3-2

 予想した通り、〈砂嵐〉は一時間で過ぎ去った。洞窟から顔を出すと、空は元の青さを取り戻し、森は再びしんと静まっていた。

 足止めを食らった分、先を急ぐ。道中、二人はろくに言葉も交わさぬまま、森を駆け抜けた。はやる気持ちも強かったが、それ以上に、今は沈黙に浸っていたかった。少なくとも、カウボーイはそう思っていた。

 目的地が近づいてくる。通信機でレーダーを表示すると、仲間の位置を示す光点もまた接近していた。手綱を握る手に力が入った。

 やがて、森を抜けた。

 そこはまさに谷底というべき場所で、両側を切り立った崖に挟まれていた。ちょうど太陽が頭上にあるため明るく、真っ白な花が絨毯のごとく辺り一面で光っている。少女から送られた画像と照らし合わせると、周囲の地形が見事に一致した。

「ここだわ」

 コニーが急かすので、カウボーイは先に花の絨毯に降り立ち、それから彼女を馬上から降ろしてやった。少女は辺りを見回し、手近にあった一輪を摘み取り、しげしげと観察している。

 そんな彼女に背を向け、カウボーイは歩き出す。レーダーの中で、光の点滅は既に中心にあった。

 わざわざ探すまでもなく、人の姿はどこにもない。カウボーイは呼びかけてみる愚こそ犯さなかったが、相手の通信機に発信することは試さずにいられなかった。その結果、花が咲くだけの谷には似つかわしくない、無機質な電子音を耳にした。

 音は近い。花の上に目を走らせると、白い絨毯に凹みができている箇所がある。引き寄せられるように近づくと、そこにはカウボーイが首に装着しているのと同じ型の通信機が落ちていた。

 そう、

 のではなく、のだ。

 通信機に付いた赤黒い汚れが、そのような印象を抱かせた。同じ色をした汚れを、カウボーイは知っていた。むしろ、一つしか知らない。

 言葉にならない言葉でポラックに呼ばれた。

「ねえ――」少女の声もした。

 振り返ると、森の方で何かが動いているようだった。一つではなく、複数。その影には見覚えがある。

〈狼〉だ。

 カウボーイの中で、バラバラに漂っていた点が音を立ててつながった。彼はコニーの方へ駆け出した。それより速く、ノコギリのような歯をむき出しにした四足歩行のボットたちが少女に近づいていく。走りながら一発、ポンプを引いてもう一発。カウボーイの狙いは正確で、二頭を花の絨毯に沈める。直進していた残りの〈狼〉たちは迂回を始め、その隙にカウボーイはコニーの元へたどり着く。

「追われていたの?」

「いや」カウボーイは少女の体を引き上げる。「待ち伏せされたんだ」

「待ち伏せ?」

 コニーは詳しい説明を求めてきたが、今はこの場を離れる方が先だった。ポラックが走り出した。それを追う格好で、カウボーイも馬の背にへ上がった。

 森へ引き返すことはできない。二頭を足止めしたとはいえ、残り二頭が谷の両側から迫っている。よしんば森へ逃げ込んだところで、他の〈狼〉たちが待ち構えていないとも限らない。彼らはそれぐらいの戦術は立てているはずだ。

 前へ進むしかない。山道であれば、やりようによっては〈狼〉たちを振り切ることもできるかもしれない――だが、そんな望みも呆気なく潰える。前方にもまた、後ろから迫り来るのと同じ四つ足の影が、ギザギザの歯をのぞかせながら並び立っていた。

 カウボーイはポラックに転進を命じる。馬が緩やかな弧を描いて反対を向くと、飛びかかれるほどの距離で二頭が待ち構えていた。

「挟み撃ち――」コニーが息を呑んだ。

「してやられたな」

 こうなれば、どちらに進むかは賭けも同然である。状況からして、生存の確率が高いのは森の方だ。いま目の前にいる二頭をどうにかしさえすれば、とりあえずはこの窮地から逃れられるという希望は残されている。

 問題は、どうやって二頭を仕留めるかということだ。二頭は離れた位置に立っており、同時に動かれた場合、片方に対処している間にもう片方が襲いかかってくる。ちょうど、昨日コニーを助けた時と同じ状況である。異なるのは、相手にすべきが二頭だけではないという点だ。背中にも、何頭もの〈狼〉が控えている。昨日のようにポラックを囮にして一頭ずつ撃つという戦術はとれそうにない。

 ゆっくりと作戦を練る時間は与えられなかった。二頭が同時に動き出した。カウボーイは奥歯を噛んだまま舌打ちし、コニーの体を抱き寄せ、ポラックを走らせた。

 いま迷うべきは、両腕の優先順位であった。彼の利き腕は右である。つまり、右の方が優先度は上だ。失うわけにはいかない――そう考えていると、視界の両側から律儀なほど同じタイミングで〈狼〉が飛びかかってきた。電磁ライフルで右側の一頭を撃つ。振り向く前に、左の肩に衝撃を感じる。何かが当たったという感触は、瞬く間に鋭い痛みへと変わる。

 肩に食い込む牙を認めるより先に意識が飛びそうになる。痛みはその針をすぐに振り切り、無感覚となる。カウボーイはどうにか意識を保ちはしたが、左腕の存在までは確かめられなかった。

 ライフルのチャージはできない。彼は右腕へ体に残った全ての力を込める思いで銃身を〈狼〉に叩きつけたが、痛みを感じぬ相手には意味をなしていないようだった。

 再び意識が遠のく。胸の中で、少女の体が動くのを感じた。カウボーイには、何をしようとしているのか問う気力もない。もちろん、彼女を止める気力も。

 コニーは両手を、カウボーイの左肩に食らいついた〈狼〉へ伸ばした。その口を上下からそれぞれ掴み、引き剥がそうというのだ。だが、観光用のファーボと戦闘用のボットでは出力の差が歴然で、〈狼〉は寸分たりとも動かない。

 彼女の目論見は外れた――

 結果的には、〈狼〉はカウボーイから引き離された。それはおそらくコニーが望んだことではあった。だが、彼女の望みが叶えられるには、あまりに大きなものを差し出さなければならなかった。

 カウボーイは朦朧とした意識の中で情報をかき集め、何が起きたのかを察した。振り向くと、白い花の上に横たわる少女と獣の影が遠ざかっていくのが見えた。

「行って」コニーが叫んだ。「わたしは大丈夫――」

 彼女の声が途切れる。その姿は、群がる獣たちに隠されもう見えない。やがて、視界に映る全ての景色がぼやけてくる。

 カウボーイには、何も考えられない。

 今の彼には、何も。

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