《前世小説》~あなたの知らない誰かの前世物語~
@jennifer0318
第1話 聞いてくださいよ、番頭さん!
~誰からも愛された多忙な番頭さん~
“ちょっと、聞いてくださいよ、番頭さん!”
一日にこの台詞が何度聞かれることだろう。
番頭さんの一日は朝早くて、夜遅い。
そして、誰よりも多忙で、誰よりも仕事をこなしている。
風邪もひけない。(笑)
小さな頃に田舎から奉公に来た増吉は、名前も付けられていなかったが、
増➔増々縁起が良くなりますように
吉➔吉兆のおめでたさ
をあわせて、先代のおかみさんがつけてくれた名前だった。
その先代のおかみさんはとても増吉を可愛がってくれたが、今のおかみさんに代が代わってからは、何でもかんでも言いつけられる便利屋さんになってしまった。
本来ならば、おかみさんが店を仕切ればいいものだが、おかみさんは商いの事がよく分らないと言い訳をして、うまく増吉に任せてしまう。
やはり、小さな頃から寝食を過ごしたため、店の事ばかりでなく、柱の傷や、
扉のきしみまでも熟知している増吉は、今や番頭として誰もがとても頼りにしていた。
分からないと事はすべて番頭さんに回ってきたし、困っていることも然り。
また人間関係や色恋、いびりや金銭のちょろまかしまで、今でいうところの警察や市役所みたいなことまでしていた。
そんな番頭さんの人徳は笑顔であり、皆がその笑顔に安心と信頼を寄せていた。
“番頭さん、ちょっと聞いてくださいよぉ~”
この日、遅めの休憩にお腹に何かを入れようとして台所に来たら、すかさず店の台所番のアサがきて
“番頭さん、今日もツネさんが私とお客様とお話ししていたら割り込んできて、アサはこの前も在庫の数を間違えたって、お客様の前で言うんですよー!もう厭味ったらしいったら・・・”
いつものように決まった女性同士の小さな愚痴や嫌味に、増吉はうんざりしながらも、
”おや、そうかい?この前、倉の前でアサはそそっかしいけど、可愛いとこあるんだよっていってたけどな。“
嘘も方便とはこういうこと。
その話を信用している訳ではないと踏んでいたが、聞いて悪い気はしないのが人間というもの。
実際、そんな事は言っていなくても、そう言えばきっと明日からの接し方がかわってくるだろう。
“本当ですか?番頭さん・・・。”
その表情は信じてはいないながらも、少なからず嬉しそうだった。
残りの少ないご飯にざざっと湯をかけて、誰かが作った漬物をカリカリッと噛んで、この日初めての食事が終わった。
増吉が、その器をかたずける否やアサは仕事場にもどり、入れ替わりにに馬番のテツがきた。
”おや、テツさん!お疲れさん。一息入れたらどうだい?“
決して休憩に来たわけではなく、番頭さんに話があって、アサが立ち去るのを待っていたのだ。
”へい、ありがとうごぜぇます。“
ごくごくと汲んであった水を一気に飲み干して、一息入れて話を切り出した。
“番頭さん、ハルさんのこと、どうですかね・・・”
馬番のテツはお店に時々立ち寄るお得意さんのハルに一目ぼれしていた。
ハルはお嬢様で、どう考えても身分違いだが、テツはそのハルに熱い想いを持っていた。
何度か相談を受けたりして、また身分違いの恋は先が見えているので、やんわりと諦める様に何度か話をしていた。
しかし、人間はやめろ!と言われると反って燃え上がったりするものだ。
テツは想いをどうにか伝えたいと、番頭さんに何度も何度も相談していた。
増吉はお得意さんで何度も店先で話をすることもあって、色々ハルの事も知ってはいたが、どうしてもテツを諦めさせようとしたのには訳があった。
ハルは病を持っており、永くは生きられないと限られたものしか知らないことまで増吉は知っていたのだ。
身分違いの恋ならまだ諦める事も可能だろうが、先が短い人生と知って増吉はあれやこれやと策を講じて説得をしていた。
しかし、あまりに熱心に増吉に相談してくるテツを不憫に想い、ある時こんなことを言ってしまった。
”文でも渡したらどうだい?“
もちろんテツは読み書きもできないので、結局は増吉が書く羽目になる。
この時ほど、自分の口をどこかに捨ててしまいたくなるほど恨んだ事はない。
想いを伝えるだけで終わること、そしてそれ以上何も望まない事を条件に増吉は恋文を代筆することにした。
恋文など書いたこともない増吉が恋文を書くのも至難の業だが、どうしたら誰も傷つかないように事がうまく収まるか?が何より気がかりだった。
ハルに一目ぼれをしたこと、またここ(店)で貴女に逢える事を楽しみにしているという短いものだったが何とか完成した。
いつ来るかも分からないハルの来店を待ちながら、七日ほど経ったころ
店に立ち寄ったハルと母親はいつもの様に新しい櫛を色々とみて、番頭の増吉と店の者と楽しく雑談していた。
母親が新しい着物の柄を見に席を外した時に、増吉はそっとハルに文を渡した。
“あの、これ・・・。お店にいらしたあるお客様がハルさんにどうやら一目ぼれをなさったようで。私は一応お預かりしたのですが…。”
ハルは初めての事にポッと頬を赤らめながらも、
“ありがたく読ませていただきます。”
と意外にも受け取った。
さっと懐にしまい、店をあとにする時に増吉にハルは
”どなたか存じ上げませんが、お礼をお伝えくださいませ。“
と小さな声で言った。
ハルは色が抜けるように白く、そして小さな手は少しばかり痩せていた。
その様子をどこからか見ていた馬番のテツが聞きたくてやってきた。
”番頭さん、何かお話してませんでしたか?“
≪実によくみている・・・≫と、増吉は驚いた。
事の初めは、熱い最中、外で仕事をしていたテツに、ハルは優しい笑顔で
”熱い中、ご苦労様“
と、声をかけたそうである。
馬番のテツは無骨な男だが、とても澄んだ心の持ち主だと増吉もよく分っていた。
だから、思いを少しでも汲んでやりたい気持ちになったのかもしれない。
“ありがたく読ませていただきます。お礼をお伝えください・・・と”
“いやいや、お礼なんてとんでもねぇ~”
その反応がとても心温まったが、増吉は
“この文の主は、お店にいらっしゃったお客様の一人って事になってるからな”
酷だが釘を刺した。
“もちろんこれ以上どうのこうのは言わないっす。番頭さん、本当にありがとうございました。”
テツは勢いよくまた水を飲んで、仕事へと戻った。
これは番頭・増吉の仕事ではない。
”番頭さん、聞いてくださいよ~“
今度はなんだ?と振り向くと、そこには帳簿係のヤスが難しい顔をして立っていた。
”番頭さん、また始まりましたよ“
その『また』という言葉で、番頭の増吉の気分は一気に下がる。
それは、定期的に店のお金が盗まれるという事件。
もちろん知っているのは、番頭の増吉と、帳簿係のヤスだけだった。
その金額が大きければ、店の主人やおかみさんの耳にも入れねばならない問題だが、その金額は微妙で、勘定間違いかも?とのはっきりしないものだった。
いつも様々な急な支払いのために、お金が置いてあるがそれは番頭とヤスしか知らないところだ。
だからこそ、やはり自分が疑われたくないのもあり、ここ数か月の間、気を付けていた。
毎月、決まった日にちょろまかされている珍事。
この日は、徹夜で番をしようとの算段で、二人で見張っていた。
寝静まった頃、気配がして目を凝らすと、そこには丁稚のカズがいた。
大人二人で何とか抑え込んだのが、半年前にここにやってきた丁稚とわかり
増吉は大いに怒った。
誰もいない店先の板の間に三人で座り、丁稚を真ん中に正座させて話をする。
“店の金を盗むとは、どういう事だ!”
ここに奉公に来た自分と同じころの年恰好の丁稚のカズに、増吉はあえて厳しく言った。
“盗んだお金で何を?腹が減ったか?”
だまってうつむくカズに、帳簿係のヤスは
“だまってたら分からんだろ!何か欲しかったのか?”
“母ちゃんの薬を買いたくて・・・。”
その言葉と同時にボロボロと涙をこぼすカズに、ヤスと増吉は二人で顔を見合わせた。
聞くところによると田舎の母親は貧しく、薬を買うお金が無いそうだ。
しかもその薬が高価だそうで、自分の給金だけではとても無理。
それを聞いた増吉は
“ならば、まずは私に相談しなさい。皆が必死で働いた金に手をつけてはいけないよ”
増吉はそっと、自分の懐から金を出して、
”これで足りるかい?“と頭を撫でて言った。
それを見ていた帳簿係のヤスも
“これで何か旨いものでも送ってやりな”とさらに金を出した。
カズは板の間におでこをこすり付けながら、何度もお礼を言った。
番頭・増吉が布団に入ったのは、夜が明け始め頃の事だった。
“番頭さん!番頭さん!”と
けたたましい声で叩き起こされ、増吉はさっきの続きなのかと錯覚した。
”番頭さん、聞いてくださいよ~“
≪やれやれ・・・もう一日が始まったのか・・・≫
番頭の一日は早い。
幼い見習いから下働き、年長者や職人、店の従業員や、家の方の奉公人など・・・
多くの人間が出入りするここでは、本当にいろんな問題が起こる。
気性の荒い人間もいれば、力の弱いものなど様々。
しかし、番頭・増吉は色んな人間をよく見ていた。
忙しい中でも幼い者に計算を教えたり、読み書きもできるだけさせた。
番頭がいなかったら、きっと店はうまく回らないであろう。
そして、自分がお世話になってきたこの店が自分の居場所であり、好きだった。
だから、ここに居る人間には争いごとなくいて欲しい。
それが自分のささやかな恩返しの様にも思える。
そして、今日はお客様にお届けした品物が間違っていたらしく、間違えた本人と謝りに出向かなければならない。
これは結構大変な仕事だ。
怒っているお客様の怒りを鎮め、なおかつ店にまた足を運んでいただくための大切な役目。
やはり、この大切な役目は番頭さんしかいないのだ。
ガミガミと続く怒りをひたすら受け止め、先方の怒りが一通り吐き出されて、頭を深く下げた二人が腰を上げたのはかなりの時間が経っての事だった。
その帰り道、茶屋に立ち寄って団子を食べる。
シュンと落ち込んでいる丁稚に増吉は
“腰、痛くないか?”
と言って笑わせた。
“痛いです・・・。”
“この痛みを忘れないとこだな。私はこういう仕事が一番きついんだよ、もう腰が痛くて痛くて・・・。”
さすりながら丁稚の顔の表情を見ると、うっすら涙を浮かべていた。
相手を叱るとき、必ずしも怒るだけでなく、笑顔や共感も大切なのかもしれない。
番頭・増吉はこういうところも愛される理由なのだろう。
店に戻ると、またもや
“聞いてくださいよ~番頭さん!”
の台詞が待っていた。
客の取り合いである。
女性同士は意地や嫉妬も絡んで本当にいつまでもネチネチと根深い。
いい合っている二人をとりあえず、店先から奥へ隠し、誰も手が付けられないので、増吉が戻るまでそのままにしてあるという。
増吉が帰ると二人は激しく罵り合っていた。
”ちょっと番頭さん!聞いてくださいよ!“
”勝手なこと言わないでよ、番頭さん、私の話を聞いて!“
結局、お互いが譲らず、この二人はいつも揉めているので配置換えをすることにした。
番頭さんは人事権も持っているのである(笑)
店がやっと落ち着きを取り戻した頃、もう片付けを始める頃になっていた。
自分の仕事はいったい何だ?と一日を振り返ることも多い。
しかし一日として同じ日は無いような気がする。
いつも忙しいのは変わらない。
番頭さんは、忙しくお金のない丁稚の代わりに、薬屋で田舎の母親に送るための高価な薬草を何度か買いに行った。
すると店の人は、その薬は番頭の増吉が飲むのだと勘違いし、ある時からおまけしてくれるようになった。
これも人徳である。
ある日、店にハルが母親とやってきた。
しばらく店に来なかったのを気にかけていた番頭が
“お久しゅうございました。お待ちしておりました。”
と出迎えたところ、思った以上にハルの様子が思わしくないように見えたが、
母親が気遣うようすから、あまりいい状態ではない事は確信へと変わる。
多分、母親は止めただろうが、娘のハルが聞かなかったのだろう。
“店先ではなんですから、どうぞ奥へ・・・”
番頭はすぐさま機転をきかして、奥の座敷へと案内した。
茶をだすと、娘はわざとこぼした。
番頭は手渡された文をさっと仕舞い込み、親子はしばらくの雑談ののち
この日は何も買わずに帰る。
店の使用人たちが夕餉を囲んでいるとき、馬番のテツがやってきたので
後で自分の部屋へ来るように言った。
しばらくして部屋に来たテツに、増吉は少しの間のあと言った。
“お嬢さんのハルさんは、あまりお身体が良くないらしい。そして今日この文を預かったから、今から読むがいいか?”
テツは沈んだ顔のまま、頷いた。
≪拝啓、文の主様
いつぞやは文を有難うございました。名も知らぬ文の主様へお名前など存じ上げないままお返事させいただきます。私をお店で見かけられて御厚意を抱いてくださりありがとうございます。嬉しいような・・・恥ずかしいような気持で、自分でもよく分りません。しかし、お店に伺えばいつかまたお目にかかることが叶うと思いお店に立ち寄らせていただきました。申し訳ございませんが、私の体があまり良い状態でないので、これから先もお伺いすることが叶うかどうかは判りませんが、どなたであろうと勇気をだして想いを伝えて下さったことを感謝しております。生まれて初めての事ですが、色々考えると胸が高鳴るようです。またお会いできます事を楽しみに・・・。かしこ≫
自分の命の儚さもよく分った上で、今日が最後かもしれない・・・との思いで店に来てくれたハルの思いを汲むと、増吉は文の代筆をしたことを心からよかったと思った。
生まれた初めて、恋のような感覚を味わったハルとテツ。
その普通では交わらないであろう二人の糸が少し交差したように感じた。
テツはその手紙の文字は読めなくても、ハルの思いは十分に伝わっているだろう。
テツは
”番頭さん、本当に・・・本当にありがとうございます。“
深々とお辞儀をして、泣いている姿を見せないよう、足早に部屋から出て行った。
番頭の仕事ではないが、人として増吉は誇らしい事をした気分を味わった。
自分も人生の中でこれから、そんな相手が居るだろうか?と少し羨ましい気もした。
翌朝、少し早く起き出した増吉は、近くの神社に来ていた。
誰もいない神社の荘厳な雰囲気の中、増吉はハルの事を祈り、店の安泰を祈った。
今日も一日が始まる。
忙しくも、誰かに必要とされる喜びを味わう人生は、とても神に愛された人生である。
桜香院 蒼月
≪解説≫
店の中をうまく回すのは、誰でもできる事ではありませんでした。
小さな店という世界の中にも、個々の性格や事情が色々あり、そこで働く人々をまるで家族のようにさえ思っていたようですね。自分を育ててくれた店への恩返しの気持ちも有りました。誰からも頼りにされ、自分の事は後回しになったとしても、時に厳しく、優しく、なだめたり、励ましたり・・・と様々なやり方で人と人を繋ぐ《和》を重んじることが、増吉の生き方そのものでした。
立派な地位や肩書など無くても、どんなに人望厚い人間か?判りますよね。
皆にとって増吉が必要な存在、番頭さんしかできない事があるのです。
貴方の周りにも増吉の様な存在はいませんか?
貴方が増吉の役目をしているかもしれませんね。
幼稚園の園長をされている方の遠い昔の前世より
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