第10話 罪と代償

目の前には見慣れた家がある。

一度はこの家から逃げ出した。いや、正確には二度か。

最初は何もかも嫌になって行く当てもないままに逃げ出した。

真冬の寒空の下、半袖のシャツを着て逃げ回った。

まるで私の心のうちを表すかのような暗闇を歩き回った。

次第に寒さを感じなくなった。

それほどまでに私の心は疲弊していたんだ。

そう気づいた時にはもう後に引けないほど遠くへ来ていた。


灯りに誘われる羽虫のように気が付けば周囲で一番明るいコンビニに足を運んでいた。これからどうすれば良いのだろうと悩んでいた時、こんな私を心配してくれる人が現れた。初めは警戒していたのに彼から貰った紅茶はなぜだかその温度以上に暖かく感じられた。


それから今までの生活からは想像できないほどに楽しい日々が過ぎていき……

私はもう一度家に帰った。

小春を、私の妹を救うために。

二度目の家出、あの時は覚悟を持って逃げ出した。

そして安心して逃げ出すことができた。

私たちを迎えてくれる場所があったから、受け入れてくれる人が居てくれたから。


そして今再びこの忌々しい我が家に帰ってきた。

憎らしい過去に別れを告げるために。

今回はもう逃げ出すことなんてしない。

きちんと決着をつけるんだ。


「お姉ちゃん……」


小春がシャツの裾をつかんでくる。

その表情には緊張が感じられた。

普段は大人びているけどこういうところは年相応だなと微笑ましく感じる。


「大丈夫だよ。もう今までとは違う。ちゃんと終わりが見えてるんだ。もう少しの辛抱だよ」

「……そうだね。行こうか」


深呼吸をして扉に手をかける。

時間的にまだ父は帰ってきていないのだろう。家の中はしんと静まり返っている。

それだけじゃない。朝だというのに真っ暗なままだ。

母は一体どうしているのだろう。


「お姉ちゃん、お母さんはどこにいるんだろう?」


後ろをついてくる小春が小声で尋ねてくる。

室内のカーテンは全て締め切られている。

まだ寝ているのだろうか?

とはいえ今日は平日。昔の母は早起きだったはずなのに。

それに仕事はどうしたのだろう。

妙な胸騒ぎがする。


「お母さん、まだ寝てるのかな」

「だったらいいんだけど」


昔の母は明るかった。まさに私が理想とする女性だった。

だけどお父さんが亡くなってから少しずつ変わり始めた。

いきなり女手一つで2人の子どもを育てていくのはかなりストレスだったのだろう。

思い返せば当時の母はかなり焦っていたように感じる。

そこまでならまだ何とかなったのかもしれない。

でも数年後母は壊れた。あの男のせいで。

何があってもあの男だけは許せない。


薄暗いリビングを抜け1階の寝室へと足を踏み入れた。


「お母さん?」

「おかあ……さん?」



そこには……変わり果てた母の姿があった。



***



あの日、2人が家を出てから何が起こったのかを話すとしよう。

当初の予定通り家にたどり着いた2人はすぐに連絡をくれた。

でもその時点で気づくべきだった。葵の声が震えていることに。


連絡を受けた俺は次に児童相談所へと通報した。

近年では匿名通報も受け付けているということを事前に知っていたため今回は匿名通報とした。俺のことを話したところで関係性をどう説明すればいいのかわからなかったからな。

ただ、国民には通告義務というものが課せられているらしく児相側も匿名である俺の話をきちんと聞いてくれた。


それから3日後、葵から義父が逮捕されたことを告げられた。

母は肉体的にも精神的にもかなり弱っていたらしく病院へ運び込まれることになったらしい。

保護者がいなくなったため葵と小春は一時保護されたらしい。

ここで終わっていれば完璧だったんだけどな。


その後の取り調べで義父が『葵と小春が長期にわたって家出していた』という証言をしたため2人を匿っていた人物が探されることになった。

そこでまず2人の虐待を通報してきた俺に矛先が向いたわけだ。

警察の予想は見事に的中。

俺も事情聴取を受けることになった。


俺は真冬のコンビニで葵と出会ったこと、そして自分の家に泊めていたことなど今までにあったことをありのまま話した。


俺は逮捕される覚悟で話していたのだが、偶発的に起こったこと、被害が軽微であったこと、結果として被害者の虐待発覚に繋がったこと、なにより被害者が罰則を望んでいないことなどにより微罪処分となった。


そうして厳重注意を受け、今後二度とこのような真似はしないと誓った。


それから遠方にいる父が迎えに来てくれたのだがこっぴどく叱られた。

成長と共に叱られることもなくなり、関心を失われたと思っていた。

だけど父は本気で叱ってくれた。

それと同時に今回俺がしでかしたことは予想以上に大きな影響を与えてしまっていたということも改めて感じた。


たとえ微罪処分であっても前歴はつく。

こうして俺は社会的にも罪を背負うことになった。

もう2人と会うことはないだろう。

今まで我慢していた分これからは幸せになってほしい。

そして俺自身も幸せを求めて頑張らないとな。

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