Pain Alchemist
あれは俺が仕事終わりに駅から歩いてすぐの川原で酒を飲んでいる時だ。
頭に雷が落ちたような気分だった。
俺はとある会社で上や下からの不満、文句等をオブラートに包んで通す仕事をしている。
そんなポジションの人間は面倒な仕事を投げ渡される事が多く今日も残業に足を絡め取られる事約2時間程、
やっとの事で重い鎖を振りほどいた俺は真っ直ぐ逃げるように電車に乗り込んだ。
車内では同じく鎖から解放されたと思しき人々が駅に停まり人が動く度に壮絶な椅子取りゲームを繰り広げる。
俺にはもうそんな余力は無い。
外野に立ってその試合の行方をただ黙って見届ける。
1人立つ。
1人座る。
年配の人が乗ってきた。
座っている人の前に立つ。
すると目の前の席に座っている人が立ち上がり席を譲る。
その横で自分の荷物を置いて2人分陣取っている人。
混み合う車内でそんな人を見ると背中がずきりと痛む。
そうだ、仕事に集中している時は忘れていたが
俺の背中のやや外側に位置する腎臓には結石が出来ている。
それも両方に。右に2つ、左に1つ。
こいつの痛みは正に想像を絶するといった所だ。
痛み出したのは休日にジョギングをしていた時だ、
最初は準備運動が足りなかったか変な姿勢になってて筋肉を痛めたのかぐらいにか思わなかった。
しかしすぐに治るだろうと高を括って2、3日放っておいたある明け方、
あれば朝の5時頃か、急激に強まる背中の痛みに跳ね起き半分ブリッジをするような体勢で俺は声にならない声を上げた。
これは不味いぞと、とにかく早朝だがやむを得んと会社の上司である軍曹に電話を掛ける。
もちろん軍曹とは敬称だ。俺の職場は軍隊じゃない。
電話は思ったよりすぐ繋がり症状と病院に行くので休む旨を伝える。
後はいつも行く病院が開く時間まで耐えるのみ。
痛みのせいでいつもより時間の流れが遅く感じる。
耐えかねて昔関節を痛めた時にもらった強力な湿布を貼るがまるで意味がない。
湿布が効かないなら内臓系か。
内臓系であった場合背中の痛みは良くないケースが多いと聞く。
腰の上ら辺が痛いから病院で見てもらったら重度の胃ガンだったなんて話も聞いた事がある。
俺は最悪のケースを想像してしまい恐怖に戦いた。
止めどなく流れる油汗を拭きながら痛みと恐怖に耐えやっと後30分で病院が開くといった所で俺は病院への道程を行く。
電車で病院へ向かう道中頭の中では最悪のパターンを迎えた時に離れて暮らす家族達にどう伝えようかなんて考えていた。
車窓の外を流れる景色は全てがグレー色に染まっている。
後、どれぐらい持つのか。
脳は本能的に恐怖を和らげる為に早々に諦めをつけようとしてきて俺の理性もそれに従い徐々に平静を取り戻していた。
電車を降りてからもゆっくり歩き漸く病院に着く。
受付で症状を伝えると、体温を計ってお待ちくださいと慣れた対応をされるがこれが心なしか安心感を生む。
それから何分経ったろうか。
とうとう俺の名が呼ばれやっと助けてもらえると安堵する。
お久しぶりですと先生から挨拶を受け俺も痛みに耐えながら挨拶を返す。
小さな町のクリニックだが内科系の検査設備が良く整っており対応が早いので俺も信頼して何度も利用している。良い先生である。
早速症状と痛む箇所と、いつから痛くなったか等を伝えて問診から触診に移ると、
先生曰くやはり筋肉系ではなく内臓系の可能性が高いと言う。
これまでか。短いが良い人生だった。
そう諦めつつある俺に先生は1度エコー検査してみようと提案してきた。
これで内臓の形状から調べてみると。
もう好きなだけ見てください。
俺も自棄になり看護師に案内されるがままに診察台に寝転び腹を出す。
エコー検査の準備の為に看護師が腹にジェルのような物を塗るがこれが中々癖になりそうだ。
この検査は30分で2万円ぐらい取られるんじゃないだろうなと頭の中で笑う。
しかしこれならせめてもっと腹筋を鍛えておくんだった。みっともない。
俺の腹がエコーによって先生に覗かれている。思ってた通り黒いな。
肝臓やすい臓が腫れてる感じは無いと。
先生が説明をしていくにつれて俺の不安は少しずつ拭われていた。
ひょっとして諦める必要は無いんじゃないか。
そしてそれは腹を見た次、背中から見た時に告げられた。
因みに腹より背中にジェルを塗られている方がそれっぽくて良い。
腎臓に小さな石がありますね。
先生が告げる。
石。
Stone。
いし。
え?石ですか?
腎結石です。
俺が心から信頼を寄せる先生から下された診断は腎結石というものだった。
先生の話によるとシュウ酸とかいうやつとかプリン体が多い物の摂り過ぎ、更に水分不足が重なると腎臓の中で結晶化してしまうらしい。
そう言えば休日にジョギングした後、コップ1杯水を飲んだらそのまま酒を飲みに行ったりしていたな。
あの時の晴れた空の下でやったバーベキューは楽しかった。
分厚く切った牛タンを炭で焼きながら仕上げに塩コショウとレモンを絞って。
思い出したように先生にそれを言うと
それを早く言えと初めて敬語無しで怒られてしまった。
石も極めて小さい物だったのでとりあえずは痛み止めを飲みながらしっかり水分補給をして自然に出しましょうという事になり、処方箋を出してもらう。
診察料は2千円程、薬代も数百円と良心的なものだった。
あの検査でもっと取られるかと思ったがそんな事は無かった。まあ、当たり前だが。
しかし痛みの原因は突き止めた。
なるほど石なんて出来ていたとはな。
だがもう怖くない。
痛み止めももらったし対処法も教わった。
最早結石等恐るるに足りずだ。
薬局から出て顔を上げて見ればなんと青く澄み渡る空の美しい事か。
想像を絶する痛みは果たして俺に感動を与えたのだ。
そして今俺は腎臓に石を抱え生活を共にしているという訳だ。
痛み止めは石の居所、石ポジが悪い時に飲むぐらいにして普段通りの生活が出来ている今、
最初の激痛はなんだったのだろうと思うが恐らく得体の知れない恐怖も相まって精神的に痛みが激化していたのかも知れない。
そう思う根拠が今、この会社帰りの電車内で立証されている。
混み合う車内で2人分の席を陣取る人を見て俺は僅かに苛ついた。
すると背中の石が意思を持っているかのように傷みを走らせるのだ。
つまらない洒落のようだが事実だ。
この石は、俺の精神状態によって痛みの度合いが変わるのだと。
実際病院で結石だとわかった直後、痛み止めを飲まずとも痛みがすぅーっと引いて
体を捻ったりしないとその存在すら忘れそうになっていた程だ。
しかし車内で苛ついてしまった俺は今、
背中の鈍痛に苦しみながらも椅子取りゲームには参加せず必死で立ち堪えていた。
そんな俺に更に止めの1撃。
溜め息を1つ吐いて横を向き車両の奥に目をやると、
なんとも旨そうに缶チューハイを呷るナイスミドルがいるではないか。
なんて物を俺に見せている。
決して俺はアルコール中毒者では無いが。
無いのだが、石を抱えてからは全く酒を飲まず体から追い出す事に尽力していた。
普段から酒に娯楽を見いだしていたこの俺が酒を飲めず苦しんでいる時に目の前で良い度胸をしているものだ。
しかも電車内でなんというマナー違反。
混んでいる車内であれだけ面の皮の暑い所業が行えるならば俺が辛い思いをしている事など意に介さすまい。
あんな風にはなりたくないものであるしかし旨そうに飲んでいるな。
俺に物質を転移させる能力があれば迷い無く自分の石をあのナイスミドルの1番痛みが出る所に移してやるというのに。
3つの石でハットトリックを決めてやりたい衝動に駆られるもそんな事は出来る筈も無くただ無力に他人を呪う自分にも辟易してきていた。
ただ、もう我慢ならない。
決めた。
今日は酒を飲んでやる。
だが普段通りの量はいけない。
ちょっと缶を1本だけ、プリン体0のやつで。
もう2週間も禁酒を頑張ってきたのだからもう少し頑張らないともったいない?
いやここまでやってきたのだから少しぐらい俺を甘やかしても良いだろう。
とある先輩も石なんて誰でも持ってるわいと豪語していたぐらいだし。
ちょっとぐらいなら大丈夫。
帰ったらちゃんと水もアルコールの倍飲みます。
そもそも俺が今日酒を飲もうと決めたのはナイスミドルのせいだ。
あいつが電車内でのマナーを破りこれ見よがしに飲んでいるのが悪い。
酒飲みの思考なんてこんなものである。
自分が酒を飲む為ならばあらゆる言い訳を作り出し自分に言い聞かせる。
そうして本能で理性を説き伏せるのだ。
こうと決めたならば、そうだな次の駅で降りよう。
次の駅では確か外にコンビニがあり線路沿いに小さな川原がある。
そこのベンチで夜風に吹かれながらなんて乙なもんじゃないか。
タバコは、ある。
つまみはどうするか。
1本だけだし無くて良いか。
飲むと決めたら気分が舞い上がる。
もうナイスミドルを見ても石が反応しない。
心持ちとは大事なものだ。
体調を気にして心を病んでしまっては元も子もないからな。
さあ早く駅に着け電車よ。
もたもたしている暇は無いのだ。
電車を念じて脅すと同時にまもなくどこだとアナウンスが流れる。
良い子だ。明日も乗ってやるからな。
やがて停車し扉が開くと乗っていた人々の半数が1気に降りていく。
そういえばこの辺りは駅前の商店街に沿って住宅が並んでいるからな。
人の流れに乗って自分も駅を出ると見た覚えのある人物。
ナイスミドルめ貴様もか。
まあ良い俺はこれから至福の1時を楽しむのだ。
視界に入る事ぐらい許してやらなくもない。
さあ何を買おうか。
俺はコンビニに入ると真っ直ぐに酒コーナーへ向かった。
シルバーベースに様々なプリントで彩られた缶達が所狭しと並ぶ冷蔵庫から俺は少し悩み1本の缶を取り出す。
発泡酒、プリン体0、糖質0の憎いやつだ会いたかったぜ。
いつも自分の褒美に買っていたのはビールだったが発泡酒だってバカには出来ない。
最近のは良く出来てるし何なら物によってはビールを超えている発泡酒すらある。
今回買う発泡酒は初めて選んだ銘柄だが今の俺にはきっとぴったり合う味である事は間違いない筈だ。
よしさっさと買って出よう。
レジも時間を掛けずスマートに済ます為に予め小銭は用意した。
ポイントカードもだ。
袋は要りません。レシートは貰います。
ありがとう店員さん君の笑顔が今夜の肴だ。
いざ川原のベンチへ。
駅前のコンビニを出て線路を渡ると目の前に線路と平行に流れる小さな川がある。
その周りにちらほらと小さい食い物屋の提灯が暗い川原を照らす様が何とも風情があって良い。
ただ、でっかいパチンコ屋があってその明かりはちょっと違う気がするんだが。
川原に沿って少し歩くと3人掛けぐらいのベンチがいくつも並んでおり先客もちらほらと散見していた。
結構人がいるな。
ベンチの端と端で知らない者同士がそっぽを向いて飲んでいるのは何だか味気無いし気まずい。
空いてるベンチは、
あったあった。
運良く誰も座っていないベンチを見つけたのでここまで来て誰かに取られてたまるかと少し早歩きで着席する。
よしよし、ラッキーだったな。
それでは始めるとしようか。
足元に鞄を置いてタバコを取り出す。
とりあえず火を着け1服かましてスマートフォンを取り出し音楽のフォルダを弄くる。
道中はずっとランダム再生にしていたし石が暴れてたのでろくに音楽を楽しめていなかった。
今こそ音楽だろう。
今日の宴のBGMはこいつにしよう。
憂歌団 【胸が痛い】
別に誰にも恋しちゃいないし痛いのは石で胸じゃない。
ただ今俺が座るベンチのある風景、時間、目的、その全てに何故かこの曲のメロディーが良く合う気がした。
そしてプシッと、ゆっくり缶を開けて1口。
嗚呼、何物にも代え難いこの味香り喉越し。
生きてて良かった。
黄金の麦ジュースが喉を駆け降りる衝撃に思わず目を強く閉じる。
そして喉から胃に辿り着くと、かーっと声を出して全身でその味に感動する。
続けて2口目、とその前にタバコを1口吹かすその表情は僅かに口角が上がり至福の1時である事を1目で示していた。
それから
久々の酒をゆっくりと1口1口味わいながら嗜んでいると目の前を多くの人が行き交う。
若い学生に疲れたサラリーマン、彼氏と喧嘩したのか不機嫌そうなお姉ちゃん。
地べたで寝転び気持ち良さそうに寝息を立てる野生のおじさん。
皆今日1日自分が主役のドラマを必死で演じてきたのだろうな。
そしてまた明日も。
少し離れたベンチには先程のナイスミドルもいるではないか。
今思えば貴様も電車の中で酒を我慢する事が出来ないくらい辛い思いを先にしてきたのだろう。
今ベンチに座り酒を飲むその顔は安堵に満ちている。
閉所で酒の臭いを漂わす事は決して許される事ではない。
だがまあ、その良い顔に免じて、俺が左手に持つ缶にも免じて、俺だけは許してやろう。
貴様を見る事がなければ今こうして飲んでもいなかったろうしな。
乾杯。
所で俺が今日1本だけと決めて飲んでいる缶はロング缶である。
もう中身は半分程減ってきただろうか。
イヤホンで聞いていた音楽もブルースから古いロックに変わっていた。
周りの人やナイスミドルを眺めていたのでちゃんと聞いていなかったが今流れているのはQueenだ。
発泡酒残りの半分も楽しめそうである。
映画のタイトルにもなった名曲を聴きながら川原の涼しい風に吹かれて飲む酒の旨さは誰しも1度は体験していただきたい。
そしてふと気づいた、もう石は全く痛くない。
お節介な事に俺の精神がマイナスに入ると痛みで知らせてくれているのだろうが本当に大きなお世話である。
精神の疲れを痛みで知らせてから自分を甘やかす事で精神の疲れが癒え、痛みが消える。
これは最早俺の能力だ。
痛みの錬金術師とでも呼んでもらおうか。
痛みの錬金術師。
なんとカッコいい響きだ!
“Pain Alchemist”だ!
頭に雷が落ちたような気分だ。
明日から友達に言ってやろう。
きっとウケるぞ。
久々の酒は俺の頭を冴えに冴えさせたようだ。
今日はなんて気分が良いんだ。
こうしちゃいられない。
後もう1本飲んでしまおう。
この能力は自分を甘やかす事で痛みが引く事がわかったのだからそんな我慢をし過ぎる必要も無いのだ。
1応今飲んでいるプリン体0のやつにはしておくがな。
そうと決めてグッと缶を飲み干しコンビニへ向かい新しい缶を手に取り再びレジへ行くと先程とは違う店員が立っていた。
愛想も笑顔も無い仕事振りが少し目につくが旨い酒が待っているんだから良いじゃないか。
そう自分に言い聞かせ購入を済ませてからまたベンチへと向かう時だった。
先の1本が効いてるのか溝に躓いた拍子に手に持っていた缶を落としてしまい缶に穴が開き勢い良く中身を吹き出しながら転がって行き、川の中へと落ちていってしまった。
俺はただ、呆然と立ち尽くしてプカプカと流れていく缶を見送った。
やがて缶が見えなくなった頃にズキリと背中が痛み出した。
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