分を遥かに越えるカネを稼いだ事。

 手術は成功したものの、延命の効果しか無かった事。

 相場の神を求めて彷徨い、それらしい者に出会った事。

 再び会おうと、この数日、東証の見学ルートから中を見ているが、そのチェロの初老は現れなかった事。

 そして、打つ手無しで途方に暮れていた事。


 山師は、チェロの話や少女の話には然程の興味を示さなかったが、売り方が口座を開けない事に関しては、当然の様に反応した。


「ふむ、そうだったのか……じゃあおまえ、俺んとこで口座開けよ」

「いや、それは……」


 売り方の扱う金額が問題だった。

 下手に穴を開けようものなら、弱小の地場証券など一瞬にして吹き飛ぶレベルなのだ。

 しかし、小額では勝負が出来ず、口座を開く意味が無い。

 売り方は、それを山師に伝えた。


「立会場に入れればいいのなら、いっその事、実栄証券に就職するか?」

「そんなバカな」


 大手証券が傾くほどの大暴れをした後だ、それは有り得なかった。


「そのチェロの初老とやらは、立会場で待ってる、と言ったんだろ?」

「そうなんだが、しかしアレは」


 チェロの付喪神の様なものじゃないかと思ってる、と売り方が言おうとしたところで。


「じゃあ、俺んとこに就職して、場立ちになれよ。いちおうウチも会員だぜ」



 証券取引所は会員制であり、それは、正会員(=証券会社)と才取会員(=実栄証券)の二つから成っていた。

 実栄証券とは、取引所の外注みたいなもので、立会い場の馬蹄形のカウンターの中に居た人達のことだ。彼らが場立ちからの手サインによる注文を受け付け、板(A3程度の紙)に書き込んでいく。

 そして、当時の株式相場の売買の仕組みは、大雑把に言うと以下の通り。


 客→証券会社→(立会場の)連絡員→場立ち→実栄証券←(監視)取引所職員


 そして場が引けると、実栄証券にて値洗いが行われ、結果が各証券会社へ連絡される。

 発注上のミスや何かの誤解や勘違いが発覚すると、その時点で過誤訂正売買が行われる。


 実栄証券→場立ち及び連絡員→証券会社→客


 実際の株券は、取引所に集められる事無く、証券会社から買った者(個人や企業)の元へ届けられる。

 売った場合は、一旦証券会社へ戻された後、次の持ち主の元へ送られるか、貸し株の為に証金若しくはホフリ(保管振り替え機構)へ送られる。



 山師は売り方に、場立ちになって立会場の中に入れと言っているのだ。


「しかしそれでは、先輩には儲けが無いどころか、場合によっては信用にキズが……」


 付くかもしれない、と売り方が言おうとしたところで。


「ちょっと休まないか? ああちょうど良いところに店が」


 と、わざとらしく言い放って、売り方をハンバーガーショップに連れ込んだ。


「オネイさん、コーヒー2つな」

「いや、俺は別に……」

「なんだよ、安ものは飲めないってのか?」


 カウンターの前で、売り方の肩に腕を回して引き寄せる山師。

 そして、売り方の耳元に、何事か囁いた。


「…………!!」


 それは、売り方の会社の持ち株や資産・資金、それに戦略に関する全てだった。

 山師に限らず、相場を張る者にとっては命に等しい情報だ。


「先輩、何を……」

「聞いたな? さあこれでもう、オマエは俺の会社に入るしか無くなったワケだ」

「か、関係有りませんよ……」


 売り方は、敬語に戻るほど動揺した。

 仮に、これから山師の会社が大損を出した場合、売り方が疑われるからだ。

 それに何より、それを伝えるという事は、山師が売り方を引き込む事に人生を掛けていると宣言しているも同然だったからだ。


「1種はまだ持ってるんだろ?」


 証券外務員免許の事。1種と2種が有る。

 1種なら当然、取引場での業務も可能だ。


「え、ええ持ってます」

「なら問題無しだな。いやあ、ウチは人手不足もいいとこでさ、今日も社長自ら営業かましてたんだよ。人材探しも含めてな。それがこんな大物が釣り上がるなんてな」

「……後悔しますよ?」

「航海なら、いい日旅立ちって感じだな」


 売り方の台詞を了承と受け取って、山師はヘタな洒落をとばした。


「なんかでかい話が決まった後ってのは、腹が減らないか?」

「そうかなあ」


 とてもハンバーガーショップのカウンターの前でする様な話ではなかった。

 しかし、否定した売り方も、ある種の開放感を覚えていた。


「オネイさん、追加オーダーだ。ハンバーガー2つ」

「それなら4つだ」


 売り方が、片手の指を4本立ててみせる。

 売り子が、イートインですか、それとも、と聞いたところで。


「テイクオフだ」


 売り方は、親指を立てて言った。

 吹き出す売り子。

 山師は、調子を取り戻しつつある売り方を見て、ニヤリと笑った。


「先輩、実は仕組み債で、温めてるネタが有るんだが」

「ほう、それはひょっとして、株価が下がるほど儲かるって奴なのか?」

「……よく分かったな。そう、インバース型とでも言おうか」

「流石はビッグセラーだな。しかしウチには、それほどの顧客は」

「いや、俺がカネ入れるから」

「まさか、ウチを乗っ取るつもりか?」

「いやいや、単に従業員は嫌だから、取締役にしてくれって」

「助けてー、証取ー」

「聞けよ!」


 何時までも同じ事をしていても、事の展開は望めない。

 馬には乗ってみよ、と言うではないか。

 売り方はそう思い、山師の地場証券へ入社する事にしたのだった。



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