第2話 レジスタンスのかくも短き命の声 

   ~戦場の露と散った二つの魂~


 たくさんの遺体の波の合間に、一人だけ取り残されていたセラム。

重なり合った遺体は、もう何も発していない。

悲鳴も・・・叫びも・・・悲しみも・・・。

無残に波打ち際に打ち上げられた藻屑のように、ただただ横たわっている。

見開かれたままの瞳は茫然と空を見つめ、神よ、なぜ見捨てたのですか?と問いかけているようだった。

冷たくべっとりと重い泥に顔の半分を埋もれさせたまま、その空虚な瞳をみつめるセラムの眼差しも何処かあやふやで、生きたまま召されたかのように無音で冷たい世界の中に取り残されていた。

 

 誰かが自分の腕を取り、半ば引きずるかのように自分の肩に乗せて運ぼうとしている。

体に力は全く残っておらず、屍のような自分をどこに運ぼうというのか?

”誰かー!誰か手を貸せ!!“

その叫びのような声も戦場では、どこにも届かない。

誰もが必死で、誰もが命の瀬戸際なのだ。


 それでも必死に引きずりながらも、相手の剣をかわし、まわりに眼を配りながら身を横たえられる場所を必死に探している。

段々と戦火の怒号が遠のき、目には緑の樹木が横切るようになっていった。

とぎれとぎれの意識の片隅に、針葉樹の緑がささやかな癒し。

二人が同時に倒れこんだ場所は、なぜか懐かしいような匂いがした。

 草のみずみずしい青い香りは、小さな頃寝ころんだ牧草地の草のうねりの中にいるようだ。

草の中にいれば安心だ・・・そんな根拠のない安心感が、緊張の糸をプツンと切ったかのように瞼が閉じられた。


 どれぐらいの時間が経ったのか分からなかったが、肌寒い感触と朝靄の湿った感じが、明け方だと知らせてくれた。

痛い・・・という感覚が全身を駆け巡る度に、生きている実感が湧く。

傷みに支配されたこの身体を生かしておく意味はあるのだろうか?

 

 横たわっている彼を覗き込んで、何度も口元に手をかざした。

手に触れる微かな息が、束の間の安堵を与え、その安堵に誘われて眠る。

決して深く眠らないように訓練されたマーゴは、いつもそうやって眠りを繋いでいた。

小さな頃も誰かの足音や、木々の枝がこすれ合う音にも敏感に反応してしまう。

しかし、戦場ではそれが大いに役立った。

 セラムが痛みで、小さく“うっ”と声を漏らしても、マーゴはすぐに目を覚ました。

死んでいない事は、それがたとえ瀕死の状態であれ、死とは別世界である。

ここはまだ安全ではない・・・と思ったマーゴは、夜明けと共に霧に紛れてさらに森の奥へと入っていく。

セラムは少しは意識的に歩こうとしてくれたが、それでも一日に進める距離は少なかった。

どこにいても生き延びていくこと、水が飲める場所では飲む、食べる物があれば何でも、少しでも食べる。

休みながらでも陽のあるうちは歩いた。

寒さをしのぎ、夜を明かす場所をみつけ、そこで夜の帳(とばり)をやりすごす。

夜露に濡れた小さな枝を集めて、やっとの思いで火を起こした。

その火にあたりながら、セラムはマーゴに行った。

“皆は?”

黙って首を振るマーゴにセラムはそれ以上何も言えなかった。

暖を取りながら、

”傷の手当てを・・・“

そう言って、セラムの体の傷を注意深く見る。

切り傷の他に紫色に変色したアザや、赤黒く腫れている所もある。

肋骨が折れて、胃の横辺りから脇腹にかけてひどくやられていた。

どこを触っても痛く、意識は体の動きについていけないようだ。

長くかかるかも・・・という二人の暗黙の了解に、二人が同時に言った。

”足手まといになるから、置いて行ってほしい“

“二人で何とか生き延びないと・・・”


お互いの真っ向から反対の言葉に、お互いが驚いた。

“置いて行くなんて・・・そんな事できるわけない!”

マーゴは一瞬セラムの方を見たがすぐに炎に眼をやった。

セラムは、無視するマーゴに覚悟を持って言った。

”助けてもらったのは本当に感謝しているが、こんな体では足手まといだし、かえって危険が及ぶ。それは避けた方がいい。このまま隠れて生きていれば散り散りになれば、何とか生き残れるかもしれない。“

火に枝を投げいれながら、マーゴは言った。

二人の思惑は真っ向から反対したが、かといってどうするかも分からず、二人はただ火を見つめた。

あちらこちらに転がる屍、焼き払われた家屋、どこに行っても生きている存在には出逢わなかった。

それでも歩く。

歩くしかないから歩く。

珍しい青空にも気が付かないほど、二人は地面ばかりを見つめ、まわりの気配に気をくばりながら、どこに行くかも分からないが歩き続けた。


 森の奥には信じられない事に、まだ人の踏み込んだことが無いような無垢な場所があった。

小さな水たまりには、魚もいたし、水も湧き出ている。

久々に冷たく生まれたての水を飲んだ。

その美味しさに二人は喉を鳴らした。

”ここなら少し安心して眠れそうだな“

そう言うマーゴは、セラムの脇腹の傷を綺麗な湧水で丁寧に洗った。

”ありがとう・・・“

セラムの初めての言葉に驚きながらも、照れくさくて聞こえないふりをした。

傷は何とかその溝を埋めようと、薄い瘡蓋(かさぶた)を作りかけている。

打ち身は長くかかるだろうが、体力が戻れば徐々に癒されていくだろう。

二人は無垢な自然の中で初めて、やっと人間に戻ったような気がしてきた。

マーゴはあたりを歩き回って、焚火に使えそうな枝を集め、木の実を集めてきた。

水辺に来た鳥を捕まえ、火であぶる。

長らく忘れていた肉の味は格別だった。

この鳥が自分の命への供物となってくれたおかげで、セラムもマーゴも生きる事への希望を持てるようになってきた。

 暗闇の中にポッと一つだけ灯りがともっている。

セラムとマーゴの孤独な命がそこに寄り添い合っているかのようにあった。

”なぁ、マーゴ。俺たちは何のために戦っているんだろう・・・。“

”親のあの無残な殺され方を見ただろ?“

セラムは思い出したくもない過去の光景がいつでも目の前に再現されるのを呪った。

そして、その再現される光景に、決まって胃の辺りがムカムカしてくるのを感じる。

セラムだって同じような想いを味わっているはずだ。

なのにどうしてこんなことを聞いてくるのか全く理解できなかった。

“何のためって・・・両親を殺し、生活を奪ったあいつ等に復讐するためさ。“

“そのために戦って、果たして自分は幸せだったあの頃に戻れるのか?”

”幸せに戻れなくてもいい。とにかく復讐しなくては両親の無念は晴らせない“

炎に照らされたマーゴの顔は怒りに燃えているが、同時に悲しみに刃を突き立てているかの様に痛々しく感じる。

“俺だって両親を殺された。そして追われながらここまで来た。戦いたくて戦っているんじゃない。でも、皆が戦っているから・・・戦うしかないから戦っている。でもふと思った。俺たちが殺した兵士にも家族がいたんじゃないか、家で子供が待っていたんじゃないか・・・と。”

セラムは自分の痛みと戦いなら、いつもどこかでそんな声がしていた。

“それはそうかもしれないが・・・。だからと言ってみすみす殺されるのは御免だよ。”

誰もその矛盾に答えを求めようとはしなかった。

”誰も戦うことが間違っているとか、正しいとかいえない。だって戦うって事は、死んだ両親のためだけに戦うわけだけではなく、自分のために戦ってる奴だっている。軍のやり方に抵抗することが自分の意思で、その意思に忠実に従う事は間違ってはいない。俺はそう思う。“

マーゴは自分に正直な男だ。

セラムはよく分っていた。

そんなマーゴは自分の意思で戦い、自分の正義を全うするために戦っている。

傷ついた仲間を見殺しにすることなどしない、誠実な漢。

セラムは、子供の頃に村を焼き払われ、誰ともわからない女性に荷馬車に押し込められて危機を脱した。

馬車で彷徨ううちに、小さな集落に身を寄せ、そこでマーゴと出会った。

同じぐらいの年恰好の二人は、友達のように、兄弟の様に感じていた。

そして、軍の侵略でその村も焼かれ、マーゴの親はマーゴの目の前で剣を振り下ろされて死んだ。

どんな小さな子でも、いざとなったら戦わなくてはならない。

戦えないなら、隠れてでも生き延びなければならない!と、二人はずっと教え込まれてきた。

何のために・・・?などと考える事すらないまま、戦火の中に放り込まれたのだ。

ただ生きるため、生き抜くために戦うしかなかった。


 神の玉座の前に立たされ、何のために戦うか?と問われたとき、

両親を殺されたから・・・と答えられるのだろうか?

セラムはそんなことを考えていた。

人間の穢れに侵されていないこの無垢な自然の中にいると、ずっと忘れていた安心とか温もりを思い出す。

青一色の空には、神しか存在しない。

星が散りばめられた夜空には、殺された人々の命が輝いている。

そして、セラムは乾いた草の上に寝転んで、上の世界で人間の愚かな姿を痛々しい気持ちで見ているだろう神に、そう問われているかの様に感じたのだ。

≪愚かな人間よ・・・なぜ戦うのか?≫と。

セラムは

<愛すべき親や仲間を殺されたから・・・。>

と答えると

≪お前の憎んでいる人間と、お前は同じことをしているとは思わぬか?≫

と神が再び問う。

<自らの命を守るために戦うしかない>

その答えは神を失望させる答えだと解っていても、セラムは言う。

神は悲し気な眼差しで問う。

≪命は誰のものか?≫

<神のものです。>

はっきりとセラムは断言する。

≪命を粗末にしろと言っているのではない。命の尊さを学んでほしいと思っている≫

<ならば、なぜ戦いをやめさせないのですか?>

≪自ら人間がやめなければ意味の無い事。戦いは奪う事。奪う事からは何も生まれぬことを学ぶことが大切なのだ。≫

神の哀しき人間への使命は、あまりにも重かった。

自分一人が戦いを放棄したこところで、この戦いが果たして終わるだろうか?と、セラムは虚しくなった。

そして、

<誰がこの戦いを始めたのか?>

その問いかけに、神は無言だった。


“森の中で、薬草を摘んできた!”

その言葉でセラムは自分がいつの間にか寝ていたことに気付く。

”あぁ、ありがとう“

“珍しいカラコン草が生えていたから・・・。”

マーゴがその薬草を手で揉み始め、青臭い香りがした時

マーゴの背後から一本の矢が放たれた。


セラムの視界からマーゴが消え、マーゴの胸から突き出た矢がセラムの視界に入った時、セラムの心臓にも矢が刺さる。

それはあっと言う間の出来事だった。

地面に伏すマーゴと、目を見開いたままのセラムが同じく地面に横たわる。


静かな森の静寂が、二本の矢によって切り裂かれた瞬間だった。




セラムは 神の玉座の前に居る。

あの時の神との会話のシーン、そのままだった。

しかし神は言った。

あの時の憐れむような、哀しい眼差しでなく、温かな眼差しだった。

≪あなたの戦いは終わりました。何のために戦い、何を学びましたか?≫

<わたしは生き抜くために戦いました。そして戦う事は悪ではないと学びました。人を殺めたことで、奪う事、失う事の哀れを学び、生きる事の大切さを学びました。>

神は

≪戦う事は大切な事。どんな時も戦う事を恐れてはいけません。大切なのは何と戦うか?何を戦うか?です。その闘志が自らの魂の声なのかを注意深く聴きなさい。≫


神の声は地上のどんな声よりも深く、偉大で、慈悲に溢れ、清廉さに溢れる声だった。

誰もが生まれ代わる時に、その大いなる声を聴いているはず。

その神の声を思い出すことがあるはず。


セラムは安らかな光に包まれるかの様に、安心して目を閉じた。


マーゴは、目を見開いたままのセラムが何故か自分の方をむいたまま、とても穏やかな眼差しで、うっすら微笑んでいるかと思った。

次第に遠のく意識の中で、マーゴは生まれて初めて光の中に天使を見た。

声にならないその声は、全てを悟ったかのような吐息。

≪あなたはこれから神の前へと向かうのです。もう安心しなさい。ゆっくりと眠りなさい。長らく忘れていた大いなる安心と温もりの中にいていいのですよ。≫

その言葉に誘われるように、マーゴはゆっくりと目を閉じた。

戦況に散った若きレジスタンスは、短い生涯のなかで学びを終えた。

なぜ戦うのか?という、神の試練に答えを見つけ、神の玉座の前で堂々と答えたのだ。


                       桜香院 蒼月


≪解説≫

中世のヨーロッパでは、不安定な政治のために多くの民衆が路頭に迷い、親子が断絶され、戦火の中で必死に生きていました。

名もなき小さな村に住んでいたセラムとマーゴは、戦いの戦火の中で偶然にも出会います。

戦う事から、この青年たちが何を学んだのか?

誰と戦うのか?

何を戦うか?

何のために戦うか?

を学ぶための大切な学びでした。


現代の生活でも常に戦う事は起こっています。

それが自分の夢や信念、使命や、義務など様々な状況のもと、人々はその戦いの学びから何を学んだか?を問われるでしょう。

勝敗ではありません。

自分におきている問題や課題を、自分と戦い、乗り越えていく事は大切な事。

どれだけその戦いに挑んだか?は、自分自身しか分からない事なのです。

どんな時代に生まれようとも、戦う事は悪ではなく、己の魂のためには必要な事かもしれません。


愛する者を守るために・・・

弱きものを助けるために・・・

自分の解放のために・・・これらもすべて、戦いです。



     仕事のために…会社のために…必死に戦う若き社長の前世より

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《前世小説》~あなたの知らない誰かの前世物語~ @jennifer0318

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