013 陰が濃くなる日 後

 それから先の話は聞いていない。高校の最寄駅に到着すると、僕はすぐに電車を降りて、トイレに駆け込んだ。そして、蛇口から水を出して何度も顔に叩き付ける。


(僕は……)


 ショックだった。いつも僕のことを見ていた黒口が、以前の僕を知っている人の前だと僕の事を話せくなってしまう。僕の名前を言わなくていいと思いながら、どこか言ってくれるのではないかと矛盾した期待があった。だけど、いくら黒口でも僕のことを……人に話すのは恥ずかしいと思う時はあるのだ。


 でも、それ以上にショックだったのは……そんな状況になった黒口を助けることなく、期待だけして待っていた僕自身のことだ。二人に絡まれて時点で、黒口が困っていたことはわかっていた。それなのに僕は自分の話が出てくることを恐れて、その場から逃げようとして、しかも黒口の言葉で勝手に傷ついている。

 見た目を変えて、存在感を出そうとしているのに、さっきのような時に逃げてしまうのなら僕は何のために見た目を変えたのか。ああ、いや、違う。僕が見た目を変えたのは逃げるためだ。最初からそんな勇気はなかった。


 結局、僕は変われてなかったんだ。黒口のことが気になると思い始めたのも最初の告白から逃げた後のことだ。黒口のためだと言いながら自分のことを考えていた。そして、今日も……黒口を好きだと思いながらその黒口に嫌な想いをさせてしまった。



 暫くしてから僕はトイレを出た。心に棘が刺さっても学校に行かない選択ができない小心者だ。今から行けばホームルームにはギリギリ間に合う。


「景虎くん……!」


 駅舎から出ると、そこに黒口がいた。先に行っているものと思ったが……いや、黒口なら待ってくれてもおかしくはない。一緒に登校すると決めているわけじゃないけど、黒口からすれば僕が風邪でも引かない限り、普段の通りの行動をしていると思うはずだ。


「何かあったんですか!? いつもなら2両目辺りから降りていたのに……」

「えっと……ちょっとお腹の調子が悪くて。トイレに行ってたんだ」

「そうだったんですか……あっ、ごめんなさい! 私、そうとは知らず何回か連絡しっちゃってて……」

「ううん。スマホ見てなかったから大丈夫」


 黒口にそう言われてスマホを見ると、確かに数件のメッセージが送られていた。それに気付かないほど……僕は消沈していたんだ。


「黒口さん」

「はい? なんですか?」

「今後は僕の姿が見つからなければ、待たずに先に行ってくれていいから。今日はまだ間に合うからいいけど、黒口さんが遅刻したらいけないし」

「えっ……?」

「お互いのためにね。それより早く行こう」


 黒口に何か言葉を返される前に僕は歩き始めた。それを追う黒口は何かを察してくれたのか、それとも僕の態度に呆れたのか、教室に着いても何も言うことはなかった。



「今日は4回も当てられてマジ最悪~」

「うちの学校、日付で決める先生多いからなー」


 いつメンの日常会話を聞きながら僕はその後ろを付いて行っていた。嬉しくない一方的な再会から数日後。放課後の時間はいつメンの集まりの方に出ていた。元々、2日1回は参加するようにしていて、それ以外の日はそのまま帰宅……つまりは黒口と一緒に帰るようにしていたけど、今の僕は黒口と二人きりで長時間話すのは難しい状態だった。


 かといって、こちらのグループで大はしゃぎできるかといえばそんなことはない。それは彼ら彼女らのノリが苦手というわけじゃなく、今の僕は学校で過ごす碓井景虎になりきれず、上手い対応ができないからだ。


「なんか今日はカラオケ行きたくなってきたなー 今からいかない?」

「おっ、いいねー! カゲくんと奏多も行くでしょ?」

「お、俺は……ごめん、今日はパスで」

「えー!? どうしてー!?」

「なんか最近のカゲくんノリ悪くない?」


 それは傍からも感じられるようだった。たった一日のうちの数分間。そんな短い時間の出来事で、僕が完成させたものはあっさりと壊れてしまう。そう思うと、やっぱり僕はこういうグループには向いていないのだろうか。


「まぁまぁ、そういう日もあるでしょ? ほら、カゲくん困ってるし。ちなみにオレもパスね」

「えー!? 奏多も!?」

「カゲくんは心配だけど、奏多のそれは不気味だなー」

「さらっとひどいこと言うなぁ。じゃあ、オレらは離脱ってことで!」


 そう言った奏多は僕を引っ張ってグループとは逆方向に歩き始める。


「ところでカゲくん。今から暇?」

「えっ? いや、その……」

「たぶん暇だよね。オレも暇だからちょっと付き合って貰うよ」

「か、奏多……?」


 強引に言いくるめられた僕は奏多へ付いて行くと、学校まで引き返すことになった。しかし、それでも奏多は足を止めずに進み続ける。


「奏多、いったいどこへ行くつもりで……」

「別に目的地はない。それより……景虎」

「えっ!?」


 突然の呼び捨てに僕は驚いてしまうが、奏多はからかっているわけじゃない。その表情はいつになく真面目なものだった。


「景虎って、学校では……無理してる感じ?」

「な、なにを急に……」

「うーん、なんて言えばいいかな。本当は気弱だけど、がんばって突っ張ってる的な。あっ、景虎がそうってわけじゃなくて、例えばの話」


 奏多に核心をつかれて、僕は更に驚く。いったいどういうことだ。まさか奏多は僕の言動から高校デビューしたことを見切っていた……?


「何を根拠にそんなことを……」

「それは……オレもそうだから。景虎がそうじゃないならオレがって言うのが正しくなるけど」

「か、奏多が!?」

「オレは元々そんなに真ん中に立って喋るやつじゃないし、何ならグループで行動するのは苦手だ」


 奏多は当たり前のように言ってくるけど、正直そんな風に感じたことは一度もない。グループ内どころかクラスでも率先して喋るやつだし、その喋りは軽快なものだった。僕が何度もいい意味と悪い意味の両方で陽キャと称した奏多が……無理をしていた?


「どうして奏多が無理する必要が……」

「……高校に入るまでのオレはそれなりにできてるつもりだった。実際、今みたいによく喋ったり、大人数に紛れなくても、オレの周りに人はいてくれたし、楽しく生活はできていたんだ」

「だったら尚更……」

「でもさ……それだと駄目だったんだ。オレが現状に甘えていたら、本当にいて欲しかった人はオレから離れていった」


 その時、僕は奏多の寂しそうな顔を始めて見た。知り合ってからそれほど時間が経っていないけど、ネガティブな感情を出す奏多を見たことがなかった。


「よく聞くでしょ。好きの反対は嫌いじゃなくて、無関心だって。オレはその人が近くにいることに安心して何も変わらずにいたら、いつの間にか関心を持たれなくなってしまった」

「奏多……」

「だから遅いとは思っていたけど……オレは高校から変わることにした。もう一度その人にあった時は何か言えるようにしたいと思って」


 具体的にはわからないけど、恐らくこの話は奏多にとって、僕が影を濃くしようと思ったのと同じことなんだろう。動機や目指すものは違っても変わりたい気持ちは同じだ。

 そして、そんな本来は隠したい部分を話してくれたなら、僕も誤魔化し続けるわけにはないかない。


「奏多。確かに奏多の言う通り……俺は今の学校だと少し無理をしていたよ。本当の俺はもっと……目立たないというか、大人しい感じなんだ。でも、最近はその必要性も薄くなった」

「だよね。入学式の景虎と今の景虎だと全然雰囲気違うもん」

「う、うん。だから、奏多が察するのもなんとなく納得できるけど……なんで急にそれを話してくれたの? 俺の方はまるで気付いてなかったのに……」


 そう、肝心なのはそこだ。奏多が僕のことを察して指摘するだけならまだしも奏多が自分からさらけ出すことに何の意味があるのか。

 すると、奏多はため息をついて、僕を見る。


「景虎に何かあったから、かな」

「な、なにかって……」

「さっきも言ったけど、好きの反対は無関心だとオレは思ってる。そもそも多くの他人が自分以外のことを見ちゃいないんだ。じゃあ、そんな中で自分以外の他人をしっかり見るなんて、どういう存在だと思う?」

「それは……」


 中学までの……いや、高校の入学式の日を迎えるまでの僕には難しい質問だった。影が薄く、存在感がなく、忘れられるばかりであった僕は他人から見られることなんてなかったから。

 だけど、そう思っていた時期から僕のことを見てくれていた人がいた。


「それに露骨過ぎるんだよ。景虎がここ数日で……黒口さんを避けてるの」

「さ、避けてるなんて、そんなことはない! 今日だって話して……」

「こっちのグループに行くって報告? それとも別れの挨拶? それがいつも通りの話なのか?」

「……違う」

「景虎。オレは二人が中学時代にどうだったか知らないし、現状もどういう関係なのか詳しくはわからない。でも、普段の二人を見れば、お互いに尊重し合ってるのはわかる。それは景虎が黒口さんを、黒口さんが景虎をしっかり見てるってことだ」


 今の僕は……黒口を視界に入らないようにしている。それはまた黒口に心配されないようにという建前で、僕自身を守ろうとしているせいだ。これまでもずっとやってきた……僕のやり方。


「景虎が黒口さんをどうでもいいと思うなら……これ以上は言わない。でも、そうじゃないなら、もうちょっとくらい無理してみろ。保証はしないけど……その方がいい結果になるはずだ」


 それまで少し怒っているようにも見えた奏多の目が、最後だけ優しくなった気がした。ああ、そうか。奏多は僕に苛立っていたんだ。いつからか察していて、それがどこか重なって、言わずにはいらなかった。なんて……優しいやつなんだ。


「……奏多、ありがとう」

「いや、今のは全部オレの妄想だから。本当のことは何にもわからない」

「ううん。俺、ちょっと暇じゃなくなった」

「そっか。じゃあ、また明日」


 手を振る奏多を見て、俺は走り出した。もっと言いたいことがあったけど、それより僕は行動で示さなければならない。



 最寄駅まではそれほど距離はなかったけど、次の電車の時間的に俺は全力で走った。いや、そもそも黒口が駅にいる確証はない。ちゃんと連絡を取って呼び出す方がよっぽど確実だろう。


 それでも俺は駅へ向かって走った。伝えたいことを伝えるために走った。


 そして、残念ながら俺が駅に到着した時、ちょうど地元へ向かう電車は出発してしまった。もう数分早ければ間に合っていただろう。だが、俺はそのまま改札を抜けて、ホームへ入って行く。


「黒口!」


 すると、黒口はベンチに一人座っていた。他の客は誰もいなかった。黒口は……待っていたんだ。恐らく俺と同じように確証もなく。


「か、景虎くん!? 今日も佐藤くんたちと一緒だったんじゃ……」

「ごめん! ここ数日、変な態度取って!」


 俺はその理由も聞かず、黒口の間の前で頭を下げる。


「へ、変な態度なんて……そんな」

「俺、この前の電車内で……見てたんだ。黒口が金嶋と杉上と話してるの」

「えっ!? そ、それって……」

「黒口が困ってるの、わかってた。それなのに俺は見てるばかりで……何もできなかった。俺が割り込んで二人から何か言われるのが怖かったから。それなのに勝手に落ち込んで……」

「か、景虎くん、私……」

「だけど、黒口。もしも次に黒口が困っていたら、今度は絶対助けるから。俺のことで黒口が落ち込む姿は見たくない」


 正直、謝り方としてはあまり良くない。俺は一方的に自分の思いを伝えている。らしくない喋りだ。もっと考えてから喋れば黒口の話も聞けたのだろう。でも……止められなかった。


「それと、俺がいてもいなくても中学時代の知り合いと話す時は、俺のことは知らないって言っていいから! その方が黒口も……」

「……嫌です!」


 ベンチから立ち上がった黒口はまっすぐと俺を見て言う。


「私……あの二人に話しかけられて、景虎くんの話題が出た時、どうしていいかわからなかった。どう答えても……景虎くんが悪く言われる流れだったから。今までも……そういうことはあったんです」


 黒口は……今までも経験していたんだ。恥ずかしいんじゃなくて、そうなると知っていたから動けなかった。


「でも、結局……私は自分が何か言われないように、景虎くんを盾にしていただけでした。私は……景虎くんのことを何も悪いと思っていないのに」


 黒口の考え方は決して間違っていない。俺もそうやって逃げてきた。ただ、決定的に違うのは、黒口は自分自身じゃなく、他でもない碓井景虎を思って、傷つけられていた。


「だから、今度誰かに聞かれた時は……私はちゃんと答えます。私が知っている……私の大好きな碓井景虎くんだって」


 それでも自分を変えず、貫き通す黒口は……やっぱり入学式の日から何も変わっていない。真っ直ぐ過ぎる気持ちが眩しく見えてしまう。


「黒口……ありがとう」


 だからこそ俺は、黒口を


「ううん。私も……心配してくれてありがとうございます、景虎くん」



「はっ……!? わ、私、もしかして、とんでもなく恥ずかしいことを言って……」

「それは……わりといつも通りだと思うけど」

「景虎くん!? 私のことどういう人だと思ってるんですか!?」

「それは……言えない」

「なんでですか!?」


 そんなことを言ってしまったら今抱えている想いの全てを話してしまいそうになる。さすがに今日は駄目だ。勢い任せに言っていいタイミングじゃない。


「えっと……次の電車まで後何分かなー」

「そういうドライな反応は解釈違いです!」


 まるで数秒前の出来事を忘れてしまったかのように俺と黒口はいつも通りの日常に戻っていく。だけど、俺の黒口へ向かう感情はこの出来事が起こる前よりも大きくなってしまった。

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