反劇と樟葉大黄
出征の日、俺は脱走した。正確には入営をバックレたのだが。
向かう先はあの鉱山だ。すぐに軍が探しに来るだろう。世界線の攪乱は樟葉にも影響を及ぼした。行方不明の彼からステータスウインドウに着信があった。
「今までどこにいた?」
「倉田さんこそ。私に彼女を誘拐させてどうするんですか」
バックミラーにヘッドライトが揺れている。ハンヴィーは悪路を疾走している。
「世界線が動乱して軍も同様だろう。萌の父親は俺が消したからだ!」
ハンドルが眩しい。樟葉の車が故意に照らしている。
「何故そんな真似を。彼女泣きじゃくって。連れ出すの大変だったんですよ」
「いいから俺にまかせろ。お前のステータスウインドウを借りるぞ」
遠隔操作で葛葉のドローンを飛ばす。高度をあげて稲倉沢を俯瞰してみる。カメラは軍用車列をバッチリとらえていた。ふと視界を光点がよぎった。スクショを撮り、AIに画像分析させる。「固定翼機か!千歳の第二航空団には対地攻撃できる機体は配備されていない筈だ」
第202と203飛行隊はF-15C/D。旧日本憲法9条の制約で長らく敵地攻撃能力が封じられてきた。
「上空から赤外線で丸見えですよ」
樟葉が狼狽える。
「大丈夫だ。車のような移動目標を固定翼機から狙い撃つ場合、複雑な地形がレーダーを乱反射させる。わずかなドップラーシフトから検出させなければならない。ハンドルさばきで逃げ切れ」
俺は彼を励ました。三沢からF-2が出張ってくるか米軍がA-10ないし攻撃ヘリを持ち出すまで時間は稼げる。あの坑道は目前に迫っていた。
鉱山跡の事務所にハンヴィーを横付けする。
そして、すぐに彼はこの建物に入ってきた。萌も棒立ちになっている。
俺に対して、彼はどのような気持ちでいるか。
それを見てみたい。なんとも言えない気持ちになるが、彼と何をして話し合う時間を得ることもできる。
開口一番、彼は萌の父親の行方を聞いて来た。
「助けると助けると言っておきながら神隠しの真似をするとか無茶苦茶です」ようやく時間が出来たので俺は説明した。
「お前を呼び出すためだ。ホログラム宇宙については俺よりはるかに詳しいだろう。【SG】は日一日一と協業していたんだからな」
「貴方が気づいた事は萌から車中で聞きました。父親の存在確率に干渉できるモラルマシーン。それを操る貴方が世界の鍵を握っていると」
「そうだ。正直いって地質学戦争なんてふざけた諍いは願い下げだ」
樟葉はふうっと吐息した。「任せろと言うから追いかけてきました」
「それでホログラム宇宙論に戻るがそれを駆動するためには二つの鍵が必要だということはわかってるな。一本は俺の手中にある。彼女だ。正確には彼女の係累が関与している」
詳細は省くがホログラムを投影するためには二種類のエネルギーが必要なのだった。現状を維持しようとする慣性と打破しようとする滑性。両者のせめぎ合いが像を分裂させる。実体の輝きとそれを参照しようとする光だ。
俺は後者である滑性を操る駒―端末、権化といいかえてもいい―として造られたことは日一教授その他の言動によって明白なので、対偶する人物が必ず存在するはずなのだ。
樟葉大黄だ。慣性の権化だ。キーパーソンだ。
彼はじっと目をつむった。
「貴方を信じましょう。」
しかし、彼の言葉を聞いているうちに、心は穏やかではなかった。やはり、自分の言葉が彼を傷付けたのではないか。そんな風に思ってしまう。
「――鍵(キー)は私の手元にあって、鍵と呼んだ理由は今になって分かった。だからここに来たし、鍵と呼んだんです。」
「そうだったか」
どうやら、彼は自分の意思で来たのだった。俺について来たわけではなかった。
「鍵穴は今、どこにありますか?」
彼は少し黙って、俺に向けて問いかけた。
「教える前に俺も確かめておきたい。覚悟はできているのか?」
俺は楠葉をじっと見つめる。瞳の中で俺自身が震えている。いや微動しているのは眼球のほうだ。
「ええ、それは…正直、怖いです。でも私の『名前』を入力する約束でしたよね」
視線が俺のステータスウインドウに注がれる。生殺与奪を握るカルネアデスの舟板だ。
「ああ。案ずるな。事後にな」
「それを聞いて安心しました」
正直に言ってしまえば、あまり俺のことをよくは知らなさそうだ。何より俺は、彼の名前すらは分からない。どこで生まれて俺のことを知ったのか、もし知っていたとしたらどれだけか、俺には分からない。ただ、それでもなんとなく分かる名前を持っているというだけで、彼の目的も正体もサッパリなのだ。
しかし、彼は俺に手を差し伸べた。「鍵には回してくれる腕が必要です」
なんて奴だ。わけがわからないまま首を突っ込んで来て現場をかき回したこの俺に全幅の信頼を置いてくれる。
これがテレビドラマならがっちり握手を交わして団結するのだろうが、俺は照れ屋だ。
「意気込みだけで充分だ。べたべたするなよ。俺はそういうの苦手なんだ」
そう、俺には知り合いもいない。俺は彼の話を聞かなかったことを後悔した。
「モラルマシーンの中枢は坑道の奥にある。マンガン鉱床だ。そこが鍵穴だ」
俺はハンヴィーの後部座席から乗用ドローンを降ろした。樟葉も二人乗りに跨る。ダクトファンを起動すると坑内に砂塵が立ち込める。萌がせき込む。
「これをつけておけ」
有毒ガスに備えてマスクを準備してよかった。予備を彼女に着けてやる。
「山狩りが始まってますね。急ぎましょう」
樟葉がステータスウインドウを確認した。フェアチャイルドA-10サンダーボルトが松前の空を徘徊していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます