010 ヒロインの条件 後

 放課後。高校から10分ほど徒歩で移動して色々な店舗が並ぶ地区へやって来た。奏多たちのグループで放課後何か食べながら談笑する際はこの辺りのファミレスやファストフード店に集まっていたが、それ以外にもゲーセンやカラオケなど遊べる店が並んでいる。たぶん、周辺の学生たちをターゲットにした地区なんだろう。


 カラオケ屋に入ると、今日のメンツは俺や黒口を含めて10人という大グループだったので、ルームも一番大きい奴に通された。そして、各々が好きな順番で座って行く。


 そう。この時点で碓井景虎の男女混合多人数カラオケ対策は始まっていた。まずは席の確保だ。とある作戦を決行するため、俺が座る位置はなるべくドアから近い席でなければならない。


「あれ? カゲくん、黒口さんの隣じゃなくて良かったの?」

「えっ? ああ、うん。全然」


 奏多、キミは俺と黒口をどういう関係だと思ってるんだ。別に席を離れて座ることもあるだろう。俺がちょっと心配していた黒口がグループに混ざれるか問題もあっさり女子組と話してるし……よく考えたら俺に対する黒口の強引さがあればコミュ力も普通に高いのか。


 そんなことはさておき、ドアから近い席の確保は完了した。さて、これからカラオケが始まるのだが、春休み中にカラオケへ行くことを想定した選曲もしてきたので、対策はばっちりだ。残る問題は……俺が人前で歌うのが得意じゃないことだけだ。


 いや、最大の問題だぞ、景虎!? 前に一回自分の声を録音して聞いたことあるが、お世辞にもいい声じゃないし、音程がズレるとか声が響かないとか音痴というわけないけど、上手いかと言われると絶対違う。音楽の授業でやる合唱と違って一人で歌う時は何も誤魔化せない。そんな奴のカラオケデビューがいきなり9人の前なんて……


「じゃあ、オレ、ゲン・ホシノの『コイ』入れよー」

「あー それもう懐くない?」


 な、なにー!? その曲は選曲した中でも好きで割と聞いてたやつ!? ぶっちゃけ選曲しても聞き込んで歌える曲は限られてるんだから手心を……


「だったら、あたしはおゲンさん続きで『サン』にする~」

「わたしもそっち派だわー」


 な、なにー!? そっちも割と好きで聞いてたやつだぞ!? 満遍なく聞きたかったけど、やっぱり好きな曲の傾向はあるし……でも、それは一般大衆的にウケるって意味だから選ばれやすいのか! なんで気付かなかったんだ!?


 ご、誤算だった……作戦重視のためにドアから近い席にしたが、それは入力順が後回しになるデメリットがあった……! かといって、トップバッターは曲の傾向を探れないから席の位置取りはここで間違いない……はず。


「トップバッターいきまーす!」

「ダンス付きでやって~」


 とうとう始まってしまった。ど、どうする。この曲の系統で行くとJ-POPなら何でも良さそうだが、そう簡単に曲ストックを切るわけには……


「はい、次は実憐ちゃんだよ」

「ありがとうございます。えっと……」

「実憐ちゃんはどういう系歌うの?」

「私は……あっ、これにします!」


 その時、『コイ』のカラオケMVが流れる上部に『ハートキャッチマニキュアのうた』の文字列が表示される。く、黒口!? よりにもよってこの流れで変身魔法少女モノのOPを選択するだと!?


「あー! それ懐い~ 幼稚園くらいの時見てたわー」

「へー 黒口、アニメ系歌うんだ」

「はい。これは小さい頃に聞いて好きなやつですけど、他にもアニソンは結構歌えますよ♪」

「じゃあ、あたしも次はアニソン入れようかな~」


 く、黒口! ナイスだ! この流れはこのフィールドにおいてアニソンを歌ってもいい流れ! そうなれば俺のレパートリーも多少増えてくる。定番のアニソンか、時期的に流行ってるやつか……いや、昨今有名なアーティストと起用系のやつでも……


「カゲくん、次どうぞ」

「あ、ああ。どうも」


 奏多から渡された入力するやつを手に俺は選曲を始める。ただ、ここで時間をかけ過ぎてはいけない。素早く決めるんだ景虎。ここは流行の『蒼炎花』でいこう。この曲ならみんな知ってるし、間違ない!


 そして、意を決して予約ボタンを押すと……何の反応もなかった。というか、今歌ってる人に合わせてノリノリな人もいれば、普通にスマホ見る人や談笑している人もいる。


(あ、あれ……? 間違いないはずだが……あっ、次は黒口の番だ)


「それでは歌わせて頂きます……~♪」


 おお、結構……いや、普通に上手いじゃないか黒口! どちらかといえば可愛い系の声だから変身魔法少女モノのアニソンとマッチして……


「本当、懐いよね~ あの頃は早起きしたな~」

「えー!? あたしは録画して貰ってたー」


 お、おい! 今、黒口が歌ってるでしょうが!? アニソンを受け入れるのはいいけど、歌ってる本人を放っておいて盛り上がるとか……あっちはまだスマホ見てるし! こ、こうなったら俺だけでも合いの手を……だ、ダメだ、景虎! 女子ならまだしも男子の俺がこの曲でノリノリになるのは……いや、むしろならない方が陽キャっぽくないのか? どうなんだ!?


「ひゅー 黒口、良かったよー」

「わたし、次はもう一個前のシリーズのやつ入れるわー」

「そん時まだ4歳とかじゃなーい?」


 そんな風にいろいろ考えているうちに黒口の歌唱は終わってしまった。



 それから実際に歌う順番が回って来たけど、案外歌ってみると恥ずかしいとか、緊張するとかは全然なく、盛り上がっているかは別として歌っている時に何人かは手拍子で乗ってくれたり、歌い終わった後には拍手を送ったりしてくれた。更に、人数が多いことから自分の入力するまでの時間は結構かかって、一人辺りが歌う曲数もそれほど多くならないので、俺の頼りない曲ストックでも何とかなりそうだった。


「はい。カゲくん、次……」

「あっ。すまん、奏多。俺、トイレ行ってくるから次に回しといてくれ」

「そう? 別に入力待っても大丈夫だと思うけど」

「ちょっと時間かかる方だから。それじゃ、頼む」


 でも、俺は当初の計画通りに作戦を結構してルームから一旦脱出する。こうすることで一曲分減らせるし、同じようにみんなの飲み物を取りに行くようにすればもう一曲……


(何やってるんだろうな)


 ルームから離れた俺はトイレには行かず、通路の奥にある空いたスペースの壁にもたれかかった。


 みんなとのカラオケ自体は何も問題なく進んでいる。でも、それが楽しいのかと言われると……そうではなかった。当然だ。俺がやっているのはカラオケの時間を何とか凌ごうとしているだけで、カラオケで遊んでいるわけじゃない。

 

 俺が思っていたよりもカラオケは自由な空間で、他の人がマニアックそうな曲を選択してもみんな適当に盛り上がるし、反対にメジャーな曲を入れてもスマホを見る人や喋る人はそれをBGM代わりにして自分を貫いていた。つまり、カラオケは楽しんだ者勝ちの空間なんだ。


 そして、俺はその空気が……どうにも苦手なようだ。歌うからにはみんなに退屈しないで欲しいし、歌っている時はみんなにしっかり聞いて欲しい。それがこういう場のカラオケのルールにそぐわないとしてもそう思ってしまう。


(向いてないのかな、俺)


 クラス内で今の自分のポジションになった時、薄々わかっていた。どれだけ表面を陽キャにしても中身まで完全に変えられない。碓井景虎という人間は影が薄いとか存在感がないとか以前に、影が濃くて存在感のある世界が得意ではなかった。それが嫌だと思って自分を変えても最終的には収まるべき場所に戻ってしまう。


(俺は……)

「景虎くん、ここにいたんですか」


 顔が俯きかけていた俺の前にいつの間にか黒口がやって来ていた。


「く、黒口さん!? なんでここに……」

「景虎くんが出て行ったので気になってきちゃいました♪」

「い、いや、こういうみんなで来てる時に一緒のタイミングで部屋を出るのはちょっと……」

「何か問題があるんですか?」

「……何でもない」


 意識し過ぎか。お花を摘みに行くタイミングが重なることだってあるだろう。とりあえず黒口が先に戻って貰って……と思っているうちに、黒口は俺の隣に並んで同じように壁にもたれかかった。完全に居座るつもりだ。


「景虎くん、初めてのカラオケ楽しいですか?」

「えっ? まぁ、それなりに……って、待て待て。さらっと初めてと断定してない?」

「えっ!? 景虎くん、カラオケ行ったことあったんですか……?」

「把握してませんって顔してる!? いや、俺だってカラオケの一回や二回くらい……」

「そうだったんですか……」

「……ヒトカラなら数回ある」


 カラオケは春休み中の声出しで利用したのが初めてだった。ただ、春休み中は陽キャたちの遊び場にもなるから同じ中学の人と会う危険性を感じて本当に二回しか行ってない。


「良かったぁ……」

「それで安心されるのは何だか複雑……」

「私はヒトカラもありませんし、みんなで来るカラオケも初めてだったので」

「そ、そうなの!? 黒口さんの友達グループじゃなくて、こっちで来て良かったの……?」

「全然、大丈夫です。景虎くんが心配だったので」

「俺が心配?」

「はい!」


 ま、まさか、黒口は俺がアニソンを歌いやすいように先陣を切って選曲を……?


「でも、私も歌いたい曲をたくさん歌えて楽しいです。家で歌うのと全然違いますね♪」


 さすがに考え過ぎだった。じゃあ、何が心配だったんだ?


「あっ!? ち、違うんですよ! 私、家で常に歌っているわけじゃなくて……」

「別に恥ずかしがらなくても……黒口さんの歌声、凄く良かったし」

「えっ!?」

「一曲目は最後までよく聞けてなかったけど、その後聞いた歌は本当に……楽しそうだった」


 俺と違って、と心の中で付け加えた。黒口は俺を理由にこのカラオケへ参加したようだけど、俺以上にこのカラオケに馴染んでいる。いや、それだけじゃない。男子はともかくこのグループの女子ともすぐに仲良くなってしまった。それは黒口の魅力やコミュ力があったからそうできたのだろう。


「わわわ私の歌声、良かったなんて……か、景虎く――」

「黒口さん、一つ聞いていい?」

「は、はい!? なんですか!?」

「……俺と黒口さんって、前にどこか会ったりした?」

「えっ? 前っていうのは……」

「ごめん、言い方が悪かった。中学よりも前の話。ほら、例えば幼稚園くらいの時に実は一緒に遊んだとか、どこかで黒口さんのことを助けたことがあるとか」

「私が景虎くんと会ったのは中学が初めてですし、直接助けて貰ったのは少し前に膝を擦りむいた時がそうかと……」

「本当に? 俺が覚えてないのも悪いけど、会ってないの?」

「え、えっと……景虎くんの質問の意図がよくわからないんですが……どうして以前に会っていると思ったんですか?」

「それは……」


 そうじゃないと……理由がわからないからだ。黒口が影が薄く、存在感のない碓井景虎を好きになった理由が。俺が恰好が付かないフリ方をした後も諦めないで、今日みたく心配までしてくれる理由が。過去に俺が何か約束をしたり、助けたりでもしなければこんなに思ってくれるはずがない。こんなに俺よりも遥かにコミュ力が高くて、気遣いのできる子を惹きつけるにはまだぼんやりとしている幼少期に運命めいた何かが起こらなければ……


 なんてことを言えるはずもなく、俺の言葉はそこで止まってしまった。せっかく黒口がカラオケを楽しんでいるのに、水を差してどうする。ネガティブな感情を黒口にぶつけるな。俺はただでさえ黒口を……


「景虎くん」


 気が付くと黒口は再び俺と向かい合わせになっていた。だけど、その距離は先ほどよりもうんと近くて……壁があるのに俺がのけ反ってしまうほどに迫っていた。


「く、黒口……?」

「何か特別な出会いがないと……景虎くんを好きになったら駄目ですか?」


 黒口がそう言って見せた表情は俺への想いを伝えた時と同じだった。黒口はあの時から心は変わっていない。それがわかっているからこそ、俺は理由を求めてしまうけど、黒口にとっては重要な問題じゃないのかもしれない。


「駄目……とは言わない。それは黒口の自由だから」

「……良かった」


 先ほどの安堵とは違った雰囲気で黒口はそう言うと、一歩下がってくれる。この状況で駄目と言えるわけがないけど、そうじゃなくても黒口の自由であることは本当だ。


「……黒口さん、そろそろ戻ろう。俺は後から行くから黒口さんは先に戻って」

「あっ、そうですね。というか私、当初の目的を忘れて普通に話しちゃいました」

「当初の目的?」

「いえ、そこは私の杞憂だったのでもういいと思ったんですけど……でも、やっぱり言わせて貰います」

「う、うん?」

「私、景虎くんの歌声も好きです! 一人で歌ってるところはもちろん初めて見たので……それを伝えたかったんです」


 そんな自由な黒口が何も隠さず伝えてくれるのは眩しくて目を瞑りそうになるけど……嬉しくないわけがなかった。自分が不安な部分を肯定してくれる言葉。自分を無理に変えようとする俺が心のどこかで欲している存在。


「そう思ってたら先に私の方が褒められちゃったんですけど……えへへ♪」

「……ありがとう、黒口さん」

「はい! それじゃあ、先に戻ってますね!」


 それから2分ほど経ってからオレもカラオケルームに戻る。


「カゲくん、大丈夫だったー? 後から出た実憐ちゃんより長かったけど」

「ドリンクバー何往復もしてから飲み過ぎちゃったんじゃない?」

「あれはあたしらの分、取ってきてくれただけでしょ。本当に大丈夫そう?」


 あれだけスマホを見たり、喋ったりしていたいつメンたちは次々と俺の心配をしてくれた。そうだ。ここにいるみんなは陽キャなんて言葉で片付けていい人じゃなく、純粋に明るくて優しいみんなだ。1ヶ月も経ったらそんなことはとっくにわかってたはずなのに、俺はそんな場所でも遠慮して、必要ない気を遣ってしまった。


「大丈夫。むしろ気分が良くなったから……俺もまた一曲入れていい?」


 その後の俺は誰かの目を気にした選曲じゃなく、自分が好きな曲を歌った。もちろん、なるべくみんなが知ってそうな曲にはしたけど、少なくとも流れや話題性なんか気にしない歌いたい曲を入れていった。


 俺は今日、初めてみんなとカラオケで遊んだ。けれど、その日の目線の多くは一人の女の子に向けられていた。

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