1-3
山へ引き返すことは論外だったが、ポートへも近づけぬまま、見つけた廃墟で夜を過ごすこととなった。
火をおこし、食事の準備を始めたところで、カウボーイは手を止めた。
「お前も食べるか?」
「いらないわ。まだバッテリーは残ってるから」部屋の隅で膝を抱える少女が答えた。「少なくなったらもらうけど」
ファーボには有機物を摂取・消化して動力源を作り出す機構が備わっている。つまり、生身の人間と同じように食事によってエネルギーを得ている。
「後で費用は請求するけどな」
「ケチね」
「ここではすべてのモノが貴重なんだ」
缶詰を鍋に開け、火に掛ける。
「馬には何もあげないの?」
「あいつは強化馬だ。あと三日は食わなくても走れる」焦げ付かぬよう、へらで鍋をかき混ぜる。「その体よりも優秀だ」
少女は鼻を鳴らし、そっぽを向いた。
薪の爆ぜる音だけが、辺りに響く。
カウボーイは言った。
「一人であそこまで行ったのか? ガイドもなしに」
「そうよ」
「普通は誰かがつくはずだが」
「〈待ち合わせをしてる〉って嘘をついたの。ポートを出るときに」
規則に忠実な管理局が許したろうか、とカウボーイは考える。S級サーバの住人であれば多少の融通が利くのかもしれないと思うと、口の中が苦くなる。
「お前がこちらに来ていることを家族は知っているのか?」
「知らないわ。言ってないもの」それから少女は付け加える。「わざわざ言う必要もないわ。向こうではお昼を食べた後ちょっと出かけて、日が暮れる前に帰るだけだから」
「ここでは何日過ごした?」
「二日よ」
「チップとの癒着が始まるぞ」
「大丈夫よ。万一の場合はバックアップがあるから」
「さすがはS級だな」カウボーイは肩をすぼめた。「予備を作る余裕もあるとは」
「何それ、嫌味?」少女が言う。「圧縮してるからそんな大した容量じゃないわよ、おじいさん。あなたが昔使っていた携帯端末にだって入るぐらいコンパクトなんだから」
「それは結構なことで。お嬢様」
人間たちがボットに追い立てられ電脳空間に逃げ込む際、そんな危急の事態にあっても尚、彼らは富による優劣を捨てはしなかった。構築されたサーバの容量には限りがあり、本来は万民へ平等に割り当てられるべきこのリソースは、財力によって大きく変動した。人々はSからCにランク付けされ、それに応じた世界で生きている。実際、A以下に大差はなく、そこではボットたちへの恐怖が免除されただけの、この物理世界の延長としての豊かではない暮らしが待っている。
一方、Sでは潤沢なリソースを用い在りし日の、人間が地上の覇者として振る舞っていた時代の世界が――貧しさに由来する労苦を差し引いた形で――再現されている。そこは、傍目には〈楽園〉や〈理想郷〉といった呼び名がふさわしく映るに違いない。時間の流れ方も他のランク以上に緩やかで、物理世界からすると永遠ともいえる時間が住人たちに用意されている。
煮えたスープを火から下ろす。これに代替麦のパンを添えたものが今夜の夕飯となる。粗末だが、何もないよりはマシである。
パンをちぎる前に、カウボーイは隅で縮こまる少女を見やった。少女の視線はカウボーイの手元に注がれていた。自分が見られていることにすぐには気づかぬほど夢中であった。
「バッテリーはまだあるんじゃなかったのか?」
「そうだけど、いいにおいがするんだもの」
「痛覚はないくせに、臭覚はそのままか」
「こちらの世界を楽しむための体なんだから、当たり前でしょ」
カウボーイは小さく首を振ってから、パンを半分に分けた。手頃な蓋を皿にしてスープを注ぎ、少女の元へと持って行く。
「お前、〈デジタル〉か?」
「そうだけど、それが何?」
サーバの中で生まれた人間。情報化された人格同士が作る子供。彼らが人間と呼べる存在かどうかという議論はすでに出尽くしていた。大半の人間があちらに住まう以上、これから生まれる人類は否応なしにすべて〈デジタル〉となる。故に〈デジタル〉もまた人間である――それが、人々の行き着いた答えであった。結論が出たというよりは、議論を諦めたといった方が近い。彼らを人間と認めなければ、ヒトという種は減る一方なのだから。
「なぜ、そう危険を冒してまで花を探す? 向こうにも花はあるだろう」データ化された花が、とカウボーイは胸の中で付け加える。
「正直に答えたら、それをくれるの?」
「答え次第だな」
少女は睨むようにして見上げてくる。カウボーイは器を手にしたまま、彼女を見下ろす。
やがて、観念したように少女は言った。
「弟に見せたいの」
後ろで薪が、音を立てて爆ぜた。
「あの花が咲いてる景色を。この眼で見て、花を触って、できれば摘んで、記憶と実物を持ち帰りたいの」
弟がここへ来なかった理由を、少女は語らなかった。カウボーイも訊ねなかった。少女の口ぶりから、何となくの事情が察せられた。来なかったのではなく来られなかったのだということが。
電脳空間の住人にも終わりはやってくる。それはリソース確保の方策であると同時に、肉体を持たない彼らを生物たらしめる唯一の根拠でもある。そこへ至る道も物理世界と同様、数多存在する。〈デジタル〉とてその宿命からは逃れらず、電子化された全ての遺伝情報から正当に生み出された彼らは、物理世界と同じ苦難までをも律儀に再現されてしまったのだ。
カウボーイは一瞬、右手に器以外の手触りを感じた。過去から誰かが、彼の手を握ってきた。
小さな白い手で。
握り返す間もなく、その手はすり抜け、また過去の闇へと消えていく。彼の手元には、スープを注いだ器だけが残っている。
「ほら」カウボーイはかがみ込み、少女に器を差し出した。
「高くつくならいらないわ」少女は口をとがらせる。
「今回だけはサービスしておいてやる」
少女は少し迷った素振りを見せてから、「ならいいけど」と言って受け取った。
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