024 窮地の景虎くん 前

 夏休み中盤。黒口とのデートやいつメンとの遊びの予定があるおかげで中学の時では考えられないほど充実した休みを過ごしていたが、夏休みには宿題が付き物なので遊んでばかりいられない。

 そこで僕はサボらない意味も込めて黒口と一緒に勉強会を開くことにした。夏休み中も高校の自習室は空いているらしいけど、僕と黒口は電車を使う必要があるから足を運びづらかったので、勉強場所は地元の図書館やカフェが中心になる。

 二人でいると少し喋ってしまうこともあるけど、見張りの目があると筆は進められるし、疑問があったらお互いに聞いて解決できるから、意外にもこの方法は有効だった。

 だから、俺と黒口は他の予定さえなければほぼ毎日のように二人で会ってほどんどデートしているようなものだった。

 後からわかったことだけど、世の中には勉強デートなるものがあるらしく、僕と黒口は意図せずそれをやっていたのだ。いや、別に露骨にイチャついて図書館やカフェの空気を乱していたわけじゃなく、僕と黒口は楽しく誠実に勉強していた。そこは誤解のないように言っておこう。


 そんな風にデートや遊び以外にも充実した日々を過ごしていた……と惚気自慢で終わるのならば僕は何の窮地にも立たされていない。その始まりは、とある日の勉強会を終えた帰り道だった。


「この調子なら夏休みの後半になる前に宿題終わらせられそうだね」

「そ、そうですね……」

「そうしたら残りの休みもう少し遠出しても……いや、この辺でもまだ行ってないようなところはあるから黒口さんが良ければ……黒口さん?」


 少々浮ついていた僕に対して、帰る時間になってから黒口は妙にソワソワしていた。


「何かあったの? 体調が良くないなら――」

「い、いえ! 違うんです。その……景虎くん、明日も勉強会しますよね?」

「うん。僕は予定がないからそのつもりだったけど……」

「それなら……私の家でやりませんか?」

「ああ、黒口さんの家でね。もちろん…………えええええっ!?」


 僕はのけぞるほど驚いた。黒口の家に行くこと。付き合い始めてから全く想定していないわけじゃなかったが、いざそのタイミングがやって来ると心臓が跳ね上がる。僕の家にもまだ招待していないからまたしても黒口の方から一歩踏み込まれてしまった。


「景虎くんがダメなら全然図書館やカフェでもいいんですけど……」

「だ、駄目じゃない……よ。あ、明日はご両親はいない感じなの?」

「えっ? どうしてですか?」

「………………」


 早まったな、景虎。先日脳内をピンクにして迷子になったばかりじゃないか。黒口は健全なお付き合いを心がけているんだぞ。


「そのー……ご両親がいるのに僕が行くのは迷惑かなーと思ってて」

「全然そんなことありません! むしろ明日は二人ともいるのでぜひ来て欲しいんです!」

「そ、そうなんだ。うん、僕は大丈夫だよ。黒口さんのご両親に挨拶しておきたかったし」

「本当ですか!? やったぁ♪」


 今日一嬉しそうな表情をする黒口。恐らくこの直近で家に招くことを密かに考えていたのだろう。それで喜んでくれるなら僕も嬉し…………待てよ。それはそれでとんでもないことじゃないのか?

 自然な流れで自分の口から言ってしまったが、娘の彼氏がご両親に……特にお父様に挨拶するってどう考えても大変なことじゃん!? なにちょうど挨拶したかった風なことを言ってるんだ数秒前の景虎!? 後から言う僕のことも考えてくれ!


「宿題が終わった後は晩ご飯も食べていってくださいね? 私もお母さんと一緒に何か作りますから」

「お、お構いなく……」

「あっ、景虎くんはお土産とか気を遣わないで貰って大丈夫ですよ。お客様として……私の彼氏として紹介するので」

「う、うん。ところで黒口さん。黒口さんのお父様ってどんな感じの人か教えて貰っていい……?」

「お父さんですか? そうですね…………結構私と似てると思います」


 おお、これは貴重な情報だ。黒口と似ているのなら温和な感じの人かもしれない。無論、娘の彼氏と会うとなれば状況は変わってくるかもしれないが。


「それじゃあ、景虎くん。また明日。あっ、インターフォンはそこにありますからね」


 そのまま黒口を家まで送って別れの挨拶を終えると、僕は改めて黒口宅を見つめる。今までそんなに意識してこなかったけど、今は黒口宅がラスボスのいる城のように感じてしまった。



 翌日。昼食後に少し早めに出た僕は黒口城……じゃなくて、黒口宅を前にしていた。黒口は気を遣わないでいいと言ったが、それで何も持っていかないのは不正解な気がしたので、途中で菓子折りを買ってから到着したのだ。流石に正装まではしていないけど、菓子折りを持っているとこれから謝罪をしに行くような気分になる。


 インターフォンを押す前に僕は脳内整理を始める。

 持って行く物を含めて昨日予習してきたが、まずは僕のスタンスを設定しよう。年上の人と接する態度は忘れちゃいけないけど、あまりに畏まり過ぎたら相手に気を遣わせてしまう。だから、この家に入った後もなるべく素の碓井景虎をベースにした感じでやっていくことにする。

 黒口の呼び方は黒口家内だとややこしくなるから実憐さんだ。ご両親を呼ぶ場合は実憐さんのお父様とお母様……じゃあ堅過ぎるか。普通にお父さんとお母さんでいいと思う。たぶん。

 あと気を付けるべきことは……この夏休み中ですっかり慣れてしまった黒口とのやり取り。仲良しアピールは良くても普段の感覚で接するのはご両親がいる間は抑えておかなければならない。


 そうやって覚悟を決めた僕はインターフォンを押す。


『はーい♪ どちらさまでしょうか?』

「本日、お昼から伺う予定の碓井景――」

『景虎くんですよね! どうぞ、そのまま入ってください』


 僕が答える前から僕を迎えるつもりだった黒口の声だ。僕とは反対に黒口は今日この瞬間をとても楽しみにしてくれている。そうなれば、僕も失敗は許されない。


 初めて踏み入れた黒口宅の敷地内を進み、玄関の前に着くと、僕が手を取る前に扉が開く。


「いらっしゃい……」


 そこで出迎えたのは眼鏡をかけているのに目つきの悪さがわかる細身の男性だった。その奥には黒口ともう一人の女性が見える。


(聞いてた話と違うんだが!?)


 黒口、この男性がお父様であるならどこがどう似ているのか教えて欲しい。じっくり見れば黒口と似ている部分も見えてくるのかもしれないが、今の僕にはその目の鋭さが責め立てられているかのように感じてしまう。


「あら、この子が碓井景虎くんなのね~ 中学の時……見てたかしら?」

「もう。中学3年間一緒だって言ったでしょ」


 そんな僕を他所に黒口と呑気な会話を繰り広げる黒口母を見ると、むしろ母の方が全体的に似ている。いつもボブヘアーの黒口と比べるとやや長い髪だけど、黒口と並んでいると顔の感じが親子だとわかる。


「景虎くん、遠慮せずに入ってください」

「あっ……これ、つまらないものですが……」

「まぁ、景虎くんたらもう実憐のこと貰う気満々ねぇ」


 黒口母の冗談めいた言葉にお父様は「ほう……」と反応する。いや、そんなつもりじゃないと言ったらまた語弊を生みそうですけど、そんなつもりじゃないんです! というか、性格的にも黒口母の方が似てそうなんだけど!?


「とりあえずこっちでお茶を飲んでいってください」


 黒口に案内されて入ると、そこは吹き抜けのリビングになっていた。白を基調とした内装は綺麗に保たれていて新しさを感じることから、この黒口宅自体は建ってからそれほど年数が経っていないようだ。


 その中でテーブルに通された僕は黒口を隣に、ご両親と対面する形で座る。幸いにも僕の正面は黒口母の方だったけど、隣のお父様がいる限りは安心できない。


「景虎くん、お砂糖どうぞ」

「あ、ありがとう。えっと……今日はここで勉強するの?」

「いえ、二人がちょっと話をしたいと言っていたので。終わったら私の部屋に行きましょう」


 小声で聞いたのに普通の音量で返す黒口。僕は視線を感じたわけでもないのにお父様の方を気にしてしまう。この後、黒口の部屋に行くドキドキよりもお父様の圧で胸が痛い。


「そうそう。お母さん聞きたかったのよねー 実憐がちょっと話盛ってる気がしちゃうから……そういうところあるでしょ、この子」

「そんなことないですよね、景虎くん」

「は、はい。全然そんなことは……」

「そうなのねー だったら、景虎くんから馴れ初めの話聞いちゃおうかな~」


 黒口母は楽し気に言い、黒口はちょっと照れくさそうにしている。それだけなら僕もまぁちょっと恥ずかしいくらいで済むけど、その隣にいるお父様はどうにも二人の空気に混ざっていない感じだ。その中で僕は黒口母の質問に答えさせられていく。


「――ということもあって最近は勉強にも付き合って頂き……」

「あらあら、それは実憐の方もよ。それに仲が良いのはとってもいいことで……」

「お母さん、そろそろその勉強をしないと」

「それもそうね。ありがとう、景虎くん。晩ご飯は大したもの出せないけど、遠慮せずに食べて行ってくれたらいいから」


 黒口母の言葉にお礼を言った僕は黒口と一緒に席を立とうとする。


「……碓井くん、少し待ってくれるかね」

「えっ」


 そんな僕を止めたのはここまでひと言も発していなかったお父様だった。


「実憐、悪いがほんの数分だけ碓井くんと話をさせて貰いたい。先に部屋で待っていてくれないか」

「……わかりました。景虎くん、私の部屋は階段を上がって右側の部屋ですよ♪」


 楽しみに待ってますという感じの黒口はリビングを後にすると、お父様は先ほどまで黒口母がいた席に移って、僕と向かい合う。


 とうとう来てしまった。別に嫁に貰うとかそういう話をするわけじゃないだろうけど、ご両親と会うことは少なからずこうなる可能性もあった。

 改めて覚悟を決めた僕は姿勢を正して座り直す。


「碓井くん。君は実憐をどう思っているんだい?」


 前置きなしでお父様はそう聞いてきた。実際に聞かれると緊張するけど、その質問は何となく想定できていたから僕はすぐに口を開く。


「み、実憐さんはとても明るくて気遣いのできる女性だと思ってます。そ、そんな実憐さんにいつも元気を貰っています」


 少し喋っただけなのにもう口が乾いてきた。それほど緊張しているけど、簡潔かつ的確に応えられたはずだ。


 でも、僕の言葉を聞いたお父様は暫く返答をくれなかった。何かまずかったのだろうか。どう思うとは今後の話で今の黒口に対することじゃなかった? それとも僕が言っていることが的外れだった?


 僕が不安に包まれる中、少し経ってお父様は口を開く。


「実憐は……中学に入るまで今よりも大人しくてね。もちろん明るく元気なところも見せてくれることはあったが、普段はどこかふんわりとしているというか、そういう子だったんだ」

「は、はい……」

「それがある日、中学でとても模範的な男子を見たと言われた。実憐もそれまであまり手がかかるようなことはしない子だったが、そんな子が偉く感動していたようでね。その時は出来た子もいたものだ程度に聞き流していた。でも、その後からだ。少しずつ実憐がいつも元気で明るくなったのは。恐らく好きなことや目標になるものが見つかったのだとは思っていた。僕は父親だからその頃は詳しく詮索しまいと思っていたけど……先日、聞いたよ。その男子が碓井くんだったと」


 再び喋りだしたお父様……いや、黒口父の口調は決して責めるようなものではなく、むしろ優しく語り掛けるものだった。


「それを嬉しそうに話すものだから、僕としてもどういう男子なんだと見たくなってしまってね。それでさっきから喋らずに見ていたのだけど……よくわかったよ」

「そ、それはどういった……」

「実憐の言った通りの誠実な子だとね。緊張させてしまったようだけれど、母さんの話もちゃんと答えてくれた」


 黒口父はそう言って笑い返す。ああ、僕は勘違いしていた。ご両親に会うから緊張していたというのは言い訳にはなるけど、人を見た目だけで判断してはいけないことをすっかり忘れて勝手に警戒してしまったのだ。今落ち着いた気持ちに戻って見ると、黒口父の目は確かに鋭いけど、それ以上に優しく迎えてくれる雰囲気を出してくれているのがよくわかる。


「実憐はああ見えて小さな頃は――」

「もー、あなたったら! 次に彼氏ができてもそうやって実憐こと振り返るつもり?」

「か、母さん。碓井くんがいる前でそういう言い方は良くないよ」

「あっ。ごめんなさいね、景虎くん。あなたが実憐に合ってないって意味で言ったじゃなくて、この人の話があまりにも長いからたとえ話で……」


 そして、当たり前だけど、改めて黒口母も間違いなく黒口のお母さんだと思った。黒口が似ていると言ったのは黒口父の優しさや気遣える部分で、黒口自身は言っていないけど黒口母の明るさや元気を黒口は持っている。


「す、すまなかったね、碓井くん。み、実憐のことをこれからも末永く……」

「また大げさなこと言って……景虎くん、実憐も待ちくたびれていると思うから行ってあげて」


 二人のこの少ないやり取りでどちらが手綱を握っているかわかってしまった。

 それはそれとして、僕は二人に向かってお辞儀をすると、黒口の部屋へ向かって行く。僕が一番気がかりだった部分は無事に通貨できた。あとは黒口の部屋で大人しく勉強して楽しく食事を頂くだけだ。


 そう思っていたけど……僕は黒口がわざわざ家に招いたもう一つの理由をまだ知らなかった。

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