第11話
視線の先で、子供たちがそれを見上げて呆然としているのを、園内を見渡せる低い丘の上から見下ろしていた烏合の衆は、只々あんぐりと口を開けて見ていた。
見たくなくても目に入るのは、突如現れた大樹だ。
カスミと言う女が何処からか持って来て、適当な所で放した小さな盆栽の様な木に、「予想内の人物」と笑った二人が近づき、エンが手で触れた途端、徐々に大きく育ち始めた。
「この国にも、何体か確認されている『生き物』よ。山奥に生息し、森の中の木々に紛れたまま成長して生涯を終える、ほぼ無害の」
百年かけて命を宿す九十九とは違い、元々意思はあるものの動く術がない、植物の一種だ。
「寝床から出しても、土のある場所を求めて動いて根付くだけで、その辺りの山や森にある木々と変わらない、癒しすら与える生き物。気に入った人間と共に生き、癒しと守護を与える事で有名なんだけど、その気に入り方が尋常じゃない場合は、御覧の通りの状態になる」
説明したカスミは、驚いて声も出ない面々を見回して、小さく笑った。
「大昔からいる、妖怪の一種なんだけど……驚いちゃって、可愛いわね」
その笑い方は、それと相対している子供たちと同様に、驚いている自分達を小馬鹿にしているものだったが、知らなかったのは事実なので、白銀も黄金も歯噛みしながら口を噤んでいた。
男たちは嫌みな言い分に気付くことなく、溜息を吐く。
「あんなものをけしかけて、大丈夫なのか?」
「下手したら、おびき出したガキどもを、餌にしちまうだろう?」
「餌にはしないわ。邪魔者として、振り払いはするでしょうけど」
本来の主である少年だけが、あの大木の標的だ。
「まあ、似通った背格好の子は、危ないみたいだけど……」
カスミの目線の先で、身軽に動く影が子供たちの前に立った。
年長の少年たちと同じ年ごろのその少年は、気楽に笑いながら同年の少年に大木から切り取った枝を、押し付けている。
それを笑って見守り、女は言った。
「一人だけ、常識を逸した子が、混じってるわね。あれなら、適度な具合にあの怪木を退治できるんじゃない?」
「退治、出来るのか?」
思わず漏らした黄金の言葉に、カスミは微笑んだ。
「出来なくても、本当に犠牲になるのは、一人だけ」
その少年を差し出して逃げる、そんな事をするような子供たちではない。
そうしても仕方がない事態だが、少なくてもここに集まった子供たちが、そう結論付ける筈がなかった。
「退治できるとしても、満身創痍になるでしょうし、出来ないとしても、最後まで守ろうとするなら同じく、満身創痍になるはず。どちらにしても、あなたたちが獲物として狩れる状態になるわ」
「成程。獲物が一人増えるか減るか、その程度の違いか」
「そう言う事」
勝利を確信した笑いが、場を満たしていく。
そんな中、二人の女は成す術もなく見下ろし続けるしかなかったが、少しだけ気になった事があった。
カスミは、気づいているのだろうか。
エンと雅が、あの怪木と接触した頃から、園内にいた従業員らしき人影が、一つも見当たらなくなったことに。
自分達を、さりげなく見張る気配が、どこからか感じられることに。
気にはなるが、自分たちの状況にどう変化をもたらしてくれるのか分からず、それが最悪な事態を忌避してくれる存在である事を、祈るしかなかった。
ポチが発情状態になり、膨張したのを見守っていた烏合の衆が、余裕を取り戻すのを冷静に見守っていた園内の展望台にいた人物が、ゆっくりと更に膨張を続ける怪木を見上げた。
「……大きくなるものを見るのは、何年ぶりでしょうか」
「あの時は、雄株だったからなのか? ここまでは大きくならなかった気がするが」
隣でその様子を見守る人物も、驚くというより呆れている。
「確か、雌株は種を宿す分、雄株よりも誇張したくなるだろうと、誰かが言っていたような気がします。それ故、膨張し過ぎて破裂して自滅することがあり、遺伝での種の存続はほぼないと」
「同種同士でも、殆んど思い合って子を成す事がないからな。突然変異での誕生での発見しか、今迄も報告されていない」
澱みなく続ける男を、森口律は振り返った。
引退した大物政治家を、長年護衛し続けたその貫禄は未だに健在で、目を細めただけの視線でも、大抵の暴漢はすくみ上りそうだ。
その視線を真っ向から受ける男は、その長身の男よりも更に大きく上背もあるが、全体的に薄い色合いと美男子ともいえる顔立ちと容姿のせいか、同じくらいの貫禄に止まっている。
そんな二人の間にいる塚本伊織は、どちらに対しても委縮するしかないのだが。
律が振り返った先の男は、しみじみと首を振った。
「あんな奇怪な特技がある奴がいるとはな。しかも、それを悪用しようなどと考えるとは。ここまで、質の悪い悪戯をするようになっていたのか」
銀髪の松本社長の側近の弁に、律も大きく同意する。
「特技かどうかは兎も角、私もあの旦那が、ここまで変な画策をするとは、思っていませんでした」
凌と名乗る、松本建設の従業員があの山を訪れた時に、森口親子が来たのは偶然だ。
だが、聞いてしまったからには、その騒動に係った者たちを気にしてしまうのは、当然だった。
一週間前、院長経由で若者が病院を去っていたのは知っていたが、それを側近たちが知らなかったと知ったのは、昨日の朝だ。
松本社長から、古谷の守り人経由でその事を知った凌は、また修羅場が起こるのではと危惧し、昼前にやって来たのだが、別な修羅場がそこにはあった。
「ゴシップ誌で話題になった時に、オレは調べたんだが。ロンは、そうしなかったんだな」
「昔からあの旦那は、鋭い割に抜けてるからな」
呟いた声に、背後から相槌があり、思わず舌打ちしてしまった。
取られてはいけない奴に、背後を取られていた。
「……くそっ。そのつもりはなかったんだが、意外に鈍っているのか、オレはっ」
悔しそうに振り返る大男を見上げた少年は、目を丸くして頷いた。
「ああ、オレも驚いた。そんなに子供を覗くのが、楽しいのか?」
「お前は? 娘がいるじゃないか」
思わず反論する凌に、水月は真顔で答えた。
「元気なのは、遠くからでも分かる。この程度の覗きでは楽しくないな。中身の育ち具合が、もう少し明確に分かれば別だが」
「娘に対するにしては、完全に変態の言葉だぞ」
「触るのは我慢するんだから、構わないだろう? それは、律に釘を刺されているから、頼まれてもやらん」
胸を張る少年の後ろで男の姿で立つ白狐が、額を抑えている。
「何を、当たり前のことを平然と……」
「あんたと、ここで会うのは珍しいな。どう言う風の吹き回しだ?」
苦労の多そうな弟子に構わず、水月は素直に驚きを口にした。
「いや……修羅場を、宥めようと思って来たんだが……」
別な修羅場の真っ最中で、入るのを躊躇っている旨を説明すると、少年は頷き屋内を伺った。
「オレは明日、日帰り旅行に誘われていてな、丁度いいから挨拶がてらに、ここに泊まらせてもらおうとやって来たんだが……」
素直にホテルに入ろうと判断したところだと、水月は説明した。
「どうも、あの二人が、残りそうだからな」
しかも、二人とも最高に機嫌が悪そうだと呟くと、凌もげっそりとして頷く。
「不穏な話になっているな。ユメの息子のペットと言うのは、あれだよな? 銀杏の木に似た……」
「盆栽か何かか? 珍しいものを、養っているのだな。確か、英国の人間なんだろう?」
「寝床……鉢植えの中なら、盆栽だな。昔何度か会っただろう? 樹木の妖怪、あれだ。ユメの息子は、引きこもり気味なんだ。癒しの為のペットとして、それを選んだと聞いた」
木の生い茂る空を仰ぎ、少年が首を傾げた。
「子供が抱え込めるほどの大きさ、だったのか? 見上げるほどの大きさで、意外に力を込めて斬り捨てた記憶があるが」
「地面に張った根ごと引きはがして、焼き払った事もあったな」
大男が頷き、疑問に答えた。
「成長する可能性があるのは、寝床と呼ばれる植木鉢の類から引き抜かれた場合のみ、だ。昔は、殆ど山の中に野放しだっただろう? 時々人の血を吸い過ぎた奴らが、ああやって暴走する位だったが、今は持ち運び自由だからな。どこかの盆栽に紛れているかもな」
「それは……平和なのか、危険なのか分からない状況だな」
「暴走しない限りは、根付く場所に落ち着く程度だろうが……何だ? あのエンの不穏な笑みは?」
ユメの相談事の内容より、聞いていたエンの笑顔が深くなったことに、不審を覚えた。
ユメが辞する頃に、セイが見送りに立ったのを見て、凌も移動しようと身動きしたが、水月がそれを制した。
「何だ?」
「いいのか? ここで鉢合わせても構わないのなら、止めないが」
どういう意味だと眉を寄せた凌だったが、すぐにそれに気づいた。
玄関を出て来たユメが、父親が出てくる前にと見送りに来た少年少女に神妙に頭を下げた。
呆れ顔に見える無感情のセイの問いかけに、女は途方に暮れたように問題を切り出している。
話の内容にも驚いたが、ロンが玄関を出て娘を促し、山を下りて行ったのを見送った若者に近づいた、その若者と同じくらいの体格の若者を見て、小さく唸ってしまった。
気配を殺して立ち尽くす凌を見上げて小さく笑い、水月は大男の傍を抜けて若者たちの前に姿を見せる。
「一体、何を企んで、こんな辺鄙な所の動物園に来ようなどと考えた?」
鏡月の顔が険しいのは、水月が来たことを歓迎していないせいではない。
それを分かっている少年は、静かに笑って答える。
「この地を去る同級生と、思い出づくりしたいのに、当の本人が逃げ回っているから、炙り出したいと言われてな」
「……」
言って一瞥した先には、諦め顔の志門がいる。
「野生じゃない生き物をじっくり見たいというのもあって、承知したんだが。結果オーライだろう? 今の話を聞く限りは?」
「……ああ」
渋々頷き、鏡月はロン親子の背中を見送っているセイに声をかけた。
「お前、あの馬鹿親父が今、何をしているのかも承知しているのか?」
「……」
沈黙しているのは、今話し始めては不都合があると感じての事のようだ。
水月が小さく笑い、切り出した。
「一度戻って、適度な所で出て来れないか? 場所を決めてくれれば、そこで待つ」
家内に残っている男女が不審に思う前に、一度セイは家内に戻る必要があった。
それを受けた若者が指定した場所は、仮眠用の三畳の畳部屋だった。
市原夫妻が家を辞し、雅とエンが各々明日の準備を始めた頃になった夕方、その待ち合わせの部屋にやって来た時、セイは先程一緒だった少年を一人、後ろに従えていた。
「……静は、葵さんが送ってくれる」
雅とエンは明日の仕込みを始めていると短く言い、若者は部屋を見回して眉を寄せた。
人数が、増えていた。
志門が気づいて神妙に頭を下げた相手は、この間までお世話になっていたという、高校の担任教師だ。
小さな炬燵机を囲んで座る客たちの中で、居心地悪そうに身を縮めていたが、この間見送った教え子を認め、望月千里も目を見張った。
少年からセイの方へ目を向けた教師に、若者は無感情に言う。
「私が動けない今、人員不足を解消するには巻き込むしかない」
「……」
反論しようと口を開いたが、何も返せず顔を歪めて口を噤む。
そのまま肩を落とした千里の代わりに、静かに切り出したのは、先程やって来た若者だった。
弟子が、明日県内の動物園に遊びに行くという話を聞き、一方で周辺に怪しい奴らが集まり出したという情報が気になり、蓮はそれとなく調べていた。
「時期的に大丈夫なのかと不安になって、過保護とは思ったが調べてみれば……まさか、この人の案件か?」
鏡月やセイより未だ小さいが、そろそろ追い抜きそうな勢いで成長を始めている若者は、目だけを別な方に向けて尋ねた。
その目線の先に、ちゃっかりと正座した真面目そうな男が座っている。
その両隣に座った律と水月が、ついつい男を睨んでしまう鏡月を牽制しているが、そんな気遣いを無にするように男は真面目に返した。
「私の案件、という程大仰ではないぞ。ただ、面白そうだと思って煽っただけだ」
「そうか。……オレは、控えめな表現にしたつもりだったんだがな」
予想はしていたのか、諦めの濃い呟きだ。
爆発寸前の鏡月の隣で、間を取り繕うように立ち尽くしたままのセイを見上げた。
その視線を受けて若者は静かに座り、志門もその隣に正座する。
「……あんたが持って来た話は、こちらが落ち着いた後でも間に合うと、そう思っていたんだけど、急遽動いた」
そう話しかけた相手は、高校教師だった。
小さく頷いて顔を上げた千里は、顔を歪めたまま返す。
「そう言う話だったからこそ、私も大船に乗ったつもりでいた。だから、先程貰った連絡は、寝耳に水だ」
「大船だからこそ、少しの衝撃で壊れて沈むこともある。これからは、それも踏まえてくれ」
深々と頷いた教師から、正面に座る男へと視線を映したセイは、目を細めて短く言った。
「また、ややこしい事態にしてくれたな」
そう切り出した後の説明は、簡単なものだった。
「塚本家と国を出る前に、この人から相談があった」
黄金と白銀が、どうやら質の悪い妖しに目を付けられ、逃げられなくなったようだと。
春から入学予定の少年を餌にすることで、他の犠牲を抑えようとしているようだが、どうもその少年が、生徒の一人の腹違いの弟の様なのだと、持ちかけられたセイはその時、塚本家の件の為待ち合わせ場所である空港の近くで、仕事を片付けていた。
「方々からの情報で、妙な連中がつるみ始めて、手が付けられなくなりそうで注意と言う話もあって、丁度いいから一度顔を拝みに行こうと」
時間までは間があるからと、軽い気持ちでそれらしい形跡のある場所を探して、見つけた。
「……」
「どうやら、この辺りの警備がまだ薄い今を狙って、あの『二人』に接触したようだ」
その、それらしい形跡とはどんなもので、どんな見つけ方をするのか。
律は大いにその取扱いが気になるが、それよりも呆れたように男を見やるセイの様子が気になった。
いつの間に用意されたのか、茶を注がれた湯飲みが全員に行き渡り、男はそれに一足早く手を出し、遠慮なく音を立てて啜っていた。
大きく溜息を吐き、正面の若者に目を向ける。
呆れ顔のセイに真面目な顔で頷く男は、エンの父親であり鏡月の母親の再婚相手だ。
ついでに、蓮の祖父でもあるその男は、真面目に人を揶揄って遊ぶのを趣味にしている、少々扱いづらい人だった。
「敵の弱い所を狙っての事と思わせてやる方が、騙しやすいのだ。ああいう、身になるところを思いつかん輩相手ならな。よく覚えておくといい」
「そう言う輩を騙して、何かを成す機会は今のところないから、参考にはならない」
「そうか」
「というか、今回は何で、一人じゃないんだ?」
「話せば長いぞ。今は、そんな場合ではないのだろう?」
誰のせいだと思っているのかと、鏡月が牙をむきかねない顔で男を睨んでいる。
そんな若者の隣で、蓮が溜息を吐いて口を挟む。
「そんな場合じゃねえのは分かってるが、多少の事情は、あんたの口から聞きたい」
「そうだな。簡単に言うと、変人探しをしていたら勝手に引っかかって、釣り上ったのだ」
隣の部屋で静かに座って茶を飲んでいた凌が、思わず咽た。
「雑魚が?」
「ああ。雑魚が、数匹連なって、釣れてしまった」
祖父と孫の会話を聞きながら、声は出さずに悶えながらも何とか気を取り直したのは、若者公認の盗み聞きをしていたからで、大っぴらに声を上げる事が出来なかったが、久し振りに大爆笑しそうになった。
絶対、気づいて言ったなと、大男は向こうの部屋の真面目な見た目でふざける男に、心の中で大いに毒づく。
「変人探しと言うと……この間の様な、子供の姿で?」
真顔で律も返すが、内心は呆れ返っていた。
後の話が、何となく想像できる。
そんな狐の心境に構わず、男は真面目に頷いて続ける。
「ある土地で、子供が何人か消えているのだが、近くの大川に流されたと、そうとしか思われていないのが不思議でな、ついつい試してみたのだ」
小学生の小学年の年齢の、小柄な男女が対象のその失踪は、男の見立てではかどわかし、だった。
「同じくらいの年齢の子供に化けて、周囲を歩いて見たら、妙な気配がいくつかあってな。しかし、近づく気配が一向にない」
もしやと思い、帰りがうっかり遅くなって、暗い道を全力で走って帰る子供を装って、その辺りを走っていたらあっさりと釣れた。
「変な趣向の変人もいるものだと、大人しく連れて行かれたら……」
お前に言われたくなかろうな、そんな顔を露骨にさらす鏡月に構わず、男は真面目に続けた。
「途中で、噛みつかれた」
駄目だ、我慢できねえっ、と叫んで噛みついたから、どこかに根城があり、そこまで運び込む気でいたのだろう。
振出しに戻るかと、呑気に考えている時に、今の協力者と会ったのだった。
「……協力者?」
「うむ。まさか、噛みついた者を、あのままの姿で瞬殺なさるとは、私もさすがに思わなんだのだ」
眉を寄せる蓮に、男はしみじみと頷きながら言った。
「話の進行はその方に任せて、私は色々と罠を考えていたという訳だ」
気配を辿ってその獲物たちを特定し、近づいた。
どう言う罠がいいかと考えている過程で、黄金と接触することを思いつき、ロンの娘が子供と来日することを思い出した。
「確か、この地でリヨウの隠し子との顔合わせを目論んでいると言う事だったんでな、これは利用できると思ったのだ」
そこまで言って、男は思わず笑いを零した。
「久し振りに会ったが、相変わらず可愛らしい娘だな、ユメは」
「成程。経緯は分かりました。ですが、意図が読めないです。一体、ロンの旦那のお孫さんを使って、何をするつもりなんですか?」
「察しているだろうに、何故訊く?」
真面目な返しに、律はつい眉を寄せた。
「こちらから口にしたら、取り返しがつかないでしょう。大掛かりな話には、正直、係わりたくありません」
男の逆隣りで、水月も無言で何度も首を頷かせている。
「全く。明日の日帰り旅行とやらに、わざわざやって来た時点で、手遅れだと言うのに。ロンの孫、ユラを使ってその旅行の参加者の子供たちを一纏めに集め、程よく力を奪ってから、奴らに食いつかせる」
衝撃で息を呑んだのは、高校教師だけだ。
だが部屋の温度は、間違いなく十度下がった。
男が大袈裟に身震いし、その原因であろう二人を見る。
「……それを、黙認する気か? お前」
鏡月と蓮の視線の先には、無感情のまま座るセイがいる。
その鋭い視線を受けたセイは、静かに答えた。
「するしかない状態になったのは、知っての通りだ」
「ほう」
相槌を打った鏡月が、のんびりとした笑みに剣を乗せた。
「悠長な事だな。いつもなら、様子見に言った時点で、聞こえて来た話が真実か否かくらい判断して、その場で解決していただろうに」
「その通りだな。随分と珍しい話だ。いつもならこちらの事情を聞く間もなく、解決していただろうに。どう言う風の吹き回しだったのだ?」
若者の言葉にしたり顔で頷いて見せるのは、その元凶の一人である男だ。
無感情にそちらを一瞥してから、セイは静かに答えた。
「その、こいつの協力者に、もう少し待ってくれと、頼まれた」
「おや、あの人らしくない。あちらも一体、どう言う風の吹き回しだ?」
男の声か、珍しく警戒を帯びた。
律だけではなく、水月や鏡月までも目を剝いて、思わず男の顔を見直した位だから、随分珍しい事だ。
「知り合いの気配を纏わせている奴があの中にいるが、どう考えてもその本人ではない。どう言う事かはっきりと見極めたいって、真剣に切り出されたんだ」
もし、男の話が大きく進み、子供たちを巻き込むことになったとしても、自分が全力で守ろうと、その協力者は約束してくれたから、若者は一旦引いてこちらの事情を優先したのだった。
「……ほう。では、そちらの方も、明日解決して差し上げよう」
その短い説明で、男は今回の協力者が気にしている事を、察したらしい。
青褪めた顔を俯かせる望月千里を一瞥し、真面目に頷いた。
「許可を取るつもりはなかったんだが、ここまで露見してはそうもいくまい。少々、危うい目に合うだろうが、子供たちの命を借りるぞ」
「……」
二人の若者が黙り込んだ。
代わりに、千里がようやく顔を上げて男を睨む。
「本当に子供たちを、囮に使う気かっ? 大体何故、わざわざこの地を選ぶんだっ?」
「人間の考えに似た事を考える者たちはな、大概、思い込むのだ。他の場所よりも守られている場所に、より良い物が隠されているとな。険しく危険な場所に、わざわざ宝を探しに行く人間がいるだろう? それと同じだ」
冒険心も、意思を持つ生き物には育つのだと、男は言い切った。
「まあ、そういうもんだな……」
呟いた水月は、気の抜けた表情になっていた。
天井を仰ぎ、何かを考えているのが明白だったが、男はそれを見透かして微笑んだ。
「お前は、暫く辛抱して欲しいんだが」
「……目の前で、子供が襲われるのを、黙って見ていろと?」
やんわりと笑いながらの返しは、冷たくなった空気を更に重く変える。
真面目に頷く男は、そんな少年を見つめて短く言った。
「叔父上とは、よくお会いしているのか?」
何で急に自分が話に登るのかと、隣で不思議がっている凌に構わず、眉を寄せた水月を見つめた男の真面目な問いが続く。
「ここまで永く時が過ぎたのだから、あの呪いの話も、笑い話で出来るのではないのか?」
「……おい」
低い声が、鏡月から洩れた。
「どう笑い話になるってんだ? 言ってみろ、こらっ」
立ち上がる若者を、内心戸惑いながら蓮が宥める。
水月は、隣に座る男を静かに見上げ、やんわりと笑ったままだ。
「脅しのつもりか?」
短い問いに、真面目に頷いた男も、短く答えた。
「過保護にしても、子供の身にならんだろう」
男の言う子供は、誰をさしているのか、含みがある言い方だった。
「……まあ、その怪木が、あんたの思惑通りになると決まったわけでもないからな。あの子らが疲れ果てると言う事態に陥るかも、明日次第か」
「……いえ。間違いなく、ポチは、思惑通りになります」
水月の呟きを受けたのは、茶を啜って一息ついていたセイだった。
無感情な声をかけた若者は、声音と同じく無感情な表情で言い切った。
「植木鉢から出たポチを、エンは追って行きました。今頃、例の動物園に誘導している事でしょう。後は、ロンの孫が来るのを待って動物園に誘い込み、頃合いを見て触ればいいだけです」
「……触る?」
眉を寄せた律に、若者は頷いた。
そして、兄貴分である男の、変わった能力を説明したのだった。
それを聞いた一同の反応は、間抜けともいえる物だった。
「……は?」
言葉もない一同の中で、唯一声を出したのは蓮だ。
「いや、本人にどうしようもなく、使えない力しかないと言うのは聞いてた。だが、本当に使いようがねえな」
「うん。もう一つも、死期が微妙に視えるってだけで、いつどんな死に方かまでは分からないらしいから、全く、使えない」
無感情のまま、兄貴分をこき下ろす弟分の言葉だった。
可哀そうな奴だな。
凌は、自分には同情されたくないと言われそうだが、それでもエンに同情してしまった。
自分の甥っ子や姪っ子の子供たちは長寿になっても、何故か半端な力しか覚醒しない。
だからこそ、半端ではあるが見合った分野を極めさせるように育てるのだが、凌が知るどの子供よりも使いようがない力に思えた。
「その使えないはずのものを、一度くらい使わせてやろうと言う親心なのだ」
しんみりと言った男の言葉は、全く信ぴょう性がない。
だから、部屋の面々もあっさりと聞き流している……子供たちが、疲れ果てた時に襲う奴らが本命なんだったら、それまでは見物しておくことにするが……問題は、あの子らがその怪木を捌けるか、だな」
事情を把握した水月が、頭の中で画策しながら呟くと、蓮があっさりと言った。
「健一も行くんだろ? なら、フォローの余地がある」
「そうだな。健一が友人とフォローに回っている間は志門、お前と静で周囲の防御をしてみろ」
「……防御、でございますか」
きょとんとした志門に、鏡月はにんまりと笑った。
「古谷家の方で、多少は教わっているのだろう? 防御の呪いを?」
「……ついでに、課題変更しても、いいか?」
頷いた少年は、無感情な問いかけに目を剝き、振り向いた。
隣に座っているセイが、無感情のまま首を傾げ、返事を待っている。
「お、お願いいたします」
セイが少年に課題内容の説明をしている間に、二人の若者は明日の計画を念入りに立て、全ての打ち合わせを終えて、一旦解散した。
律が水月を送り出して再びやって来た時、セイはのんびりと山の家の中にいたが、一人ではなかった。
「お客か? そっちは、初顔だな」
縁側に座る若者に、何かを訴えていた望月千里が振り返った。
一礼してセイから離れる教師を見守っていた女が、律と前後して訪ねて来た凌の声に顔を上げた。
中庭に面した座敷部屋に正座しているのは、小柄な白髪の女だった。
赤みがかった明るい色合いの瞳が、二人を交互に見て微笑み、静かに頭を下げる。
そして、何かをぽつりと呟いた。
凌には聞こえなかったが、近くにいたセイと耳のいい律にははっきりと聞こえたらしい。
思わず苦笑した律と、つい天井を仰ぐセイに構わず、女は挨拶して名乗った。
「塚本家のシロです。初めてお目にかかります」
「塚本……ああ、もしかして、元祖という奴か?」
年を重ねるだけの歳月に飽きた奴らの中には、気になる人間を後ろからフォローして、発展させることに情熱を燃やす者がいる。
松本建設にも一人おり、術者の家系である塚本家にもいると言う話も聞いていたが、実際に会ったのは初めてだ。
「松本建設の、従業員をやってる、凌だ。よろしくな」
軽い挨拶をする大男を、女は複雑そうな顔で凝視し、その気持ちを察してはいるが、そんな時間はないと律は若者を見た。
「水月は計画通りに、待ち合わせ場所に置いて来た」
念入りに、「うっかり」武器にしそうな物は取り上げておいたが、二つだけ身に付けさせている。
それを使用しようと思うかどうかは、あの人次第だ。
そう言った律に頷き、セイも経過を話した。
「蓮と鏡月も現場に向かったと知らせて来ました。今頃、子供たちは列車の中です」
「そこで、まずは、ユメさんの気にしている、双子さんたちの再会が組まれている」
続けたシロの言葉に、千里が思わず振り返った。
その目を見返して微笑む。
「元々、今日の内に、それはすると言う話だったんだ。ユメさんは、双子が生き別れ状態だと言う事を、知らなかったんだよ」
金田健一が、今日誘われているのなら、速瀬伸も誘われていると、塚本聖にまで話が来た時点で、分かっていた。
だから聖に、最近友人となった河原章を、誘わせたのだった。
「今日の内に、三人を顔合わせさせることになるとはな。手間が省けてよかったよ」
「……」
昨日話を聞いて家路についた千里は、遅ればせながらその可能性に気付いて、速瀬伸と連絡を取った。
どう引き留めるか思い当たらずに送り出す言葉で電話を切ったが、矢張り気になってしまい、朝一でここに来た。
あの卒業した生徒たちと一緒という事実だけでも心配だと言うのに、今更なる問題が浮上し、一介の高校教師は、どうすることも出来ずに立ち尽くしていた。
「まあ、そこまで心配することはないよ。聞いた限りだと、中々強かな子らしいじゃないか」
「……痛みに、鈍いだけです」
首を傾げるシロと、顔を伏せて憂う望月千里を見比べ、後に来た客の二人は、ついつい見世物を見ているような気分になった。
「……あれだな、長生きしてみるものだ」
「ええ。まさか、あの種が人間と混じったら、ああなるとは」
まだ大きくなっていく怪木を見つめながら、先程会った塚本家の元祖を思い出し、凌がしみじみと言うと、律も大きく頷いた。
天狗と言う、人間にしては異端の存在が、血縁を作れない理由が、女の姿であそこにいた。
昔から、修験僧が極まった姿が天狗だといい伝わっていたが、その生態は謎な部分が多かった。
初めに天狗へと昇格した修験僧は、血を繋いでしまっては己の力が弱まる事を、心の底から恐れたのだろう。
だから掟として、永く女との契りを禁じていた。
少年と娘を取り違う事がなかったからこそ、その掟は漠然と守られたままだったのだろうが、あんな実例が出来ては、未来永劫、天狗は血を繋ごうと考えまい。
「というより、昨日会ったときは、全く気にならなかったんですが……」
「ああ、あの教師だろ?」
二人の男が真顔で会話する後ろに、伊織は静かに控えていたが、隣の男がようやく口を開いたことで、そちらに意識を向けた。
「……どういう事だ、これはっ」
今の仕事先から呼び戻され、何も聞かされぬままにこの場所に連れて来られたと思ったら、そこで冷ややかに笑う塚本の当主がいた。
身を縮めて控えめに、動物園内を見渡せるここで見回していたら、見慣れた二人の子供が、何故か集団客に紛れて入園して来た。
驚きが覚め切らない内に、あの怪木が出現したのだった。
つい口にした短い言葉に、深い感情があふれる程に詰まっていたが、伊織はしれっと返す。
「あなたが、渡りに船とやらで引き寄せた兄弟たちが、再会したんです。場が悪かったのは、あなたの日ごろの行いの悪さでしょう」
「い、いや、あのな……」
何故それを、そんな顔になった男を、深い笑みで見返し、伊織は続けた。
「私の溜飲は、この程度で下げますが、金田医師にはこれではすみませんよ」
「……」
声を詰まらせたまま黙る男に、塚本氏は言い切った。
「土下座して謝る後頭部を、足で踏みつけられるくらいの覚悟はしてくださいね」
「す、すまなかった」
この男は何も相談せず、勢いで動いた挙句、大怪我を負った。
その原因が、自分が服用させた薬のせいだと知った時の年上の友人の衝撃を、けろりとした顔で復活しながらも、自分たちに黙ったままでいた男に、多少は分からせたかった。
余り、溜飲も下がらなかったが、それはまた折を見て嫌がらせして行けばいいと、伊織は苦い思いで男の謝罪を受けている。
河原巧は、今叔父に当たる若者に、こき使われている。
故人となった為に、妻の傍に身を寄せるわけにはいかず、しかし、父親を頼るのは嫌だと考えた末の、すがり先だった。
蓮は健一に聞いた同行者たちの中に、巧の義理の息子たちがいるのを知って、塚本氏の思惑を察してくれ、こちらに放り投げてくれた。
有り難いが、河原巧が蓮の元にいる事を調べて知っていたと言う事実を、どこで気づかれたのか。
本当に恐ろしい人だ。
「……玲司に、踏みつかれるのは覚悟するが、あれは、オレの行いのせいかっ?」
ここまで、予想外の展開になるとは思っていなかったと、巧はようやく成長が止まった怪木を指さした。
意外に、変態の気があったのかと、新しい発見をして若干、友人と距離を空けた伊織が、きっぱりと頷いた。
「天候に障りが行かなかっただけ、ましだったのでは? あれを何とかすれば、閉園時間までは遊べる天気なんですから」
「お前、何でそんなにおかしい事を、もっともらしく言えるんだっっ」
「霊柩車の中で棺桶の蓋を破って逃げ出して、そのままこちらに連絡一つしなかった非常識人に、言われたくないのですが。あの後誤魔化して蓋を締め直して、空の棺桶を火葬するのは、骨がいったんですよ。お骨拾いの時、灰しか残っていなくて、誤魔化すのが一苦労で……あなたが、薬剤中毒だったと言う事にして、何とか納得してもらったんです」
「お前、何てことをっ」
元刑事と国家公務員の、聞き流すには黒すぎる会話を、前に立つ男二人は何とか聞かない振りをしている。
これからの動きを整理しようと頭を抑える律の隣に立ち、凌は呟く。
「まあ、仲が良くて何よりだ」
「……その一言で、済ませますか」
「お前、この後どうするんだ?」
軽い一言の後短く問う大男に、律も短く答えた。
「昨日、話した通りに動くだけです」
どうしても手に負えない事になったら話は別だが、少なくともこの怪木を制するのは子供たちに任せる。
今朝の話では、塚本家の元祖も絡むと言う事だったので、実際にこちらがどうこうしなければならない者は、多くない。
突発な何かが起きたとしても……。
「出る幕は、捕獲時しかなさそうですがね」
「そうだな。オレは、野次馬に来ただけで終わりそうだ」
若者二人が、秘かに参戦している今、凌が出来る事は只見守るだけ、だった。
「まあ、あなたの弟子が、どう言う成長をしたのか、見ててあげて下さい」
同じように野次馬と化した律も笑い、優しく促した。
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