毒白


私の名は良司(りょうじ)。


しがないサラリーマンをやっている独身のアラサーだが今は訳あって仕事を休み実家に居候している。

何故かってこれが話せば長くなるのだ。

だけども丁度お互いに暇だろう。

ちょっと話を聞いていってもらえるかい。

お茶ぐらいは出すよ。




私は20代後半で転職をしてデパートの中にあるアパレルのテナントで勤務していたんだ。

元々は町の小さな会社の服屋で働いていたからこの転職は1つのキャリアアップだと思っていた。


会社からも店長経験がある私に期待を込めて年単位のキャリアアップスケジュールを組んでくれていたのだ。


今の会社では全国にエリアが割り振られていて東京なら3つとか、大阪なら2つとか、地方で店舗の少ない地域なら広めに3県程纏めて1エリアにしたり。で、それぞれのエリアをエリアマネージャーが統括していてね。

長いからAMと呼ぼう。


そのAMが自分の抱えてる店舗の売上予算を設定して日割りの目標を立てる。そしてその売上を立てる為にシフトを作ると。


これは前の会社で私がしていた事と全く同じじゃないかと思ったね。


ちょっと規模が大きくなっただけでやることは変わらない。

なら俺にも出来る筈だと意気込んで仕事に取り組んでいた。

実際転職してすぐに店舗を1つ任されていたし我ながら良い仕事が出来ていたと思うよ

もちろんAMの仕事っていうのはそれだけじゃなくて現場の更に上でバイヤー業務もするし何かトラブルが有ったら頭を下げに行かなきゃならない事もある。

従業員が無理無く健康に働けるように福利厚生を強化出来るよう全国のAMが集って現場の声を集めて会社の更に上に働きかけたりもする。

良い仕事だと思うだろ?


こうなるとじゃあ私が店長として何をしてるんだって話だね。


私の店長としての仕事は簡単なものだよ。

上から降りてきた予算、目標をスタッフに落とし込んで頑張って売ってもらう。

ただそれだけだ。

まあその為に影でこそこそサポートするのが大事なんだけどね。

上からの報告を下に伝えて、下からの声を上に届けて、

何かあったら時は自分が矢面に立ってスタッフの盾になって凌いでその間に上から上司という武器を召喚する。

こんな所かな。


前の会社に比べたら仕事の内容もだいぶ楽になったしお給料も違うし、バイトがいなくて全員正社員だから休みも安定してて本当に良い会社だと思ったよ。


それが何故今は仕事を休んで実家にいるのかって?

訳を話そうか。


単刀直入に言うと今は病気による休職中なんだ。


大腿骨頭萎縮症と言ってね。

日本でも30人程しか例の無い珍しい病気なんだ。


最初はなんだか股関節に違和感を覚える。

それが段々と日を追う毎に痛みに変わりその痛みが増していよいよ通常歩行すら困難になる。


そしてとうとう耐えかねて病院に行ってMRIを撮ってもらったんだ。

すると痛みのある方の股関節、正確には太股の骨の天辺が真っ白になって少し小さくなっていてね。

医者の先生曰く、骨がスカスカになって萎んでしまっているそうだ。

ただこの病気は1過性のもので安静にしている事で自然治癒するらしい。

それを聞いて私はホッとしたよ。


でも治るまでは普通に立ち歩いたりはしてはいけないと言われたんだ。

何故なら萎んでしまっている骨が自分の体重と歩いた時の衝撃で折れてしまうからだと。


難儀なものだね。

自分は元気で食欲もある。

手術が必要な訳でもない。

ただ歩くなと。


これがまた、想像以上に辛いんだよ。


朝起きたら痛い

トイレには四つん這いでゆっくりと

痛くない方の足を軸にして何とか立ち上がり飯を作る

そしたらリビングまて運ぶのも足が痛いからキッチンに椅子を置いてそのまま食べるんだ。


その後に洗濯物とか買い物とか、色々生活するのにやらなくちゃいけない事を考えて直ぐにもう自分だけでは生活は出来ないと心が折れて実家に連絡を取って。

1応松葉杖は借りたけどもとても1人ではやっていけないと泣きついて今こうして私は実家で住まわせてもらっているのさ。


やっとこさこれで療養に集中出来ると思っていたんだが、

この難儀な病気はね、私の人生を破壊しかけたんだよ。


命に関わる病気では無いけども、治るまでの間はそれはもう死んでいるようなものだった。


会社から与えられた私の休職可能な期間は6ヶ月。

入社してから3年未満の社員はこれしか休む事が出来ない。


私は必死で治そうとしたけどどうやって治すんだっての。

効きもしない痛み止めを飲んで這いつくばって耐える以外に出来る事は無い。

朝起きて、飯を食って寝て過ごしそしてまた寝る。

これだけしか私に出来る事は無かったんだ。

まあ色々な本を読んだり勉強する時間は出来てたかな。


何も出来なくとも病気なら仕方ない、とはいえ実家で毎日ゴロゴロしてるその姿は人からは良くは見えないよね。

母はまだ理解があって優しかったけど父だけはどうも、足が痛いだけでなに甘えてるんだと日々愚痴々々言ってくるんだ。

正直これが1番堪えたよ。

本当に歩けないのに何度説明してもわかってもらえない。

それが何よりのストレスだったよ。



そしてただただ寝て起きてして5ヶ月程経った頃かな、なんと少しずつ痛みが引いてくのが実感できるようになって来たんだよ。

もう私は嬉しくて嬉しくて。

定期的に診察してもらっていた病院でも再度MRIを取ったら骨の形が戻っている、白く写ってるスカスカな部分も減ってきた、と先生に言われた時は天にも昇るような気分だったね。


そしていよいよ半年が経とうとしていた頃、

私の足は痛みを忘れまた地面を踏みしめる事が出来るようになるまでに回復を遂げていたんだ。


もちろん会社ともまめに連絡を取っていたから復帰に向けた段取りもスムーズに組んでもらえた。


そしたらなんと復帰したら直ぐに元いたデパートより更に忙しい大型デパートに異動して現店長と働きながら引き継ぎだってさ。

もちろん様子を見ながらではあるんだけど半年耐えた甲斐が有ったってもんだよ。


だから私はメンタルをプラスにしっかり切り替えてまた頑張ろうと思っていたんだ。

だけども。


治ってこれで社会復帰出来ると思っていたのに、


まさか今度はもう片方の足が痛くなるなんて思ってもみなかったよ。



やっと、やっと見えてきた光がまたとおのくんだ。

地獄にUターンっとか言って。


───


まさかの展開だと思わないか?


片足が治ったら次はもう片方だなんて出来すぎた話だよ。


再度先生に相談したら前例は聞いた事が無いだってさ。


そりゃ元々30人ぐらいしか罹ってない病気で再発の可能性は無いなんて言われてたんだから。


それが治ったとたんにもう1発。


目の前が真っ暗になったね。


それでとりあえず会社に報告したんだけどもさ


休職可能期間は半年しか無かったからこれ以上休めないんだって。

だから私は退職を余儀無くされた訳だよ。


仕方ないね。こればかりは仕方ない。

直属の上司は完治してから再入社もあるとか言ってくれてたけどとにかく今が辛過ぎて頭に入って来なかったよ。


さあこれで私は晴れて無職のアラサー実家暮らしにランクダウンしたんだけど。


退職した会社が貸し出してた道具や冊子とかも返してくれと段ボールと手紙を送って来て、

痛みに耐えながら段ボールに物を積めてると不思議と涙が出てきてさ


ああ私はもう終わりだって思ったんだ。


治ったらまた働けるとは言うものの、次また反対の足が悪くなる可能性もあるからね。


もしかしてずっとこのままなんじゃないかって思うと恐怖と不安に押し潰されそうになるんだ。


食べ物も喉を通らなくなるし、勉強もやる気が出ない。


足1本動かないだけでこんなにも不自由なんだなと痛感したよ。


でもまあ、それでも人間なんとか生きていかなきゃいけないからね。


休職中は傷病手当てを貰えてたけど今回は退職してるから失業手当てを貰いに行かなきゃならない。


松葉杖と治りたての弱った片足でぜいぜい言いながら職安まで行ったんだ。

職安に行くのは転職する時ぶりでまさかまた来るなんて思ってもみなかったよ。


所で失業手当てはすぐ働ける人で就職活動をしてる実績を作らないと貰えないって知ってるかい?

しかも自分の都合で退職してたら貰えるのは3ヶ月後になるんだよ。

私は幸いそれを初めから知っていたし退職理由も会社都合で扱ってくれたから早く貰えたからまだ良かった。

私が受付を待ってる間にそれを知らなかったんだろう、私と同い年ぐらいの女性が職員さんに食って掛かって怒鳴り散らしてた。

それを見ながら職安特有のあの淀んだ空気に包まれてるとなんだか凄く自分が惨めな存在に思えてくるんだ。

勝手を知ってるか知らないかの違いしかない。

私とあの怒鳴っていた女性は今同じ所にいるんだなと。


職安には失業手当てを申請した後にも何回か行ったよ。

なんちゃら講座とかなんちゃらセミナーとかいうのがあってそれを受けると就職活動をした実績になるんだ。

このセミナーも良い年した人が模擬面接みたいな事をして良い受け答えをすると講師さんが皆さん拍手とか言って盛り上げるんだけど何とも虚しくて堪らなくなってくる。


そしてハンコをもらって数日で口座に現金が振り込まれるっていうね。


私が外に出るのはそれだけ。

後は痛みと父の嫌味にひたすら耐えながら母の手料理を味わう。

でも流石に、いくらなんでも何もしなさ過ぎだと思ってせめてちょっとは体を動かせないかなと上半身の筋トレをしてみたんだけどさ。


人の体って凄いよ。


上半身のどこを鍛えようとしても股関節に力が入って痛くて動かせないんだよ。

強いて言えば手首のトレーニングだけが出来るってとこかな。


人の体って1本の骨が使えなくなるともうダメなんだなと思い知ったよ。



そういえば、この療養期間中にやめた物があるんだ。

2つね。


まずはお酒。これはもう全く飲んでないね。

原因不明の病気だから先生もこいつのせいとは言いにくいって言ってくれたんだけどね。

そんな飲む気分にはとてもなれない。


もう1つはなんだと思う?


それはね。


SNSだよ。


あれはやめて良かった。

本当に気が楽になった。


想像してごらんよ。


自分が苦しんでる時にSNSを通じて見えてくる人々の楽しそうな顔。


周りの人々は時間の流れに沿って様々なイベントを経験してその中の1ページをSNSに記録して掲示する。

でも私は?

時間が止まっているんじゃなくて、自分が動けないだけで無情にも限りある筈の自分の時間はどんどん流れていくんだ。

SNSに上げるようなイベントは何も起こらない。

そう思いながらSNSで人の投稿が目につくとその度にまた怖くなってくるんだ。

それに耐えられなくなって思い切ってやめてみたらこれが思いの外気楽になってね。

助かったよ。


こんな生活になるとどうしても病んでしまうね。


そうそう病むと言えばさ、この間普段良く行っていた飲み屋で知り合った同い年の飲み友達から最近来ないじゃないかなんて聞かれたからさ。

こんな病気で今はこうって説明したんだ。


そしたらどうなったと思う?


しばらく返事が無いなと思ってたらメールで動画が送られて来てね。


なんだと思って見たら


その飲み屋の常連さん達で1人1言ずつ私にメッセージを、みたいな動画だったのよ。


んで最後にその同い年の谷やつが元気になるの待ってるぜーとか言ってるのね。


きっと喜ぶと思って頑張って撮ったんだろうけど私には逆効果だったよ。


今苦しんでて先が見えなくなってる人間によくそんな酷い事が出来るなと思ったね。


しかも私の病名も周りの人に言い触らしたみたいだった。


同い年のやつには聞かれたから答えたけど自分からは言うつもりも無かったんだ。


ちゃんと治ってまた飲みに行けるようになったら久しぶりに行ってそこから積もる話にでも出来たら良いなと思ってたのに。


そいつが言っちゃったから


私が話す筈だった「私が大変だったエピソード」から


そいつが話す「大変な私の事を知ってる自分」の話になってしまってたんだよね。


この時既に結構病んでいたからさ、


人の事ネタにして盛り上がってるんじゃないよと思って何も返信もせずに放っておいたよ。


それ以来連絡は取って無いけど別に何も無いしね。


私は病み過ぎか?


ああ病み過ぎだな。


1人でこんな長い事独り言を呟いてそろそろ晩御飯の時間かな。


父の視線のせいで飯の味もしないけど。


せめて感謝しながら今日もいただきましょうってか。


寂しいね。

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