15.「孫子」第七章・軍争篇/1
戦争に入るには、唐突に戦端が開かれるというわけではなく、一定の様式のようなものがあります。
まずは将軍が君主(文官)から任命され、軍隊を組織し、兵士を集めます。
そして動員して敵陣の見えるところまで進んで、相手の機先を制します。
――と単純に言ってはみたものの、この「機先を制する」というのが一番難しい。
なぜなら、相手の行動を読んで、常に有利な状況を作り続けなければならないからです。
地形を読んだ上での行軍のショートカットや、不利な状況を覆すための工夫をこらす。ゆっくり動いているように見せかけて、その本隊は既に目的地へ到着している――みたいな、相手の油断を誘って思惑を破壞する。そうした手法を一般には「遠近の計」と呼びますが、それは誰にも真似できるものではありません。
そもそも「遠近の計」は非常に慎重な運用を強いられるものなのです。
大軍でそれを行おうとすれば、あちらこちらで渋滞や衝突が起こって、かえって動きはのろくなりましょう。
と言っても、荷物を運ぶ、全体的に動きの遅い輜重隊を放置して、本隊だけ先に到著させるというわけにもいきません。一時はそれで戦えるかも知れませんが、長い目で見れば、それは補給を杜絶させる、最悪の手です。
人は補給なしで戦うことはできない。
モノやカネは今後を担う上でも大切なものです。
それを無視して、とにかく先に着こうとばかり考えて、ひたすら行軍する。場合によっては重い鎧兜を輸送隊に委せて、武器だけ持って戦地に到着する。そのようなことをさせる将軍も出てくることでしょう。
しかし、断言します。
そういう手法では、勝てるものも勝てません。
なぜなら、当たり前ですが、迅い者が先に到著して、遅い者は遅れる。
全軍の10分の1程度も揃わないうちに相手に「こちらは行軍を優先させて、防禦や輸送をおろそかにしているぞ」と見抜かれて、まだ小勢のうちに撃破されてしまうのが目に見えているからです。
では少し近くして遅れる人間を少なくしては? という問いにも、「10分の1の到著が2分の1ぐらいになるくらいで、数的不利に違いはない」と断言できます。さらに近い場所だったとしても、せいぜい多めに見て3分の2。「常に多勢で無勢に当たれ」と述べている者の立場としては、文字通りの「五十歩百歩」、結局不利に変わりはないのです。
とはいえ、どこまでが十全の軍を集められ、数的有利、あるいは多勢を保つことができるか、というのも一概には言い切れません。
こういうことがあるから、「機先を制する」と言うのは、口で言うはたやすいが、実際に行動してみるのは難しいものなのです。
◇◇◇
そもそも、相手の腹の内が分からないうちは、同盟は難しいものです。
同じように、地形を把握しないうちは、素早い行軍は難しい。
どこがボトルネックでどこが登山道で、通行できない沼沢地などの場所はどこか。
それを把握できないうちは、行軍はさせられません。地の利を得られないからです。地の利を得られないというのは、孫子本文で述べた冒頭の五条件の「地」を棄て去るに等しい愚です。
素早い行軍、あるいはメリハリの効いた効率的な行軍、というのは、戦争において非常に大切です。
そもそも敵の裏をかけるのも、地の利を得られるのも、軍形を状況に応じて自由に変えられるのも、そうした行軍の方法を知悉してこそなのです。
すなわち。
風の如き素早く(それ疾(はや)きこと風の如し)
あるいは、林のようにひたすら周りと同化して息を潜め(それ徐(しず)かなること林の如し)。
あるいは、火のように苛烈な一撃を与え(侵掠すること火の如し)。
あるいは、山のように、ここは死守すべし、もしくは待機すべしと判断したらてこでも動かない(動かざること山の如し)。
さらに、暗闇のように、動く時には気取られず(知られ難きこと暗闇の如し)
そして、雷鳴のように、行軍の際には相手へ一切の介入の余地を与えない(動くこと雷の震(ふる)うが如し)。
(※『其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷震』、一般的には後の二つを省略したものが「風林火山」というフレーズで知られ、武田軍の旗印にもなりました)
さらに、村々を襲って支配下に置く時は、「多勢をもってことに当たる」原則を紆げて、兵力を分散させてでも効率的な占領を素早く行う。
一度占領した土地は防備を固め、絶対に奪い返されないようにする意気込みで、(それらを拠点に)新たな軍を展開する。
とにかく、あらゆることの優先順位を間違えず、効率的な動きを追究する。
それを遂行できる者が、結果的に最終的な勝者になるのです。
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