第2話 家出少女②
翌朝。今日も相変わらず冷える。
何というか冷蔵庫に体を突っ込んでいるみたいな寒さだ。
小学生の頃は真夏に冷蔵庫を開け涼んでいたものだがこの歳になってそんなことをしていると変なヤツだと思われる。
それに電気代が気になるお年頃だ。
今となっては母の気持ちがわかる。
俺が住んでいるのは結構なボロアパートだ。
日当たりは悪くないのだが至る所から隙間風が吹き込んでくる。
もはやこれ壁の意味を成していないんじゃないか?
それでも家賃2.5万円で2DKという間取りは破格ともいえるだろう。
バス・トイレ別でキッチンもそこそこ広いし、何より2部屋あるのは嬉しかった。
まあ俺には彼女や家に誘う友人もいるわけではないので1部屋は物置と化していたのだが。
いずれにせよあのトラウマを克服しない限りは彼女なんて作れないだろうな。
実際、同性ですら心から信頼できる友人もいないわけだし。
ああ、やめだ。朝からこんな悲惨なことを考えたくはない。
雑念を振り切り冷え切ったキッチンに立ちながら朝食の用意をする。
今朝もからしマヨネーズを塗った食パンの上にベーコンを乗っけてトーストするといういかにも健康に悪そうな食事だ。最近のマイブームでもある。
「いただきます」
ニュースを見ながら朝食を食べ、歯を磨き、身だしなみを整えたら家を出る。
いつものルーティンだ。
1人暮らしが寂しいと思ったことは一度もない。
むしろ以前にもまして自由度が上がったおかげで心に余裕ができた。
その分考え事が増えたような気もするが。
別に家族と仲が悪いというわけではない。
ただ単に俺が1人が好きな男というだけだ。
「行ってきます」
無音の室内に俺の声が響く。
今日は1限から授業が入っている。単位を取るためだけの授業。
内容にこれといって興味はない。
歩いているうちに例のコンビニまでやってきた。
通り過ぎる際に駐車場と店内を覗いてみたが昨夜の少女の姿はなかった。
やはり杞憂だったらしい。
あんなに寒そうな格好でいたのもきっと外の気温を読み違えていただけに違いない。
わざわざ店の外で待っていたのも誰かを待っていたからに違いない。
やっぱり俺が関わる必要はなかったのだ。
軽率な行動をしなくてよかったとどこかホッとする自分がいた。
***
大学もバイトも無事終了し俺は帰宅していた。
真冬の22時頃ともなると辺りは真っ暗で街灯がまぶしいくらいだ。
ここが田舎だからだろうか、空気が澄んでいて気持ちいい。
そうして昨日から合わせて3度目となる例のコンビニの前を通り過ぎようとしたときであった。
「……なんで」
俺は思わず目を疑った。
そこにはなんと今朝はいなかったはずの少女の姿があったのだ。
昨日みたいに誰かを待っているのか?
いや、ありえない。
だって服装が昨日と全く同じじゃないか。
この光景を見れば誰だっておかしいと結論付けるだろう。
昨日はたまたまあんな薄着をしていたとしてもさすがに今日は厚着をしてくるはずだ。
少女は駐車場のポールに腰掛け、俯きながらじーっとどこかを見つめていた。
その身体は相変わらずガタガタと震えている。
どうするべきか。相変わらず車は一台も止まっていないし少女の家族らしき人物は周囲には見当たらない。
コンビニ店員も関わらないようにしているのか声をかける素振りも見せない。
どうする俺。今までの俺なら通り過ぎていた。
でもこのまま家に帰っても寝覚めが悪いだけだ。
そんなに大げさに捉える必要もないかもしれないが、それでも話を聞いてみるだけのことはしてみるか。
思えば俺らしくもない選択だった。
「こんばんは」
気が付けば俺は少女に話しかけていた。
今まで遠目からしか見ていなかったのでわからなかったが結構な美少女じゃないか?
茶色の髪は生まれつきだろうか。
コンビニのライトに照らされたその髪はところどころ弧を描くようにきらめいている。
それに肩のあたりまで伸ばした髪は男の俺から見ても手入れが大変なんだろうなと思うほどサラサラしている。
肌は透き通るような白色でシミはもちろんニキビといった類の肌荒れも感じさせない。
何よりもくりっとしたかわいらしい瞳が特徴的で身長も相まって小動物のような雰囲気を感じさせる。
「なんですか、あなた。私に何か用ですか?」
口を開いた少女から聞こえてきたのは鈴を転がすようなかわいらしい声だった。
ついでに警戒心をあらわにしてこちらを睨んでくる。
そりゃそうだ。突然見知らぬ相手から話しかけられれば誰だって警戒するに決まっている。
ましてやこんなに年が離れているのだ。仕方のないことだろう。
「ご両親はどうしたの?」
俺はなるべく怖がらせないように疑問をぶつけてみる。
だが俺の言葉を聞いた少女はすごく不愉快そうに眉をひそめた。
その表情は怒気と少しの哀しみに満ちていた。
少女は苛立ちを募らせた様子で大声を出す。
「あなたには関係ないじゃないですか! ほっといてください」
「確かに俺には関係のないことかもしれない。あっ……ちょっと待ってて」
ミスった。当たり障りのない会話しかしてこなかった俺にこの会話は難易度が高すぎる。
でもここで引くわけにもいかないと思った俺はとりあえずコンビニ内に足を踏み入れた。
うーん。
少女に温まってもらおうと飲み物を買いに来たはいいもののどれにしようか。
缶コーヒーと紅茶でいいか。
そのまま会計を済ませレジを後にする。
「お待たせ」
「……別に待ってませんし」
少女はふて腐れたような態度で答える。
口ではそう言いながらもきちんと答えてくれるあたり根はいい子なのだろう。
「どっちがいい?」
「いりません」
「そんなこと言わずにさ。ずっとここにいたら寒いだろう? これ飲んで温まりなよ」
「本当にいりませんってば」
「じゃあ紅茶ね、はいどうぞ」
俺は少女に温かい紅茶を押し付ける。我ながらなんとも身勝手な行為だ。
街でたまに見かけるナンパ男よりタチが悪い。
「いらなかったら捨てるなりなんなりしてくれていいから」
「……」
「よかったら君の話を聞かせてほしいな」
「……話すことなんてありませんよ。見ての通りです」
「昨日からずっとここにいたの?」
「……あなたストーカーか何かですか?」
少女は軽蔑するかのようなまなざしを送ってくる。
俺が少女の存在を認識していたことを知り驚いたようだ。
「ストーカーとは失礼な。俺はただ通勤通学の途中に君を見かけただけさ。
こんなクソ寒いのに何やってんだろうって気になっただけ」
「……見ての通り何もしてませんよ」
少女は言葉通り本当に何もしていなかった。
今どきの中高生ならスマホぐらいは持っているはずだが少女はスマホを持っていないようだ。
暇を持て余しているであろう彼女はそんな暇をつぶそうともせずただただそこにいるだけだった。
「暇だったらさ、話を聞かせてくれないか」
「どうして見ず知らずのあなたなんかに話さなきゃいけないんですか。
……どうせ話したって解決するようなことじゃありませんよ」
そう告げた少女の目は泥のように濁りきっていた。まるですべてをあきらめたかのような表情。
他人に期待もしないしこれ以上何かを願うこともない。
過去の自分を見ているかのようだった。
「……」
「……」
無言の時間が続く。それでも俺は少女の隣に座っていた。
少女からすれば迷惑極まりないことだろう。
でももう自分みたいな人間は生まれてほしくなかった。
このまま少女を1人にしておけばいずれは本当に世界に期待しなくなるだろう。
やがてこの世界に居場所を失って――
「……家出ですよ。ただの」
「……そうか。つらかったんだな」
「あなたに何がわかるんですか! 知った風な口を利かないでください!!」
少女の表情は苦悩に満ち溢れていた。
俺を睨みつけるその目にはもはや魂すらこもっていなかった。
ますます放っておくことはできない。
少女がどう思っているのかは知らないがここで帰るなんて失礼だし、何よりそんな中途半端なことは俺自身が許せないでいた。
「君は中学生くらいだよね」
「……そうですけど」
「……中学生は大変な時期だよ。本当に」
「……」
俺の表情を見た少女の動きが止まる。
きっと俺がこんな表情をしたのが驚きだったのだろう。
くりっとしたかわいらしい目を見開いていた。
なんだまだかわいらしい表情も残っているじゃないか。
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