鶏モモ肉の唐揚げ
ここに我は宣言する。
今宵の晩餐には、唐揚げを食らう事を。
何の唐揚げか。それは愚問と言うもの。
鶏の唐揚げに決まっている。
もちろん皮の張った鶏モモ肉で作るのだ。
調理の始まりから食べ終わりまで、いや脳裏に過ったその時からもう心は掴まれっぱなしである。
ああ、鶏の唐揚げ。
黄金色の衣を纏いてその内に隠された湧き溢れる肉汁。
1噛みすればその肉汁は大河を成し四代文明よろしく口の中に味の桃源郷を建立せする。
思えば私が日々続けていた努力はただこの時の為にあったものなのかも知れない。
その始まりはこうだ。
私こと社畜の者は年に3回健康診断を受ける。
3回と聞けば人は多いと言うが私の仕事柄それは仕方ない。
特殊な内容の健康診断も受けなければならないのでその分多いのだ。
その内1つ、社会の歯車として立派に働かれている皆様には馴染みのある方の健康診断にて私は問診の医師から言葉の金槌で脳天をカチ割られた。
「数値の高い所が気になりますね。お酒や油物を減らしながら体重も減らしていかないと。
セミナーもありますが受けられますか?」
その衝撃は私の私生活を改めさせるには充分であった。
もちろんセミナーは断った。
どうすれば良いか等分かりきっているからだ。
その日から私の努力は始まった。
まず1日2合半食っていた米は1合と少しに減らす。
初っぱなから心がミシミシと音を立てて軋んだ気がしたが何とか耐えた。
おかわりの1言が言えない辛さ。
きっと多くの人々に共感してもらえる事だろう。
この時から私の飯の主菜は菜っ葉物や魚が多くなった。
我が伴侶である女神は夫が健康に成り行き食費も浮くので良い事ずくめと笑っていた。
そんな顔を見たらもう頑張るしかないではないか。
その笑顔をしかめさせたくはない。
自分で言うのもなんだが私は愛妻家だ。
「君の連れ合いはどのような方だ?」
そう聞かれれば私は必ずこう答えてきた。
「女神さ。」と。
仕事帰りにお土産の甘味を選んでいる時間は正に夢見心地だ。
そんな女神のお陰で食生活での修行は何とかなりそうだ。
しかしもう2つの修行は熾烈を極めた。
1つは運動である。
仕事が終わって帰ってから女神が買ってきてくれたピチピチのランニングウェアに着替えて1走り。
休日の昼間なんかに同じような格好で元気良く走る者を見かけるが良くこんな事が出来る物だ。
正気の沙汰とは思えない。
日頃仕事でしか体を動かさない私は初めは2キロ走ると筋肉痛に悲鳴を上げ、連日走る事等到底不可能だった。
それでも何とか続け今は3キロ走れるようになったもののまだ私の足はランナーと呼ぶには程遠い。
まだまだ努力せねばならん。
次は皆様の想像どおり。酒だ。
これはもう。
やめるなんて出来るわけがないだろう。
平日は1日の終わり。
休日は1日の始まりに。
この1杯が社畜人生の緩衝材になるのだ。
女神よりも付き合いの長いこいつを手放すなんてどうして出来よう。
結論から言うとこいつはやめていない。
だがなんとか心苦しくも減らしていく事には成功している。
晩酌にビールを1本。からの徳利で日本酒を1本。
今はビールを1本、ただそれのみ。
ああ辛い。
だが我が女神は酒を減らして苦悩する私を見てどうも楽しそうだ。
ああ女神よその笑顔のお陰で私は頑張れるよ。
そうして私は己の体の洗濯に尽力を続けている。
これが私の努力。
そしてこの度、私は再度健康診断に挑み結果を出してやったのだ。
「良く頑張りましたね~ちゃんと継続していきましょう」
偉そうに言いやがって。
しかしあなたに言われたからこうして努力を始められたのだからそこは認めよう。感謝します。
そして私はいの1番に女神に電話をする。
「結果は良好でした。久しぶりにあなたの作った唐揚げを食べたい。」
「は~いじゃあ晩御飯は唐揚げにしましょ~」
ああ女神よ!
なんとありがたき事かこれこそ今まで耐えた甲斐があったと言うもの!
私は追って1言。
「ビールとご飯もおかわりしちゃいたいね。」
「そうだね頑張ったご褒美におかわりはどちらか選ばせてあげましょ~」
ああそうだ、危ない所であった。
ここでどちらもおかわりしてしまったら今までの努力を水の泡に帰す所であった。
流石女神様だ。
しっかり努力の継続はせねばならない。
うちの女神はそこを戒めてくれる。
「じゃあビール買って帰るよ」
私は即座に選択し買い物に向かう。
地元のスーパーの酒コーナー。
宝の山から今日この日は何を選ぼうか。
そんな事を言っておいて実は既に決まっている。
日本で1番売れているメーカーの生ビール。
その500ml缶に迷わず手を伸ばす。
努力の最中出費が減った分に余裕はある。
今日はもう酒を買う事に糸目はつけないぞ。
小遣いの範囲内ではあるがな。
結局私は4本の缶ビールを抱えてほくほく顔で帰路に着いた。
家に着くとまだ昼下がり。
いつもの笑顔で迎えてくれた女神を前にいそいそとビールを冷蔵庫にしまっていく。
こんなに買ってと呆れた風に笑う女神にここぞと私は買い物袋から更に1つある物を取り出す。
これぞ夫婦円満の秘訣。
頼まれても無いのに1つ選びに選び抜いたスイーツを買ってきていたのだ。
クリームたっぷりのシュークリームを。
わあと喜ぶ女神に私は心癒される。
ふふふとお互い笑いながら昼飯は軽く素麺を食べながら晩御飯時までの時間をどう潰すか相談する。
とりあえず私は走ってこよう。
せっかく続けてきた努力をここで止めるのももったいない。
女神
晩御飯の準備を早々に整えてから読書に洒落込むようだ。
女神よあなたはどうぞごゆるりとお過ごし下さい。
私は今日の今宵の暴挙に先達て清算を済ませて来ます。
いざクールランニング。
私は健康診断の日取りを休日前に予め決めておいた。
これなら翌日足が悲鳴をあげようとも関係なく走る事が出来る。
今日は頑張って5キロ程走ってやるぞ。
努力を続けた先にある至福の為に。
晩御飯の事を考えながら走ると不思議と足が軽く感じる。
成る程きっと普段から走っている者達はこの感覚を知っているのだろう。
先にある幸福を知っているから今頑張れるのだ。
この感覚に気づけて良かった。
私もまだ何とか続けられそうだ。
そしてランニングを終え体中から汗を吹き出しながら帰宅し真っ直ぐ風呂へ向かう。
汗を勢い良く流し落として溜め息も思わず声が出る。
風呂から上がると女神は既に粗方の支度を終えて本の虫になっていた。
私が買ってきたシュークリームも一緒に置いてある。
食べてくれているだけで嬉しい。
邪魔するのも悪いので寝室で仕上げのストレッチをするがどうも体が休息を求めているようだ。
普段3キロしか走っていないのに急に5キロと伸ばすとその疲れも伸びるようだ。
私はいつの間にか意識のスイッチを切ってしまっていた。
「晩御飯だから起きなさい!」
私ははっと目を覚ましああと軽く返事をして台所へ向かう。
よく訓練されたものだ。女神が調理をしている間に言われなくとも皿と箸を並べてテーブルの上をセッティングしていく。
そして女神が福音を鳴らす。
「唐揚げもう出来るからね~」
待ってました!
目覚めた頭が更に覚醒する。
晩御飯の支度をしてもらっている間に寝てしまった事を反省しつつも1気に用意を進めて飲み物も出して。
白米と味噌汁もよそっておく。
そしてとうとう女神によって運ばれて来た鶏モモ肉の唐揚げ。
一緒にレタスやきゅうり、トマトをたっぷりと盛り込んだサラダもある。
ありがたき幸せ。
香ばしく揚げられた唐揚げを目の前に生唾を飲み込む。
こうして私と女神の晩餐の支度が整った。
お互い顔を見合わせながらせーので
いただきます!
合言葉を交わしてまず女神から1言。
「1年間お疲れ様でした~でもこれからも頑張らないとね」
なんともったいないお言葉か。
もちろんこの努力途切らせる事なく続けますとも。
そう己の抱負を噛み締めながらビールのプルタブを引き起こす。
プシュッ
この音が。
マイケルよりも、アレサよりも心に深く突き刺さる刹那のメロディが。
奇跡のカーニバル
開 催 だ
1口飲んでその余韻に浸る間も与えず女神の作りたもうた「唐揚げ」を1つ箸で掴む。
さっくりとした弾力と衣の中に留められた熱気が箸から伝わってくる。
いただきます
改めて頭の中で唱えかぶりつく。
さっくりと歯ごたえを脳に伝えながら溢れ出す肉汁!
その流れ出る肉汁はあっという間に口の中に味の桃源郷を建てましめた。
数度噛み締める度に増す旨味。
そこへ1度洗い流すようにビールを流し込む。
女神が目を細めた。
ッ~
余りにも強い味の怒濤に息があがる。
私は意識が朦朧としながらも女神に1言
「めっちゃ美味しい」
そう宣言し更に箸を進める。
ああ何て幸福。
何て甘美なる食のエルドラド。
女神に見守られながらも鶏モモ肉の唐揚げとビールを交互に貪り尽くす。
ビール唐揚げ時々白米。
ちょっと物足りなくなれば
マヨネーズだ。
小皿に取ったマヨネーズに唐揚げをちょんと当てるとそれは禁断の果実に変わる。
禁断の果実を食べたアダムとイブは知恵を得たと言うが私は逆に知恵を全て放り捨ててしまいそうだ。
1口楽しむ都度ビールで洗い流す。
またはさっぱりとしたドレッシングをかけられたサラダを間に挟む。
こうする事で1口目の感動を何度も味わう事が出来るのだ。
なんと心の満たされる事か。
私が1口噛み締め唸る度に女神も嬉しそうに笑う。
幸せとはここにあった。
自分が何を頑張れば良いのか。
自分が何を頑張れば女神と共に喜びを分かち合えるか。
それが全て合致した。
この至福の時をまた味わえるよう私は努力を続けよう。
己の努力によって女神を喜ばせ、また自分を喜ばせる。
このサイクルが私の新たな人生の指針になるのだ。
そしてここに新しく私は宣言する。
「明日からも頑張ります」
女神は目を細めニコリと微笑んだ。
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