六章二十話:泥試合




 一方、北雷のベンチでは、ブレーン二人が言葉を交わしていた。

「三点連取で止まりましたね。これまでの試合と比べて、確実にスパンが短くなっています。夏の地区予選では五点も連取していました」

「緋欧が相手となると、さすがに事情も変わるか」

「あの四番はサーブの攻略方法を見つけたんじゃないでしょうか。とは言え、あの速さのサーブを処理するには速度に目を慣らす必要がある。だから、サーブを完封されるまでにタイムラグが発生しているのだと思います」

「いや~、厄介なリベロだな。ていうか、何で直志はリベロを狙ったんだ? 何か聞いてるか?」

 設楽の疑問は当然のものである。サーブの際にリベロを狙うなど普通は考えられない。何か意図があってのことかと彼は考えていたが、考えれば考えるほど理解できなかった。海堂なら何か聞いているかと期待したものの、あっさりと裏切られる。

「いえ、何も聞いていません。強いて言うなら、緋欧に喧嘩を売っているんじゃありませんか? 俺のサーブを拾えるものなら拾ってみろってことでしょう。やっぱり冷静ではいられないんですよ」

 神嶋は優れた主将と言える。勝つためにチームの旗頭となって、いかなる逆境にも屈せず走り抜ける力があることはこれまでの過程で証明されている。加えて、優れた選手としての評価も十分可能だ。その理由として、会得している技術や天賦の体格、戦術理解力の高さが挙げられる。

 当然欠点もある。その最たるものが、血の気の多さだった。特に兄と緋欧が絡むと視野が狭くなり、目の色が変わる。試合で勝つ算段より、いかに自らの心を満足させるかという点に執着しがちになることを、海堂と設楽は既に理解していた。その上で、二人はこれまで敢えてそこには触れてこなかった。神嶋のそういった内面がこれまでの燃料になっていたこと、北雷の勢いを維持する上でその燃料が必要であると捉えていたからである。しかし、彼らはここに来てその方針を変えるべきだと判断する。

「試合が終わったら、一応一言言うかな」

「お願いします」

 設楽は一つため息をついた。



「お前の悪いところ、一個教えてやろうか」

 設楽は水筒の蓋を開け、唇の片端を持ち上げた。

「ぜひ」

「お前はあんまり他人を信じないタイプだ。だからサーブが上手い。他の誰かの手を介して得点できないよりも、自分一人で点を取っちまう方が楽だと思ってる。自立心が強くて、必要以上に他人に世話を焼かれることを恥だと思ってる」

 図星だったのか、神嶋は、何も言わずに塩分補給のタブレットを奥歯で噛み砕いた。あまり顔に感情を出さないが、態度と行動に出すタイプであることに設楽は何となく勘づいている。随分弱々しくなった蝉の声が遠くから聞こえた。

「気持ちは分かる。俺も下手なスパイカーに打たせるより自分でツー決めた方が点取れると思ってたし、高校の最初の頃はそんなプレーばっかしてた。だけど、そのやり方は長続きしなかったよ」

 神嶋は何も言わず、設楽の目を見ている。何か含みがありそうな目つきだったが、それは気にせず話を進めた。何も、今全てを伝え、理解させる必要はない。賢い神嶋であれば、自分なりに解釈して設楽の意図を探ろうとすることだろう。

「一人で大体のことができるってこと自体は、別に悪かねえ。オールマイティーなのは強みだ。でもな、一人で何でもかんでもやってると、意外と問題が起こったりもする。俺は最終的に上級生に、ナメたバレーやってんじゃねえぞって言われて喧嘩になった。六人いないと成立しないスポーツだから、ある程度他人を信用して任せることも必要らしいぜ」

「別に、周りを信用していない訳では……」

「そうだろうな。そうじゃなかったら、誰もお前には着いて来なかっただろうから」

「言ってることが矛盾してませんか?」

 困惑したような声音は、設楽の想像以上に年相応だった。

「どんな人間だって、見えないところで色々矛盾してるもんだ。知らないのか?」

 季節の終わりが近いとは言え、夏の日差しは午後になっても高い。太陽を背にする神嶋の顔は、設楽の位置からでは逆光で見えなかった。だが、彼は気に留めない。

「お前は強い。だが、その強さは諸刃の剣だ。あまり周りを見ていないとそれはそれで痛い目を見る。お前がやってるのは六人制のバレーボールだってことを、忘れるなよ」




 設楽を晩夏の午後から晩秋の体育館に引き戻したのは、ローテーションのために移動する緋欧の選手達の足音だった。

 バックライトに宗方、バックセンターに堅志、バックレフトに佐和、フロントレフトに由利、フロントセンターに保多嘉、フロントライトに片岡が入る。後衛の攻撃力が大幅に低下する状況となったため、樽木の指示で織部と佐和が交代した。

「あと少しだ、頑張れ!」

「おう!」

 佐和の声に応えた織部はコートに駆け込み、五人に向かって手招きする。

「みんな、監督から指示だ! こっちに来て聞け!」

 呼びかけられた五人は、一瞬顔を見合わせた。

 

 宗方のサーブで試合が再開された。審判がホイッスルを鳴らす。ボールを頭上に上げた宗方は助走に入り、そのまま打ち込まれたサーブは北雷コートを真っ直ぐ縦に走った。標的になったのは野島だった。その野島がサーブを受け、能登に回転がまだ生きているパスを出す。直後、涼、火野、神嶋が動き出した。

「一番、十二番!」

「コース絞れ!」

「九番!」

 声が飛び交う。ワンテンポ遅れて川村が動いた。

「三番!」

 情報が錯綜したのはほんの一瞬。能登が選んだのは涼だった。由利と保多嘉の二枚ブロックの目の前に躍り出て、軟打を入れる。保多嘉の指がボールの下部に触れた。

「ワンタッチ!」

 織部がそのボールをすかさず拾う。堅志の手にパスが渡ったそのときには、片岡の支度は整っていた。

「止めろ!」

 川村が叫び、片岡がクロススパイクを叩き込む。能登と神嶋が床に飛び込む。二人の手は間に合わず、審判が緋欧の得点を認めた。

 緋欧の持ち点は二十となり、北雷との点差は完全に埋められた。双方が二十点を獲得したこの状況では、どちらかが五点を先取すれば試合は終わる。北雷が沈黙するのに対し、緋欧コートは沸き立った。


 樽木から与えられた指示は、非常に簡潔なものだった。

「サーブの標的は北雷の四番のみ。他は狙わずに北雷のセットアップを崩しに行けって、監督が」

 現在の北雷と緋欧のローテーションと今の状況に基づく指示である。だが、彼らにはその程度で十分だった。

 彼らは樽木の意図を

「四番を使えなくすれば高確率で二番が二段トスを上げる。四番に比べてセットアップの技術は劣るから、スパイカーも絞りやすくなる。そうすればブロックも楽になり、総じてこの状況の打開に繋がる」

 と理解した。

 緋欧の教育は、「自ら考える選手」の育成に重きを置く。指示を与えられ、その通りに戦うのでは世界の頂点を争えるレベルの選手は生まれないという、樽木の思想に基づいたものだ。彼女がその教育を実践し続けた結果、選手個人が状況を判断し、状況に応じた最適なやり方で勝ちに行くことが今の緋欧のスタンダードになっている。だからこそ、樽木はあまり指示を出さない。その彼女が指示を出したことの重み、この状況の難しさが緋欧の選手全員にのしかかる。だが、それで潰れるような軟弱者は緋欧では生き残れない。

 片岡は当然のように、自身が持ちうる最強の手札を選んだ。この状況下ではとにかく得点を得られるかどうかが生死を分ける。北雷の意志を叩き潰して強い流れを引き寄せるための最強の一手が、己の一撃である自覚があった。

 堅志は伝家の宝刀マイナステンポを使い、最速で一点を奪い返した。下手に他のスパイカーを使う余裕はない。加えて、片岡も同じことを考えている。それが堅志の判断だった。

 二人の判断が噛み合った結果が緋欧の二十点目獲得。北雷が何かしらの形で即座に点を取り返さない限り、勝ち目のない状況になった。

 


 エンドラインより奥に立った宗方は、試合再開のホイッスルを待っていた。手の中でボールを転がし、体育館の照明を見上げる。彼の頭の中は空っぽだった。特に何も考えていない。緋欧、北雷両方の準備が整ったことを確認し、審判が電子ホイッスルに触れる。それを見て、宗方は深く息を吸った。

 審判がホイッスルを鳴らす。先程と同じ軌道のサーブを入れ、野島を狙った。それを見抜いていた能登が野島の斜め前に飛び出す。野島は能登の後ろを抜けてバックセンターの位置に移った。能登がパスを出し、野島がボールを手にした。この局面で野島が選ぶスパイカーは、一人しかあり得ない。

「三番来るぞ!」

 由利と保多嘉が動き、野島がトスを上げる。食らいついた川村が右腕を振り抜いた。先程の涼の軟打とは正反対の、強引で力任せなスパイクである。ブロックに止められたかに思えたが、サイドラインの少し手前に落下した。織部のレシーブは間に合わず、審判が北雷の得点を認める。

 川村のスパイクで、北雷は二十一点を得た。緋欧とは一点差。再び点差をつけることに成功した。

 得点板の数字が増えたのを見た宗方は、堅志の横で顔をしかめる。

「俺アイツら嫌い」

「ごめん、これはオレのせいだわ」

「ホントだよ。余計なことしやがって……」

 宗方は全国大会でサービスエースを取れるサーバーである。サーブが取りにくいように回転がかかっているが、言ってしまえばその程度。堅志仕込みの神嶋のサーブに慣れた北雷にとって、彼のサーブの攻略難易度は決して高いものではない。守備に関しては大したことはないと評されがちな北雷だが、サーブカットにのみ視点を絞れば評価は変わる。そのことを、当然宗方は知っていた。

「それにしても一点差か。このままだと、泥試合になるね」

 堅志の諦め気味な声に、織部が言い返す。

「いや、この試合は元々結構泥試合だろ」

 北雷の県大会優勝まで、あと四点。



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