第19話 妹の存在
翌朝。俺は昨日のこともあり寝不足ぎみだった。
葵ちゃんは今でも起きる様子はない。
このまま起きるかわからないしやっぱり女将さんに話しておくか。
そう思い立ち上がった時、葵ちゃんの鈴のような呻き声が聞こえてきた。
「うぅ……」
よかった。目が覚めたようだ。
俺は脳に刺激を与えないようにしつつ葵ちゃんの肩を揺すり起こした。
「葵ちゃん、大丈夫かい?」
「ましろ……さん?」
「そうだよ。よかった、目が覚め……」
「……」
目覚めたばかりの葵ちゃんの顔を見て絶句した。
――その瞳は出会った時と同じように底なしに暗く染まっていたのだ。
どうしてだよ?! 確かに寝ている間に妹の記憶を取り戻したのかも知れない。
でも! そうだとしてもあんなに幸せと言っていたのになんで元に戻っているんだよ。
俺の考えが甘かったということか?
今までの行いが実は全部心に響いていなかったというのか?
罪悪感を押し殺し、隣にいる葵ちゃんに楽しんでもらおうとしてきたのに……
「真白さんも私を騙したんですか」
布団から上半身を起こしそう呟く彼女の声には抑揚がない。
その事実が彼女を絶望の淵に追い込んでしまったのだということを告げている。
「……思い出してしまったのか」
「あの日私は家に戻るつもりでした。そうすれば虐待の対象は私だけで済む。妹を守ることができたはず。それなのに……あなたのせいで」
『あなたのせいで』 その言葉が俺の胸を抉る。
彼女からしてみれば俺のしてきたことは全部余計なお世話だったのだろう。
「……でも、あの時君を止めなければ確実に心が壊れていた」
「……私なんてどうなってもいいじゃないですか。妹さえ助かればそれで」
「よくない!! 君はもっと救われるべきなんだ! 妹さんも大事だが同じくらい君も大切なはずだ!」
それでも俺の言葉は響かないようだ。本当に情けない。
心を揺さぶる言葉一つかけられないのか俺は。
なおも淡々と葵ちゃんは言葉を紡ぐ。
「……私がこうしてる間にも小春は苦しんでるはずです。あなたが止めなければその苦しみも味わわなくて済んだはずなのに」
どうすればいいんだよ。自分はいらない存在だと思い込んでる少女をどうすれば救えるんだ!
どうしたらまた昨日までのように彼女の笑顔が取り戻せるんだよ……
「……いつまでもこんなところにいないで早く戻りましょうよ。それから私は家に帰りますから」
「……」
時刻は11時。チェックアウトの時間も迫っていたため葵ちゃんの言葉通り旅館を後にすることにした。受付に行くと昨日の女将さんが顔を出した。
「あら? お二人ともえらく疲れてらっしゃるようですがお体は大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。昨日はしゃぎすぎちゃったみたいで」
「そうですか、安心しました」
葵ちゃんの変化を見れば女将さんのような感想を抱くのも無理はないだろう。
俺は礼を言って旅館を立ち去った。
駅までの数kmの道のりも俺たちの間には会話はなく、ただ歩いているだけだった。
それから電車内はもちろん、俺のアパートに着くまで一切会話はなかった。
アパートについて早々葵ちゃんは物置と化していた例の部屋に戻った。
しばらくして出てきたのだが、服装は一番最初に出会ったときのように季節外れの薄いTシャツとスカートだった。手にはショッピングセンターで買った服が握られていた。
「……これはお返しします。売るなりなんなりしてください」
「ダメだ。受け取れない。これはすでに葵ちゃんのものだ」
「……そうですか、じゃあここに置いておきます」
そう言って服を床に置く。そのあまりに感情のない機械的な動きを見て、もう何も言えなくなってしまった。
「……一応、今までお世話になりました。もう会うことはないと思います。さようなら」
「……」
ついには玄関のドアが開き――葵ちゃんの姿が見えなくなってしまった。
それと同時に玄関に座り込む俺。
結局、彼女を止めることができなかった。
どうすればよかったんだよ。どんな手を使えばあの暗闇から彼女を救えたんだ。
頭を回してみても答えは出ない。
次第に俺があの時助けなければよかったんじゃないかと思い始める。
いつもみたいに困っている人がいても手を差し伸べなければ……
そうすれば彼女のことを知ることもなかった。
俺はいつも通りの大学生活を送れた。
黒瀬と話し、紫雲先輩と働き、学費を稼ぐだけの日々でいられた。
彼女の妹に苦痛を遭わせずに済んだ。
あの時間で得たものはなんだ? 葵ちゃんの笑顔だけだ。
それも今となっては過去の話。再び仄暗い瞳に無表情。
出会う前に逆戻りしてしまった。
もう寝よう。こんな心境じゃ食欲もないし、何も手に着かない。
ふと、葵ちゃんが置いていった服を見る。
あんなに楽しそうにしていた服選びも今となってはただのお荷物か。
とりあえずたたんでおこうと思い、服の束を抱える。
カサッ。
紙が落ちるような音が聞こえた。音の正体を探るべく床を見る。
「こ……これは!」
そこにあったのは丁寧に封までしてあった一枚の手紙だった。
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