六章二十二話:呼応
(決まった……⁈)
涼は内心半信半疑だった。審判がホイッスルを鳴らし、得点が増える。それを見てもまだ信じられない。緋欧相手に、この最悪の状況下で自分の力が通用した事実を認識するのに少し時間がかかった。これまで、さらなる試合に備えてできることは全てやってきたつもりだった。それでも、この瞬間まで簡単には玉座から引きずり下ろせそうにない赤い王を見上げていた。そのせいで、力が通用した喜びよりも驚きが大きい。
「涼!」
火野に背中を叩かれ、思わず身体が大きく前に傾く。
「何だよ」
「ナイスキー! やったな! 緋欧相手に今までで一番角度のついたインナースパイクで点を取ったなんて大手柄だよ!」
炎天のような笑みが彼に向けられた。網膜が焼き切れそうな眩しさをはね除け、涼は唇を歪める。
「当然だね。いずれ北雷のエースナンバーを背負うんだから、このくらいできなくてどうするのさ」
「感じ悪くね?」
「火野が素直に他人の成功を祝いすぎなんだって」
「あ~、そんなだから友達少ねえんだな」
「お節介どうも」
「スゲえ感じ悪いから、オレくらいのバカじゃないと付き合えねえわ」
「付き合ってもらって悪いね。嫌なら部活辞めれば?」
涼の返しに火野が何か返そうとした瞬間、野島が二人を睨みならが言った。
「ちょっとそこ二人、コート内で揉めないでくれる~? 海堂に言って外に出してもらうヨ?」
「ええ、そんなことできるんですか⁈」
「いいから口より身体動かして! まずはローテーション! 火野は次のサーバーなんだから準備! 涼も煽らない!」
ぴしゃりと叱られ、二人は慌てて動く。北雷はローテーションを挟み、全員が時計回りに移動した。
バックライトに火野、バックセンターに川村、バックレフトに神嶋、フロントレフトに能登、フロントセンターに野島、フロントライトに涼が入る。前衛の火力と高さが下がるが、能登、野島、涼と北雷の中では比較的冷静な顔ぶれが揃っている利点があった。一見するとマイナスの部分が多いが、元が攻撃偏重のかなり尖った編成である。
それを見下ろす迫水は、小声で呟いた。
「そうか、この布陣にはこの布陣の強みがあるんだ……」
「具体的には?」
「火力の高いアタッカーを中心に編成しているということは、逆に緋欧のブロックの対象を増やすということです。同時に、ブロックできる人数には限界がある。あの九番は、ここまであまりスパイクを打っていませんでした。複数の高火力なアタッカーを印象づけ続けていたからこそ、北雷は九番をほぼフリーで打たせることができた」
「なるほど。木を隠すなら森の中的な考え方ですか?」
「概ねその理解で結構です。北雷には策士がいますね。ここで新たな脅威の存在を緋欧に刻むことには大きな意味がありますが、それを二点の差をつけた最終セットの後半でとは、何とも性格が悪い……!」
迫水の口角は上がっていた。興奮を隠さぬ解説者を横目に見る吟介の脳裏には、数週間前の海堂の姿が蘇る。
「最近気がついたんだけど」
リビングのソファーに寝転んだ妹に腿を叩かれ、吟介はスマートフォンから目を上げた。仰向けになった妹の足は、ソファーから大きくはみ出している。日曜日の午後で、午前中に部活が終わって暇を持て余しているのか、足はぶらぶらと揺れていた。
「うん?」
「大きな敵を仕留めたいなら、急所を狙い撃つのが一番手っ取り早いよね」
「まあそうだろうな」
物騒な物言いだと思いながらも、吟介は同意する。海堂は何か考えごとをしているようで、あちこちに視線が動いていた。
「でもその敵に急所らしい急所がないときは、時間をかけて弱らせるしかないと私は思う。兄さんはどう思う? 兄さんだったらどうする?」
問いかける双眸に、リビングの照明が反射していた。しかし、それだけでは説明のつかない光も宿っている。
「同感だが、弱らせるためには犠牲が必要だな。リスクも背負わなきゃならない」
「うん、そうだよね」
やっぱりそうだ、と妹は口の中で繰り返す。その額を撫でながら、吟介はさらに続けた。
「つまり、犠牲とリスクの勘定が必要になる。勘定の結果と、敵を倒すことで得られる結果を天秤にかけ、合理的に考えるべきだ」
「天秤が、後者の方に大きく傾くことが分かっている場合は?」
「そりゃもちろん、飛びつくさ。多少の犠牲を払っても、リスクを背負っても、それだけの価値があるならな」
吟介は目を細め、僅かに歯を覗かせる。海堂は兄の顔を見るとそっくり同じ顔をして見せた。
「だよね」
試合再開のホイッスルが鳴った。火野はボールを頭上に投げ、助走を始める。標的は堅志一択。真っ直ぐ軌道を描いたサーブが緋欧のコートを駆け抜けた。そのサーブを堅志が受ける。
「保多嘉!」
フロントライトに陣取る保多嘉に向けてパスが出た。フロントセンターの由利、バックセンターの宗方が動き出す。保多嘉の姿勢は全くブレず、落下点に入る。それを見計らって片岡も動き出す。
「三番、六番!」
「二番も来るぞ!」
北雷コートが警戒で満ちた瞬間、保多嘉が動いた。ボールを手中に収めるや否や、身体を捻って北雷コートにツーアタックを打ち込む。十分な助走もないツーアタックだったが、北雷コートを引っかき回すには十分だった。能登が慌ててブロックに跳ぶが、追いつかない。後ろの神嶋が拾うものの、野島に渡ったパスは良いものとは言えなかった。
「三番、九番!」
「一番のバックアタック気をつけろ!」
「十二番!」
緋欧コートで怒号が飛び交う。野島がトスを上げた相手は大きく前方に出ていた火野だった。強引なストレートスパイクで織部と由利のブロックをこじ開け、真っ直ぐにボールが落ちていく。その先には堅志しかいない。拾いに走った彼の手首の上で、ボールは大きく跳ねた。ボールを追って織部が走るが、それより先に審判がホイッスルを鳴らす。北雷が二十四点目を手にした知らせであった。
緋欧の選手達は、ホイッスルが鳴ってすぐに堅志の周りに集まる。それを待ち構えていたように堅志が話し出した。
「多分だけど、アイツらはオレをサーブやスパイクのターゲットにするように指示されてる」
「どうする、入れ替わるか?」
「この状況だから、得点源になるスパイカーが主将とチェンジするのは避けた方がいい」
保多嘉の進言に、普段の噛みつくような色はない。薄らと焦りを感じている声音だったが、進言自体は実に客観的で冷静である。周囲が一瞬沈黙すると、堅志は頷いた。
「保多嘉に一票入れるよ。オレだって打てるけどさすがに本職ほど点は取れないから。代わりに、スパイクもサーブも全部オレが拾って保多嘉に渡す。それでいいね、保多嘉」
「はい」
「よし、任せた。他、何かある人」
「マイナステンポは、使わないのか?」
片岡の低い声が体育館の喧騒の中に落ちる。
「和也ならアレ使わなくても勝てる。保多嘉のトスだって劣らない。みんなここまでやるべきことはやってきた。でもそれは、向こうも同じ……、だと思う」
想定外の反応である。片岡も由利も宗方も織部も保多嘉も、堅志が北雷を肯定する発言をあまり耳にしなかった。だが、ここに来て初めて、堅志は顔をしかめながらも北雷を肯定した。
「けど、積み重ねじゃこっちが上だってオレは信じてる」
「そうだな。勝つのは俺達だ」
片岡は大きく息を吸う。胸が膨らんだと周りが思った刹那、床も震わす声が響いた。
「勝つぞ!」
一方、北雷コートでも神嶋の周りに全員が集まっていた。
「とりあえず海堂の言うとおりやりましたけど、あのツーアタックは想定外でしたね」
そう言ったのは、ユニフォームの襟で汗を拭った火野である。
タイムアウトの際、海堂から下された指示は
「この状況で向こうが主導権を握った以上、マイナステンポで決めようとするのは確実です。なので、スパイクとサーブの標的は神嶋堅志だけに絞りましょう。これだけは徹底してください。あの男にトスを上げさせたら、私達の負けです」
だった。このときの海堂の表情はいつになく固く、余裕のなさを伝えていた。試合終盤になっても気を抜けないことを彼女の表情が示している。それを理解した火野は、その指示を厳守したのであった。
「アイツマジで動き読めないよ」
「またアレやられたら困ります」
「でも、現状十五番一人に注力するのはマズいデショ。あと一点取れば勝ちなんだから、もっと全体を……」
能登、涼、野島の順で口を開く。神嶋は黙ってその様子を見ていたが、ふと火野の肩を叩いた。
「火野、お前、サービスエースを取る気でやったか?」
「え、あ……」
「気を抜くな。負けるぞ」
厳しい一言である。火野の返事を待たず、彼は畳み掛けた。
「あと一点でこちらの優勝だが、絶対に気を抜くな。さっきの十五番しかり、これまでの試合で追い込まれたときの俺達しかり、何をしでかすか分からない。あのツーアタックは余裕のなさの表れだ。最後の一点は、命と引き換えくらいの気持ちで奪え」
他のメンバーが返事をするより早く、口角を吊り上げた川村が言う。
「なあ見てみろよ、海堂の態度」
コートの外に視線を移すと、そこには悠然と構え、コートを見つめる海堂がいた。自信に満ちているというより、不遜である。
「オレ達の戦女神サマは勝利を確信してる。春高もあるからこれで最後の試合ってわけじゃねえけど、年内最後の最高の供物を捧げようじゃねえか。アイツが嬉し泣きするとこ、見てみてえだろ?」
川村の言葉を聞いた五人は一斉に失笑した。あの鉄仮面のアナリストに嬉し泣きなど似合わない。いつものように、あの凶悪な笑顔で笑っている方がしっくりくる。
「似合わない!」
耐えきれなかった涼が叫ぶ。
「そういうことだ。いつも通りの顔してもらおう。て訳で、まずは勝つ! やるぞ!」
エースの叫びに五人が応えた。
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