六章二十三話:激闘終幕




 サーブ権は変わらず火野に置かれたまま、試合が再開する。緋欧は二十一点、北雷は二十四点の三点差からのスタートである。同じ時間帯に行われていた女子の決勝には決着がつき、その観客がこの試合に注目しているが、彼らにそれを悟る余裕はない。

 火野のサーブはこれまでと同じく堅志に向けられた。決して軽くはないそのサーブを、堅志は上手く受ける。

「保多嘉!」

 弧を描いたパスが保多嘉の手に渡った。タイミングを見計らい、織部と由利が動く。少し遅れて片岡も助走に入る。

「七番、三番!」

「二番!」

 北雷コートで指示が飛び交う。それを聞きながら、保多嘉は片岡にトスを上げた。ストレートスパイクは一瞬能登と野島のブロックに引っかかるが、一直線に川村を狙う。

「ワンタッチ!」

 能登が叫び、火野と川村が入れ替わった。火野がスパイクを受けるも、十分に失速させることはできない。軌道が揺れるパスを無理矢理通す。

「野島さん!」

 野島はパスの落下点を狙って数歩移動した。その間に神嶋、火野、涼が少しずつ差を付けて動き出す。

「九番、インナー!」

「一番、十二番!」

 最終的に野島が選んだのは能登だった。保多嘉と由利のブロックに阻まれ、スパイクは北雷側に叩き落とされる。神嶋が拾いに走るが間に合わない。緋欧は二十二点目を手にした。


 得点した緋欧は、時計回りにローテーションする。バックライトに保多嘉、バックセンターに片岡、バックレフトに宗方、フロントレフトに堅志、フロントセンターに織部、フロントライトに由利が並んだ。堅志が前衛になるローテーションでは溝口と交代させるのが緋欧のセオリーだが、今回彼が持ったナンバープレートは三番だった。

「マジか。俺と交代?」

 意外な指示に、由利は目を丸くする。横にいる織部がその呟きに小声で返した。

「堅志を引っ込めるとマイナステンポ使えないからじゃね?」

「あ~、そうか。まあとにかく戻るわ」

「おう」

 由利は迷わずコートに背中を向け、ベンチに向かって走る。溝口と向き合ってナンバープレートを受け取った。

「頼むぜ」

「任せて」

 コートに入った溝口は、

「みんな、ちょっと」

 と手招きしながら声をかけた。

 同じ頃、北雷コートでも六人が額を寄せ合っていた。

 神嶋を中心に、現状を踏まえた再検討の最中である。

「基本の方針は変えない。海堂に言われた通り、スパイクで狙うのは堅志一人に絞る。アイツにトスを上げさせた瞬間マイナステンポが飛び出すことは間違いない。あれは間違いなく脅威になる」

「神嶋堅志と溝口を入れ替えなかったのは、あっちの監督が攻撃重視にすべきだと思ったからじゃないですか? だからフロントセンターにいるスパイカーの織部とも入れ替えず、ブロッカーの由利と替えたんだと思っています。そのやり方だけで何とかなりますか?」

 涼の声には不安はない。純粋な疑問をぶつけられ、神嶋は眉一つ動かさずに答える。

「分からない。ただ、溝口が打ってくる確率は限りなく低いことは確かだな。二十四点に並ばれる前に決着をつければ逃げ切れる。サーブで狙う相手はエースの片岡に絞り、川村を中心にとにかく攻める。全員打つ気で跳べ。そのつもりでないと勝てない。この場の全員の限界が近いことは俺もよく分かっているが、その方針にしたいと思う」

 神嶋は言い切った。

 周りに並ぶ顔ぶれは、ほぼこの三セットの間出ずっぱりである。日々の練習で鍛えられてはいても楽な試合ではない。格上の相手との試合で消耗も大きく、精神的にも追い詰められる局面になっている。神嶋は全て理解しているが、それでも他の五人に倒れてもらっては困る。

「試合が終わったら倒れてもいい。だが、まだ倒れるな。今じゃない」

「倒れる前提かよ! オレは絶対倒れねえぞ!」

 そう笑い飛ばしたのは、川村だった。それに火野が続く。

「オレも倒れません!」

「よし、よく言った!」

「はい!」

 いきなり大声でやり取りする二人を見た能登は天を仰いだ。

「試合中にこんなバカな話で騒ぐの、俺らぐらいだろうな」

「本当にそう」

「ですよね」

 呆れた野島と涼が頷く。数秒後、試合再開のホイッスルが鳴った。



 緋欧のサーバーは保多嘉である。ホイッスルが鳴って数秒後、ボールを投げて助走に入る。サーブは火野をめがけて飛来した。

「野島さん!」

 通したパスの速度と回転はまだ生きている。野島は落下点を見定めてボールを追った。どんなパスであろうと、取らずに落とせば緋欧の点になる。どんなパスであろうと、食らいついてスパイクに変えれば得点の可能性を秘める。それを、彼は誰よりもよく理解していた。そしてこの局面で彼が頼るスパイカーは、世界中を探し回っても川村朱臣ただ一人。

「三番あるぞ!」

「一番、九番!」

 緋欧コートで動く人影を横目に、野島はトスを上げる。

「朱ちゃん!」

 織部、溝口、堅志の三枚ブロックが川村のスパイクに触れた。それでも簡単には失速しない。ボールの軌道の先には片岡がいる。保多嘉、宗方が追いつかず、そのまま彼がボールを拾った。

「堅志!」

 通ったパスを堅志が受ける。それを見るより先に片岡は走り出していた。強引に身体を動かし、助走に入る。神嶋が北雷前衛にいない今は得点の好機である。堅志なら自分の動きに合わせて確実なトスを上げると確信しているからこその選択だった。片岡より遅れて保多嘉と宗方、由利が動く。北雷前衛は目に見えて混乱している。そして、片岡が迷わなかったように堅志も迷わなかった。

 堅志の手から離れたボールが放物線を描く。片岡が最高到達点に達したその瞬間、彼の手にボールが追いついた。片岡が打ち込んだスパイクに野島の指が引っかかる。

「ワンタッチ!」

 ほぼ絶叫に近い声を聞きながら、涼がボールを拾う。

「能登さん!」

 人が入り乱れるコート内で、能登がパスを受ける。

「能登!」

 神嶋がトスを呼んだ。彼には、緋欧前衛を出し抜ける自信があった。それを分かっている能登もトスを上げる。トスを受けた神嶋の目の前に堅志、織部、溝口のブロックが立ちはだかる。それを超えるように押し上げたボールが三人の背中側に落下した。宗方がボールを追って床に飛び込むも、その腕の上で跳ねて白線を越える。床に触れる前に追いかける片岡の背中があったが、それも虚しくボールは床に落ちた。

 審判がホイッスルを高らかに鳴らす。北雷の勝利を報せる音であった。




 これは俺の声だろうか。

 神嶋は、自分の叫びをどこか遠くで聞いていた。全身を巡る熱と、喉の震えだけが感覚としてそこにある。衝動のままコート内を一周し、そのままコートを飛び出した。

「直志、よくやった!」

 彼を迎えた設楽の声と、背中に回った彼の腕の感触で一気に感覚が戻った。鼓膜を破りそうな歓声、炎のような体温とが情報として脳内に押し寄せる。

「お前の勝ちだ! よく頑張った!」

「はい!」

 どん、と右から衝撃が来る。ちらりとそちらを見ると、能登の腕が設楽と神嶋をいっぺんに抱きしめていた。

「神嶋! 神嶋! 神嶋~~~!」

 いつになく大きな声がぼやけている。角度のせいで、彼の顔は見えなかった。

「最高だよ、お前! 世界一のミドルブロッカーだ! 今これまでの人生で一番泣いてる! 顔から出るモン全部出てそう! お前と一緒に来てよかった! 最高だよ!」

「待て朝陽、その状態で抱きつくな。頼むから離れろ!」

 設楽がそう言った直後、今度は左から衝撃が走る。そこにいたのは海堂だった。

「ありがとうございます」

 喧騒の中で、その声だけがやたらとはっきり聞こえる。神嶋の肩に頭がぶつかっていたが、二人ともそんなことを気にする余裕はなかった。

「俺の台詞だ。ありがとう」

「また勝てた。ここまで登れた。でも、神嶋さんがいなかったらここまで来られませんでした。バレー部を作ってくれて、ありがとうございました」

 噛みしめるような声音である。神嶋の背中に回った海堂の手が、彼のユニフォームを掴んでいた。身長差と角度のせいでその顔は見えない。

「私を見いだしてくれて、またバレーに関わる機会をくれて、こうして勝つ機会をくれて、ありがとうございます。こんなに嬉しい優勝は、これが初めてです」

 最後の方の声には、涙が滲んでいた。それに気がついた瞬間、神嶋の視界もいきなり歪んでしまう。数年ぶりの、歓喜の歪みであった。その余韻を壊すように、さらに数人分の体温が後ろからぶつかってくる。もう神嶋は身動きが取れなかった。

「勝ったぞ! オレらが県第一代表だ!」

 川村の叫びに、数人分の言葉にならない声が上がる。体温と叫びとで、神嶋の感覚器官は一杯だった。

 神嶋は確信する。

 今日この日が、人生最高の日であると。







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