第9話
余り過保護にするのは良くないとは思うのだが、市原葵には少しだけ気にかかる事があった。
だから、この日は休みを取り、子供たちよりも少し遅れて、動物園にやって来たのだ。
同じように休みを取ってくれた、朱里が一緒だ。
本当は、旦那の威厳回復の為、自動車の運転も買って出ようと思ったのだが、女房はそれを察して先回りして、運転席についてしまった。
「カーナビは、伊達じゃねえんだぞ?」
「余計な体力は、お互いに使うべきでは、ないわ」
カーナビだけではなく、朱里のナビも必要になるだろう葵に、それ以上言いつのることは出来なかったのだ。
何とも格好悪いと思いながら、助手席から出た大男は、駐車場から逆方向へと歩き出すのを、女房に引きづられるように止められ、何とか目的地の動物園入り口に辿り着いた。
「他の人が優しすぎて、怒った時のあの人のやりすぎ度が、分からないのよね。やり過ぎたら後味悪いし」
朱里は、様子見を決行する理由をそう語ったが、葵は少しだけ違った。
「……まあ、多少やり過ぎても、何とかなると判断したから、セイも許したんだろう」
曖昧に返しながら、全く別な不安を持っていた。
確信が持てないから女房にも話せないが、大体は当たっていると思っている。
問題は、どうしてあの人まで、あそこまで不機嫌になったのか、だ。
動機が分からず、昨日は宥める術がなかった。
エンがやる気の行動は仕方がないが、その後どうなるのかの見当がつかず、ここに様子見に行って考えようと、判断したのだった。
チケット売り場に向かうと、そこに二人の若者がいた。
市原夫妻もよく知る若者たちは、何やら真面目に言い争っていた。
葵より先に気付き、目を丸くしながら近づいた朱里が、二人に呼び掛けた。
「蓮お兄様に、カガミさん。どうしてここに?」
言い争うのを止めた若者の内、腰まである黒髪を後ろで束ねた方が、振り返った。
「おうお前ら、二人して来たのか? 過保護すぎじゃねえか?」
その言い分から、今日の話は何処からか聞いているようだが、朱里からではないようだ。
女は不思議そうに首を傾げ、問いかけた。
「ご存じなのですか? うちの子たちの、研修のお話」
「おう、うちの弟子どもも、巻き込まれちまったからな」
にやりと笑う若者の言葉に、朱里は詰まって謝る。
「そ、その事は、申し訳ないと……」
「まあ、何事も経験と思えば、いいだろう。オレとしてはこれを機に、静が少しでも思いのたけをぶつけられればいいと思うしな」
「あんたは最近、下世話が過ぎねえか?」
くせ毛のある黒髪を、今は不揃いに短くしている若者の言葉に、長髪の若者は苦笑し、葵を見上げた。
会う度に背丈が伸びているがそれでも見下ろす大男に、若者蓮は不敵に笑いながら言った。
「丁度いい。お前らと、親子割で入ろう」
市原夫婦には、カガミと言う呼び名で定着している若者、鏡月もそれを聞いて頷く。
「そうか、その手があるな。実はな、団体には少なすぎるし、カップルとして入るにしても、どちらかが損しそうで揉めていたのだ。お前たちの子供として入れれば、丁度いいな」
葵は呆れてつい言ってしまった。
「二人とも、いつもは子ども扱いすると、怒るくせに。こういう時だけ、利用するんですか」
鏡月に向けた文句に、蓮がにやりと笑った。
「こういう利用の仕方をしねえで、どうするんだよ。ガキに見えるのが仕事で使えるんだったら、いくらでも利用してやる」
「そう言う事だ。ほれ、行くぞ」
仕事に関する覚悟の仕方が、自分達とは違うようだ。
葵は苦笑しながらチケットを購入し、四人は家族割で安く入園した。
門をくぐって暫くしてから、子供たちを探すべく集中しようとした大男に、蓮が呼びかけた。
「ガキどもより、先に探して合流した方がいい奴が、いるだろう?」
振り返った葵の目線の先に、意味ありげに笑う二人の若者がいる。
「……それは、ここにいる筈の、家出少年の事、か?」
探る問いかけに蓮が答える前に、鏡月が指を順路方向に指し示した。
「向こうにいる。あいつ、どうやらカップルで入ったらしいな」
「ま、妥当じゃねえの? あいつ一人で入るには、可愛らしすぎる場所だからな」
それを聞いて、葵は空を仰いだが、朱里は目を見開いた。
「本当だ、雅さんもいる。……取り越し苦労だったのかしら?」
「どうだろうな」
エンに雅がどうこうしてくれているのなら、やり過ぎる事はないのではと、女は安堵したのだが、蓮は違うようだ。
「まあ取りあえず、合流してみよう」
眉を寄せてしまっている葵の方へ目線を向け、鏡月が笑いかける。
視線を受けた大男は、何も映していないはずの金色の瞳が、呆れ返っているのに気づいた。
「あの連中の怒りに便乗したら、とんでもない事になると、分かるだろう」
のんびりとした声が告げた言葉は、恐ろしい重みがあった。
二人は、デート気分が抜けきれないまま、気楽に歩いていた。
遊園地のゾーンに近づいた頃、雅と雑談しながらも、目線は下を泳がせていたエンが、立ち止まった。
通路沿いに植えられたツツジの間に、目的の物を見つけたのだ。
「本当に、小さいね」
その目線を追って見つけた雅は目を見張り、初めて見るその姿の感想を言う。
「オレの父親はああいう男ですが、母親は少しだけ特異な人だったんです」
言いながらその小さな物に近づく男に、女は小さく頷く。
「昔少しだけ話してくれたね。今はない故郷の村で、ある妖物に捧げられるはずの人だったって」
「その為に、男装して過ごしていた母を、どうやら夜這いで落として、頃合いを見て連れ去る心算だったらしいんですよ、あの人は」
それが狂ったのは、その村の裕福さに目を付けた別な盗賊に、先を越されてしまったせいだった。
「裕福だったのは、その村の長の長子が代々、村の守主である妖物に捧げられていた為で、その家が廃れた後は、村も立ち行かなくなって、滅びてしまったようですね」
年頃の長子を捧げ、入れ替わりに解放された者の子が年頃になると、解放される。
捧げられている間は寿命が止まるからこそ、強力な力が宿り、子に受け継がれ続けると言われていたという。
「その力と言うのが、少し変わっているというか、日常ではあまり役に立たないものなんですよね。力の加減次第では、こちらの身が危ういので、使う機会がなかったんですよ」
一時期、探索に使えないかと考えた事があったのだが、色々試した結果は、弱点を一つ増やしただけだった。
だから、力に気付いてからあまり使う事がなかったのだが、まさかこんな所で使う羽目になるとは。
人生分からないものだと、エンはしみじみと思いながら、その物体に右手を指しのべ、猫に呼び掛けるように招く。
小さく舌を鳴らし続けた男の指の動きにつられてやって来たそれを、雅は珍しそうに見下ろしている。
女の見守る前で、エンはゆっくりとそれに触れ、すぐに手と全身を離した。
「この手の妖物は、好意を全面で現わします。その好意を利用して、故郷の村は飢饉にも動じない土地を、維持できていたんです」
慎重に引き始める男と、それに促されるように一緒に後ずさる女の前で、早くも変化があった。
「……何か、膨らんでない?」
「この妖物は、普通に養っている分には、大きさはそのままで成長して、寿命を迎えるんですが、質の悪い相性を持ったものと接触すると、途端に変貌する習性があるんです」
徐々に膨らみ、見上げる程背丈も伸びてきたそれを見上げながら、エンは穏やかに説明を続けた。
「由良君とは、共存できるくらい、相性が良かったんでしょうけど、オレみたいな奴と接触してしまっては、もうそれは望めないでしょうね」
この妖物には、もう一つ特徴がある。
それは、好意を持った者への、アプローチの仕方だった。
変貌は、その一つだ。
「自分は、強い逞しい存在だとアピールする意味で、まずは辺りにあるもののどんなものよりも大きく、膨張します。そう、この辺りだったら、あの観覧車より、大きくなるでしょうね」
その上で、自分は誰にも縛られていないと主張するために、動くのだ。
例え、飼い主がいたとしても、なかった事にするために、動く。
「……」
「いやあ、楽しみですね。最大になったポチが、真っ先に襲うのは、由良君でしょうから。きっと、ユメさんは驚きますよ」
穏やかに言うエンの言葉を、雅は膨張しながら動き出すポチを見上げたまま聞いた。
順路に向かうのを見送りながら、優しく微笑む。
「エン」
「はい」
「……知っていたけど、ここまでとは思わなかった」
目を見張って見下ろす男の目を見返し、女は優しく続けた。
「君って、本当に怒らせたら、駄目な人だったんだね」
「おや? あなたが言いますか?」
長閑に笑いあった二人だが、視線を戻した先に少年が一人立ち尽くしているのを見て、思わず目を見張った。
「あ」
揃って声を出して駆けだす前に、少年が悲鳴を上げた。
その声に反応したポチが、鋭い攻撃を繰り出す。
「……」
つい立ち止まって、その一部始終を見守ってしまった二人は、暫くそのまま立ち尽くしていたが、やがて雅がぽつりと言った。
「……青春、かあ」
「心に残る思い出作りの、一役買えたのなら、いいですね」
しみじみと首を振る女に、穏やかに頷いたエンはそっと笑った。
「ああいう場面は、全く経験ないんですけど、不思議ですね」
「そうだね。なかった筈の青い時期が、あったかのような錯覚を起こしてしまう。何だか、ほろ苦い感じ。若いって、いいね」
二十代前後に見える、二人の会話である。
ひとしきりしみじみした二人は、邪魔しちゃ悪いと踵を返した。
そこに、一人の男が立っていた。
顔見知りの褐色の肌の大男は、腕を胸元で組んで溜息を吐く。
「……本当に、やっちゃったのね、エンちゃん」
今更なんだと首を傾げる男に、文字通り突進して来た者がいる。
「こおらあああっっ、エンっ。何やらかしてんだよっっ」
地響きを立てながら走り寄ってきた大男が、エンに突進して胸倉を攫む。
胸倉を攫まれた男は、その勢いに少しだけ目を見開き、その大男の後ろから来る男女を見つけ、笑顔で呼びかける。
「おや、市原さん方は、連れ立って来たんですか? 蓮たちも、お揃いで」
「そんなこと、どうでもいいんだよっ。おま、今、襲われたの、塚本の子倅じゃねえかっっ」
「どうやら、背格好が似てたから、間違えたようですね」
「じゃ、ねえだろうっ。そんな、曖昧な襲い方をする奴を、あんな……」
血相を変えて叫ぶ市原葵を、雅が優しく宥めた。
「大丈夫だよ。助けが入ったから」
「驚きました。あの人も、一緒だったんですね」
全く態度を改めない二人に、ロンが呆れ返ったまま窘める。
「あなた達ね、いくら何でも、子供相手にやり過ぎよ」
「何を言ってるんですか」
穏やかな笑顔のまま、エンはあっさりと返した。
「由良君、普通に生まれていれば、リヨウの隠し子の双子と、同い年なんでしょう? そう子供でもないです」
「そ、それはそうだけど、体つきは相応でしょ?」
詰まった大男は、一度咳払いをして気持ちを切り替えた。
「で、フォローはするのよね?」
「え? いりますか?」
「……エンちゃん」
葵の手首を軽く攫んで解き、エンは褐色の肌の男と向かい合う。
「いくら、あなたに負い目があるからと言って、オレが我慢する必要が、ありますか? 年頃の子供がいる中で、あんな話をした女性に対して?」
うんうんと頷く朱里を一瞥し、蓮が呆れたように問いかけた。
「その、年頃のガキたちが、話を聞いて思うところがあったってのなら、お前が代わりに、という理由も幾分分かるが、あいつら、気づいてたか?」
自然に出て来たその問いかけに、葵が思わず若者を見た。
エンはその問いにも、穏やかに答える。
「気づいてからじゃあ、遅い時もあるでしょう?」
「そうだな」
蓮と並んでいた鏡月が、のんびりと頷き顔を上げた。
その見えない目線の先には、優しく微笑んでいる雅がいる。
「気づいた時には、遅かったな」
「ああ。葵、お前まさか、こっちを心配してたのか?」
エンから視線を雅に流した蓮が、意味不明な言葉を元相棒に投げると、葵は溜息を吐いた。
「何か分からねえけど、昨日から、変なんだよ」
戸惑ったのは、朱里とエンだけだ。
ロンは目を瞬いて、並ぶ男女を見比べて、得心した。
「あら、ミヤちゃん。あなた、同じことで怒ってたんじゃなかったの?」
「はい。主に、この人に対して、怒ってるんですよ」
優しい声はゆっくりと答えたが、何故か、エンの背中に寒気を走らせた。
恐る恐る見下ろした男に、見上げた女は優しく微笑む。
「み、ミヤ?」
「ねえ、君は、どこで、その情報を得たのかな?」
「情報?」
「由良君が、生まれた時期と、ユメさんが身籠った時期に、大幅な開きがあるって」
その情報は、身内内のごく限られた者と、ユメが信頼した者たちにしか、明かされていない。
「君、ユメさんとは、顔見知りじゃないんだろ?」
「……」
目を見張り離れようとする男の袖を、女は優しく攫んだ。
「誰から、そんな話を聞いたのかな? ついでに、どうして、リンさんたちの子供たちの事も、知ってるの?」
言い淀むエンに首を傾げ、ロンが代わりに答えた。
「リヨウちゃんでしょう? 結構、親しくしているものね」
「っ」
顔を引き攣らせたエンを見上げた雅は、袖越しに腕を抱え込みながら、やんわりと言った。
「そうか。普通に、親しくしてるんだ」
「いえ、あの……」
目を泳がせる男を、一同は珍しいものを見る目で傍観していたが、なぜそこまで雅が怒っているのかも、エンが狼狽えるのかも分からない。
「し、親しくしていると言ってもっ」
珍しく体が固まってしまい、その絡まった女の腕から逃れられない男が、苦し紛れに吐いた。
「ちゃんと、一定の距離は保っていますっ。半径一メートルは、いつも離れて……」
「じゃあ、なんで、それを、隠そうとしてるんだっ?」
急に、雅の顔が険しくなった。
「疚しい事がなきゃあ、正直に話してくれるだろう?」
「あなたがリヨウを脅してたじゃないですかっ。近づいたら、これではすまないと。疚しくなくても、言えるわけないでしょうが」
「……私は、君にも警告したはずだ」
険しい女の声が、低く籠った。
「そうやって、あの男を甘やかすなと。今度こんな事があったら、一生後悔する目に合わせると」
そして、更に身を強張らせる男の腕を引いて、わざとらしく明るい声を出した。
「良かったね。アトラクションも豊富な動物園で。手始めに、乗ろうか。観覧車」
「す、すみませんでしたっっ。謝りますから、お願いします、それだけはっっ」
蓮が、その様子を見ながら、溜息を吐いた。
「何で今の会話だけで、大方の予想がついちまうかね」
ロンも呆れて呟く。
「やけに親しそうだったから、どこで知り合ったのかと思ってたら……もしかして、知っちゃいけない話だったかしら」
聞いている者によって、意味不明な会話だが、これは一線越えていないとは思えない、濃い痴話喧嘩だ。
気が抜けてしまったが、このまま二人を観覧車に乗せるわけにはいかない。
笑顔を張り付かせた雅に、気楽に声をかけたのは鏡月だ。
「その前にお前こそ、何で知ってるんだ?」
「何をです?」
ご機嫌な笑顔で訊き返す女に、のんびりと続ける。
「その由良って子供が、年をサバ呼んでいるという話を、だ」
昨日、初対面なのなら知らないはずだが、女はあっさりと答えた。
「ユメさんとは、顔見知りだからです」
「え?」
声を上げたのは、身近なはずの男二人だ。
「ミヤちゃん、ユメちゃんと知り合いなの?」
「ええ。ついでにセイも、しょっちゅう会ってます」
「……は?」
再度声を揃えた二人の男に、雅は微笑んだ。
「だから、可笑しいとは思ってたんですよね。エンがユメさんと知り合いだったら、あの態度に驚かないはずはないですから。私は、ロンの前ではあんなに違うと知って、吃驚したのに」
その言葉に深く頷いたのは、葵だ。
「大体、リンさんと子供たちをどうこうしようなんて、考えてるとは思えねえですよ。だから、別な考えがあるとは思ったんです。わざと、オレたちを怒らせに来てましたよね?」
「何で、煽るようなことをしたのかは知らないけど、まあ、乗って見てもいいかなって。変な疑いが、湧いちゃったし」
「……まあ、向こうも少し、予想外があっての行動だったらしいが、大体は計画通りだったそうだ」
鏡月が頷いて言うと、ロンが目を細めて尋ねた。
「何か、知ってる素振りね。あなた達が、急にこんな所に現れたのも、その一環?」
「卒業旅行の事は、一昨日静から聞いた。初めは気にならなかったんだが、参加者に一人、不自然な奴が混じってたんでな、心配になった」
その不自然な奴は、さっき子供をポチから抵抗なく救い上げていた。
昨日の内に事情は把握済みだから鏡月も、同じく弟子がここに来ると聞いて変な予感がしていた蓮も、落ち着いてここにいた。
「どういうことですか?」
「……あなたがやった事が、誰かの思惑に踊らされた結果の産物だった、そう言う事ね」
戸惑うエンを、ロンは一方的に責められない。
突然の娘の訪問で、取り乱してしまった自覚があるのだ。
今思えばあの日偶々、ほぼ同じ時刻に、自分達と娘があの家に訪れる事が、不自然だった。
「更に言うと、子供たちの旅行先が、ここだと決まっていた事と、セイが、あの山から出られないと言う事も、踏まえているな」
「ユメさんと由良君のフォローとして言っておくと、ユメさん、あの後見送りに出た静ちゃんと志門君に、真っ先に謝ってたよ」
土下座しそうな勢いでの謝罪で、二人の子供の方が慌てていた。
「……」
怒るエンとそれに便乗する朱里を宥めようと苦戦していたロンは、あの時雅が微笑んだまま黙り込んでいたのは、先に出たユメと見送りに出たセイと子供たちの会話に集中していたせいだと知る。
ロンが娘を家まで送るために外に出る、僅かな時間の会話で、セイは短く尋ねた。
「どういう理由で、エンを怒らせたかったんですか?」
「……父さんの従弟のおじさんが、ポチを寝床から引き抜いて持ってった」
「……」
小さく息を呑んだセイに、ユメは途方に暮れたように続けた。
「私たちの目論見を助けてやるから、その為に、あの人の倅を怒らせて、ポチを発狂させろって。どう言う事だろう?」
そこまで聞いた若者は、深い溜息を吐いただけだったが、今それを聞いたエンは、思わず叫んだ。
「何を血迷ってるんだ、あの親父はっっ」
「いや、君が言える言葉じゃ、ないからね」
リヨウは、父親の遠縁の息子だ。
エンにとっては、跳ねのけにくい相手であると同時に、その子供たちは保護対象と見ていた。
保護年齢を超えているユメの息子を、灸を据える相手にしてしまったのは悪いと思うが、ここで父親がかき回してくるとは。
頭を抱え込む男に優しく返す雅から、蓮の方へと目を移したロンは、疲れた顔をしていた。
「何? もしかして、これ以上の騒動が、これから起こるの? あなた達、その対策要員なの?」
「いえ、その前に……」
朱里は、ユメの言葉で気になった事があって、控えめに尋ねた。
「私たちの目論見って、何のことですか? この研修の話じゃ、ないですよね?」
「うん。それより前に、地道にやってたんだけど……ここで、達成はしたみたいだね」
「だから何を、ですか?」
一人頷く女に、辛抱強く尋ねる。
「ユメさんとリンさんのお子さん方の、顔合わせ」
長閑な目論見だったが、微笑んで話せる事態ではない。
初耳の三人は、特に。
「ユメちゃんが、何でっ? 確かに、お相手の女性と仲良くするのは、難しいかもしれないけど、それを飛ばして……」
「何言ってんだ?」
蓮が眉を寄せて、ロンの言葉を遮った。
「あいつら、茶友達だぞ?」
「はあっ?」
「初めのうちは、打ち解けられねえで、オレやセイを間に挟んで会ってたが、今じゃあ愚痴も言い合えるほどの仲だ。確か、リンが結婚した頃だったよな?」
時々来日するユメが、リンを訪ねて河原家に来る。
そう言った蓮の確認の呼びかけに、葵が居心地悪そうに頷いた。
そんな旦那の様子を見て、朱里は思い出した。
数年前、来日する英国の歌手の護衛として、蓮に頼んだと。
「最近、母親だけではなく、子供たちにも仲良くして欲しいって、欲が出て来たらしくて。その計画を立てていたんだよ」
勿論、小規模な出会い作戦だ。
その一環として、河原家は章を何とか、あの学校に編入させることを考えた。
「巧が刺されたのは、いいタイミングだったな」
お蔭で、家に居たがらない章を、おびき寄せられた。
「……」
「瀕死状態での頼みは、拒否できなかったみてえだ」
この言葉が、死にゆく男と、まんまと策に嵌まった少年のどちらにとって酷なのか、聞いている方からは判断できないが、含みがあるその言葉からすると、言えることがある。
「まさか、巧ちゃん……わざと?」
「いや、偶々だ。体調悪かった時に、その計画を聞いて、説得すると出て行ったと思ったら、刺されて病院に運び込まれた」
流石に、章はその知らせを受けて駆け付けた。
渡りに船、とはこのことだと、巧は内心ガッツポーズしたという。
「……」
刑事の時より、妻と会う機会が減ったと嘆く男を犠牲にして、徐々に計画は進行していたのだった。
そんな状態で、まさかとんでもない横やりが入るとは、思っていなかった。
「鏡さんと蓮が来たくらいから、気配の声も辿れなくなったんだけど、他にも誰か来た?」
全くの企画崩れとなった計画の一端を話した後、固まったままの男二人と納得している朱里を横目に、雅が首を傾げて昨日感じた違和感を、言葉に乗せた。
それに答え、蓮が頷く。
「当人と、他数名。そっちでの話が終わってからの落合だったが、大体の段取りはついた」
「それに答えてくれたと言う事は……観覧車、乗る暇ない?」
僅かに残念そうになった女に苦笑し、鏡月がのんびりと答えた。
「後で、ゆっくり弄ってやれ。こっちの手伝いが、先だ」
頷いた蓮が続けて言う。
「そいつの知ってる情報も、ガキどもには必要だからな」
その目線の先には、父親の掌の中で踊ろされてしまったのを知り、ここにはいないその姿を想像して、殺意をまき散らす男がいた
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