第34話:深海の尖兵

 1943年1月16日 時刻13:00 天候快晴


 ====平京府平京市中区・平京御所皇居中央宮殿====


 東郷は今、皇居の厳かな造りの大広間で儀礼用の軍服に身を包み緊張した面持ちで椅子に座っている。


 その机の向かい側には同じく儀礼用の軍服に身を包んだ山本の姿が有る。


 互いに一言も発せず緊張した面持ちでその時を待つ二人であったが、その時大広間の扉が開かれ宮内庁の侍従と思われる気品有る壮年の男性が入って来ると気品のある歩き方で二人の前に歩み寄りお辞儀をする。


「帝国海軍一級正将位山本五十八殿、帝国海軍准将位東郷創四郎殿、松之間に御越しく下さいませ……」 


 男性の言葉に二人は緊張した面持ちのまま立ち上がり男性の後に付いて大広間を後にする。


 その後長く広い廊下を歩いた後、侍従の男性が大きな扉の前で立ち止まり東郷達に先に進むよう促すと一歩下がり控えた、どうやら彼の案内はここ迄の様である。


 東郷と山本が扉の前に立つと近衛兵が扉を開け二人は緊張した面持ちで松之間に入る。


 其処は先程の大広間よりも若干狭いものの広さは600平方mメートル程で天井の高さは10mメートルは有ろう。


 床は上質なケヤキが敷き詰められ壁は白と黒を基調とした落ち着いた色合いだが金の帯に龍や鳳凰が描かれており厳かで雅な造りとなっている。


 その視界の先には黒と金を基調とした八角形の天蓋付きの台座が見て取れた、天蓋からは表が深い紫、裏が緋色のとばりが掛けられており中を伺う事は出来ない。


 その周囲にはニ十数名の侍従と近衛兵に十数名の陸海軍の高官が控えているのが見えて取れる。


 山本は東郷から離れ海軍高官達の下へと移動し東郷に向かって力強く頷き東郷もそれに答えると表情を引き締め前へと歩き出す。


 東郷は台座の数mメートル手前で右膝を床に着け跪き、右拳を左掌で包みながらこうべを垂れる。


 我々の世界の西洋の騎士と古代中国の儀礼を合わせた形に見えるが古代和大国やまとたいこくの女王日巫女ひみこの時代から存在する日輪武人の臣下の礼である。 


「偉大なる日の御子にして現人神たる神皇陛下が忠実なる臣、帝国海軍准将位東郷創四郎、御身の前に!」


 松之間に響く東郷の力強い口上の後、台座の両脇に控えていた侍女達によってしめやかにとばりが開かれる。


「苦しゅうない、面を上げよ……」


 開かれたとばりの中から気品のある言葉が発せられると東郷は頭を上げ、台座に置かれた御椅子ごいしに鎮座する人物に顔を向ける。


 其処には白と赤を基調とし金色に縁どられた神衣を身に纏った十代前半の少女が鎮座していた。


 その顔立ちは美しく絹の様な黒髪を背中の当たりで神衣に合わせた紐で纏めている。


 その少女の姿を見て東郷は僅かに目を見開いた。


 然も有ろう、今上神皇きんじょうしんのうは3歳で即位し18年在位している、即ち現在の年齢は二十歳で有る筈であった。


 それが神皇が鎮座するべき御椅子に座っているのが幼さの残る少女で有るのだから東郷が驚くのも仕方がないと言えた。


 然し彼女が紛れも無く大日輪帝国第124代神皇『咲良尊さくらのみこと』である事は周囲の者達の反応から間違いは無い、そも神皇以外が御椅子に座るなど絶対に許されない事であり御椅子に鎮座している以上彼女は間違いなく神皇なのである。


 その神皇の容姿に驚きを隠し切れていない東郷を見て山本は何とも言えない表情をしている。


 これまで何人も同じ反応をしているのを見て来たからであろう……。


 現人神である神皇が神事以外で民衆の前に姿を現す事は無く、その神事を見物出来る民衆も極限られた者達である。


 また見物出来ると言っても神皇の姿は遠巻きにしか見えず、その容姿を判別する事は不可能なのである。


 その為、日輪国民が神皇について知っている事は、神皇に即位出来るのは今上神皇の女子・・で有る事から即ち女性である事と神皇誕生日によって知るその年齢くらいのものである。


 故に神皇の容姿を知る者は宮内の者達と高位の軍人や政治家だけであり、知っている者も神皇の姿を語る事は恐れ多いとされている為、その容姿が他者に伝わる事はまず無いのである。


「東郷よ、戦火広がる多忙の中遠路遥々大儀で有る」

 

「ーーっ! 滅相も御座いません、現人神たる神皇陛下の御尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます!」 


 神皇の淑やかに気品のある声に東郷は臣下の礼を取ったまま目線をやや下に言葉を発する。 


「そう畏まらず面を上げよ、此度のその方の働き正に尽忠報国の士と言えよう、よって余の名の元に功ニ級金鵄勲章と三級正将位を授ける」


 その神皇の言葉に列席者達から様々な表情が漏れる、即ち感嘆と不満である。


 金鵄きんし勲章とは『武功抜群なる者』に与えられる勲章で有り功七級から功一級までが存在する。

 

 因みに雪風艦長、平正義が受勲したのは功五級である。


 この度の東郷の武功は功二級金鵄勲章に相応しいもので有る為、不満の声は勲章に対してではなく位の方であろう。


 三級正将位とは宮内における少将の意であり40代での正将位昇進は前例がなくも無いが異例ではあるからだ。


 程なくして其々木杯を手に持った侍従二名が厳かな所作で神皇の前に木杯を掲げ跪く、木杯の上には赤い布が置かれその上に其々勲章と階級章が乗せられている。


 即ち功ニ級金鵄勲章と三級正将位章である。


 神皇はその二つに右手で僅かに触れるとその手を静かに東郷に向けてかざす。


 それを受け東郷は立ち上がり直立不動の姿勢を取る。


 侍従達は神皇に一礼すると再び厳かな所作で東郷に歩み寄り彼の左襟に階級章を左胸に勲章を取り付けた後、立ち去って行った。


「有り難き幸せに存じます、陛下の御恩寵賜り一層尽忠報国に励む所存であります!」 


「うむ、未だ戦局は困難であろうが御前の様な有能な将が居れば乗り越えられよう、期待しているぞ創四郎・・・?」


「ーーっ!? ははっ! 必ずや御期待通りに!!」


 周囲から感嘆と共に妬み嫉みの声が漏れる中、東郷は再び跪き頭を垂れる。


 神皇は満足げに頷くと厳かに立ち上がり侍女に手を取られ台座から降りると皇族専用のとばりに囲まれた扉に向けて歩き出す。


その瞬間その場の全員が直立不動となりそのまま敬礼(お辞儀)をし神皇を見送る。


 途中、神皇がふと立ち止まり東郷に向き直ると少し目を細め口角を上げると口を開く。


「ああ、そうだ創四郎、御前は京八郎に良く似ている。 長い髭が有ればなお似るだろうな。 余が幼き折はその髭を引っ張ってよく困らせたものだ、御前も引っ張ってやるから髭を伸ばしてみてはどうだ?」


 その神皇の言葉に全員が顔を上げ目を丸くするが、当の神皇はクスクスと笑いそのまま松之間を後にする。


 東郷は目を丸くしたまま自身の顎を撫でるがやがて口角を上げて微笑んだ。


 ・

 ・

 

 無事拝謁を終えた東郷は松之間の南にある中庭を通り皇居の南門を目指して歩いていたが、そこに山本と伊藤そして宇垣が待ち構えていた。


「聞いたぞ東郷、陛下より正将位を賜ったそうだな、おめでとう!!」

「宇垣閣下!? あ、ありがとうございますーーっ!」

 

 東郷を見つけた宇垣は獰猛な笑みを浮かべながらズカズカと近付き賛辞と共にその大きな手で東郷の肩をバンバンと叩く。


 宇垣に悪気は無いのは分かっている為、東郷は苦笑しながらその痛みに耐えるが、鍛えていない者がこれを食らえば一撃で悶絶し蹲る位の衝撃であろう音が響いている……。 


「う、宇垣中将……激励はその位にーー」

「ーーソロンの英雄の肩を砕くつもりかね?」


「お? おお、失礼失礼!!」


 見兼ねた伊藤と山本が同時に助け舟を出し、漸く手を止めた宇垣は歯を剥き出しに口角を上げ獰猛さを更に引き立たせる。


 そこに険悪さは無く山本と宇垣の関係が改善された事が見て取れた。


 その時、東郷の肩に手を置いたまま顔を近づけた宇垣が呟く様に口を開いた。


「……貴様の言う通り諍わず諫めて見せたぞ?」

「ーーっ!? 閣下……!」

「さて東郷よ見せたいものがある、儂等と共に神門こうどまで着いて来て貰うぞ?」

「ーー!? 神門……ですか?」 


 宇垣が呟いた一言に僅かに目を見開き驚いた東郷であったが、続いて発せられた言葉にも驚き聞き返す。


 その疑問に答えたのは山本であった。


「そう、兵蔵ひょうぞ神門こうど市に有る、神門海軍工廠だよ」 


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 兵蔵ひょうぞ神門こうど市、大堺おおさかい湾に面する港湾都市であり、本土と橋で繋がった複数の孤島式埋め立て地に多くの造船施設を持つ神門海軍工廠を有する。


 主に中規模の艦船、軽巡や重巡に潜水艦の建造も多く手掛けている。 


 その一角である神門第六工廠に東郷達は来ていた。


 第六工廠に来るまでの車中にて橋で繋がっている第五工廠と第四工廠の中規模ドックの様子が伺えたが、どれも稼働中で有りクレーンや人が慌しく動いていた。


 そのドックでは全て潜水艦らしき艦が建造されているがその艦容は東郷の良く知る伊号潜とは少し違っている。


 従来の伊号潜水艦は艦首の形状が洋上艦を思わせる造りで有るが第四、第五工廠で建造されている艦はマッコウクジラの様な形状をしていたのである。


 そして到着した第六工廠には4つの密閉型ドックが有り、東郷達はその一つ第六工廠一番ドックの中に居た。


 そのドック内には既存の潜水艦より遥かに大きく、第四、第五工廠のドックで建造されていた新型潜水艦より更に倍以上の大きさであった。


「この艦はーー?」


 艦を見下ろせる連絡通路から目を日開いて驚く東郷を見て山本と宇垣は顔を見合わせニヤリと口角を上げる。


「これは世界初の実用潜水空母と呼んで差し支えない伊号400型潜水艦、その一番艦の伊401潜だよ」

「ーー潜水空母っ!?」


 山本の得意げな言葉に東郷も驚嘆の声を上げる、そこに二人の男性が歩み寄って来た。


「ようこそお越し下さいました、長官と副長官、それに参謀長までお揃いとは珍しいですな」

「やぁ平賀所長お邪魔しているよ、宇垣参謀長とは最近よく密談をしているのでね」


 二人の男性の内、痩せた丸メガネの40代後半の男性が笑顔で疑問を呈して来ると山本は含みのある笑顔と言葉で返し丸メガネの男性を苦笑させる。


「そちらの方はお初ですな?」 

「ああ、彼は戦艦大和艦長にしてソロンの英雄、東郷少将だよ」

「おお! 貴方が! 私は帝国海軍第五技研所長、平賀ひらが たくみ技術少将であります、大和では愚息がお世話になっております!」


「いえ、平賀技術科長の技術には感服しております、単独試行で艦載機の性能向上を成功させる等素晴らしい才能ですよ、流石は発明家の名家ですな」

「いやいやお恥ずかしい、やりたい事しかやらず、やりたい事だと手段を選ばずやってしまう、因果な家系ですよ」

「そのおかげで我が海軍はこの様に素晴らしい艦を手に入れられたのだから平賀家の家系には感謝しないとね?」

「そう言えば、先程潜水空母と仰っていましたが?」


 早く伊400の話をしたかったのか山本は東郷が話に喰いつくと満面の笑みで頷いた。


「全長260mメートル、全幅34mメートル、水上速力40ノット、水中速力50ノットに35000kmもの航続距離、そして最大の特徴は垂直離着陸式特殊攻撃機『晴嵐せいらん』3機を運用出来るんだよ、これがどういう事か分かるかな?」


 そう言うと山本は不敵な笑みを浮かべ東郷を見る。


「……神出鬼没の奇襲による航空攻撃、それによる米防衛戦力への圧力、でしょうか」

「その通り、この伊400型とその発展型・・・・・が量産された暁には米軍人達は一切安眠出来無くなるだろうね」

「……成程、この伊400型が強力な秘匿兵器で有る事は分かります、然し何故戦艦の艦長である私にこの艦を?」


 誇らしげに伊400を語る山本で有ったが、ここで東郷が当然の疑問を呈する。


 然も有ろう、潜水空母の特性が隠密行動による神出鬼没の奇襲で有るなら威風堂々正面から戦う巨大戦艦とは対極的な存在であり接点など有ろう筈が無いからだ。 


「ああ……うん、その疑問は当然だね、分かるよ、ただちょっと事情が有ってだね……」


 東郷の疑問を受け先程まで雄弁に語っていた山本の歯切れが極端に悪くなる。


 それを見かねた宇垣が溜息交じりに口を開いた。


「伊400型は今月末には4隻ともが竣工予定なのだが、肝心の晴嵐が完成しておらんらしい、そこで同じく垂直離着陸機である大和航空隊を晴嵐に見立て伊400戦隊の演習をさせたい、と言う事でよろしいですな長官?」 

「あ、ああ、そういう事だね、伊400戦隊は一時的に第十三艦隊に配属となりサヴァ海峡にて離着艦訓練をしてもらおうと思ってるんだよ」


「ーーサヴァ海峡ですか!? 最前線で秘匿兵器の訓練を行うと? それはいくら何でも危険では有りませんか!?」


 山本の説明に東郷は少し目を見開き語気を強めて言う。


 それは当然の疑問で有り、通常新鋭兵器の訓練は敵の偵察や攻撃の及ばない本土周辺で行うのが常識だからである。


「ああ、それは大丈夫だろう、1月末までには基地航空隊の補充強化は進んでいる予定だしルング基地の対空電探網や高射砲台も充実する手筈になっているからね、下手な本土近辺よりよほど安全だよ」


「ーーしかしっ! ……いえ、了解いたしました」

「うん、宜しく頼むよ、詳しい話は伊400戦隊司令である彼と詰めてくれたまえ」 


 東郷は異を唱えようとするがその言葉を飲み込んだ、ここまでお膳立てがされていると言う事は、山本の心は決まっているであろうと判断したのである。


 その山本の言葉を受け、平賀の隣にいた人物が一歩前に出る、年齢は50代前半で鋭い眼光と広い顎が特徴の男性で有った。


「彼が伊400戦隊を率いる原田はらだ 正蔵しょうぞう海軍少将だ、生粋の潜水艦乗りだから頼りになるよ」  

「原田だ、潜水艦の事ならば誰にも負けない自信が有るが航空機運用については殆ど素人だ、指導鞭撻を頼む!」

「自分もまだまだ若輩の身ですが精一杯ご協力致します!」


 山本の紹介を受け力強い言葉と共に右手を差し出す原田に東郷も応じ握手を交わすと力強く返答する。


 山本はそれを満足げに見つめ深く頷くが、建造中の伊401を見据えるその表情は眼光鋭い真顔であった。


「潜水空母は今後の我が国の戦術戦略の根幹となる兵器だ、その脅威を以って早期講和への道を模索したいと思っている、だが時間を掛ければ掛けるほどコメリアとの戦力差は広がっていくだろう、だから余り猶予は無い、その事を肝に命じて尽力して欲しい」 


「ーーっ! 了解しました!」 

「必ずやご期待に応えて見せます!」


 東郷達を見るでもなく発せられた山本の言葉はだが東郷と原田の心に刺さった様で、両者の表情は一層引き締まり揃って伊401を見据える山本に敬礼する。


 この伊400型が今後の戦局にどの様な影響を与えるのか、それはまだ誰にも分からない事であった……。

 

 

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