第5話 それが運命なんかじゃないと信じたかった
今日も華々しくドアを開け放ったユメノが、「プール行こーっ」と高らかに叫ぶ。数秒の沈黙。返答がないことを不満に思ったユメノが勝手に部屋に入り込む。
「タイラー? ユメノちゃんだぞー」
「こんちはっす、ユメノちゃんと愉快な仲間たちっす」
「愉快なのはユメノちゃんとアイちゃんぐらいですけど」
「どういう意味よ、それ」
「ミユもユカイになりたい」
「じゃあ、ミユちゃんも追加で」
タイラは部屋の奥で、ベッドに横になっていた。薄く目を開けて、ユメノたちの存在を視認する。わずかに眉をひそめ、上体を起こした。
「何時だ……?」
そう腕を伸ばした拍子にベッドから落ちる。思わず、ユメノたちは駆け寄った。
「近寄るな」
そう、短くタイラは制する。「自分で立てる」と呻きながら起き上がった。そんなタイラを見て、ユメノたちは黙る。大丈夫ですか、という言葉をノゾムは飲み込んだ。大丈夫であるはずがなかった。
ぐっと拳を握ったユメノが、タイラの前に仁王立ちする。
「タイラ、見ろ! 死ぬ前に見ろ! あたしの水着だぞ!」
驚いたように目を丸くしたタイラが、空気を揺らすように笑った。「おー、かわいーな」と指さす。「だろ?」とユメノは胸を張った。
「柊さん呼びましょうか」とユウキも声をかける。「いや、いいよ」とタイラは目をつむった。
「でも……今日はお前たちと遊べない。悪いな」
「うん。良くなってね」
また来るね、と言うユメノたちをタイラは軽く手を上げて見送っていた。
プールで待っていた都が、肩を落として歩いてくるユメノたちを見て「やっぱりダメだった? 水場は温度が低いものね」と苦笑する。首を横に振ったカツトシが、「今日はかなり調子が悪いみたいよ」と答えた。都はハッとして、「……そう」と下を向く。それからわざと明るく、「ユメノちゃん、水着似合っているわね」と褒めた。
「スタッフの方は何時に迎えに来るのかしら?」
「3時間ぐらいで来るって。ちゃんと大人しくしてるんだよ、って言われちゃった」
「それじゃあ、お淑やかに遊ばなくてはね」
心ここにあらず、と言う顔でユメノは頷く。
ふと都の隣に来たカツトシが、「大丈夫かしらね」とため息をついた。
「タイラのこと?」
「厳密に言えば、違う」
「……みんなのこと?」
「あの男が死んだあとで、この子たちちゃんと立ち直れるかしら。僕、心配なのよ」
言葉を選んでいる様子の都は、「わからない」とだけ言う。ユメノたちはやはり気落ちした様子で、だけれどそれを悟られないよう必死にはしゃいだふりをしている。
「だけれど一番立ち直れないのは、私かもしれないわ」
「……あの男のこと、好き?」
「言葉にしたら取り返しがつかなくなる。でも屈託なく笑う彼の顔を、夢に見るのよ。彼が死んだらそんな夢、見なくなるのかしらね」
カツトシは黙って都の肩を抱いた。「それが一生モノの想いであってほしいと思う?」と尋ねる。都は迷いながら、「たぶん。そう。忘れたくないと思う」と答えた。カツトシはそのまま都の肩をぽんぽんと叩きながら、「一生同じ相手に恋をするって、きっととても苦しいことなのよ。それがあの男でもいいの?」と重ねて問う。都は笑ってしまって、「わからないわ。私、あまり男の人を知らないから」と正直に言った。
「じゃあ、あんな男やめておきなさいよ。もっといい男がいるわ」
「ふふ……そうだといいけれど」
「それでも、一生モノであってほしいと願うなら。僕は人の想いは永遠だと思うのよ」
ありがとう、と言って都は自分の顔を手のひらで覆う。「いえいえ」とカツトシは都の髪を撫でた。
次の瞬間だった。つんざくような銃声が聞こえたのは。カツトシが、都の頭を押さえながら伏せる。「……チッ」と舌打ちして頬を拭う。手の甲に血が付いた。
「血が……!」
「かすっただけよ」
「でも、薔薇が生えて……」
カツトシは都に向かって「しっ……」と人差し指を揺らして見せる。それから振り向いて、「みんな固まって。プールの縁に隠れるのよ」と指示した。
「どこから撃ってきたのよ、こんなとこで発砲するなんて信じられない」
そう言ってカツトシは顔を出す。「あっ」と声を上げたのはユウキだ。
「あれ、この前追いかけてきた人ですよ」
「もう一人いる! 仲間と来たんだ!」
あれが、と都は呟いた。「銃を持っているわ」と言えば、「ああー……あんまり大事にしたくなくて言わなかったんすけど」とノゾムが頭をかく。「馬鹿っ」と思わず都は顔を青くして叱った。
「スミマセンついでにオレ、行きましょうか。撃たれても穴が開くだけなんで」
「そんなことを言ったら、私でもいいはず」
「何言ってんのよ。ノゾムや先生が行って、それからどうするわけ? 僕が行くわよ、僕が」
「いやいやいや。アイちゃんさんはこれ以上怪我しちゃダメでしょ」
ミユがいく、と鈴のような声が響いた。呆然とした様子で、だけれども明瞭な声で実結が「だってミユのことさがしてるもん。ミユ、いく」と話す。呆気にとられた都たちを尻目に、飛んでいこうとする実結をユウキが捕まえた。
「ミユちゃんが行っちゃったらぼくたちの負けです! 行かせません!」
そうだよ、とユメノも真っ直ぐに前を見ながら頷く。「悪いやつらの思い通りになんか、なっちゃダメだよ。悔しいじゃん」と言い切った。
「そこにいるよな?」
男の一人がこちらに気付いたようだ。ゆっくりと近づいてくる。
「鱗粉病に液状病、薔薇病、縫合病か……。こりゃあ、高く売れる」
「言ったろ。金の生る木だ」
ぐっとカツトシが腕に力をこめるのがわかった。男たちがあと一歩近づいてきたら飛び出していくだろう。
その時、まったく見当違いの場所で物音がした。扉の開く音だ。男の一人はそちらに銃を向け、息を殺す。
ゆっくりと、緩慢ともいえる動きで姿を現した。タイラだ。じっとこちらを見ている。
「……あれが高熱発火病の男だ」
「あれが……」
「う、撃つのはやめろよ。爆発するかも」
「言ったろうが。高熱発火病の患者が爆発なんてした例はないって。お前はからかわれたんだ」
タイラが、瞬きをする。不意にその鼻腔から赤い液体が流れた。「……鼻血出てる」とユメノが呟く。
その瞬間、タイラは予備動作もなく走り出した。重い足音が遅れて聞こえる。
男たちはパニックを起こしたようで、2人してがむしゃらに引き金を引いた。タイラは立ち止まらない。カツトシが飛び出して、ひとりの男を組み伏せる。
タイラはそのままの勢いで、もうひとりの男を殴り飛ばした。
酸素を求めるようにタイラは口を開けて、雑に鼻血を拭う。それから倒れている男に近づいた。男は震えながら、それでもタイラに銃を向ける。タイラは男の手首を掴んだ。断末魔が聞こえる。
「言ったはずだなぁ、二度と来るなと。どうして俺の言うことが聞けない?」
男は泣きながら、「あの娘さえ手に入れば、人生をやり直せたんだ」と訴えた。男の首に手を回しながら、タイラは「馬鹿言え」と冷たく言い放つ。
「お前たちが食い潰そうとしたものも、等しく“人生”だぞ」
鼻血が止まっていない。タイラは酸素が足りていないのか、胸を押さえながら口を大きく開けている。
男は自分の首を押さえながらのたうち回っていた。もはや戦意など微塵も見られない。
タイラはふらふらと後ずさる。踵を返した。部屋へ戻ろうとしているのか。その途中で――――小さな音とともに彼の指先が光った。
最初、何が起こったのか正しく理解できなかった。青い炎が生じ、すぐに赤くなる。小さな小さな火花のようなそれは、しかし彼が一歩進んだとき激しく燃え上がった。
炎は彼の指先からすぐに全身を覆っていく。
咄嗟に都はプールから飛び出した。迷いはなかった。彼の背中から抱き着く。
「――――あ……あ、ああああ」
タイラの口から低い悲鳴が漏れた。「離してくれ、離せ……はなして」と訴えている。都自身、体が蒸発していく感覚があった。それでも離さない。炎が少しだけ弱まっている。
「誰か、お願い。彼をプールに落としたいの」
ハッとした様子のカツトシとノゾムが駆け寄ってきた。都と一緒に、タイラの背中を押す。引きずるようにして、都はタイラとプールに飛び込んだ。
水の中。揺蕩う一瞬。タイラは何かを叫んで、気を失ってしまったようだ。彼を腕に抱いて水面に顔を出す。
「大丈夫!?」とユメノが心配そうにのぞき込んでいた。ぐったりしているタイラの呼吸を確かめながら「何とか」と答える。
「ユキエさんは?」
「……少し痩せたかしら。ノゾムとカツトシは?」
「僕は大丈夫よ。今更ちょっと焼けるぐらい、なんてことないわ」
「オレも、まあ、焦げましたけど。そろそろ新しい素材にしようと思ってたんで」
カツトシたちにタイラのことを引き上げてもらう。固く瞼を閉じているタイラは、思った以上に火傷が痛々しかった。
駆け付けた柊は誰のことも叱ったりせず、ただ静かに「事態を甘く見ていた。すまなかった」と頭を下げた。ユメノやノゾムが、きまり悪そうに黙り込む。そうしてスタッフに連れられ帰って行った。依然意識の戻らないタイラも、担架で運ばれてゆく。病室に行く様子ではなかったから、治療室にでも運ぶのだろう。
残された都は、柊のため息を聞いた。
「高熱発火病の患者を水に放り込むとはな」
「……はい」
「あんたは高熱発火病については?」
「奇病についてはひと通り、文献を読みましたので」
そうか、と柊は言う。「それでも、そうしたんだな」と確認されて都は頷いた。
「彼は、今日ここで死ぬべきだったんでしょうか」
「……死ぬべき人間もいなければ、死ぬべきタイミングなんてのも、ねえだろう。それはあんたもよく知ってるはずだ」
「私のしたことは、彼に不要な苦痛を味わわせただけなのでしょうか」
柊は瞬きをして、「それを俺に聞くのか」と吐息交じりに言う。「俺の仕事はそんなことの連続だ。答えが出たことは、今のとこねえな」と話して都に背中を向けた。
プールサイドに佇んで、都は自分の手のひらを見る。それから彼に初めて触れたときの、痛みを伴う熱さを思った。「笑って。」と呟く。「おねがいだから、また笑ってよ。」と――――
祈るような姿勢で都は泣いた。そうね、と囁く。「こんな想いが永遠だなんて、考えたくなくなっちゃった」と。
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