009 ヒロインの条件 前
碓井景虎の春休みは決して暇ではなかった。無論、友達がいないから遊びで忙しかったわけではない。新たな碓井景虎となるための準備をしていたのだ。
まず、見た目の変化。これに関しては髪を茶髪に染め上げ、いい感じの香料を……もういいか。ともかく今のスタイルに仕上げた時間だ。雑誌やネットの情報を参考にしながら、派手過ぎず、かと言って日寄って薄くならないような陽キャっぽいスタイルを目指した。髪染めでは初めて美容院に行ったし、今まで見ることがなかった香水系のコーナーを覗いたことは凄く印象に残っている。
次に声出し。中学までの俺がまともに会話する機会は親か先生しかいなかったことから声のボリュームは極小になっていてた。それを改善するために、春休み中はご近所へ迷惑にならない程度の声量で発生練習や歌を歌って、声を出せる準備をした。
そして、最後に話題の収集。陽キャになって話す時には彼ら彼女らの話題に合わせなければならないことはわかり切っていた。ここでも雑誌やネットはもちろんのこと、例えば人気の動画投稿者の動画をチェックしたり、インスタやらティックトックやらも特に興味がなくてもトレンドの人やネタを把握したりして、大抵の流行に合わせられるようにした。
これらの準備をしたことで今は称号として失われた真・碓井景虎を作り上げて、高校生活が始まってから約1ヶ月が経つ。春休み中の修業期間を終えた俺は今……
「うわ! 飲み物こぼしちゃったよ……」
「もう、よく見てないから。ほら、テッシュ使って」
「痛っ! 金具で引っかかって切ったぁ~」
「あー、この前も切ってたじゃない。ほら、絆創膏あるから貼っといて」
何だか想像していた自分と違う立ち位置になっていた。本来ならもっとこう……陽キャっぽくウェイウェイいわせてるつもりだったのに。
ただ、過去の自分へ結果報告をしておくと、二つ目の声出しは大いに役立った。というか、してなかったらマジで喋れてないからしといて良かったと思う。
でも、残りの二つについては……意外に学校で話す話題は学校内の出来事で完結することが多くて、しかも人気のある話題は常に流動的だから俺が知識を得るタイミングではもう鮮度が切れていることがしばしばあった。
更に、見た目に関してはそこそこ染めたやつがいるせいで、抜きん出て目立つわけでもなく、一応は影を濃くする要因にはなっているけど、俺が期待したほどではなかった。
「カゲくんって、お母さんみたいだよねー」
「お母さんっていうか……おばあちゃんみたいな?」
「あはっ、それ言えてる~」
そうした結果、俺の女子間の評価は何かと面倒を見るおばあちゃんに……違う! こんなはずじゃない! 俺は陽キャでめちゃモテで影が濃い碓井景虎になるはずだったんだ! ぽたぽた焼きに載ってる感じのポジションに収まりたかったわけじゃないのに!
いや、でもさ、景虎。お前は多くを望み過ぎてるんじゃないか? 今の状態だって中学で存在感がなかった時と比べたら認識されるポジションを確立しているし、悪いようには思われてないんだからカゲおばあちゃんとして生きていくのもいいじゃないか。
だが、しかし、景虎! 自分で言うのも何だけど、春休み中結構がんばったんだよ? それで結果は存在感を出しただけって……これ以上どこをどう改善しろっていうんだ! あれか? 筋肉か? トレンドに乗っかるだけじゃなくて、肉体的にも変わらなくちゃいけないのか!?
「景虎くん~」
そんな絶賛脳内会議中の俺に声をかけたのは黒口だった。
「どうしたの、黒口さん」
「実は……プレゼン資料を作ってきたんです」
「プレゼン? 何かそういう話してたっけ?」
「いえ、昨日帰ってから思い付きました!」
それはまた急な資料制作ご苦労様である。約1ヶ月で変わったところは俺のポジションの確立だけじゃなく、黒口と普通に話せるようになったところも大きな点かもしれない。
まぁ、用事がない限りは同じ時間帯の電車で一緒に帰るし、そうなると、話す話題がないとも言ってられないから適当な話題を見つけて話すようになって、それが続けばいくら会話下手な俺でもマシにはなっていった。
「景虎くんの髪、根元の方が黒く戻ってきたじゃないですか」
「うん。春休み中に染めて時間経ったからそうなっても仕方ないよ」
普段は鏡で自分の頭の上まではしっかり見られないが、最近は髪が伸びたことから根元が黒くなり始めたのはわかっていた。これが結構進むとプリンみたいに見えて少し不格好になってしまうけど、俺の場合は暗めの茶髪なので黒が混じってもそれほど目立たない……予定だった。しかし、実際になり始めると、やっぱり統一感がないというか、俺みたいな髪染め初心者でもちょっと変な感じに見えてしまう。
「もう1ヶ月くらいしたら染め直して……」
「そう言うと思ってました! いえ、言って欲しくなかったですけど!」
「えっ、どういうこと?」
「私が作って来たプレゼン資料は『景虎くんが茶髪の染めるのはデメリットしかない件について』です」
「ちょっと心惹かれるタイトル感あるけど、要するにまた茶髪似合ってない案件だ!?」
黒口、本当にそこだけは譲ってくれないな!? 他の人からはそもそも触れられない髪色だから、黒口にそう言われ続けると本当に自信なくなっちゃうよ。それも目的なんだろうけど。
「いえいえ、今回は似合ってないことが言いたいんじゃありません。いいですか、景虎くん!」
「は、はい」
「先ほどもう1ヶ月くらいと言ったように景虎くんがいい感じだと妄信している茶髪の色合いをキープするには2ヶ月から3ヶ月のペースで染める必要があります」
「確かに髪が伸びるのはどうしようもないからそうなるね」
「そうするとですよ? 髪を染めるのは店舗にも寄りますけど、1回辺り約5千円以上かかります。つまり、3ヶ月に1回のペースだとしても1年だと最低で2万円はかかるんです」
「に、2万か……」
2万円あったら新作ゲームが確実に2本は買える……っていかんいかん! そういう変換をするから陽キャの道が遠のくじゃないか! 精神を強く持て、景虎! オシャレのためにはお金を……でも、誰からも似合ってるとは言われてないし……
「受験や就活の時期を考えると、高校3年生では染める頻度が減るかもしれません。それでも染め続けていけばお金はどうしてもかかります」
「うぬぬ……」
「更にです!」
「まだあるの!?」
「髪を染め続けることは髪の毛へダメージを与えることになります。その結果……ハゲます」
く、黒口……! さっきと比べて説明不足な気もするが、最強のカードを切ってきたな!?
「そ、それはどうかな? ヘアカラーと髪が薄くなることには関連性がないと聞いたことがあるし」
「はい。直接的にはないと私も見ました。でも、髪の毛へのダメージは確実に蓄積されていくので……紆余曲折あってハゲるんです」
「紆余曲折って……やっぱりさっきより情報の質が怪しいような?」
「そ、そんなことありません! 景虎くんだってハゲるのは嫌ですよね?」
「嫌だけど……明確なソースがないとなぁ」
「うぅ……それは……」
「プレゼン資料というからには納得できる理由が欲しいよ」
「だ、だって、昨日思い付いて作ったからそこまでちゃんと調べてなくて……」
あ、危なかった。黒口がしっかり調べてきたら俺はあっさりと黒髪に戻していたかもしれない。ちなみにヘアカラーうんぬんの明確なソースはない。黒口が純粋で助かった。
「上司と部下ごっこ? 楽しそうだね」
冷やかしっぽい感想で割り込んできたのは奏多だった。
「別にそういうわけじゃないよ。どうしたんだ、奏多?」
「うん。さっきみやちーと話してたら放課後にカラオケ行くことになって、メンツ集めてる感じ。カゲくんも来るでしょ?」
「もちろん、行く……行く」
と、とうとう来てしまった……! 多人数で行くカラオケ……! しかもいつメンとなると、絶対女子も来るやつ……!
だ、だが、心配ないぞ、景虎。陽キャ集団ならいつか絶対誘われると思っていたからある程度対策はできている……はず。きっと。たぶん。
「あっ、黒口さんもどう? 放課後空いてる?」
「いいんですか? 私もぜひ参加したいです!」
「オッケー 他にも女子は来るからそこは心配しないで」
「はーい!」
奏多、何さらっと黒口を誘ってるんだ!? 更に黒口も乗り気なんだ!? いつメンはそんなに黒口と絡んでる感じもないし、そもそも黒口に歌う姿を見られるのはなんかこう……
「放課後楽しみですね、景虎くん♪」
「う、うん……」
……すごく緊張する。
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