025 窮地の景虎くん 後
階段を上って右側の扉の前に着くと、僕は深呼吸してからノックする。黒口の「どうぞー♪」という声を聞くとドアノブに手を取って、もう一度深呼吸…そう、僕は今更ながら緊張していた。
女の子の部屋に入るのはこれが初めてだし、それが彼女の黒口の部屋だというのだから、ちょっとした不安や妙な期待が入り混じって今までないほどドキドキしていた。
それでも黒口をこれ以上待たせるわけにはいかないので、僕は扉を開ける。
(……えっ?)
その先に広がっていたのは……何もない部屋だった。いや、ベッドや勉強机、クローゼットといった生活に必要なものはあるし、黒口が学校生活に用いるものも目に入る範囲には見えていた。
でも、黒口の部屋にはそれ以外のものがないように見えたのだ。たとえば僕の部屋であれば……無造作に重ねられた漫画や雑誌。ゲーム機とその周辺機器。コンビニのくじで引いたアニメグッズ。そういった趣味的なものがどこしらに置かれたり、飾られたりしている。
もちろん、僕が誰かを部屋に招く時もそれらをある程度は片付けると思う。気心が知れた仲でもあまりに触れて欲しくない自分の所有物はあるものだ。
だけど、この黒口の部屋は何かを片付けたわけじゃなくて、元からそういったものがなかったかのように感じさせるほど、綺麗な部屋だったのだ。少々悪い表現をするならば、黒口の色がまるで見えてこない。
「ようこそ、景虎くん。私の部屋どうですか?」
扉を開けてから少し立ち止まっていた僕に黒口はそう聞く。直前にそんなことを考えていたから非常に困った質問だ。
「き、綺麗な部屋だと思う」
何とか出した応えは決して嘘ではない。僕が緊張しているから周りの様子がよくわかっていないだけかもしれない。そう思っていたけど、僕の言葉を聞いた黒口は嬉しそうでなかった。
「景虎くん。勉強会を始める前にちょっとだけお話していいですか? 着いてからお話ばかりで悪いんですけど……」
「いや、全然構わないよ」
僕がそう言うと、黒口は部屋の真ん中に置かれたテーブルの方を指すので、お互いに向き合うようにして座る。気付けば黒口家にやって来たからずっとこの対面を繰り返しているけど、何故かいつも話しているはずの黒口が一番真剣な表情をしていた。
「景虎くん。私の部屋……変だと思いませんか?」
「ええっ!? へ、変だなんてそんな……」
「正直に答えて欲しいんです」
黒口はいきなりそう言いだす。僕が少し驚いていたのを察せられた……というよりは元からそう聞くつもりだったような聞き方だった。
「じ、実は……部屋を見た時、ちょっと意外だと思った。これは完全に僕の勝手な妄想なんだけど、女の子の部屋って色んな装飾とか小物を飾ってるものだと思ってて……べ、別に黒口さんの部屋が悪いってわけじゃないよ!?」
「わかってます。私の部屋……小学校の高学年から使ってるんですけど、そこからほとんど内装は変えていないので……」
「全然悪いことじゃないし、むしろ良いことだと思う。綺麗に使い続けられているってことだし」
「そう思ってくれるなら嬉しいです。でも、私の場合はそれだけじゃなくて、少し理由があって……」
そこで黒口は一旦言葉を止める。どうやらその理由は黒口にとって口にするのに勇気がいることらしい。
「ご、ごめんなさい。あんまり長く時間を取っても……」
「大丈夫。黒口さんがいいタイミングで」
「はい。ちょっと遠回しになっちゃうんですけど……私、毎期ごとに放送される恋愛ドラマは好きですし、流行りの歌も気に入ったら繰り返して聞いたりします。ただ、そういうのは友達から聞いて初めて見たり聞いたりしてみようと思うから自分で好きだと思って触れてるわけじゃないんです」
黒口はそれが良くないことであるかのように言う。
「それ以外のことでも絶対に好きと言えるものは少なくて、どこか距離を置いていて……小さい頃からそれは何となく気付いていました。それが確信に変わったのは、私が自分の部屋を持ってから少し経って、友達の家に遊びに行った時です。その子の部屋はさっき景虎くんが言ったようにちょっとした装飾していて、その子らしい部屋だと思いました。それと同時に……今の私の部屋が必要なものだけしかないってわかったんです」
「最低限の物だけ持ちたいと考える人もいるっては聞いたことはあるけど……黒口さんはそれが良くないって感じたんだ?」
「……はい。ただ、私の場合は物を増やすのが嫌だと思っていたわけじゃなくて……何かを好きになってそれに関連したものを手元に置いた時、もしもそれが無くなったり、壊れてしまったりしたらどうしようと思っていたんです。別に小さい頃にトラウマがあったわけじゃなくて、いつの間にかそう考えるようになっていた私の性格……でも、手に入れる前にそんな不安を覚えるなんておかしいですよね」
黒口は自虐的にそう言うが、僕は首を横に振る。
「黒口さんと同じ感覚を持っているわけじゃないけど、漠然とした不安は誰だってあるよ。僕が自分の影が薄いと思って、あることないことを悩んでいたように。だから、黒口さんがおかしいなんてことはない」
「景虎くん……ありがとうございます。でも、この話はまだ終わりじゃないんです」
そう言った黒口の表情は少しだけ和らいだように見えた。
「私がそういう考え方だったから……景虎くんと出会って、勝手に想いを募らせていく時は自分でもちょっと驚いてたんです。今まで好きだと思ったことの中で一番距離が近づいた瞬間でした。でも、同じ高校に入ったことがわかった時点では話しかけるつもりなんてなくて、そのまま一定の距離を置いて見ているだけでいるつもりだったんです」
「そうしたら……変わり果てた僕がいたと」
「わ、私、そこまで言ってませんよ!? ……言ってないですよね?」
「どうだったかなぁ……って、ごめん。話の腰を折って」
「いえいえ。それからは以前にも言った通りなんですけど……高校での景虎くんとの出来事は私にとって恐らく初めて他の誰かに取られたくないとか、自分の傍にいて欲しいとか……独占したい気持ちが出るきっかけになったんです。結局、私の部屋は今も変わっていませんけど、そこだけは大きく変わりました」
そこまで言い終わると、ようやく黒口は安心した笑顔見せた。僕が告白した日でも言い切れなかった黒口自身のこと。それは黒口にとって気がかりだったようだけど、僕からすれば問題ではない。
黒口には僕の気がかりだった部分をほとんどさらけ出して受け入れてくれたのだ。それなら僕も黒口の気がかりを受け止めたい。
「だから……景虎くんには今の私の部屋とそれを形作った私の変わった性格は知っておいて欲しくて、いつか家に呼びたいって考えてたんです。たとえ景虎くんが私のことをどう受け取ったとしても……なんて話してる間に心配はなくなっちゃいました」
「それなら良かった。僕も黒口さんの知らないことを知れて――」
「あっ、ちょっと待ってください。もう一つだけ言いたいことがあるんです」
完全に話が終わったつもりの僕を止めて、黒口は深呼吸する。この部屋に入ろうとする前の僕と同じように。
「そんな私ですけど……景虎くんとは絶対離れたくないと思っています。景虎くんは景虎くんっていう個人だから私がどう思っていても私のことを嫌だと感じたり、気持ちが変わったりするかもしれません。それでも景虎くんが本当に良ければ……これからもずっと傍にいて欲しいです」
黒口は頬染めながらも真っ直ぐに僕を見つめて言う。もう何度目かわからない黒口からの好意だけど、その中でも今日の言葉は一種の決意めいたものを感じた。
「も、もしかしなくても私、すごく重い女になってますか……?」
「ううん。そんなことない。僕も……黒口さんの傍にいたい」
「はい♪ 景虎くん……」
向かい合っていた黒口は喜びながら僕の隣に来て、僕を見つめる。
「黒口さん……?」
「ぎゅーってしてくれませんか?」
「えっ……ああ、うん」
黒口にそう言われた僕は立ち上がると、黒口の肩に手をかけて優しく抱きしめる。実と言うとこれだけならこの夏休み中に何度かやっていた。なるべく目立たない場所でする、今のところ最大級の触れ合い。
「景虎くん……まだドキドキしてますね。伝わってきます」
「そ、それはだって、早々慣れるものじゃ……く、黒口さん!?」
しかし、体を離した後に黒口が目を瞑っているのは初めてだった。まるで何かを待つかのように……などと言葉を濁している場合ではない。流石に僕も求められる行動はわかる。
「いやいやいや! よりにもよって黒口さんの部屋でそんなこと……」
「ここなら誰も見てません」
「でも、ご両親が……」
「んー……」
じれったい僕に黒口は顔全体を突き上げてくる。か、景虎! いつもならここで思考フェーズに入るところだが、今回はそんな猶予がないぞ!? 何度目かの勢いでいくしない!
「んっ………」
唇が触れ合った瞬間は何とも形容できないもので、それこそ緊張でまともに感じ取れていたかわからない。一つだけ言えるとしたら…………想像よりも黒口の唇は温かった。
「えへへ♪」
「…………」
「景虎くん。もう一度……いいですか?」
「ええっ!? いや、黒口さんの部屋でそんな何回も許されるわけ――」
「じゃあ、今度は私から行きますね!」
「ま、待って! 心の準備がぁー!」
この後、勉強会がどうなったかさておき、途中から黒口も手伝った晩ご飯を頂いてから僕は帰路に着くことになった。食事中は良く悪くもふわふわとした心地だった僕と勉強会前よりも元気になっている黒口は、黒口両親から見て何が起こったと受け取られたのかわからない。
前振りをしたのに惚気話だったじゃないか!……と言われればそれまでだが、碓井景虎にとってはそれなりの窮地に立たされた日だった。
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