023 迷子の景虎くん 後

 いつも通り過去を振り返って申し訳ないが、僕が出歩けるようになってから小学校低学年にかけて、何回か迷子になったことがある。それは両親からすればやんちゃで小さな子供なら迷子になってもおかしくないと思われていたのだろうけど、現在の僕が見ればその頃から影の薄すさや存在感の無さが表れていたのだと思う。


 その自覚があったのか、僕は迷子になった時に不安になったり、泣き叫んだりすることはなかった。いや、ここに関しては両親から聞いた話なので実際は不安があったのかもしれないけど、それでも迷子になった後の僕は冷静に行動していたことから比較的早く見つけられたようで、その時には案外ケロッとした顔だったらしいのだ。


 そして、現在。数年ぶりにそこそこ大きくなって迷子になった碓井景虎はちょっと不安だったし、許されるなら泣き叫びたい気持ちだった。16歳にもなって迷子になっている自分自身の不甲斐なさに。しかもその理由が脳内をピンク色にしたことが原因だなんて……これは悪くないか。僕も思春期男子だから仕方ない。


 だが、不甲斐なさはひとまず置いといて、16歳の碓井景虎もこんなことでうろたえない。失敗した分は取り返せばいいように、迷子……友達とはぐれてしまったのなら見つけるないし見つけられればいいのだ。


 ここは幼い頃の自分に習おう。両親のはぐれてしまった時、最も有効だったのはそれに気付いた時点の場所から動かないことだ。ここで下手に動いてしまうと探してくれている人と入れ違いになってしまう可能性がある。その場に留まって不安になる気持ちはわかるが、動かざることってやつだ。


「うわーん!」


 そんな決心をした途端、どこから泣き叫ぶ声が聞こえた。もちろん、僕が我慢できなくなったわけじゃなく、その発声源はちょうど僕の視線の直線上に見えた。まさしく僕が迷子になりがちだった頃と同じくらいの年頃の男の子が泣いている。


 しかし、僕のいる場所から微妙に距離があるからその少年に声をかけるには、たった今決心したばかりの山のごとしを解除しなければならない。少年の周りには他にも人がいるみたいだし、今日ばかりは僕が動くまでもない――


「キミ、大丈夫かい?」

「ひっぐ……うぅ……」


 なんて思えないのが現在の碓井景虎だ。この少年は幼い頃の僕と違って泣き叫けんでいるのだから周りの誰かに助けを求めている。それに気付いているのに目を逸らすことはできない。


 少年の目線まで腰を屈めつつ、周りを見渡すけど両親や連れらしき人は見当たらない。


「えっと……はぐれちゃったのかな? 誰と来てたか言える?」

「ぐすっ……おかあさん……」

「そうか、お母さんと来てたんだね。どこではぐれちゃったか覚えてる?」


 少年は涙を拭いながら首を横に振る。混み合っているプールと幼い子の記憶力なら無理もない。そうなると、もう一つの手段を取るしかなくなった。幼い頃の僕がはぐれた場所に居座ってもどうにもならないと感じた時、近くの大人に話しかけてとある場所へ向かっていた。


「このままだといけないからお兄ちゃんと一緒に迷子センターに行こう」


 施設内でしか使えない手段だけど、迷っている子が最終的に頼るべき場所は迷子センターだ。僕は自分で向かっていたが、普通は誰かに案内されないと一人ではいけない場所だ。


 ところが、少年はその言葉を聞いて一歩下がる。


「……知らない人についていったら……ダメ」


 その通りだった。今の僕の誘い方はあまり良くない文章だった。自分が高校生だからそういう警戒される相手ではないと思い込んでいたけど、昨今はそういうわけにもいかないのだろう。今の状況だとちょっと困るけど、反応としては大正解だ。


 だったら、もう少し警戒心を解いて貰おう。


「これは内緒なんだけど……俺も一緒に来てる友達とはぐれちゃってさ」

「……お兄ちゃんも迷子なの?」

「い、いや、迷子じゃなくて、はぐれたというか、はぐれられたというか……」

「お兄ちゃんくらいおとなになっても迷子になるの?」

「うっ……それはその……うん。なっちゃったんだ。だから、ちょうど迷子センターへ行こうと思っていて」


 少年の目は一気に同類を……いや、ちょっと可哀想な人を見る同情の目に変わった。身を削ったかいがあった。特に二つ目の言葉はなかなかエッジが効いてたぞ、少年。


「じゃあ、ボクがいっしょについて行ってあげる!」

「あ、ありがとう」


 いつの間にか立場が逆転していたが、少年は手を差し出してくれたので、僕はその手を掴む。方法としては悪い大人も使いそうな言い回しではあったけれど、このまま待ち続けても少年の不安が募るばかりだったから上手くいって良かった。


 迷子センターは何となく入口付近にありそうだと見当は付いたけど、一応近くにいた監視員らしき人に声をかける。


「あのー、この子が迷子みたいなんですけど……」

「このお兄ちゃんも迷子みたいです!」

「はい……えっ?」


 少年の言葉に監視員は驚いて僕の方を見る。優しい笑顔で紹介してくれた少年には感謝しかないが、結構大きな声で言われるのは周りにも聞こえてそうで恥ずかしい。監視員は少年の目線に合わせながら案内をしていくけど、その間も少年は手を離す気配がないので僕も連行されていく。


「お名前を聞いてもいいかな?」

「みなもとしょうたです」

「しょうたくんね。ここでもうちょっと待っててくれる?」

「うん! ……お兄ちゃんのなまえは聞かないの?」

「えっ? あー……えーっと、お名前を聞いてもいいかな?」

「……碓井景虎です」


 迷子センターで応対してくれたお姉さんまで困惑させてしまった。まさかとは思うが、このまま館内アナウンスで僕の名前まで呼ばれてしまうのか!? 迷子なのは認めるし、アナウンスがあればすぐに見つけられるだろうけど、今後一生いじられるネタになってしまう。頼むお姉さん、僕がここにいる文脈を何とか察してくれ……!


「お兄ちゃんは何してあそんでたの?」

「俺はボール遊びをしてたよ。えっと……」

「みなもとしょうただよ?」

「しょうたくんは何で遊んでたの?」

「ボクは流れるプールにいて、それでいっかい出たらいつの間にかおかあさんがいなくて……ぐすっ……」

「あー! そうだ! さっき自販機で美味しそうなアイス見つけてさぁ!」


 徐々に心を開いてくれるみたいだけど、不安な気持ちはまだ消えていないようだ。幼い頃の僕が迷子センターに来た時はどんな風に過ごしていたのだろうか。普通なら監視員の人が様子を見に来てくれるだろうけど、それでもよく知らない場所で一人なのは不安になりそうなものだ。


 そんなことを考えていた時だ。迷子センターに到着して1分も経たないうちに部屋の外から声が聞こえてくる。早く行動して良かった。母親の方も闇雲に探すよりは迷子センターに行こうと考えて――


「景虎くん! 良かったぁ~」

「なんでぇ!?」


 部屋に入って来たのは黒口だった。思わず口にも出してしまったけど、少年の母親より先に来るとは思わない。


「私、ちょっぴりテンションが上がっちゃってて、景虎くんから少し目を離していたらこんなことに……一生の不覚です!」

「いや、それは僕……俺も悪いからいいんだけど、なぜ迷子センターに?」

「えっ? でも、実際に景虎くんはここに……」

「それはそうなんだけど、俺が迷子センターに行ってるって考えたの……?」

「いえ、本当は館内アナウンスして貰うつもりでした。そうしたら私と同じ高校生くらいの男子が来てるって……」


 迷子センターに来ておいて良かった。今日の恥が監視員どころか今日プールに来た全員に知られてしまうところだった。


「お兄ちゃん、よかったね!」


 何も知らない少年はまたも優しい笑顔を僕に向ける。


「景虎くん、この子は……」

「みなもとしょうたです。お兄ちゃんが迷子になってたからいっしょについてきました」

「そうだったんですか! しょうたくんのおかげで景虎くんを見つけられました」


 黒口、少年に話を合わせて……合わせてるんだよね? ともかくお辞儀をして感謝していた。これでひとまず僕の件は解決したが……


「お兄ちゃん、行かなくていいの?」

「うん。一緒に付いて来てくれたお礼にしょうたくんのお母さんが来るまで俺も待つよ」

「でも……あそぶ時間なくなっちゃうよ……?」

「ちょっとくらい大丈夫。ね、黒口さん?」

「はい! しょうたくん、私もお話に混ぜて貰っていいですか?」


 黒口の言葉に少年は嬉しそうに頷く。元から先に出て行くつもりはなかったが、少年は黒口が来た後もずっと僕の手を握りっぱなしだった。こちらを気遣って優しさを見せてくれるけど、本当は不安なのだろう。


 それから館内アナウンスが流れて僕たちが話しながら5分程待った頃。今度こそ外から本命の声が聞こえてきたようで、少年はすぐに立ち上がる。


「将太くん、ごめんね! お母さんとがよく見てなくて!」

「おかあさーん!」


 少年は真っ直ぐに母親の元へ飛びんで今度はうれし涙を流す。はぐれた時間は数十分であろうと少年にとっては長い時間だったはずだ。


「大丈夫だった? ケガはない?」

「うん! ボク、迷子のお兄ちゃんがいてくれたから大丈夫だったよ! 迎えに来たお姉ちゃんも!」

「迷子の……?」


 母親は僕と黒口の方へ目を向けられるので、軽く会釈すると、何かに気付いたようでこちらへ近づいて来る。


「将太くんを見つけてくれてありがとうございました。本当にこちらの不注意で……」

「いえ、俺も良くして貰ったので。しょうたくん、いい子でしたよ」

「そんな。その……せっかくの時間を邪魔してしまって」

「せっかくってなにー?」


 少年が無邪気に聞くと、母親は僕と黒口に頷きながら笑いかける。それに対して黒口は嬉しそうに僕の目を見つめてくるが、僕の方は恥ずかしくてどこへ目を向けていいかわからない。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん、バイバーイ!」


 迷子センターから出て少年と母親に手を振って別れると、ようやく一安心できた。迷子になった瞬間はどうなることかと思ったけど、結果的に少年を助けられたのなら影が薄かったかいがあった。


 改めて黒口と対面した僕はいつメンの元へ移動を始める。


「景虎くん、さっきは言わなかったんですけど……」

「な、何?」

「私が迷子センターに来たのはもう一つ理由があって……ちょっだけこんな状況になっているかもしれないって思ったんです。景虎くん、お子さんを助けたところも見たことがあったので」

「いや、今回は普通に僕もはぐれ……迷子になっただけだよ。それでたまたましょうたくんに出会って、面倒を見て貰ってたんだ」

「ふふっ。本当にいい子でしたね」


 黒口の言う通り、小さいながらも迷子の僕を気遣ってくれる子だった。それは彼が僕を助けていると思っていたからというのもあるかもしれないけど、幼い頃の僕だとそんな気を回すことはできなかっただろう。


「それより……景虎くん、さっきのしょうたくんのお母さんの反応見ました?」

「う、うん」

「えへへ♪ 景虎くんと私、ちゃんと恋人らしく見えてるみたいですよ?」

「そう……みたいだね」

「だから……景虎くん、手を貸して貰っていいですか?」


 黒口がそう言うので僕が手を差し出すと、黒口は指を絡めて僕の手を取る。


「しょうたくんばっかりズルいと思ってたんです」

「えっ? 嫉妬してたの?」

「むー! だって、私は景虎くんと手を繋いだこと全然なくて……」

「ごめんごめん。その……黒口さん、改めてになるけど」

「はい?」

「……水着、似合ってるよ。色合いとか爽やかで黒口さんらしいし、可愛らしいさもある」

「ど、どうしたんですか急に……?」

「さっきは簡単に言っちゃったから、もっといい言葉で伝えたいと思ってたんだ……こ、恋人らしく」


 最後の最後で恥ずかしくなってしまった。でも、そんな僕の言葉を聞いた黒口は僕の方へ体を寄せて応えてくれる。水着一つで言葉や感情が迷ってしまったけど、ようやく素直な気持ちを出すことができた。それは無邪気で優しい少年と過ごして、過剰な思春期意識から解放されたおかげ……なのかもしれない。


 その後、手を繋いでいつメンの元に帰ると、手を繋いでいるせいか迷子が連れて来られたといじられてしまったが……黒口は満足そうだったから良しとしよう。

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