第4話

三月の終わり、春休みも後半にさしかかったある日。

 中等部を卒業した二人が連れ立って、待ち合わせ場所の駅の改札口前に来ると、そこには二人の知り合いが立っていた。

 同じ学校の後輩と、卒業生の二人に挨拶をしてから、金田健一が辺りを見回す。

「あれ、言い出しっぺの先輩方が、まだ来てないんですか?」

「ええ。吉本さんと藤田先輩はもう、ホームの方に入っています」

 呆れ顔の少年に答えたのは、その弟子仲間の岩切静で、隣に立つのは同じく健一の弟子仲間の古谷志門だ。

 曖昧に頷いた少年は、辺りを見回す。

「市原先輩たちは兎も角、他の二人が遅れてるのは、珍しいですね」

 最近では先輩たちの事も分かって来た速瀬伸が、改札口の向こうのホームに見える時計を見ながら、正直な意見を述べると、健一も真顔で頷いた。

「あの人たちが計画したんでしょう? 何か、裏があるなんてことは、ないですよね?」

「あったとしても、そこまで問題はないですよ」

 静がきっぱりと答え、志門も頷いた。

「森口さんも、向こうで落ち合う事になっていますから」

 何でもないように言われたが、健一は目を剝いた。

「え。森口先輩? あの人も来るんですかっ? 余計に問題じゃないですかっ」

 目を丸くする先輩は、全く問題ないように言ったが、騙されてはいけない。

 確かに、都会の高校を卒業したであろうあの先輩は、どの知り合いよりも年齢以上に落ち着いた雰囲気のある人だが、中々扱いづらい上に物見高い。

 市原姉弟や自分達が騒動に巻き込まれた時、この森口水月みづきという先輩が一緒の時は、うまい具合の助け方をされるが、逆に騒動の度合いが最凶になっている事が多い。

 どうも、騒動の先を見て傍観し、自分達がどうしようもなくなり、最悪な事態になると判断した時に、手を差しのべている感があり、中々手放しで感謝しづらい人だった。

「確かに、動物園は初めてだと言っておりましたが、ちゃんと心得も聞いたし、興味のある事は、先に満足な答えを得られているから、大丈夫だと言っておられましたよ」

「……何の心得がいるんですか、興味って、何の興味のことですかっ?」

 志門が首を傾げながら言うのに、健一はついつい変な問い返しをしてしまい、静に冷たい声を投げられた。

「何ですか、そんなに取り乱して。たかが学生同士の卒業旅行で、そこまで不安になるものなんですか? 修学旅行も平気だったんでしょう?」

「この旅行と学校行事の旅行を、一緒にするなよっ。引率が、あの先輩たちなんだぞっ。まかり間違って、何かあったらどうするんだっ?」

 勢いよく返してから、健一は昨日の事を話した。

「師匠が夕方、久し振りにうちに顔を出したんだ、無事卒業できたかって」

 健一の師匠は、見た目は幼い若者だ。

 腰まである長い黒髪を、無造作に後ろに束ねた童顔で小柄な若者で、言葉遣いも動きも乱暴だが、内面は優しい兄貴気質だ。

 十代になる前に、その師匠の背丈を軽く追い越し、大柄な部類へと成長した健一が、無事中学を卒業できたと聞き、仕事の合間に訪ねて来てくれたらしい。

「相変わらず、律儀な人ですね」

「これからは、成績次第で、落第もあるだろ? 成績はぎりぎりでいいけど、他の事で内申に響かせるようなことはするなって、特に休み中は注意しろって釘を刺されたんだ」

 そんなこと、言われるまでもないと健一は答え、本当かと目を細める師匠に、卒業した日から昨日までの出来事と、その後の予定を並べていくと、今日の話を聞いた途端、その内容を詳しく訊かれた。

 行く人間の名前と、場所を聞かれて答えると、永い間空を仰いで黙り込んだ。

 珍しいほどに長い沈黙に、心配になった健一が声をかける前に、師匠は我に返って呼びかけた。

「健一」

 何故か、最近成長を始めたものの、まだまだ小さい師匠が、真っすぐに弟子を見上げて言った。

「まあ、程々に、楽しんで来い」

 色々と、思うところがあり過ぎてそうとしか言えない、そんな珍しい言葉だった。

「あんな複雑そうな顔で、あんなこと言われたの、初めてなんだ」

 眉間にしわを寄せて言う健一を、二人が意外そうに見つめるのを見ながら、今度は伸が口を開いた。

「さっき、その話を聞いたんですが……こちらでも、同じことを言われたんです。先生から」

 その教師は、伸が学園に転入してきてから今迄、何かと気にかけてくれている教師で、今度担任になるであろうと言われている人だ。

 長身で色白の速瀬伸は、中学に上がる年に医師である父親に引き取られ、あの学園に転入して来た。

 父の後を継いで医者になる事を決意し、出来るだけ目立たないように生活して来たのだが、どこから聞いたのかその教師は、伸の前科を知っていた。

 だが、更生を疑う意味で、気にかけているのではない。

 ある刑事の個人的な取引の後、その罪はもみ消されているが、どんなタイミングで出て来るか分からないと、心配してくれているのだ。

 昨夜、急に電話があり、休み中もあまり羽目を外すな、という意味合いの忠告を受けた。

 休みに入ってから随分経つのにと不思議に思いながらも、大丈夫だと言った弁を疑われ、伸は健一と同じように休みに入ってからの出来事と、これからの予定を話したのだが……。

「今日の予定を話したら、永い事沈黙されました」

「……」

 健一とは違い、先輩たちに誘われて、卒業旅行に行く旨を言っただけで、詳しい話をしたわけではない。

 だが、永い沈黙の後、教師は溜息を吐いて呟いた。

「そうか、お前たちも、行くのか……」

 溜息の中には、諦めの色が、濃く入っているように聞こえた。

 それが気になって呼びかけようとする前に、教師は電話を切った。

「まあ、程々に、楽しんで来い」

 そんな言葉を残して。

 気になる事を言われて、それを気にしつつも連れ立って来た二人は、ここまでの道のりでその出来事を話し合い、この旅行は何か別な思惑があるのではと言う考えに至っていた。

れん師匠は、何も知らなくても空気で何かを察する人だし、望月先生まで不安をあらわにしたとなると、決定的でしょう?」

 そうして、その不安を弟子仲間にも漏らした健一は、相手二人の反応の鈍さが、分からなかった。

 志門は不思議そうに首を傾げ、同じように首を傾げつつ静が尋ねた。

「そこまで、違和感を察しているのに、予定通りに来たんですか?」

 不安なら土壇場でキャンセルしても、良かったはずだという当然の指摘に、今度高校生に上がる二人は、詰まって顔を見合わせた。

 伸が、咳払いして答える。

「それは……キャンセルするにしても、当日に断るのは失礼に当たるでしょうし……」

「何より、ヤバイ思惑が絡んでるんだったら、戦力は多い方がいいだろ? 戦力外の女子も、一緒なんだからさ」

 歯切れ悪く言い訳する二人を交互に見つめて、静は黙ったまま微笑んだ。

 所謂、類友の二人の言い訳は、苦しすぎる。

「と、言うより、そこでそう言う質問が出る時点で、何かの企みがあるのを、二人は知ってるって事だよな?」

 蚊帳の外はひどいと訴える健一と、無言で同調する伸を前に、先輩と後輩が仲良く顔を見合わせ、志門が答える前に、向こうから待ち合わせた少年が、手を振って近づいて来るのに気づいた。

 小さな少年が、少し大柄な少年を促しながら、足早に近づいて来る。

「危なかった、時間に、間に合わないかと、思った」

 息を切らしながら言って顔を上げた少年に、健一が目を剝いた。

「おい、いくら退院したからって、走るのはまだ不味いだろ」

「えへへ、大丈夫ですよ。昨日は山登りもしましたし」

 屈託なく答える少年は、初等部を卒業したばかりの少年だった。

 塚本聖と言うその少年は、後ろに立つ少年を振り返る。

「こいつ一人を参加させるのも、心配ですから」

「お、そいつか。三学期に転校して来たっていうのは?」

 両手にがんじがらめに包帯を巻いた少年が、手で指し示した少年を、念の入った保定を不審に思いつつも見た健一は、違和感を覚えた。

 今度中学生になるにしては、大きな少年だ。

 自分ほど大きくはないが、伸くらいの背丈がある。

 このままいくと、自分よりも大きくなるかもしれないと思ったその横で、友人が何故か後ずさった。

 やって来た二人を暫く黙ったまま見ていた伸が、さりげなく顔をホームへと向け、今は二人から遠ざかろうとしている。

 どうしたのかと問う前に、聖が友人を紹介した。

「ご存知かもしれないですけど、紹介しますね。河原章かわらしょう君です」

「初めましてです」

「お、おう。オレは、金田健一で、こっちは……」

 濃い青色の瞳を見返しながら名乗った健一は、急に飛び上がって後ずさってしまった。

「河原、章っ?」

 その反応に目を丸くする志門と静と、今年高校生になる二人の反応を見て、思わず薄ら笑いをしてしまった聖は、わざとらしく章に言う。

「この二人がここまで驚くほどに、名前が知られてたんだな、河原さんって」

「そうなのか? あの人、少年課じゃなかったはずだけどな」

 首を傾げる章に、健一は取り繕えずに、オロオロと目を泳がしてしまった。

 河原章の父、たくみとは顔見知りだったが、刑事と補導少年としての付き合いではない。

 どう言いつくろえばいいのかと、混乱する友人の横で、一足先に冷静を取り戻した伸が口を開いた。

「父の知り合いの金田先生を通じて、知っていました。もう、身辺の整理は、終わったんですか?」

「あ……半分ほどは。後は、大人の間での話みたいで……」

 静かな問いかけに、曖昧に答えて章は思い当たった。

 何とか自分を取り戻した健一に、尋ねる。

「金田先輩と金田先生って……」

「おう。あの人、父方の叔父に当たるんだよ。だから、河原さんの事は、知ってた。いい人だったな」

 過去形なのは、河原巧がすでに故人だからだ。

 河原巧が子持ちの増留リンと所帯を持ったのは、子供がまだ小学生に上がる前だった。

 巧もまだ若く四十代だったが、半年ほど前に麻薬に依存していた男に刺され、それが元で命を落とした。

 非番の時の悲劇で、それだけでも不運だというのに、この殺傷事件にはもう少し裏がある。

 河原章は、このところ体調が悪くて検査をした所、内臓の一つに腫瘍が見つかった。

 ごく小さい、すぐに取り除けば問題ないレベルのものだったのだが、その手術の時間を惜しみ、巧は知り合いの医者を頼った。

 秘かに出来上がっていた、とある薬を手に入れて服用していたのだが、短気な刑事は服用の注意を無視した。

 早く病原を消し去りたいと、日々の薬の量を大幅に増やして服用していたのだ。

 どの薬でも、飲み過ぎは副作用のリスクがある。

 知り合いの医者が戯れに作ったその薬は、体質や体の大きさで薬の量を少なめに調節しないと、病原以外の菌や細胞にまで攻撃する働きがあった。

 あの時期巧は、その副作用で胃痛を患い、家で休養していたのだったが、胃痛を耐えて外出することになったのが、目の前にいる息子の為だったのだ。

 健一と伸が巧の不幸を知ったのは、巧の葬儀を終えた七日後だったのだが、その事情を詳しく聞いた時の、伸の表情は殺意を含んだ怒りがあった。

 伸が章に、怒りを覚えてしまうのは仕方がないのだが、今は冷静に見える。

 内心、冷や冷やしながら言った健一に、章はへらりと笑った。

「そう、なんですよね。余り、一緒にいなかったもので、あの人のいい部分は見た事が、なかったんですよ」

「……」

 沈黙する友人の横で、健一はわざとらしく首を傾げて見せた。

「でも、変だな。オレの思い違いか? あの人の息子は、オレくらいの年齢になってる筈なんだが……」

 章の笑顔が固まってしまったのを見て取り、聖がすかさず答えた。

「思い違いですよ。どうみても、僕と同い年でしょ?」

「育ち過ぎに、見えるが」

 目を逸らしてぽつりと言う伸に、聖は苦笑する。

「意地の悪いこと、言わないでくださいよ。その辺りはほら、家庭の事情でこうなったんだって考えて、配慮を下さい」

「家庭内の事情、か」

 まあ、そうだろうと、伸の友人は頷いた。

 そうでなければ、年齢を偽るなどと言う違法の手助けを、塚本家がするはずがない。

「くだらない理由だと、思うんだが」

 呟いた伸は、相手を睨むのをこらえるように、鳶色の瞳を空に向けている。

 河原章と速瀬伸。

 背丈は同じくらいだが、この雰囲気と瞳の色の違いで、全く違って見える。

 健一は、今日初めて章と会ったのだが、全く分からなかった。

 一卵性の双子だと、聞いていたのに。

「そう言えば、あやさんは一緒じゃないんですか?」

 妙な空気を変えたのは、それまで黙って成り行きを見ていた、静だった。

 綾乃という、聖の一つ年下の少女は、古谷家の一人娘だ。

 小柄な体格ながら、柔道を始めてからこっち、更にわんぱくになったあの少女が、このお出かけに参加していないのに、今更ながら気づいたのだ。

 その問いには、一緒に駅に来た志門が答える。

綾乃あやのさんは、本日は道場の送別会に行くと、随分前から予定されていたようです」

「そうなんですよ。あっちは、道場生とその保護者が寄り合って、飲み食いする会だそうで、文代ふみよ小母さんと一緒に参加してるはずです」

「へえ。そういや、最近、会ってないな。元気なのかな」

 話がそれたのを皮切りに、世間話に花を咲かせ始めた頃、ようやく残りの四人が姿を見せた。

「お、来たのか。古谷も」

 初めに声をかけたのは、高野晴彦だ。

 父親に似た中肉中背の、落ち着いた雰囲気の少年だ。

 意外そうな呼びかけに、静は苦い顔になった。

「来たのかも何もないです。あなた方が、炙り出したんでしょう?」

「あー、まあ、言い方は悪いが、否定はできない。ただ、あれでおびき寄せられてくれるとは、思わなかった」

 取り繕うように答える晴彦の横で、篠原和泉が頷いた。

「全くだ。どう言う吹き回しで、来てくれる気になったんだ、古谷?」

 しれっとして問う眼鏡少年を、静が鋭く睨むが、その横に立つ志門は微笑んだ。

 そして、全く別な事を言う。

「良かったですね、本日快晴で」

 それに引っかかったが、問いただす前に同行者の女が、おっとりと言った。

「意外に近い所に、駅ってあったのね。知らなかったわ」

 母親に似て、小柄な美女に成長した市原里沙の感想に、弟の凪は大袈裟に溜息を吐いた。

「姉さんってば、信じられない。駅での待ち合わせの時でも迷うから、事務員にされたんですって」

「好判断じゃない。お母さんは、分かってくれてるわ」

「そりゃあそうよ。お父さんも、似たようなものじゃない」

 本物の双子よりも似て見える小柄な姉弟の、内輪の言い合いを見ながら、中学卒業組は内心で、弟の方が少し前まで男子のブレザーを着ていた事実を、思い浮かべていた。

 そうでなければ、どう見ても姉妹に見えてしまう。

 後輩二人が苦悩している傍で、篠原和泉は従弟に気付いた。

「お前、退院できたのか? 大丈夫なのか?」

「はい。面白そうな事を間近で見学できるのに、安静になんか、していられませんよ」

 何言ってると、眉を寄せる従兄に、聖は隣の友人を紹介する。

「こいつが、話してた……」

 言いかけた友人を遮って、章は和泉の前に立った。

「初めまして、河原章、十二歳、独身です」

「当たり前だ。その年で結婚してたら、法律違反だ」

 目をキラキラさせながらの不自然な自己紹介は、呆れ顔の先輩には通じず、見事に切り返された。

「おお、流石、和泉さん」

 間髪入れない返しに、聖が尊敬のまなざしを向け、章に紹介する。

「僕の父方の従兄の、篠原和泉さんだ」

「全然似てないな。伊織いおりさんとはまた違う……」

「悪かったな、僕は両親じゃなく、お祖父さんに似たんだから、仕方ないだろ」

 妙に感動する友人の感想に返しながら、何のことだと眉を寄せる和泉には愛想笑いする。

「そろそろ、列車が来る時刻では?」

「あ、そうだった。今日は珍しく、いっちゃんが遅かったのよ。間に合ってよかったわ」

「変な画策するから、罰でも当たったのでは?」

 年長者の四人をホームにまず送り出し、静は振り返った。

 同じように振り返った志門の横を、年少者の二人が通り過ぎる。

 高校入学組二人が、立ち尽くしたままだ。

 何やら複雑な顔で立ち尽くしている伸が、健一の名を呼んだ。

「……金田」

「何だ?」

「帰ろう」

 ここに来て、嫌な予感が最大限になったのだろう。

 それに同感の健一だが、苦笑して首を振った。

「その決断は、遅すぎるだろ」

「市原先輩たちだけなら、まだ何とかなる。抑えは、オレたちだけじゃないんだから。だが、もし全く未知の何かが起きたら? 抑えきれるか分からない。行先は、生き物がいる遊戯施設なんだ。被害は、最大級だ……」

 声を抑えての言い分ももっともだが、答えは変わらない。

 何とか宥めようと口を開く前に、改札口の前に立っていた静が冷たい声を投げかけた。

「二人とも、何してるんですか。早く行きますよ。今更おじけづくなんて、情けなすぎます」

「おい、もう少し、言葉を取り繕えよっっ」

 思わず鋭く返して、健一は伸を置いて改札口へと歩いて行った。

 それを見て溜息を吐き、伸も後に続いて歩き出す。

「……まあ、確かに、遅いか」

 ホームへと向かいながら、背後で呟く友人に、健一は無言で頷いた。

 そう、もう逃げるのは遅い。

 この面子で誘われた時に断らなかった時点で、騒動は期待すらしていたのだから。

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