第8話 最後の晩餐にもならなかった
週に2回くらい。たぶん、気が向いたときに。カツトシが時々飯を作りに来る。『最後の晩餐がレトルト食品でいいわけ?』なんて言いながら、妙に凝った料理を出す。
それをタイラは、断る理由もないので甘受していた。カツトシの料理は何でも美味かった。
有体に言えば、カツトシはタイラの部屋にキッチンを借りに来ていた。なぜだかタイラは大体の調理器具を揃えていたし、何より設備が他の部屋と違う。ついでにタイラの食べる分も作ってやるが、料理はほとんど持ち帰っている。
それをタイラは有り難そうに食べたりして、今もカツトシの料理を手伝っていた。別にいいのに、と思うがタイラは手際もいいので一緒に台所に立たせている。
「今日は何を作るんだ?」とタイラがわくわくしながら聞いてきた。
「……ひとつぐらい、あんたが好きなもの作ってあげましょうか」と言ってやる。タイラは思案顔をして、「かつどん」と呟いた。
分厚い豚肉に衣をつけて、カツトシは油の温度を確かめる。横ではタイラが卵を割っていた。
「あんた、それだけ手際よければ自分で作れるでしょ」
「自分のためだけに料理なんてする気になるか?」
なるわよ、と言いかけて苦笑する。ここに来る前ここまで凝った料理を作っていたかと言われると、否だった。
タイラはフライパンで、だしと玉ねぎを煮ている。いい匂いがしてきた。カツトシも油の中に豚肉を投入する。激しい音。「カツ丼もいいけど、普通に豚カツ食べたくない?」と聞くが返答はなかった。
しばらくして、カツトシは「あんたそれ、火入れすぎ」と指摘する。横を見るが、タイラの姿が見えない。
タイラはその場にうずくまっていた。床を見ると、赤黒い血が広がっている。
ぎょっとしながらも、カツトシは火を止めた。膝をついて、タイラの顔を覗き込む。吐いたのか、口の周りが赤い。何よりタイラ自身が驚いた顔で、呆然と自分の指の隙間から零れ落ちる粘性の強い液体を見つめていた。
何も言わずにカツトシはタイラの背中をさする。どんなに衣服を挟んでも熱い。それでも根気よくさすった。
「……大丈夫だ。俺は子どもじゃない。背中をさするのはよせ」
「あんたが子どもじゃないのはわかってる。でも自分の口から血が出たら、誰だってびっくりするわよ」
ふっとタイラが表情を緩めた。「優しいよな、お前は」と呟く。
「歩ける? ベッドまで連れていきましょうか」
「いや、歩けるよ」
「柊さんのこと呼ぶ?」
「呼ばないでくれ。シャワーを浴びてくる」
タイラは自分が吐いた血の始末を自分でして、それから本当にシャワー室へ消えていった。カツトシは盛大にため息をついて、「呼ぶなって言われても呼ぶんだけど」と独り言ちる。
タオルで雑に髪を拭きながら現れたタイラに、柊は「よう」と軽く手を上げて見せた。「げっ」とタイラは顔をしかめる。「何召喚してくれてんだよ」とカツトシを責めた。
「てめえ、血吐いたってなぁ。精検だ」
「したところでどうなる。治療法が見つかるわけでもあるまいし」
ため息交じりに柊は「いいか、若造」と言い含めるように話す。「目的地に着く前に車が故障したら、それがどんなに想定内のことでも原因を調べなきゃならないのが医者だ」と続けた。「たとえ“打つ手なし”と確認するだけの作業になるとしてもな」と。
「それは素直に頭が下がるが……。検査室が寒すぎる」
「だろうな。腰抜かすほど美人な技師をつけるから耐えろ」
「腰抜かすほどの美人でも上がらねえテンションはある」
じゃあ、とカツトシが口を挟んだ。「腰抜かすほど美人な僕が近くで応援してあげるわよ」と。タイラは胡乱な目つきでカツトシを見て、しばらく悩んだ末に「……じゃあ、行こうかな」と呟いた。
疲れた様子のタイラがベッドに横になっている。「本当にお前、全部ついてきたな」とカツトシを見た。
「まあ、男に二言はないし」
「男前ですこと」
ぼんやりとタイラは「柊さんはどうした」と尋ねる。「後から部屋に来るって。寝てたら?」と肩をすくめてみせた。柊は恐らく検査の結果を確認しているのだろう。タイラを部屋に送り届けた後、またすぐ診療所の方へ戻ってしまった。
去り際に柊がカツトシを見て、「てめえ、当然のように勝手に病棟を抜け出してやがるが許可出してねえからな」とだけ釘を刺したのが面白かった。「はーい、自己責任でしょ?」と言えば「そういうことじゃねえんだ」と柊は眉をひそめたがそれ以上は何も言わなかった。
「眠れないの?」とタイラに尋ねてみる。
「腹が減ってな」
「ああ、そう」
ベッドの横に座って、タイラの手を取った。握って、「手袋ちょっと焦げてる」と指摘してやる。タイラは目を丸くしてそれを見ていた。それからふっと笑い、「もう新しい手袋を買うような時間はないな」と呟く。
「カツトシ、お前は」
「何よ」
「そうやって、誰かを看取ったことがあるのか」
息が止まるような気がして、タイラの手を強く握ってしまった。自分自身感じていた既視感に答えが出たようで、胸の内に苦みが広がる。
「子守唄を、歌ってあげる」
「お前の国のか?」
「……僕、あんたのこと何も知らないし。好きでも嫌いでもないのよ」
「俺はもうお前のことがだいぶ好きだぜ」
「そういうとこなのよねえ」
ため息交じりにカツトシはタイラの手を額に寄せた。「僕はあんたのこと好きでも嫌いでもないけど、あんた本当に僕たちのこと好きなんだろうなと思うから愛着がわく。それだけ」と話す。「こんなに大きな犬だって懐いてくるなら悪い気はしないもの」と目をつむった。
「懐いているのはお前たちの方だとばかり」
「何言ってんのよ、脳みそ茹だったわけ? 自意識過剰にも程があるわ」
タイラは「言うなぁ」とゲラゲラ笑う。そうよ、とカツトシは続けた。
「だってそうじゃなきゃ、あんたが死んだとき耐えられないじゃない。だから、あんたが僕たちを好きなだけなのよ。空気読んでよね」
目を細めたタイラが「どうして俺がお前のこと好きなのか教えてやろうか」と話す。「腰抜かすほど美人だから?」と言ってやれば、タイラは「そう。お前は、腰を抜かすほど綺麗だ」と目を閉じた。
ドアの開く音がして、カツトシは思わず手を引っ込める。背後に無言の柊が立った。
「あら……早かったわね」
「寝かしつけは終わったか」
「なんで僕がこの男を寝かしつけなきゃいけないのよ」
「ならてめえは病室に帰れ。外にスタッフを待たせてっから」
「えー? 僕はいいのに。たぶんスタッフの人より僕の方が強いわよ」
「うるせ」
早く行け、というジェスチャーで柊は促す。ブーイングしながらもカツトシは部屋を出ることにした。
ドアの閉まる音がして、タイラは目を開ける。「狸寝入りか?」と柊が尋ねれば、「いや眠れるところだったんだ、あんたが来なければ」とタイラは憎まれ口を叩いた。
それからタイラは上体を起こし、柊には目もくれずに立って歩き出す。ふらついて、壁に手をついた。
「……何してる」
「飯を食う。カツトシが作った」
呆れた顔の柊は「お前今日、血吐いたんだぞ」と言ってタイラの腕を掴む。振りほどこうとしたタイラが大きく体勢を崩し、柊はそれを支えるようにしてベッドに戻した。それから素早く白衣の内側に手を伸ばし注射器を出す。タイラは呆気に取られてそれを見ていた。
タイラの腕をまくって消毒をしてやり、針を刺す。
「……正気じゃないとでも思ったか?」
力の抜けた様子で笑ったタイラが、柊を見上げた。壁に背中を預け、ため息をついている。「どちらでも同じことだ」と柊は針を刺したところを強く押さえた。
「今日は眠ってくれ、頼む。腹が減っているのなら、それしかない」
ぽかんと口を開けたタイラが瞬きをする。それから、ようやく腑に落ちたように頷いた。「そうか」と口を開く。「もう飯は、食えないのか」と。
「死ぬんだなぁ」
伸びた前髪で顔が隠れる。柊は近くのテーブルに寄り掛かりながら、「俺を恨むか」と聞いてみた。タイラはぼんやり柊を見ながら「そのままコーヒーぶちまけやがったら恨むだろうな」と呟く。柊は思わず飛びのいて、テーブルの上のマグカップを見た。
喉を鳴らしたタイラが「まさか」と話す。
「感謝してるに決まってる。あんたは本当に……いい医者だよ……。俺が何者かも聞かずにここまでやってくれた」
「何者なんだ?」
タイラは一瞬少年のようにあどけない顔で驚いて、それから声を上げて大笑いした。
「忘れたよ。本当だ。近頃思い出すことと言ったら、ここに来てからのことばかりでな……」
こつ、とタイラは壁に頭をぶつける。力なくずるずると沈んでいった。
「癪だなぁ、おい。まるで……幸せだったみたいじゃないか」
眠ったタイラを楽な姿勢にしてやって、布団をかける。「ああ、そうだろうな」という柊の囁きが、静かな部屋に木霊した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます