谷島探偵事務所【前編】
首都の中心から西に大きく離れた街のメインステーション近くにある小さく古いビルの2階。
「谷島探偵事務所」
ここで今日も名探偵が事件を解決に導く。
壊れた目覚まし時計が7時を指して秒針よりも少し大きい音が鳴ると共に大イビキをかいて半裸で寝ていた男がゆっくりむっくりとその鍛え上げられた鋼のような上体を起こす。
煙草臭い革のソファーからぼさぼさ頭を掻きながら立ち上がるとソファーの臭いが恋しくなり煙草を手に取る。
その中身が空であることを確認すると舌打ちをしながらくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ投げ捨てる。
弧を描き飛んで行く元煙草の箱はすぽんとゴミ箱に入った。
見事なスリーポイントシュートを決め片眉を上げ鼻唄を歌いながらズボンのポケットをまさぐると新しい煙草を見つけた。
ラッキーどうも悪くない朝だ。
さて、コーヒーを淹れたら着替えて今日も1日頑張るか。
シッと軽く気合いを入れ縁の欠けたマグカップに熱々のコーヒーを注ぐ。
名探偵谷島は元々この辺りで育ち昔から地元の住人に対して愛想も良く皆に可愛がられていた。
両親は共に公務員でさして生活に不自由する事もなかったが人1倍教育熱心な所があり谷島少年は塾や習い事を多く抱えていた。
今思えば中々ハードな幼少期だが頑張って良い点数や賞を取ると全身全霊で両親が誉めてくれていたので勉強や習い事が辛いと思う事は無かったしそもそも自分から進んで勉強机に向かう努力好きな真面目君であった。
中学校と高校では空手に打ち込みここでも努力好きが高じて良い結果を生み出していた。
思春期特有の青いストレスの発散にも効果があり文武共にそつなくこなしていく。
そんな谷島少年を妬む者も初めはいたがどんな些細な悪意にも真正面からぶつかっていく彼の性格に射たれその男気に皆惚れ込んでしまう。
その様は正に平成の勝海舟の如くであった。
そして谷島少年は高い目標を掲げ日々努力に励み教育熱心な両親でさえも鳶が鷹を生んだと自慢するような大学に入り空手に勉学にととことん真摯に取り組んだ。
やがて谷島は少年から青年に変わり公務員試験も難なくパスし就職先も決まっていた。
後は卒業を待つだけである。
残り少ないモラトリアムを後悔無く使い切ろうと学友達と自分とで旅行を計画し金沢へ車で行く事に決め両親も快く承諾してくれた。
その時に両親から「ここまでよく頑張ってくれた。親として鼻が高い」と20年分の労いを受け谷島も何不自由無く育ててもらって感謝の念が込み上げるものがあった。
少々照れながらも数日後、谷島は学友と6人で卒業旅行へと出発した。
夜の内に出て爽快に高速道路を走るレンタカーの中で運転してくれている友人以外は皆缶ビールを片手に既に酒盛りが開催されていた。
谷島も流行りの曲を歌いながら顔を赤くしてビールを呷る。
途中休憩を挟みながら朝飯時に金沢に到着した一向は運転主は疲労困憊。その他は寝ずに二日酔いと言った風でボロボロになりながらホテルにチェックインする。
朝飯を摂る気にはなれずとりあえずは寝て休息を満喫しよう。
やがて谷島は深い微睡みの中から学友に引っ張り起こされた。
時刻は昼の1時。まあよく寝れた。
それではいざ、街へ繰り出そう。
1同は昼飯に石川県ならば迷い無く海鮮を食わなければと決めてホテル近くの定食屋へと入った。
谷島は刺身定食で飯は特盛。
この時期の魚で関東では食べた事の無かった鰆の刺身が入ってるようで谷島の胸は踊る。
そして運ばれてきた刺身定食。
手前から順にこんもりと盛られた白飯に味噌汁、新香と来て御盆の上座にドンと構えるのは御岳山のように堂々と聳え立つ刺身の御山。
程々のツマの上に旬の魚が色とりどりに積み上げられている。
その見事な景観に感嘆の息を吐いて早速箸で刺身を取ると更に下にも違う魚が隠れていた。
盛り合わせは海老に鰆に鯛とイカ、更にマグロにノドグロと豪華の1言。
その味はもちろん間違いがある筈も無く。
1口毎に花火が上がるようであった。
特にノドグロは旬はまだ先であったがそれでも他の魚とは1線を画す。
魚の濃厚な味わいに飯が進み特盛で頼んでいたが結局お代わりを頼む、2杯目は流石に大盛り程度で勘弁しておいた、いやしかし特盛でいけたな。それくらいの感動がある美味さだったのである。
昼飯でこれだけ満足させられながらも1同は様々な金沢の観光名所を巡り気付けば徐々に夕焼けが赤みを増しつつある時間になっていた。
頃合いと見て1度皆で温泉に入る。
石川県は温泉が多くあり、やはり旅で来たなら外してはいけないものだ。
しっかりと汗を流し体を代謝させる。
いよいよ旅の本番、宴会の時に備えて。
さっぱりとした後はさっさと着替えて支度。
ついでに財布の中身も良く見ておこう。
よしこれで準備は万端だ。
フロントに鍵を預けいざ石川県は金沢のメイン繁華街、香林坊へ。
そこからは若者達の最後の青春の解放である。
酒と肴に事欠かぬ街でアルコールが体の隅々へ行き渡る。
周りの人々がまるで自分達と共に1夜を楽しんでいるような錯覚に陥る。
店で酒を飲み次へ行く道中も酒を持ち飲み終わったらその時目の前にあった店の暖簾をくぐる。
店で働く地元の人達も関東から来たと言うと快く歓迎してくれてお勧めの酒の銘柄やつまみを紹介してもらう。
そうこうしてもう何軒の店を回っただろうか。
金沢の街は暖かく楽しい街である。
そう感動に耽りながらもメンツの1人が酔いつぶれてしまったのでここらでそろそろ戻ろうかと皆で決める。
千鳥足という程では無いがフラりとした足取りで酔いざましの缶コーヒーを飲みながらホテルへ戻る若者達。
1人は両肩を支えてもらって覚束ないながらも何とか足を動かしていた。
やっとホテルに着き、酔いつぶれた奴はベッドに放り投げシャワーを浴び皆倒れ込むように寝てしまった。
深く酔って寝ると半端な音では簡単には起きない。
夜更けに谷島の携帯電話が光り音を鳴らしていた。
明け方、まだ空も白み始めたぐらいの時間に谷島は別の部屋で寝ている筈の友人にドアを激しくノックされながら名を大声で呼ばれそのただ事出ない様子にさっと飛び起きた。
どうしたとドアを開けると友人が血相を変えて言う。
「電話に気づかなかったか!警察から電話で、谷島の所のご両親が、亡くなったと。」
1体貴様は何を言っている。
こんな時間に笑えもしない冗談は止してくれと言おうとするが友人の真剣な面持ちに言葉が詰まる。
とにかく急いで帰ろう。
友人の提案に深く頷いて急ぎホテルを後にする。
帰りの道中、車内は1言も発する者は無くただ焦る気持ちを抑えるのみであった。
長い沈黙を経て都内某所の病院に到着。
受付で谷島と名乗り両親の元へ走る。
果たしてそこで谷島は両親と対面する。
その余りにも変わり果てた姿に体中が脱力し膝から地に落ちて座り込み大声を上げて哭き出してしまった。
その後はよく覚えていない。
周りの慰めも有り憔悴しながらも葬式を無事に終え何とか両親の骨を先祖代々続く墓へ納める事が出来た。
親戚も親身に肩を多田出何かあれば頼れ言ってくれた。
しかし谷島の心の傷は深く大学を卒業後も元々内定していた仕事を蹴って広い家で1人殻に閉じ籠ってしまう。
ただ何をするでも無く朝にリビングに行けば母の作るベーコンエッグの香ばしい匂いがフラッシュバックする。
夜に父の書斎に入ると父が吐いた煙草の煙が目に浮かんでくる。
しかしそれは傷ついた心が生み出した幻。
現実は。
砂埃にまみれた玄関。
家具には埃が溜まり手を触れる度にその軌跡を残す。
風呂場は湯垢にまみれ疲れも満足に流す事は叶わない。
ベランダは錆付いていつでも空が雲って見える。
谷島は世話をされる事の無くなった家をただ1人で彷徨い思い出の残滓を求めていた。
ただ1つの疑念を胸に抱きながら。
その疑念とは。
両親の死因の事だ。
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