トロッコ問題

「まだわかりませんか。倉田さん」

女はしつこく確認を求める。それに初対面なのになれなれしい。態度が異常だ。

「日一…なんて発音するんだ。ニチイチモエでいいか」

俺はステータスウインドウを読んだ。

「わたりです。日一萌わたり・きざし

女は訂正した。隣の男は樟葉大黄くずはひろきだ。これも世間の常識から外れている。いわゆるキラキラネームとは一線を画したネーミングセンスだ。あり得ない。

「お前らは人間か。じゃなきゃこれは悪夢か。俺は食中毒か神経衰弱を患ったのか」

可能性を消去していく。ドッキリやヤラセの類でこんな大道具は組まないだろう。毒を盛られる心当たりも理由もない。俺は朝一番の電話で呼ばれ駆け付けた。これは空腹が見せる夢か。すると樟葉が否定した。

「松前鉱物の盛り。貴方が言ったんじゃありませんか」

「身に覚えはあるがそれがどうした」

すると女が眉をひそめる。「ちょっと倉田さん。考えもなしに命名したんですか」

二人は俺の責任を暗喩した。不意の冗句にどんな重みがあるのだ。自分でも動機はわからないがきっと平常心を保つ防衛本能が言わせたのだろう。

「いい加減にしないか。俺は初動チームとして来た。炭層や岩盤に溜まっているメタンを主成分とする可燃性ガスが危険だからだ。ところが駅前は人でごった返し、避難誘導するそぶりも無い。何やってんだ。遊びに来たんじゃないぞ」

怒鳴りつけてやった。

すると樟葉が喧嘩を買った。「【SG】を遊びだとおっしゃる? ほぉぉ?! スペシャリストの彼女を『遊び』だと申される? ほぉおおおお?!!」

乱杭歯をむき出して、にじり寄る。

「いい加減にして!」萌が仲裁した。


俺が悪かった。知識のアップデートを怠った。メールや口頭で社内研修に誘われていた。繁忙を理由に断りつづけるうちにステータスウインドウが本稼働した。これはJAXAが開発した薄型汎用万能液晶だ。量子暗号クラウドに常時接続されていて簡単なイオンクラフトエンジンを積んでいる。短い飛距離のドローンになる。プロジェクト管理ソフトを内蔵していて統率者を手助けする。俺が現場に急ぐ途上に配達されてきた。そして迂闊にも俺が履いた感情的な台詞がプロジェクト名だと認識された。

「鉱物の盛りか…どうでもいい。」

俺はすぐに話題を変えた。書類手続きより目の前のトラブル処理だ。

「鍵は日一が握っていると言ったな?」

樟葉に水を向けてみた。黙ったままだ。まだ根に持っているのか。

「ああ。倉田さん次第です。正直に言って下さい。まだあの事故を恨んでいるんですか」

今度は俺が黙る番だった。驚きと胸の痛みが半々。前者は彼のような青年層に悲劇が継承されていること、もう一つは純粋に家族を見殺しにした呵責だ。三十年前、松前の鉱山で火災が起きた。とっくに操業停止した廃坑の見学コースだ。小学四年の長女を含む校外学習を終えた帰路で不幸が起きた。老朽化による漏電であっという間に燃え広がった。そして落盤で出口を塞がれた。案内嬢と教員それに地元小中学生を含む

三十人が閉じ込められた。懸命の救出活動が続けられたが発火点付近で火の勢いが増した。このままではガスに引火する。対策本部はトロッコ問題の解決を迫られた。

「ああ、大ありだ。芽里はんだ。なんて身勝手な称号だ」

自己中は俺だ。【SG】の人間にぶつけた所で娘は還らない。注水しなければ炭鉱脈の連鎖爆発による土砂災害で湖がふさがれていた。溢れ出た水は下流の町を押し流していた。高齢者や子供が多く爆発までに避難が間に合わないと判断された。

「知っています。30人か100人か…ネットが炎上しましたね」

樟葉は無神経だ。ステータスウインドウでまとめサイトを閲覧する。

「夕張の敵を松前で討つつもりはないが原子力安全保安院のせいだ」

俺は鬱屈を容赦なくぶつけると倍返しが来た。

「ええ、私の姉も

俺は生きていることが恥ずかしくなった。

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