第8話

 その集団は元々、烏合の衆だった。

 北の都市で面々に餌を取り、気楽に生きていたのだが、ある時一人よりも大勢で狩る方が効率よく、かつ餌の質も上がると気づいた者が周囲の者を誘い、ここぞという獲物を見つけては協力という形で集って、乱獲するようになった。

 白銀も黄金も、その話は噂話で耳にしていた。

 二人とも、誰かの下にいなければ、餌すらもありつけない程の妖怪だ。

 だから、協力するという考えには共感するが、その協力の仕方が大迷惑だなと、他人事の様に考えていたのだか、こうして目の前に立ちふさがられてしまうとは。

 主な妖怪は、六人。

 これは、人形を取っているのだからそう数えたのであって、その中身が人寄りだということではない。

 その生き物の形をとっているのだから、見本となった生き物に敬意を示すのが、高い地位、つまり強い妖怪の礼儀だと聞いているが、こいつらはそんなこと全く考えていないに違いない。

 力を無駄に示すように、大柄な男に化けた六人は、その動物園の入退場門に集まった少年少女を見て、喜びを隠しきれずに小さく唸った。

 そんな男達の傍に侍る、未だ形が定まらないモノたちも、ざわついている。

「こうも、簡単に集まって来るとはな。あんたの言ったとおりだ」

 今すぐ襲い掛かりたい気持ちを、辛うじて抑えているのが分かる男の一人が、後ろを振り返った。

 それを受け黄金たちと並んで、男達の後ろで一歩引いたところにいた長身の女が、やんわりと微笑む。

「色々と、画策したかいがあったとうものね」

 最近、ある術師一家も協力してくれたお蔭で、更にあの地を囲う結界は強力さを増したが、抜け道はいくつかあった。

 結界のすぐ外に陣取り、弱い者をおびき出せばいいのだ。

 もしくは第三者を見繕い、手足として使えば、自分で狩るよりも楽に餌にありつけるようになる。

 あの地では、その事も考慮した配置が出来上がりつつあるが、あくまでも出来上がりつつあるだけで、まだ完成はしていなかった。

 勿論、強力な結界が抑止力になっているお蔭で、力を自認する者たちは近づいて来ないが、中には頭が切れる者がいる。

 その頭が切れる者が、このカスミと言う女だった。

 狐だというその女は、遠い北の地で集い、好き勝手な動きで人間を狩っていた男たちの前に現れ、こう言った。

「そんな、せこい餌の取り方しかできないのに、随分大仰な数なのね」

 せせら笑うカスミを前に、怒りを滲ませた男達だが、そんな六人に提案したのだ。

「その数を養うのなら、あなた達がもう少し力を付けた方がいいんじゃない? 私が、いい方法を知っているわ」

 その方法と言うのが、徳を積んだ人間を一人ずつ食らう、と言うものだった。

 そんな人間、今の世では探すのも難しい。

 そう難色を示す男たちに、カスミはこの地を紹介した。

「得を持った僧侶と同じような作用がある人間は、法術師の類なんだけど、最近になってどうしてか、その一族が数個、あの地に集まりつつあるの」

「ああ、その話は知っている。どうやら、あの地にあった結界が更に強化され、今まで以上に、我々には手が出せなくなったらしい」

「その理由を、知ってる? 実は、あなた達の足元にも及ばない狐が、獲物を狩るために起こした事件が、大きくなりすぎたせいよ」

 その狐は、とある事情で殆ど力を失っていたのだが、昔から慕っていた鬼の子供たちに獲物を与えるべく画策し、無謀にも大きな家の諍いに首を突っ込んだ。

「気づかれた途端に、一気に殲滅されちゃったけど、事が小さい内に気付いていれば、あんなに人間が犠牲になる事はなかったと、地元の術師たちは実感したから、新参の術師も加わったみたいね」

 だが、未だその強化は未完成だと、カスミは笑った。

「二つの家の術師の元祖がね、その強化の策を練っている最中なのよ。あの狐が使った策を使うなら、今の時期しかないわ」

 機会は今しかない、そう言い切った女は、まだ渋る男たちに言った。

「その画策が面倒と思ってるのね? 心配ないわ。おびき出す段取りは考えてあるから」

「それは有り難いが、相手は法術師だろう? 我々で、太刀打ちできるはずが……」

 自分の力量をわきまえた言い分だが、力がモノを言う眷属の考えとしては当然だ。

 寧ろ、力量が分かる頭脳があるのなら、形どる者への礼儀を守り、節度も考えられるようになるはずだったが、彼らはまだそこまでの余裕は無いらしい。

 そこに目を付け、利用しようと考えたのが、このカスミと言う狐だった。

「術師は術師でも、成長途上の術師も、いるものよ。強力な術師でも、後継ぎがまだ幼いなら、あなた達でもやりようがあるわ」

 男たちを煽り、この近くにまで連れて来た狐が、夜遊びしていた黄金を捕まえたのが、数十日前だった。

 あの地の結界は、一定の力を持つ者の悪意を弾くが、それ以外では役に立たない。

 だからこそ、自分達や他の術師、力は持っていても生活を目的として移り住んだモノが多くいるのだが、これを弾けなかったのなら、矢張り改善の余地があると実感した。

 黄金と白銀に、カスミが接触して頼んで来た事は、この地の子供たちの動きの報告、だった。

 徳を持つと言われる子供たちを、別の土地におびき出せる機会になる何かを、その報告の中から探そうという、地道な提案だったのだが、それが意外に早く実った。

 真倉ユメと言う女の息子の、特異な体質と性格は、カスミが利用するのに最適な人材だったのだった。

「……それは、予想通りだったけど、何で、あの子らまで?」

 白銀は、苦い顔で吐き捨てた。

 どういう手を使ったのか、カスミはペットを使って、この地の動物園に真倉由良をおびき出した。

 無事少年が園内に入ったという報告があり、こちらに来た面々の前に、その少年少女の団体様が現れたのだった。

 驚く二人と、喜ぶ男たちを前に、カスミは言った。

「これだけいれば、食い零れる事は、ないでしょ?」

 生徒を巻き込まない、その約束を破ってしまった瞬間だった。

「……」

 苦い顔のまま黙り込んだ白銀の代わりに、黄金が珍しく憎まれ口をたたく。

「しかし、あんたはそれでいいのか?」

「何のこと?」

 声を潜めた呼びかけに、狐も声を潜めて返すと、せいぜい嫌らしい顔を作った女が続けた。

「その連中が徳ある人間を食らって強くなったら、あんたよりも強くなって手に負えなくなるかもしれない」

 一瞬、目を丸くしたカスミが、小さく吹き出して笑いだした。

 むっとする黄金に、声を潜めて言い切る。

「徳ある者を食らえば不老不死とか、強くなるとか、そんな事はないわ。迷信よ、迷信」

「なっ」

「まあ、無差別な人間乱獲を防ぐ意味で、古の何かがそう定めたって言うお話ならあるけど。これも、自分たちの様な努力なしであの麗しい姿を取れる人間に、一応の敬意を持っての事よ。言い伝え通りなら、私の眷属の中で、恐ろしい魔物が生まれていないはずがないわ。意外に、お坊様を手にかけた子、多いのよ」

 考え込む黄金に、狐は優しく言った。

「大体天狗の眷属は、人を食らってあそこまで強くなったわけじゃあ、ないでしょう?」

 山伏が一定の厳しい修行を経た姿が、天狗だと言うのが自分たちの中での見立てだ。

「あの眷属は逆に、人間の形をして生まれた癖に、知恵しか回らない連中を見下しているきらいがあるけど、食らうという事はないでしょう? 連れ去る事はあっても、それは見目が麗しい者を、自分の眷属にしたいという思いからみたいね」

 たいていの場合、何かの危惧が働くのか、見目のいい少年がその標的になる事が多いが、昔、男装した少女を連れて来た事があった。

 天狗の危惧、それは、元は同じ眷属である人間と血が混ざり、再び力を失くしてしまう事だったのだが、少女を連れてきた天狗は、そのまま妻として娶ってしまった。

「……」

「そう言えば、一昔前、面白い自慢をしていた九十九つくもがいたわね。天狗と人間が混じった娘を食らって、強くなれたなんて。大ぼらもいい所よね。本当なら、あんなに弱いわけ、ないわ」

 苦い顔の二人に、カスミは思わせぶりにゆっくりと言い、やんわりと笑う。

「本当に喰らうなら、全身でなくちゃ、意味がないのよ。しかも、そのやり方での強化が出来る生き物も、限られている。だから、彼らが強くなるかどうかは、運次第ね」

「つまり、子供たちは、餌になるだけか?」

 白銀が、顔を歪める。

「そんな無駄な事をさせて、あんた、どういう心算だ?」

 カスミ自身は、人ごみにいれば生気を集められる類の狐なのだと、言っていた。

 乱獲する妖怪を誑し込んでまで、あの地の徳がありそうな子供を襲う計画を立てる動機が、いまいち分からない。

 そんな二人の女に、狐は笑って答えた。

「ちょっとね、あそこを根城にしている奴を、ぎゃふんと言わせたいのよ。流石に、身内の子供を餌にされたら、驚くと思うのよね」

 聞くと、何度か粉をかけている若者が、あの辺りに居住しているらしい。

「……」

 何人か、その若者に心当たりがある二人は、小さく唸った。

 その内の誰の事かは、この際訊かない事にしよう。

 そんな邪な考えに巻き込まれてしまった子供たちが、心底哀れだった。

 白銀は、心の中で子供たちに詫びながらも、別な人物に毒づいていた。

「千、何で、気づいてくれなかったんだ? 含みを持たせて、こいつらの事話したつもりだったのに」

 顔見知りの雅にでもいいから、相談位して欲しかったと、一人嘆いている横で、黄金は小さく声を上げた。

「ん?」

 入園していく少年少女たちを見つめていた黄金は、順路を目で追い、園内のとあるゾーンに視線を投げたまま、目を見張っていた。

 その目を追った白銀も、意外な二人を見つけ目を剝いた。

 それに気づいたカスミは、微笑んだ。

「ああ、あれも、予想内の登場人物よ」


 河原章は、心の底から感動していた。

「知らなかった。動物園って、こんな面白いモノが見れたんですね」

 目が輝いている今年中学生の視線は、ある姉弟を見ていた。

「鹿の檻の前で、どう調理すればおいしいか論議する美しい姉弟に、チンパンジー相手に脱獄を教唆する美少年。メスライオンを口説く美少年に、極めつけが、雄ゴリラに求婚されて困惑する、普通の少年」

「っ。速瀬っ」

 滔々と説明する章の言葉に振り返り、金田健一が慌てて檻の隙間から袖を攫まれている速瀬伸に駆け寄って、目を輝かせている雄ゴリラの手を振り払って助け出す。

 その様子を呆れて見やる高野晴彦に、章はしみじみと感想を述べた。

「五百円で、お得な見ものですね」

「……殆ど、この間まで、学園内で見れた見ものだけどな」

 チンパンジーを教唆する少年は、この地の者ではないから、ここまでの人とは思っていなかった。

「こいつじゃないのか。鍵を開けるチンパンジーとやらは?」

 真顔で唸る美少年は、今年高校卒業組の一人で、現地合流した森口水月だ。

「た、確か、イベントコーナーか、ふれあいコーナーにいる筈ですよ。このチンパンジーは、展示部門の奴です」

 息切れ気味に答えたのは、意外に力が強かったゴリラを振り切り、戸惑い顔の伸を救い出して来た健一で、その弁で納得しながらも真顔で呟いた。

「そうか。中々、賢そうな顔をしている奴だが、見掛け倒しだったか」

 草食動物のゾーンを抜け、猛獣のゾーンに一足先に辿り着いていた篠原和泉が、ライオンの檻の前で振り返った。

「猛獣使いにでも、なる気か?」

 檻の中から不思議そうに自分を見る、メスライオンを褒め殺していた和泉は、晴彦の呆れた声に眉を寄せる。

「なれるはずないだろ。オレは、口説き術を勉強してるだけだ」

「何で、人間でやらないんだ」

「言葉が通じない奴を口説けたら、人間も楽なんじゃないかと思ってな」

 意味の分からない言い訳をする和泉に、市原姉弟は論議の対象を猛獣に移しながら歩み寄って来る。

 ……幼馴染が、全滅だ。

 晴彦は、秘かに嘆いた。

「おかしい。小さい頃はここまで、おかしな奴らじゃなかったのに」

 隣に立つ吉本朋美は、同情の目を向けるが、藤田弥生の方は白けた顔になった。

「自分を、その中に入れない分、自覚がないのね。私から見たら、あなたも充分おかしいわ」

 同意したのは、何故か水月だった。

「そんなものを、背中に侍らせてる奴が、何をまともぶっているのかという話だな」

「……何のことですか?」

 晴彦の背後を指さしながらの言葉に、ぎょっとしたのは指をさされた本人と弥生だった。

「え? 取り憑かれてるのっ?」

「こ、怖い事言うなよっ。何ともないぞっ?」

 取り乱す二人の高校卒業組を、水月はきょとんとして見守っている。

 そんな先輩に呆れて声をかけたのは、ようやく追いついて来た、塚本聖だった。

「高野先輩、それは、取り憑いているんじゃないみたいですよ」

「へ?」

「侍らせてると、言っただろうに」

 呆れたように続ける水月の言葉も、よく分からない。

「どう違うんですか?」

 そんな様子も目を見張って見物していた章が尋ねると、関東の先輩は小さく唸った。

「どう、と言われても、うまく説明できんな。明確に違いがあるのは、くっ憑けたとき害があるかないか、ってくらいだろう」

「成程。大きな違いですね」

「まあ、害はないが、利があるのかもはっきりしない程、ぼやけた存在だがな」

 何が見えているのか、水月と章は晴彦の背後を見ながら頷き合い、伸と健一も何とも複雑そうな顔で顔を見合わせている。

 女子二人と晴彦は、そんな意味不明な少年たちの仕草に、青ざめた。

「な、何がいるって言うんですかっっ」

 慌てる少年を見て、追い付いて来た岩切静と古谷志門は首を傾げた。

「どうしたんですか? もう少し、進んでいるとばかり思っていたのに」

「ふ、古谷っ」

「はい」

 すがるように呼び掛けて来た同窓生に、志門はきょとんと返す。

「オレの後ろに、何か憑いてるのかっ?」

「いいえ」

 即答だった。

 きょとんとした少年の答えに安堵した晴彦は、続く言葉で固まった。

「両耳の後ろに、たむろしてはいますが」

 正直な答えは、高校を卒業したての少年には、酷なものだった。

「憑いてるんじゃないかっっ」

 頭を抱えてしまった晴彦を、志門は不思議そうに見、素直な感想を呟いた。

「承知の上では、なかったんですね」

「無自覚とは。そちらの方が、驚きだな」

 水月も、意外そうに頷いてから、怯える女子二人に笑いかけた。

「心配ない。害は、全くない筈だ。せいぜい、何かを囁くくらいだ、その数なら」

「か、数? そんなに沢山、いるんですかっ?」

 弥生が完全に引いて、その背には朋美が張り付いて、怖いもの見たさで肩越しに晴彦を見ている。

 そんな一同を、先行していた三人が振り返った。

「どうしたの? 次行きましょうよ」

「大丈夫か? 顔真っ青じゃないか」

 ぎくしゃくと振り返る晴彦を、二人の幼馴染は不思議そうに見やり、先を促す。

 勘が鋭い筈の二人は、幼馴染の両耳の後ろにいる筈のモノに、気づいている様子がない。

「……ああ、もしかして」

 聖が、その様子と晴彦の背後を見比べて、思い当たった。

「あの人たちが怖くて、隠れてるんだ。だから、先輩に指摘する人がいなかった」

「……成程。そう考えると、可愛げがあるものなのかもな、あのもやもや」

 章がその呟きに納得して頷くと、同級生は苦笑した。

「そうか、もやもやに見えるんだ、あれ。……米粒大の、小鬼軍団なんだけどな」

「ん? 何だって?」

「いや。こっちの話。さ、行こう。何で、こんな所で立ち尽くしてたんだ?」

 気楽に笑って促す友人に、章は顔を曇らせて答えた。

「お前が遅れてたから、待ってたんだよ」

 その間暇だったから、先輩方の見学をしていた少年は、目を見張る聖に気遣いの目を向けた。

「大怪我して退院した後なのに、長い距離歩くのは、不味いんじゃないのか?」

「大丈夫だよ」

 気楽に笑って手を振る聖だが、その手をがんじがらめしている包帯が、その信ぴょう性を失わせている。

 章は唇を噛んで呟いた。

「怪我が悪化したら、オレのせいだな。気晴らしがしたいなんて言うんじゃなかった」

 さっきまで楽しんでいたのが、嘘のような沈み方だ。

 そんな友人を、当の怪我人は笑って一蹴した。

「悪化しないって」

「痛いのが、まだ分かってないだけなんだろ?」

「あのな、お前の弟と混同するなよ」

 真顔の章と、聖のやり取りを聞いて、健一が小さく吹き出した。

 苦い顔でその友人を睨み、伸がその背をどついて先を促す。

「次の順路に行くぞっ」

「……変な弟を持つと、大変だよな」

「うるさい」

 小声で揶揄う健一と、苦い顔の伸が先輩たちの後に続き、鳥類のゾーンへと向かって行く。

 中等部新入生二人も見送った水月が、その目線のまま志門に問いかけた。

「どうだ? 出来そうか?」

「範囲を決めたら、何とかなりそうです」

 同じように視線を順路に向けながら志門は答え、小さく笑った。

「ようやく、及第点を貰えそうな塩梅で、ほっとしております」

「自由課題と言うのは、得意分野を選択するのが、妥当だ。ぶっつけ本番でどこまで出来るか、やって見ろ」

 年相応なのに大人の落ち着きを持つ少年の、楽しそうな笑顔に頷き、志門は隣で秘かに緊張する少女を見下ろした。

「では静さん、お手伝いお願いいたします」

「はい」

 緊張の面持ちで頷いた静を連れ、志門も一同の方へと歩いていく。

「……後は、どの辺りまで巻き込むのか次第、だな」

 その背を微笑ましく見送りながら呟き、水月も歩き出した。


 その男が行う作業は、大まかに分けて二つ、だった。

 一つは、この動物園の中に、ある少年を招き入れる、物理的な作業だ。

 財布一つ持たずに家を出た少年が、ペットにおびき出される形でここまで来るまでは良かったが、ペットが入り込んだ動物園内に入るには入園料が必要で、その男はその実費を出してやるために、先回りしていた。

「抱えているのを振りほどいて逃げたにしては、手ごたえがなかったですけど、まあ結果は変わらなかったんですからいいですよね」

 開園時間のすぐ後に、穏やかな笑顔のまま言う男が見守る先には、写真で見た少年の背があった。

 昼前に入園する予定の卒業旅行の団体を待つ間、男と同行者の女はデート気分で園内を回っていた。

「そう言えば、君はユメさんと顔見知りだったのか?」

「いいえ。どうしてですか?」

 優しい笑顔での問いかけに、エンは穏やかな笑顔のまま問い返した。

 雅は、その笑顔を見返しながら答える。

「だって、お子さんの事を、知ってるんだろ?」

「……」

 空を仰いだ男の目が一瞬泳ぐが、すぐにいつもの調子で答えた。

「蓮の所で居候している時に、ユメさん側じゃなく、リヨウの相手側の子供の存在を知ったんです。その時、少し調べました」

「へえ」

 優しく相槌を打ちながら、雅はどんよりと考えていた。

 まだ、確定するのは早い。

 この男の怒気の度合いと、容赦なさを見て初めて、ただ調べ上げただけでは、分からないはずの事実を知るか否かが分かり、それが確定に近づく鍵となる。

 それまでは、宥める事も止める事もしない心算で、雅はここに同行していた。

 草食動物ゾーンで食べ物談議にいそしみ、肉食動物ゾーンで狩りの仕方の難点利点談義を繰り広げ、遠くに見える観覧車を指さして男を揶揄いながら、二人は一見、カップルの様に動物園を楽しんでいたが、ふれあいコーナーの前で雅が気づいた。

 予定通り入園した卒業旅行組一行が、例の少年のすぐ近くに近づきつつあった。

「そろそろ、由良君と接触できそうだ」

 そう男に呼び掛けた雅に、エンは一瞬目を瞬いたが、すぐに笑顔になった。

「そうですか。ではそろそろ、こちらも、ポチの所に行きますか」

 あらかじめ、場所の特定をしていた男は、すぐにもう一つの作業に取り掛かれる。

 これからが、研修と言う名の大騒動の始まりだった。

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