友よ、永遠なれ
その後、彼は少し沈黙を破った。どうにもならない時だ。萌も俺の意見と彼の意見を聞く。彼はその後、俺に告げた。
「鍵を回すとは慣性と滑性の葛藤だったんです」
俺は楠葉の手を握る。「それじゃお前が死ぬことになる」
彼は明確に否定する。
「いいえ。慣性は支えになれます。私とあなたはセットです。」
それが俺にとって、今考えることだった。
「戦争をするか、ただただリスクから逃げ惑う預言者めいた生活の二択じゃない、調和のとれた別の未来が人類にはある。俺達ならやれると?」
「はい」
上層部と話し合いの場を持てというのか。バカバカしい。
俺は彼に言った。
「いまさら俺は松前と話す必要があるとは思えない。俺がお前にこれから起こることがどういうことかは全部説明はしていない」と。
そして、プロジェクト管理ソフトに今後の展開を余すところなく入力した。
樟葉はそれを熟読して、萌に告げた。
「彼をお願いします」
彼女は「そんな…」と言いかけたが楠葉に制止された。
「爆撃機が来ている。君はこれに乗るんだ。」
俺は彼女をドローンの傍へ追い立てた。
楠葉がステータスウインドウで萌を狙う。
赤色のLEDがスキャンするとおとなしくなった。「自己暗示をかけました。安全圏までは持ちます」
「わかった」
俺はモラルマシーンを操作して筋道をつけてやった。母子の無事は確定した。
ドローンが去ったあと彼は自分で作ったらしい小さなお茶を俺にすすめると、二人でお茶を飲んだ。
「あなたの思うことはすべて松前に伝えるつもりでした。でも、あなたの言う事は私の予想どおりじゃなかった。
そして、あなたは『しかるべき措置』をモラルマシーンに入力した」
ギクッとした。俺の背中を冷や汗が伝う。だが平然を装った。
「これで、この世の中に松前とか、火山っていうものは存在しなくなります。私は何も悪いことをしていないと思います。
でも、ここへ来るまでに何も起きなかったわけではない。
私は言われる度に私の考えを伝える必要があるんだという気持ちになっていったし、それは、あなたの見ていた景色を見ても分かりました。
でも、何も起きないってことは、それが正しいって言えるか」
「あの島も松前も鉱山の空も青かっただろう?。俺がそうした。今後もだ」
彼は何かが納得いかないようで、何度も何度も俺を見た。
俺も何か言われるのではないかと期待した。しかし、彼は一度首を振った。その瞬間、彼の目が鋭くなり始める。その鋭い色と鋭さが、俺に何かを伝えるという意志を与えた。彼は言った。
「私は、そのことで、あなたや萌の家族のことを考えている」
俺はそのまま無言になった。「ここから出られないのは、誰かのせいだよ。君が望んだんじゃない」
「あなたが、どうしたいかは、私にもはっきりとは分からない。私は死んでもいいからやっていければなとは思う。この世界に縛られていたら、そうなっても仕方がないでしょう。でも、そうしたくてもできないんだとしたら、もう私は」
彼は俺を見て、もう一度言った。
「それでも、もう私は貴方から逃げない。諦めたくはないんだから」
俺の目を見て、その目を見て、言っているのだ。
俺のことは、もう、諦めたのか。
そうじゃない。俺は、彼が最後に見せた色に感動した。
それは本当だ。
本当に、自分のことはもうどうでもいいんだと、思っている目だった。
その目に惚れた。
俺を励ますような、彼は本当にすごく心優しかった。
俺は彼との縁を結ぶ準備をする。今は萌も俺の彼女、いや、友人だ。俺のことを思って欲しいし、これからも一緒に頑張っていって欲しい。その気持ちは伝わったのだろうか。そんないい考えにも思えてならない。
「分かりました。もうこの話はおしまいにしましょう」
彼は、もういいという目をした。俺はもう俺の気持ちをどうでもいい、と思い直した。その後は、ずっと、いつまでもこの手を離さない。彼に伝えたいことがあるのに、それを思い出したら、俺も気持ちが抑えきれなくなった。
俺は少し、考え込んだ。いつまでも、こうしていては何も起きないし、そもそもここにいればいつか死んでしまう。俺だけが死なないのだから、それでいいのだ。
俺はいつも、一人で、ただ立っている。その先が見えなくても。
「もし、私がもうここから行けないなら、あなたがあの場所に連れってください」
鉱床がキラキラと誘っている。燃え盛る炉のようだ。いや、世界線がここに集中してたぎっている。運命の歯車を回す動力がここでほとばしっている。
俺はただ楠葉の肩に手を添えた。少しだけ、彼は驚いたような、何も言わない目をした。
「お前、まだ死にたがっているのか」
俺は少し、笑いながら言う。
「私は、あなたに生きていてほしいだけだったんだ」
「俺はただ、お前に生きていてほしくって願うだけだ」
「そんなこと、あるものか。誰かが彼女を助けなきゃいけない。しかし私はもうだめらし…」
樟葉が格子状にきらめき、かき消すようにいなくなった。
これでいい。
俺は焦げ跡から鍵を拾った。ステータスウインドウがガス圧の上昇を告げている。煤けてあちこちひび割れている。「お前もお役御免だ。よく頑張った」
岩場に叩きつけると虹色に砕け散った。そのオーラを纏って俺は一目散に出口を目指す。鍵は俺の手中にある。
●
鉱山事務所の壊れたソファーで萌は目を覚ました。
「誰の持っている物かわかるか?」
萌が沈黙を返す。
俺は続けて聞いた。
「これは俺の宝物だ。大事に取ってある。それを彼から教わったんだ」
萌がふるえた。表情を変えずに、無表情で俺の声を聞いている。
「何でこいつを持っているのかというとね」
俺は萌を落ち着かせようと口を開いた。
「お前の愛する人から聞いた。お前を助けなけりゃいけない。お前と出会う前に一人娘を亡くした。その彼女から俺は教えられたらしい。守らなきゃいけない物がある。どんな事があってもだ」
萌は森の小動物みたいな瞳で俺をみあげる。
「で、今回、俺の持っている武器になった。それを気に入ったから賭けることにした。ほら、よくあるだろう? 世界を抜本改革する叡智で釣られる勇者の立場だ。魔王が協力を迫るだろ? 病人や貧困子女が救われる利点と正義を天秤にかけて『弱者を見殺しにするのか』と詰める。俺は天秤を蹴った。俺のためでも軍のためでもどこかの組織のためでもなく、お腹の子と未来の命のためにこぼれ落ちた世界線を注いだ。トロッコに今いるすべての人々を轢かせたんだ。」
「ちょっと、それはどういう…まさか、あなた…人殺し?」
萌はドン引きした。
「何とでも言え。不幸を平等に被せたんだ。一億一千万人に。誰かに何か不都合が起きるだろう。個人差はあれ現役世代が背負うべき負担だ。そしてトロッコは暴走してもいい。乗りこなせる奴がいればいい」
「大黄?」
萌は察したらしく涙をこぼした。
「ああ、彼はいい奴だった。あの時の笑顔は忘れもしない。俺は彼に感謝しているし、お前にそうした後に何か起きるかもしれないとも思うと恐ろしかった」
すべてを一人で背負い込んだ楠葉。そんな男が乗る暴走トロッコ。世界線の果てまで滑り落ちて、どこかで停まるのだろうが、この世界にとどめる方法はない。彼は「行って」しまった。
「なんでよ、そんな事で」
「俺、お前の事が好きだ」
「ちょっと待て! なんで…?」
俺は涙ながらに言った。萌も涙をこぼす。俺は彼女も彼も救ったかったのに。
「あの人は…私の大切なお父さんなのよ。日一日一…あなたが入力して確定することになっていた!」
「なんで俺に言うんだ。お前にとっては秘密でも、俺にとっては真実だ。忘れ物や盗んだ物、盗られたもの、盗んだ男を誰が追うのか」
そうなのだ。樟葉大黄こそが日一日一教授。俺に大博打を仕向けた張本人。彼は慣性の権化として俺に接近し、この結末をもくろんだ。萌や俺の前にあらわれた老教授は都合よく作られた世界線だ。だから戸籍がゆらめいたのだ。
そういうと萌は「ねぇ、こんな運命って! 運命って消化試合なの?」
「俺だって好きになったんだからな。そうするのが当たり前の筋合いなんだ、わかるだろう?」
萌が泣いた。俺の体が自然と震えた。
「これは貴方に対する嫉妬だとおもうわ」
「これが嫉妬と言ったのかい? あの、日一さんは俺がいい奴だって言ったんだ」
「私から父を奪った男を愛さなくちゃいけない。いい歳をしてファザコンな女を卒業させるための、彼なりの計らいよ。でもこんな後味の悪い」
「いいや、お前からは愛って言って貰いたくて、日一さんはそうしたんだ。俺はお前を愛してるんだ。大事にしよう。そうしないと俺はお前の事愛し続けられない」
俺の手に萌の手を載せた。
「俺はお前の事を想ってるんだ、他の奴には内緒にしてくれ。お前はいつも笑顔だ。でも、こうやって二人で笑って、これからも一緒に生きるんだ」
二人の前をレールをきしませてトロッコが滑り落ちて行った。
ゆりかごを買わなくっちゃいけない。
地質学戦争(まつまえ!鉱物の盛り改題) 水原麻以 @maimizuhara
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