第10話 バイト
葵ちゃんの手料理を初めて食べた日から数日が経った。
あの後も毎日のように料理を練習している。
この調子なら葵ちゃんが自分一人で料理を作れるようになる日もそう遠くないかもしれない。
かくいう俺は今日もバイトに励んでいた。
紫雲先輩をはじめ、バイト仲間にも迷惑をかけてしまったな。
「紫雲先輩、すみません。またシフト入れない日が続いちゃって」
「いいのよ。従妹ちゃんのこともあって忙しかっただろうし」
俺と紫雲先輩が働いているのは大学付近の飲食店だ。
大学付近の飲食店というだけあってお昼時には結構な人が訪れるが、今は14時過ぎだ。
客もまばらでわりかし落ち着いている。
一通り業務を終わらせた俺たちはそれぞれ暇を持て余していたのだった。
向こうでは紫雲先輩ともう1人の女子の先輩が話していた。
なにやら楽しそうにしている。
もう1人いた男子はというと……スマホをいじっていた。
うーん。暇だ。スマホで暇をつぶしている人たちは何をしているのだろうか。
単純に気になる。ソシャゲはどれも似たような設計でつまらないし、読書には時間が足りない。
かといってこの状況で音楽を聴くこともできないし、連絡し合える友人なんて俺にはいない。
一応黒瀬と連絡先は交換しているのだがこれといって会話をするわけでもない。
たまに向こうから連絡が来ることはあるのだが。
いや、ほんとにみんな何してるんだろう。
そんなことを考えながら突っ立っていると、話を終えたらしい紫雲先輩がこちらにやってきた。
「ねぇ真白くん。バイトが終わったらお茶でもどうかしら?」
めずらしいな。紫雲先輩が食事に誘ってくるなんて。
でも、家にいる葵ちゃんのことも心配だし。
かといって先輩の誘いを断るわけには……
「あっ、もしかして用事があったかしら?」
「いえ、大丈夫です。行きましょうか」
「ふふふ、ありがとう」
17時。バイトも終わりを迎えた俺たちは近くの喫茶店に来ていた。
木造の店内。窓際の2人席に腰を下ろす。
普段こんなところに来ることはないがこれぞイメージ通りの喫茶店って感じだ。
「ホットコーヒーで」
「じゃあ俺は抹茶ラテで」
「かしこまりました。少々お待ちください。」
実を言うと俺はコーヒーとか苦手なんだよな。
葵ちゃんと出会った日もかっこつけるために缶コーヒーを買っていただけだし。
ということで俺は日本人らしく抹茶ラテを注文した。
「ふふふ、たまにはこうしてお茶するのもいいものね」
「そうですね。でもよかったんですか? 俺なんかで」
「もちろんよ。他に誘えるような人もいないしね」
「そうですか。今日は先輩と仲のいい女子も同じシフトだったと思ったんですけど」
「もう……そんなこと言わないの。私は真白くんといる方が楽しいと思って誘ったんだから」
「え?」
「なんでもないわ」
頬を赤らめながらつぶやく。本当にどうしたんだ?
いつもは凛々しくて頼りがいのある紫雲先輩だけど最近はどうも様子がおかしい。
思い返してみれば葵ちゃんと出会ったとき辺りからか?
まあ俺と一緒にいて楽しいと言ってくれているんだしこれ以上追及するのは野暮というものか。
「ところで真白くん。あなた好きな人はいないのかしら」
「?! ゲホッゲホッ……」
俺は口に含んだ抹茶ラテを噴き出した。
唐突すぎて思わずむせ返ってしまう。
なんなんだ? 急にそんなことを聞いてきて。
「どうしたんです? 急に」
「いえ、気になっただけよ」
「別にいませんよ」
「そう」
俺からの返答を聞いた紫雲先輩はどことなく安心したかのような表情をしていた。
なんで先輩が安心してるんだ?
「顔がいいからてっきりモテているのかと思っていたわ」
「俺がですか? そんなことはじめて言われましたよ」
「あらそうなの? みんな見る目がないわね」
「先輩が物好きなだけですって」
「ふふふ、言ってくれるわね」
「すみません……」
笑顔を崩さないままそんなことを言われるとなんだか怖い。
結局、俺たちは大学のことやバイトのことなど他愛もない話をしたのち、何事もなく帰宅するのだった。
「ただいま」
「おかえりなさい、真白さん! 今日は遅かったですね」
「ああ、ちょっとバイト先の先輩と話してて」
「もしかして紫雲さんですか?」
「うん、そうだよ」
そう告げると葵ちゃんは少し不機嫌そうな顔を見せたが、表情を一転させてこう言ってきた。
「今日は真白さんのためにオムライスを作ってみました」
「すごいじゃないか!」
自分一人で料理を作っていたとはそれもたった数日で。
それにしても俺のために作ってくれたなんてなんだかうれしいな。
「じゃあ用意するので手を洗って席についててください!」
「あ……いや、俺も手伝うよ」
「いいんですよ! バイトでお疲れでしょう?」
そういうことならと俺は葵ちゃんの言葉に従うことにした。
もともと1人用として買った小さなテーブルに2人分の料理が並べられる。
6畳ほどの室内には食欲をそそるいい匂いが漂いはじめる。
誰かに手料理を作ってもらうなんてちょっと前までは想像もできなかったことだ。
「それじゃあ、いただきます」
「召し上がれ!」
スプーンを片手にオムライスをすくう。
黄金色の卵に包まれた真っ赤なケチャップライス。
毎度思うが実は葵ちゃんは料理経験者なんじゃないか?
しかもIHでこんなにきれいに卵を焼くことなんてそうそうできないと思う。
「どう……ですか?」
俺がオムライスを口に運ぶと不安げな上目遣いで感想を求めてくる。
もはやこの光景が日課になりつつあるな。
「おいしいよ! 今まで食べたオムライスの中で一番おいしい!」
「えへへ、頑張った甲斐がありました」
「1人で作ったんでしょ? すごいな葵ちゃんは」
「もうー照れちゃうじゃないですか」
こうして今日も俺たちの日常が過ぎていく。
なんてことはないただの生活。
でも今まで1人だった俺はこの生活にどこか楽しさを感じていた。
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