景虎くんはまだまだ甘口
022 迷子の景虎くん 前
時は期末テストを無事に切り抜けた夏休み。僕こと碓井景虎はいつものメンバーと共にある場所に訪れていた。照りつける太陽の下、水しぶきが飛び、人々の笑い声が飛び交う。高いところから滑り落ちる者もいれば、気ままに流される者もいて、それぞれが夏らしい熱さと水の冷たさを楽しむ場所。
そう、ここはアミューズメントプール。家族連れやリア充が蔓延る夏のプレイスポットだ。
「景虎、いつまで浴びてるんだ」
出入り口のシャワーで立ち止まっている僕に奏多はそう話しかける。しかし、シャワーをきちんと浴びて汚れや消毒を心がけるのはマナーとして大事だ。久しぶりのプールだからこそしっかりしなければいけない。
「あんまり浴び過ぎても体が冷えるぞ」
そんなことはない。むしろ、これから水の中に入るとは暑い空気で過ごすのだから多少体を冷やしておいてもいいはずだ。それに……あれだ。いきなり冷たい水に入ったら心臓に悪い。ある程度体を慣らしておく必要があるだろう。
「……もうそろそろ女子も来るぞ」
「ま、マジで!? ちょ、ちょっと待って。もう少し落ち着いてから……」
「そんなに緊張するものか? 黒口さんの水着見るの」
「するよ! むしろ何でみんな冷静なんだ!?」
「いや、冷静かどうかは知らないけど、少なくとも景虎ほど気にしてないぞ」
奏多は若干呆れながら言う。でも、仕方ないだろう!? 僕は奏多と違って……奏多がどうかは知らないけど、ともかく現実の女子の水着を見る機会なんて全くなかったんだぞ!? それが恋人になった黒口の水着だと言うのだから緊張するに決まっている。なまじ今まで黒口を肉体的に意識したことがなかったから余計に。
しかもその緊張は今に始まった話ではない。
数日前、いつメンでプールに遊ぶことになり、奏多や女子の提案から黒口も一緒に行くことになった。それに際して、黒口が新しい水着を買いに行きたいと言ったので、僕は黒口と共に地元の百貨店を訪れることになる。
『景虎くんはどういう感じの水着が好きで……景虎くん?』
その時点で僕はもうクラクラしていた。まず本来は立ち寄らない女性用の水着コーナーにいるのが凄く緊張するし、その中で黒口と水着の話を始めると、否が応でも思春期特有の想像が止まらなくなってしまう。
黒口が水着で、水着の黒口で……れ、冷静になれ景虎! 黒口とはもう恋人になったんだ。この程度のことで動揺してどうする。
『うーん……これ試着してみようかな……』
『えっ!? し、試着するの!?』
『はい? 普通だと思いますが……』
『そ、そうだよね……いってらっしゃい』
『もう、何言ってるんですか。景虎くんも見てくれないと』
『ちょ、ちょっと待って!』
『どうしたんですか?』
僕は試着室まで引っ張ろうとする黒口を止める。この空間で試着室前に一人待たされたらいくら影が薄い僕でも目立ってしまう。というか、普通に恥ずかしい。
『そ、その……水着は黒口さんが好きなやつでいいから、本番の楽しみに取っておく……っていうのは駄目かな?』
『いいですけど……景虎くんが一番に見れなくなっちゃいますよ?』
『全然大丈夫!』
その僕の答えに黒口は少し不服そうな顔をしたけど、ともかく僕はそのコーナーから脱出して別の場所で待機できた。誘われたから軽い気持ちで付いて来てしまったけど、僕には刺激が強すぎる場所だ。
「だから、まだどんな水着で来るか知らないんだよ……」
「……そこで見ておいた方が今緊張せずに済んだのでは?」
奏多のごもっともな指摘に耳が痛くなる。思った以上に自分がウブな男子だったことに今更気付いた。
「それにこれからは水着よりも刺激的なもの見ることだってあるだろうに」
「ぶっ!? な、何言ってるんだ!?」
「えっ? 景虎はそういうの想像してないの?」
「そんなことするわけ――」
「景虎くん~ お待たせしました」
その声の方に振り向くと黒口の水着姿が僕の目の中に入る。上の方のビキニにはフリルが付いていて、下には布が巻かれて……たぶんパレオに分類される。色は爽やかなライムグリーンだ。
しかし、そんな水着と共に僕が注視してしまったのは……黒口の胸だ。普段はそれほど大きさを意識したことがなかったけど、結構しっかりとした山脈があった。
「みんなで日焼け塗り合っていたら時間がかかって……景虎くん?」
「あっ! いや、その……」
「へぇー、黒口さんのは――」
「佐藤くんの感想はいらないです。それより景虎くん?」
奏多が冷たくあしらわれると、黒口はそれ以上何も言わず僕を見つめる。いや、わかってるんだ黒口。買いに行った時あんなことを言ったのだからここで気の利いた感想の一つや二つを言わなければならないのは。でも、今の僕の脳内では初めて見た黒口の胸と水着の衝撃を上手く処理できない。
「に、似合ってると思う」
その結果、出てきた言葉は20点くらいの感想だった。
「えへへ~ そうですか? 完全に私の好みで選んだんですけど、気に入って貰えて良かったです!」
黒口はその感想に100点を加算して受け取ってくれた。似合っていることは確かで気に入ったと言えばそうなのだが、完全に黒口補正に助けられている。
「景虎くん……随分びしょ濡れですね?」
「えっ!? あー……その、暑かったので長めにシャワーを浴びてたんだ」
「今日はいい天気ですもんね。でも、プールに入ればもっと涼しくなりますよ!」
夏とプールの雰囲気に浮かれているのか、いつも以上にテンションが高い黒口は僕を引っ張っていく。
◇
「よーし、そっち行くよー!」
「ほいほーい。次にパース!」
放物線を描きながらビーチボールがいつメンの間で飛び交う。ウォータースライダーの終着点となるプールは広めのスペースになっており、同じようにボールや浮き輪で遊んでいる人が多くいた。まさしく夏のプールらしい光景と言えよう。
「はい! 景虎くん、行きますよー!」
「わかっ……げふっ!」
「あー!? 大丈夫ですか、景虎くん!?」
黒口から来たトスをレシーブで返そうとする僕だったが、そのボールは無残にも僕の顔面に跳ね返る。これが普通のバレーボールだったら相当痛かったろう。
「カゲくん、どうしちゃったの? 調子悪い?」
「いや、ちょっとボーっとしてただけで……」
「熱中症ならまずくない? 水分補給しに行く?」
「ありがとう。でも、熱中症とかじゃないからちょっとそこら辺で休めば大丈夫だよ」
いつメンも心配してくれる中、僕はそう釈明しておく。それほど運動神経が良い方ではないが、それでも今日の僕はボールを拾えなさ過ぎていた。その原因はボールに全く集中できていないからだ。だって、トスをする度に黒口の胸が……
「景虎、結局じっくり見てるじゃないか」
「げっ!? な、なんだよ奏多……」
「逆に安心したよ。直視できないほど緊張してると思ったから」
奏多はニヤつきながら言うので、これはからかわれているやつだ。だけど、じっくり見てしまっているのは事実で、僕もそういう衝動には逆らえないとだと実感してしまう。
「でも、意外だったな。黒口さんって結構――」
「奏多」
「あー……景虎はそういうの気にするタイプ?」
「プールだから仕方ないところはあるけど、他に見られてると思うとそれは気になるぞ」
「だったら尚更買いに行った時に見て、防御力高そうな水着にして貰えば良かったじゃん」
「…………」
駄目だ。さっきから奏多に正論しか言われないから何も言い返せない。でも、それで僕の好みや考えを押し付けるのは黒口に悪いし、好きな水着を選んで欲しかったのは本当だし、正直黒口は性格的にもっと控えめな水着を選んできてくれるものだと……いや、フリルやパレオってむしろ控えめか? なんとなく他の女子の水着をじっくり見るのは気が引けたから見ていなかったけど、参考までに――
「あれ……?」
僕がそんなことを考えていると、いつの間にか黒口や奏多たちを見失っていた……もしくは黒口たちが僕を見失っていた。直前まで一緒に遊んでいたはずなのに突然そんなことになるのか……と一瞬思ったが、僕はすぐに気付く。
今の碓井景虎は髪色等々目立つ要素が全くなくなった素の碓井景虎なのだ。こんな人が混み合うところに来るのは久しぶりで忘れていたけど、ここでは僕の影の薄さを最大限に発揮されてしまう。人に紛れてしまえばあっという間に存在感はなくなってしまってもおかしくはない。
「これって、もしかしなくても……」
聞いているだろうか、今よりかなり幼い頃の景虎。将来の、具体的には高校1年生のキミは恋人の水着について思春期特有のしょうもないことを考えているうちに迷子になる。冗談みたいな話だけど本当だ。
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