第4話 餞別に宅配ピザをどうぞ

 本日も晴天なり。まるで死出の旅路への餞のように、入院してからずっと晴れている。

 底の抜けたような夏の青空を見ながら、タイラは頬杖をつく。


「聞いてるぅ?」


 そんなことを言いながらユメノが無理やりに隣に座ってきた。ベッドのシーツがよれる。「お前たちは、」と吐息交じりに口を開いた。

「何度言えばわかるんだ。患者だけで外に出るな。柊さんの胃痛を考えろ」

「今日はアイちゃんがいるよ」

「そういう問題じゃないだろうに」

 腕を組んだカツトシが、「ていうか、換気ぐらいしたら? ただでさえ熱気がすごいのよ、この部屋」と顔をしかめる。タイラは肩をすくめた。

「俺もそう思って昨日窓を開けていたら、石が飛んできてコーヒーカップが割れた」

「どゆこと?」

「そういう危険もあるのでお前たちは一般病棟に閉じこもっていろ」

 まあまあ、とノゾムが横から口を挟む。「今日はちゃんと柊先生に許可をもらってるんで。表にスタッフさんいますし」と苦笑した。そうか、と言ってタイラはテレビをつけようとする。


「でさー、タイラ。今日めっちゃ晴れてんじゃん。見て。超暑いから」

「俺には肌寒いぐらいだが」

「外出よ」

「何だと?」


 思わずというように、タイラがユメノを見る。ユメノはと言えば、真剣な顔でタイラを見返していた。お互いの視線がぶつかって、タイラは信じられないという顔をする。

「俺は……」

「お願い」

 痛いほど真っ直ぐに、ユメノは言った。ノゾムたちは何も言わない。それは賭けでもしているような時間だった。

 タイラは閉口し、目を細める。「柊さんは、許可を出したのか? 俺が外へ出ることについて」と尋ねた。ユメノは大きく頷く。戸惑いながらタイラは息を吐いた。

「なぜ? ……それこそ餞のつもりなのか?」

 囁いて、目を閉じた。それから目を開けて、「どこへ連れていくつもりだ」と壁にもたれる。ユメノはにんまりと笑って、「パーティ!」と言った。




「で、引きずり出されたというわけですわね。甘すぎて吐き気がする」

「お前だって顔を出しているということはあいつらにほだされたんだろう」

「私は別に。ピザを食べさせていただけるとお聞きしましたので」


 連れていかれた先は中庭。すでにユメノたちが準備をしていたようで、青空の下に並べられた白いテーブルと皿が眩しかった。宅配ピザだろうか、真ん中に大きく4つ5つと存在を主張している。

 美雨と言い合っていると、こちらに気付いた様子の都が近づいてきた。

「無理を言ってごめんなさい。私たち、どうしてもあなたとパーティをしたくて」

「それは構わないんだ。今日は調子がいいしな。ただ……」

「発火しないわ」

 都は不思議な笑みを浮かべて、そう断言した。「大丈夫よ。今日だけは、大丈夫なの」と。なぜかと問えば、「とにかく大丈夫なの」と都は恥ずかしそうに目を伏せる。どうやら根拠などないようだ。そう思い込め、ということだろうか。タイラは笑ってしまった。「君は真面目な研究者だと思っていたのにな」と言えば、都はいよいよ顔を赤くする。

 気を取り直すように、都が咳払いをした。


「実結を狙ったコレクターから、守ってくれたと聞いたわ。本当に、本当にありがとう」

「ああ……俺は別に何もしていない。あいつらが逃げてきた先にたまたま俺がいただけだ」

「じゃあ、あなたがいてくれて本当に良かった」


 実結の手を拭いてやらなきゃ、と言って都は離れていく。ぼうっとその背中を見ながら、タイラは頭をかいた。

「ああいうことを、さらっと言う女なんだよなぁ」

「あら、お気に召しまして? どうやら彼女、伴侶はいないようですわよ。あの実結という子の父親とはもう別れているのですって」

「……そんなことを俺が知って、どうする」

 美雨はちらりとタイラを見て、「ピザ、召し上がったらどうです。熱いうちに」と促す。タイラは笑って、「そうだな。少しでも熱いうちにな」と返した。

「自分の体温より低い温度は全て冷たく感じる?」

「ああ。でも火傷はするんだ」

「それは……。純粋な興味ですけれど、あなた入浴はどうなさっているんです?」

「今のところガタガタ震えながら40度ぐらいでシャワーを浴びてる。そのうち沸騰した熱湯で入ろうとするかもな。内側から焼かれるか、外側から焼くかみたいな話だ」

「風呂場で茹で上がって死ぬのって幸せなのかしら」

「時々、そう考えることもある」

 向こうでユメノがタイラのことを呼んでいる。タイラは小さく手を振って、歩いていこうとした。

 不意にバランスを崩すタイラを、とっさに美雨が支える。「ああ、悪い」と言いかけたタイラのことを思い切り突き飛ばし、美雨は「あっづッ!」と叫んだ。


「…………」

「…………突き飛ばすことないんじゃないか?」

「ごめんあそばせ。ちょっとびっくりしたのですわ」


 自力で立ち上がったタイラが砂利を払う。「ここ数日、何もないところでつまずくことが増えたような気がする」と嘆いた。

「足は問題ないはずなんだよなぁ」

「足に問題ないなら、頭じゃありません?」

 お前なぁ、とタイラは呆れた顔をして美雨を見た。「馬鹿にするのもいい加減に……」と言いかけて止まる。


「頭、か」

「熱中症と同じですわね」

「そうか……そうかもしれないな」


 静かに自分の手を見つめるタイラに、わざと軽やかに美雨は「お可哀想に」と言ってやった。タイラは眉をひそめ、「お前も似たようなもんだろう」と指摘する。美雨は肩をすくめた。

「呼んでますわよ、さっきからずっと」

「忘れてた」


 ようやく近づいてきたタイラの口に、ユメノはピザを突っ込む。

「美味しいっしょ?」と尋ねれば、タイラは後ずさって何とかそれを飲み込んだ。何か言いたそうにユメノを見たが、やがて諦めたように「そうだな。久々に食ったよ」と答える。

「ユウキ用のデザートピザもあるよ」

「ユウキ用なんだろ」

「いいですよ、一切れぐらい。あげます」

「いいのか。太っ腹だな」

「せっかく来てくれたんだから、あげます」

 タイラは甘いものは得意ではないが。頬張って、「美味いな」と目を細める。なぜだかユメノがムッとして、「あたしは? あたしとどっちが?」と騒いだ。「お前の勝ち」と言ってやれば、ユメノは嬉しそうに両手を上げる。


「はーい、今日はシフォンケーキを焼いたわよ」


 そう言って、カツトシが両手にいっぱいの菓子を持って現れた。タイラの横でノゾムが「よっ、薔薇とケーキを焼かせたら世界一!」と囃し立てて殴られていた。「やべえ、首が取れる」と言ってノゾムは耳の下あたりをさする。

「はい、あんたの」

 そう言われ、タイラは大人しくそれを受け取った。甘いもんは得意じゃないんだよなぁ、と思いながら頬張る。


「ん……思ったほど甘くねえな」

「そうすか? 今日も今日とてめっちゃ甘いっすけど。ケーキも甘けりゃ、その上に乗ってるクリームも甘いっすけど」


 そうか、と言ってタイラはシフォンケーキを食べ終わらせ、指についたクリームを舐めとる。やはり、それほど甘くはない。

 そっとその場を離れ、タイラはカツトシに声をかけた。

「俺のだけ、甘さ控えめだった?」

「……あんた甘いの苦手なんでしょ」

「美味かったよ、すごく」

「そう。ならよかった」

 ふいっと背中を向けて、カツトシはユメノたちのところへ行ってしまう。タイラはくつくつと喉を鳴らして、「優しいやつ」と呟いた。


 それからまたピザの広がったテーブルに戻ると、実結が「おいしい、おいしいねえ」と言いながらピザを頬張っていた。

「君、口の周りが大変なことになってるぞ」

 言いながら実結の頬に触れようとして、固まる。実結は不思議そうな顔でタイラを見ていた。手を引っ込めて、「君のママはどこへ行ったかな?」と周囲を見渡す。慌てた様子で都が走ってくるところだった。

「ごめんなさい、少し外していて」と言う都の口元には、シフォンケーキのものと思われるクリームがついていた。

 思わずタイラは吹き出して、その場にうずくまる。


「!? どうしたの」

「待ってくれ。待って」


 こらえきれず、声を上げて笑った。都を指さして「ケーキ食ってきたろ、バレバレだぞ」と言う。

 当惑する都の横からカツトシが現れて、スマートに都の口元をタオルで拭った。ついでにユウキも実結の隣で、実結の口元と手を綺麗に拭いてやっていた。

 都は、ようやく自分の状態を正しく理解したようだ。顔を真っ赤にしてうつむいている。

「ちょっとあんた! レディの前でゲラゲラ笑ってんじゃないわよ!」

「いや悪い。あんまり似合わないもんで」

 あー、と呟いて深呼吸をする。「ああ、久しぶりにこんなに笑った」と目を細めた。息が上がったまま戻らなくてダメだ。


 すっと、背後に美雨が立った。タイラにだけ聞こえるような囁き声。

「久方ぶりの“感情”でお疲れでは? そろそろ病室に戻ったらいかが。あなた、顔色が悪くてよ」

 そんなことは、言われなくてもわかっていた。乱れた呼吸と、ぼんやり働かない頭。また熱が上がったのだ。はしゃいで熱を出す子どもと同じ。熱い、とも思う。そしてそれを大きく上回る悪寒。


「私、息子に会いに行ってきますわね。ついでにこの男も連れていきますわ。章が喜ぶので」


 はなせよ、と呟く。腕を引いている美雨が「離したいに決まっているでしょう」と言った。

 千切れそうなほど懸命に腕を振ったユメノが「またね」と言っている。ぼんやりとした頭で、タイラも「また、な」と囁く。瞬きをした。そこにあるもの全てが崩れて消えるような感覚がある。


 次に目を覚ましたとき、タイラはベッドの上だった。

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