野良猫-1-
薄汚い、陽の光すら届かぬビルとビルの隙間で、空腹を満たすために人間が捨てたゴミを漁る。食べることが出来そうなものを見つければ、まず匂いを嗅ぎ、舐め、そうしてかじりつく。かじりついて、時折腹を壊しては吐き出して、人間に気付かれぬよう狭い道を行き、巣へ戻り丸くなる。
生きること、それは泥水よりも汚れた、真っ黒な汚水を飲むようなものである。最も嫌う人間が捨てたものを漁らなければ生きてはいけないということは、これ以上にないほどの屈辱だ。しかし、屈辱の上にしっぽを振りながらも居座らなければ生きてはいけない。それが出来ない奴らは、皆無様に痩せこけ、醜く鳴き声を上げて死んでいった。あのような無様な姿をさらし死んでいくのであるのなら、俺は屈辱の上で腹を見せよう。独り、自身で体を舐めながら、俺は今生きているのだと遠い空へ鳴くのである。
ある日、右前脚があらぬ方向に曲がり、三本足で歩む奴を見たことがある。どうやら、人間が乗っている車というものに押しつぶされたという話だ。「人間に慈悲は無い」と鳴き歩いていたが、傍から見ても随分歩きにくそうな様子で、その歩き方は高くは飛べぬ落ちこぼれたバッタのようであった。俺達は撓るように薄汚れた地を駆け抜けることが出来るが、あの日見た奴の後ろ姿にその面影はなかった。面影はなかったが、しかし俺達の生き様はあった。俺は、誰よりも走ることが唯一の誇りであるから、あのように足を失いたくはない。勝手ではあるが、俺は奴のことを可哀相な奴だと憐れんだ。しかし、バッタに落ちぶれても己を失わない、泥臭く生きている様は好ましい。あの日以降奴を見かけたことはないが、どこかで空を見上げ恨みがましく鳴いているのだろうか。そうであって欲しいと、強く思う。
そのように、全く以て俺達に優しくはない世界は、自然と俺達を二つに分ける。
飼われるものと飼われないものだ。
同じ猫であるのに、随分と不思議なものである。いつから差が付くのかは分からない。それは生まれた時からなのか、そうではないのか。俺には分からない。路地を行き、ブロック塀の上を歩んでいると、時折家で呑気に欠伸し体を丸めている奴を見かけることがあるが、あれが俺と同じ種であるとは思えない。人間なんぞに容易く腹を見せ、撫でられ甘い声を上げる様など、到底俺には出来ない芸当で、まだ川の中に飛び込んでみせる方が現実的である。
俺は、人間が嫌いだ。そして、人間に飼われている奴らが嫌いだ。人間に飼われ日々を過ごすなど想像すらしたくはない。人間なんぞに飼われるくらいなら、自ら死ぬ方がまだ好ましい。俺はこの足で、汚れた道を駆け抜け生き抜くのだ。
ただ、飼い猫が心地よさそうに撫でられる様を見ると、どうしようもなく俺の内側を支える太い柱が揺れる。撫でられるという心地は、一体どのようなものなのだろう。それが、例え最も憎んでいる存在からの施しであろうと、心地の良いものなのだろうか。
こうして、夜に一人自分の体を舐めていると、穴だらけの内側に風が吹くのだ。俺は、自身で体を舐める以外の温もりを知らぬ。愛を未だ知らぬ。
結局、俺はこうして無様に薄汚く生きて行く以外の生き方を知らぬ。俺の知る生き方に、これまでも、そしてこれからも愛が舞台に上がることなど無いのだろう。今日は終わる、そして、明日も、そのまた明日も、俺は愛を知らず生きるのだ。それが、こんなにも悲しい。俺は俺を良く知っている。俺は今、悲しいのだ。悲しく寂しいのだ。
一人で生きて行かねばならぬ。それ以外の生き方を知らぬ。家族も、友も、愛する人もおらぬ俺は、愛されることなく生きるのだ。
飼われるものと飼われないもの。愛されるものと愛されないもの。同じ種であろうに、なぜこうも違うのか。そのことが、酷く悲しい。
夜空に声を投げる。俺は生きているのだと、何かに訴える。
それは、どこまでも物寂しく響き渡る。
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